第31話 失われた半身

 陛下が指さしたのは、ガブリエラ様達が踊るグループだった。

 今会場で踊られているダンスは、四人以上のグループで踊られる民族ダンスの一つだ。男女それぞれ向かい合ってひらひら回ったり位置を入れ替えたり、時に手のひらを合わせたりするテンポの速いダンス。ただ、社交ダンスのように男女二人がぴったりくっついて踊っているわけではないので、一緒に踊っていると言っても男性だけでも四人いる。

 その四人の中でも一人、目を引く人がいた。


「ウィルフレッド様?」

 膝の上で、なぜかタキが不機嫌そうに毛を逆立てるのをなだめながらつぶやくと、陛下は意外そうな声で

「なんだ。知ってたのか」

 と言った。

「あ、いえ。あの方、うちの領地の若君ですし……」

 そのくせなぜか、よくうちにご飯をたかりに来てますし……。


 でも知ってたのかって?

 若君がその英雄なの?

 でも、半身を失ってる?

 ハンデを負いながら、次期領主の仕事をしてるの?

 え?


 色々なことが頭の中を渦巻いて、何をどう考えていいのかわからなくなる。

「若君が、その半身を失ったという子どもなんですか?」

 かすれる声で確認すると、

「ああ、そうだ」

 と、陛下は頷いた。


 私は陛下の言葉を反芻しながら、会場で踊る若君を見つめる。

 だから、半端エイファル……。

 文字通り、完全ではなかったんだ。

 でも、間違っても出来損ないなんかじゃないから、やっぱりそんなふうに言われること自体間違ってるわ。


 他の人といるときはいつもきれいに笑う若君は、今もきれいな笑顔で優雅に踊っている。ガブリエラ様と手のひらを合わせ、右に左にと回って、次に隣のご令嬢に向き合って……。一分の隙もない紳士ぶりだ。

 でも私が知っている若君は、人の迷惑も顧みずのんきにご飯をたかりに来るおぼっちゃまだ。昨日一緒に出かけて、気配り上手の意外と頼りがいがある男性なんだろうなとも思って、少し見直した。――少なくとも私にとっては英雄でも半身を失ったものでもない、ごくごく普通の男の子だ。


「半身というのは、今の陛下みたいに普通の、生身の人間なんですよね」

「そうだ」

「それがネアーガに……」

 飲まれた。

「そうだ」


 白蛇のようなレシュールは、母を丸飲みにした。

 でもネアーガは黒獅子のような魔獣。子どもなど簡単にかみ砕くであろうことが容易に想像できる。指先が震え、冷たくなっていく。


「その方も、母のように日本にいるのでしょうか」

 もしかしたら、そうかもしれない。

 ネアーガにゴクンと飲まれて、母と同じ道をたどったのかもしれない。

 私は手を組み、祈るような気持でそう言った。

「わからぬ。だが、生きていたとしても、生き延びているかどうかも分からない……」


 十四年前だったら、若君だってまだ八歳。小さな子どもだ。

 いつか想像した、子どもの頃の若君が脳裏に浮かぶ。可愛い男の子だ。

 そんな小さな子どもが魔獣に飲まれ、もしかしたら知らない世界に放り込まれたかもしれない。

 私はぶるっと震えた。

 もう一人の自分を失う恐怖を私は知らない。

 でも、知らない世界に放り込まれた気持ちならわかる。

 私も初めてゲシュティに来たときは、とても心細かった。でもすぐに警邏のお兄さんが助けてくれたし、おばあちゃんにも会えた。私は、とても恵まれている。


「ナナ、君はなぜ彼をウィルフレッドと呼んでいるんだい」

「若君の名前ですから……」

 そう呼んでほしいと言われたし。

「失った半身はテイバーの方だ。だが周りはみんな彼をテイバーだと思っているんだよ。ウィルフレッドだとは思っていない」

「分身してても同じ人ですよね」

「そう。でもやっぱり少し違うんだよ。テイバーが光なら、ウィルフレッドは陰みたいな感じだな」

「陰……?」


 私がはじめて、彼をウィルフレッドと呼んだ時のことを思い出す。

 

 だからだったの? 偶然とはいえ、私があなたの名前を呼んだから、あんな顔をしたの?


「私、日本に戻ったら若君……いえ、テイバー様を探します。ウィルフレッド様の半身なら、きっと生きていると思うんです。あの方、とても運が強そうですもの」

 震える手でタキをなで続ける。

 彼のつややかな毛並みと、体の温かさで、少しずつ指先の温度が戻ってくる。


「あの見た目なら、しれっとモデルとかしてるかもしれないよね、タキ?」

 雑誌に載ってる、かっこつけた若君が容易に思い浮かぶ。

 生きてる。きっと生きている。

 繰り返し願い、そう考えるうちに、突然ふっと何かを感じた。

 それは捕まえる間もなく掌をすり抜けて行ったけど、希望は突然確信に変わる。


「テイバー様……生きています」

「何か見えたのか?」

「見えそうでしたけど、捕まえることができませんでした。でも、生きているって感じます」

「そうか」


 本心がどうかはわからないが、陛下は私の言葉を無責任とは言わなかった。

 私は、何かをつかむようにぐっとこぶしを握り締めた。

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