第58話 タキ!*

 玄関を開けたおばあちゃんの顔が真っ青だった。

「タキに何かあったの?」


 靴を脱ぎ捨てて、いつもタキがいるリビングに走る。そこでタキは苦しそうに身をくねらせ、グゥゥと唸り続けていた。

「タキ!」

 急いで抱き上げると、一瞬タキは私を見て安心したような顔をしたけど、すぐに苦しそうに唸り続ける。

「おばあちゃん、タキどうしたの? 一体何があったの? ごめん、タキ。そばにいなくてごめん」


 ここでは何の力も使えない。

 泣きながらタキの体に繰り返しキスをした。ゲシュティへ行けば癒し効果が使える! なのに、

「なんで道が開かないの」

 頭では分かってる。最短でも三日は経たないと道は開けない。長いと一ヶ月。昨日の今日じゃ無理だ。

 それでも危険が迫ったときは、いつもお兄さんが助けてくれた。

「お兄さん……助けて……」


 震える私の腕の中で、段々タキの声が小さくなっていく。


「少し前から突然苦しみだしたのよ」

 おばあちゃんは両手を揉みしだきながら、ウロウロと落ち着かな気に歩く。

 タキは十四歳。人間ならおじいちゃんだ。人間で言うなら二十歳くらいと獣医さんに太鼓判を押されても、猫の十四歳は人間とは違う。


「ナナ、俺に抱かせて」

「ウィルフレッド様。どうしよう。タキを病院に連れて行かなきゃ」

 そっとタキを若君に渡し、キャリーを探す。早く早くと気だけ急いて、いつもの場所にあるキャリーがうまく出せない。


「タビィ?」

 若君がタキの名前を間違えて呼ぶと、おばあちゃんがハッと息を飲んだ。

 その音に振り向くと、次の瞬間、大きな唸り声をあげながらタキが仰け反ると床に着地して、一瞬のうちにタキが消えてしまったのだ。


「タキ⁈」

 彼がいた場所に、今は荒い息をつく男性がうずくまっている。光の加減で銀色に見える不思議な黒髪。頭には猫のような耳がついている。これは一体何……?


 愕然とする私の前で、おばあちゃんがその男性の背を撫で、

「よかった……」

 と泣き始めてしまった。

 若君を見ると呆然と立ち尽くしている。


 やがて呼吸が落ち着いた男性が顔を上げ、今度は私が息を飲んだ。

 それは、若君と瓜二つの青年だったのだ。


  ☆


 沈黙が落ち、とても長い時間が過ぎたように感じる。祖母に促されソファに落ち着くと、私は改めて若君そっくりの猫耳の男性を凝視した。

「僕の姿を目にするのは初めてだね、菜々」

 その声に胸が締め付けられる。

「お兄さん、なの?」

 フラフラと立ち上がり、その男性の側で座り込む。

「どういうことなの? 警邏のお兄さんなの?」

「うん、君はそう呼んでいたね」


 若君と同じ柔らかい笑顔。その手におずおずと触れてみる。

 警邏のお兄さんは、そっと手を握ってくれ、その温かさに息を飲む。

 幻じゃない。私の目は見えているのに、ちゃんと見えているのに。

 この人はお兄さんなの? じゃあタキはどこ?

 途方に暮れ、若君を振り返ると

「テイバー」

 と低い声で猫耳のお兄さんを呼んだ。


「うん、ウィル。この姿でははじめましてかな。やっと話せたね」

「どういうことなんだ?」

 ウィルフレッド様に聞かれ、お兄さんは少し困ったように微笑んだ。


  ☆


 お兄さんの正体はタキだった。

 このことだけでも、フラッと気が遠くなる。

 そしてお兄さんはタキであると同時に、ウィルフレッド様の半身テイバー様だったのだ。


「ネアーガに引きずり込まれた僕は、あらん限りの力でネアーガを封印したんだ。自分自身にね」

「一つになっていたってことですか?」

「そう。そして気づくとこの国にいた。子猫の姿で。記憶も感覚も混濁し、訳が分からず途方にくれた僕を見つけてくれたのが、菜々とケイだ」


 そしてその日大きな地震が起き、私と共にゲシュティに行った彼は、私の意識が朦朧としたとき人の姿に戻れたという。私を警邏隊の待機所に送り届けて、覚えていないけどどこか・・・に帰ろうとした。けれど、あっという間に猫の姿に戻ってしまったのだそうだ。


