統失になった私がやっと旦那を捨てるまでに至った十年間

ぜろ

第1話

 始まったのが十四年前だったのか十一年前だったのか。

 私は二十歳で専門学校の先生と結婚し、殆ど現金を使わないカード生活にも慣れてきたころだった。週末に二人で自転車を漕いで買い出しに行くのも楽しかったし、何故か解らない引越にも腰を痛めつつ(本ばかりの家だったので)(そして今だ腰痛は治っていない)、充実した専業主婦をとして営んでいた。


 結婚三年目のある日、忘れもしない夕飯はナポリタン。エビを剥いて頭を取ってオリーブオイルの熱せられたフライパンに入れる。じゅわっとした頃にそろそろ麺をゆで始めるかと思った頃、なんとなく虫の知らせで寝室に向かった。

 旦那がぶるぶる震えながら布団に横たわっていた。

 大丈夫かと訊くと大丈夫じゃない、救急車を呼んでくれと言われ、その通りにした。夫のクレジットカードしか入っていない財布を開けて保険証を用意し、帰りの為の靴を鞄に入れた。もっともこの靴を履くことはなかったが。

 今旦那さんについているのはあなただけなんですよ、と言う救急隊員の声は今も覚えている。しかし謎だったのは私の分の保険証がない事だった。この数か月前に私は逆向けを下手に剥いで指がパンパンに腫れあがり、病院に行きたいと散々言っていたのにだ。(結局セルフ切開で膿を出した。時期が六月だったので余計な菌が入る季節だったと思う)

 そうして運ばれた病院で、様々な書類にサインをしていった。輸血許可ぐらいしか覚えていないが、他にも二・三枚あったと思う。主治医は夫のCTを示し、かなり大きな出血であることを示した。私は泣きじゃくっていたが、『泣いてもどうにもなりませんよ』と言う冷静な言葉で、あ、そっかと我に返ったのを覚えている。そして現状それ以来この件では泣けていない。


 実はこの四か月前、職場の健康診断で夫は血圧がかなり高めだと診断されていた。両親とも高血圧である私は『血圧の薬は一生ものだよ』と伝えたが、夫は結局継続して病院に行くことはせず、ごらんの有様の脳出血だった。今でも十歳年上の夫にもっと強く言えたら現在が違っただろうと思う。娘さんですかと言われるほど、私達は年が離れていた。二十二歳と三十二歳。あの時切っていれば私にもまだまともな精神状態があったのかと思うと止むにやまれない。


 そんな訳で旦那は手術室に入った。加圧ソックスを履かされていたのを『今ニーソはいてるんだぜ』と茶化して、それでも涙は止まらなかった。『泣かないで』と言われたが誰が言えたセリフなのだろうと今でも思う。

 そして夫は十時間の手術に入った。そして我が家はサマーウォーズだった。

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