第55話 プリクラ*

 食後、葉月の彼氏から連絡が入りそのまま解散ということになった。

「明日九時に迎えに行くからね」

「え、なんで?」

「お父さんからホテルプールのペアチケット二枚貰ったの。明日ダブルデートしよ!」

「デートぉ?」

「ウィルさんにもOKもらってるから! じゃあ明日ね! 後で連絡する!」


 言うだけ言うと、台風のような慌ただしさで葉月は走って行ってしまった。

 葉月の彼氏は、高校の同級生の本原君だ。まだどんな経緯で付き合うことになったのか聞いてないんだよね。明日問い詰めちゃおうかな?

 本原君の陽気な笑顔を思い浮かべながら、そんなことを考える。

 とはいえ、ダブルデートって……。


「ウィルフレッド様、葉月と約束されたんですか」

「こっちの国を、色々見たいだろうって言うから」

 なぜか若君は私から目をそらす。

「無理しなくていいんですよ。葉月には断っておきますし」

「いや。ぜひ行きたい」

「そうですか」

 行きたいんですか。

 まあ、葉月達はデートでも、若君には観光ってことだよね。色々見せてあげたいのは確かだし、観光ならいいか。



 帰りは電車ではなく歩いて帰ることにした。ぶらぶら寄り道しながらでも一時間もかからないから、それも面白いだろうと思ったのだ。

 葉月ママのカットとメイクのおかげで気持ちが上向きになったせいかな。それとも、一緒に食事をしたからかな? 今は二人の間の緊張感が緩和して、以前のような空気感でホッとする。

 夜でも明るくてにぎやかな町に若君は興味津々だ。プールのあるホテルは高層ビルだし、もっとびっくりさせることが出来るかも。そう思うとちょっと楽しみになってくる。


 私はそっとテイバー様に思いをはせる。でもこちらでは全く何も感じることが出来ない。私が感じたものは幻だったのかと不安になってくる。若君はどうなんだろう。


「こちらでは写真というものが気軽なんだな」

 立ち止まった若君の視線の先には、ゲームセンターのプリクラの大きな女の子の顔があった。

「ナナが髪を切っている間、葉月がスマホというもので山ほどナナの写真を見せてくれたよ」

「面白かったですか?」

「想像以上に、ナナの周りが男だらけで驚いたな」

「まあ、学校は男子が多いところでしたね」

 見たのは高校の時の写真か。共学のくせになぜか男子が八割だったしねぇ。

「多分その中に、葉月の彼氏もいましたね」

「彼氏とは?」

「男性の恋人のことですよ」


「ナナは……好きな人がいるんだって、オリバーから聞いた」

 胸がドキッとする。だから若君の態度が軟化したのかな。

「あの時現れた男がそう?」

「あの時?」

「自分がついてるって言って、ナナにキスをした男。黒い物に覆われて顔は見えなかったけど……」


 私はお兄さんの優しいキスを思い出し、無意識に親指で唇に触れる。あれは多分、私が日本に戻る為に必要だっただけだ。それでもふいに愛しい想いが湧き上がってきて、自分の心に戸惑う。


 何かを考え込んでいた若君が、ふうっと息をついた。そして、

「俺、あれやってみたいな」

 気分を変えるようにゲーセンを指す。

「プリクラですか? いいですよ、撮りましょうか」


 カーテンで仕切られただけの小さな密室で、勝手にしゃべる機械やカラフルなタッチパネルに驚く若君に笑い転げる。

「準備完了。これで何枚かとるんですよ」

 すでに葉月からプリクラの写真を見せられていたらしい。あんなポーズ撮ってたとか、文化祭で大勢で撮ってたなど話しながら撮っていく。


「ナナ」

 ふいに若君の手が私の頬に触れる。

 ああ、この手が好きだな。

 そう思って若君を見ると、彼も瞳の奥を覗き込むように私を見ていて、そのまま私達は自然に唇を重ねていた。まるで、それが当然の流れで、大事にされている、そう錯覚してしまいそうなくらい、とても優しい口づけだった。


 いま、何がおきたの……。

 これはどういう意味?

 今までの若君の行動を考えると、これで仲直りって意味かもしれない。

 両頬にキスされた時、これで許すって言ってたことがあったもの……。

 気を抜いたら泣いてしまいそうだから、私は何もなかったふりをする。


 ――ダメだな、私。すごい自己嫌悪。

 隙がありすぎるんだわ。バリアを張れない分、しっかり気を引き締めないと。


 幸いそのショットは写ってなかったから、何もなかったように落書きしてプリントして。でもこれは机の引き出しの奥にしまい込む。

 そう。何もなかった。なかったんだよ。だから全部――忘れたい。


  ☆


 帰ると父も帰ってきていた。

 おばあちゃんから事情は聴いていたらしいけど、若君を見ても特に何も言わない。

 おばあちゃんは一度帰って翌日タキを連れて戻るということになり、今夜若君はお兄の部屋で寝ることになった。

 落ち着いて考えると、若君が同じ家にいるというのが不思議で仕方がない。


 テレビや電話やパソコン。とにかく驚き続ける若君のことが面白いらしく、父が色々見せて回っていたので、私は先に寝かせてもらった。もしかしたらお母さんが日本に来た頃も同じようなことをしてたのかもしれないと思いながら。

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