「菜々が小さいときは、君に危険が迫った時や眠っている時に人に戻れることが多かった。もう少し大きくなると、離れているときに戻れることが多くなった。でも一人では向こうに行けないんだ」

「預かったタキが、この部屋で突然男の子に変わったときは驚いたわ」

 まったく驚いてない様子で美鈴おばあちゃんは微笑んだ。


「ネアーガを封じているせいか、子供の頃は記憶が曖昧になることが多かった。なぜ人になったり猫になったりするのかさえも。そんな僕を、美鈴達は普通の少年として面倒をみてくれたんだ。学校には行けないけれど学べる機会を作ってくれたし、外にも出て、昼間は普通の日本人に近い生活をしてたんだよ」

「全然知りませんでした」

「うん。菜々には知られたくなかったから、内緒にしてって陸人達にも頼んでたんだ。ごめんね」

「お父さんも知ってたんですか?」

「うん。それに、僕がゲシュティの人間だろうって気づいたのはケイだった。ケイは魔獣の中を通ることで、僕は魔獣を内に入れることで日本に来たからだろう」

「お母さんも……」

「ケイは、菜々と僕の力は二つで一つだと言った。二人の力が共鳴すると道が開くし、菜々が力を放出しすぎると僕に力が注がれて僕は人に戻った。封印が弱まっているときの耳はこんなだけどね」

「猫耳もかわいいですよ」


 私の言葉に、タキ……テイバー様は面白そうに笑った。

「普段は普通の耳なんだよ。ねえ菜々、僕はテイバーだけどタキでもあるから、いつもみたいに話していいんだよ」


 そうは言われても、見た目は若君だから砕けた言葉でなんて話せそうもない。

 それに、十四年間ネアーガと一体になったテイバー様と暮らしていたなんて、どう考えていいかわからなくて思考が停止したままだ。


「ウィルが今着ている服は、健人のではなくて僕のだよ。バイトして買ったんだ」

 バイト?

 ガツンと殴られたような衝撃が走った。

 テイバー様……若君が、バイト?

「でも、こんな目立つ人が外を歩いていたら大変じゃあ……」

「僕は変装が上手いんだよ」

 いたずらっぽく笑いかけられ、胸がドキドキする。


 おまけに私が持ち歩いている家族の姿絵風の写真も、ポケベルもどきの通信機も、作ったのはテイバー様だそうだ。

「ふふ。本当のことが言えなかったから、嘘ついてごめんね」

 と、おばあちゃんが可愛く笑う。

「テイバー様は、パソコンも使えるんですか?」

「割と得意かな」

 唖然として、ウィルフレッド様と顔を見合わせた。

 バイトは主に、日雇い肉体労働系と、パソコンを使ったIT系らしい。

 全然、イメージが結びつきません。


「ねえ菜々。君から僕はどう見える?」

 頭の中ぐるぐるな私に、柔らかい笑顔でテイバー様はそう尋ねた。

「テイバー様をですか?」

 落ち着いて、じっと彼を見つめる。振り返って後ろにいるウィルフレッド様も見る。


「ウィルフレッド様とそっくりですけど、違います。違うのに、同じ人だって感じます」

 クララ様は双子のような感じだったけど、テイバー様とウィルフレッド様は、分身した陛下同様、同じ人だと思える。それは例えば、仕事している父と家でくつろいでる父が同じ人のように。動画に撮った友達と隣にいる友達が同じ人であるように。二人に見えるけど、見た目もわずかに違うけど、それでも同じ人だと感じる。

 どちらかが陰なんてことは、全く感じないと思った。


「じゃあナナは、僕を好き?」

 唐突にそう聞かれ、条件反射のように頷く。

 ウィルフレッド様に恋をしてからは、二人も好きなんておかしいと気持ちに蓋をしてた。でも、ずっと好き。一番特別な人だから。

「好きです……」


 素直にこぼれた言葉にウィルフレッド様が息を飲んだ音が聞こえ、カッと顔が熱くなる。

 思わず口元を押さえるけど、どちらにもばっちり聞こえてたのは確かだ。

 私、なんでポロっと言っちゃったの?

 オロオロする私に、テイバー様は幸せそうににっこりと笑った。

「うん、僕も菜々が好きだよ。愛してる。やっと伝えられた」

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