第12刻:綾黒%《アヤクロパーセント》の友達作りなり【前編】
「京~~」
「何だよ、朱莉姉」
今日も今日とて紅智家の朝はやはり朱莉姉の第一声から始まる――のは寝坊する朱莉姉だけであり、俺はもう既に学校へ行く準備を終わらせつつ、朝食を作り置きしてから朱莉姉を起こして玄関で靴を履いていた。
朱莉姉は今はシャワーを浴びている最中だが、何やら困った様子のようだ。
「ちょっと困ったことがあってさ~~」
と、分かりきっていることを言いながらガララとバスルームから巻きタオル一枚という人前に出てくるような格好ではない際どい姿で、平然と濡れた足でペタペタと歩いてくる朱莉姉。
シャワーの音もついさっき止んだばかりだし、体を拭いてもいないようでさっきシャワーから出てきたばかりなのだろう。湯気が出ていて色っぽい美人になっているのだが、実の姉となるとここまで関心が湧かないものなのだろうか。
「ちょっと俺も困った姉が目の前にいてさァ………」
当然、反応に困る。あと、呆れもするし、表情はひきつるし、目のやり場にも困るし、何よりも無用心な姉に少し苛つく。
まぁ、こんなことでここまで不快になっていてはこの先の人生において、朱莉姉に対して思いやられてしまうだろう。
肝心なのはこちらが大人になり、空気を切り換えること。
「………で、何?」
俺の心境的にも言い方がキツくなってしまったのは見逃してもらおう。
そしてタオルを巻き付けてるからってタオルを押さえている手を離すな。という
それにも関わらず、朱莉姉は羞恥心の欠片もなく、バ……能天気な顔で切り出してきた。
「昨日のバイトの時にバイトウェアに鍵入れたままだったの忘れてたんだけどさ、今日だけ京の鍵貸してくれない?」
「………しょうがないか、分かった。美術部終わったら朱莉姉のバイト先に行くからその時に返してくれればいいから」
靴を履いている最中で、片腕しか空いてなく動けもしないので、その場で鍵を投げ渡す。
朱莉姉は鍵をキャッチし損ねて床に落としてしまうも、それを拾って、
「ごめんね、ありがと」
と、にこやかに告げてきた。
***
「おはようございます。今日はいい天気ですね」
教室に入ると、開口一番、ドアに近い席に座り、会話に洒落混む女子グループに挨拶をする綾黒の声が聞こえる。
俺は反射的に彼女のもとへ行った。
「ちょっと来い、綾黒」
「はい、何でしょうか?」
教室の外で待機していた俺は綾黒を呼びつけて顔をしかめる。
「何ださっきの挨拶は………?」
「何か駄目な点がありましたか?」
「…………お前はコミュ力ゼロの
俺はつい絶叫した。
大きな声に驚くこともなく、綾黒はキョトンとした瞳で俺を見る。
「…………つまり、先程のような交流の仕方ではいけなかった、ということでしょうか」
「当たり前だ!! 今、あのグループ話してる最中だったよな!? お前は場の空気を乱してるんだからな!?」
「…………なるほど。やはり、慣れないです。難しいですね」
綾黒は顔を落とし、少し暗い雰囲気をまとってしまう。
………しまったな。こいつは友達作りに慣れていないのに強く言い過ぎた。普段の綾黒はメンタルが凄まじく強いから、慣れないことでもすぐに切り替えれるものかと思ってしまった。
「…………あの」
俺たちが深刻に考えていた中、教室のドアから身を隠しながら顔だけを覗かせてこちらを覗く眼差しが一つ。心当たりのある声を聞き、俺たちが振り返ったところ、さっきの女子グループにいた
同じ美術部なので顔見知りではあるが、まともに話したことはない。
綾黒や小波さんのような美少女とは違い、普通の顔立ち、背丈をしたかなり気弱な平凡女子だ。
「………どうした?」
俺が声をかけると、鏑木さんはオロオロしつつも、話をしてくれた。
「…………あ、え、えっと………さっき綾黒さんが私たちに声をかけてきたことで………皆、綾黒さんが気になったみたいで………」
「………ああ、そういうことね」
「……………」
俺は鏑木さんの言い分に納得する。だが、何故かすぐ隣にいる当人である綾黒からの反応がまったくなかったので、ふと疑問符が浮かんだ。
「………綾黒?」
「………紅智君、やはり私は友達作りの第一歩を成功していたのかもしれません」
とてつもなく真剣そうな顔で高揚しているところ失礼極まりないので口には出さないが、鏑木さんのオブラートな言い方からして、さすがにそれは早計かもしれないとは思う。
綾黒が慣れない友達作りに平生を保てていないのは一目瞭然だったが、ここまで冷静になれてない辺り、綾黒は成長と同時にポンコツ化も進んでいるのだろうと確信する。
「………どうだろうな」
だが、ここは敢えて言葉を濁しておく。
少し物腰が柔らかくなったとは言え、今でも向上心の塊である綾黒。そんな彼女が自分がポンコツ化していると自覚してしまえば以前よりも綾黒両親の狂った帝王学に固執し、今度こそ綾黒自身の意思を封じ込めてしまう可能性もありうる。
そうなってしまえば2度と綾黒の意思を引きずり出すことは叶わなくなる。自分を擁護するつもりはないが、中学時代まで悲惨だった俺よりとても可哀想になってしまう。
今、綾黒は危ない立ち位置にいる。一見、完全に正常な判断力を持ったかのように思えるが、それはさまざまな偶然があってギリギリ今の状態でいるだけ。しっかり理解しておかねば。
「…………あ、あの。それで綾黒さんを連れてきてって………言われたんだけど、いいかな?」
「もちろんです」
鏑木さんが綾黒を女子グループの元へ連れていったことで、俺はその場で一人となった。
「………成功してたならいいんだけどな」
まぁ、あの気弱な鏑木さんのグループだ。
いい人達とまでいかなくとも、陰湿でなければいいんだが。
***
未来学園の美術部は静かだ。他の地域にあるかどうかは知らないが、芸術の秋に伴って県内芸術祭が毎年開催されるらしい。
美術の名門でこそないが、熱意は無駄に備わっている部活であるため、部員各々が製作に集中するあまりピリピリと緊迫した空気が美術室内に満ちていた。
「…………うぬぬ」
俺も作品製作には取りかかっているが、それでも気が気じゃなく上手く集中できないでいて、モロに一人一人のプレッシャーが伝わってくるために心地の悪さを感じる始末。
それというのも………。
1時間前。放課後となり、美術室へと行こうとしたタイミングで鏑木さんが声をかけてきた。
「あの、紅智君………」
「鏑木さん………どうした?」
「今日、部活休むって部長に言ってもらってもいい?」
「………いいけど、本当にどうした?」
俺たちが美術部に入ってからまだ1ヶ月だが、部活動を休む人が1年生から出てくるのは珍しい。
特にそれが鏑木さんとなれば尚更だし、綾黒とも交流があったのだから。
「うん、綾黒さんなんだけど」
「………あいつが何かしたとか」
「ううん、違うの。確かにコミュニケーションは難しかったし、金田ちゃんや泉ちゃんからすれば真面目すぎて嫌いなタイプなはずなんだけど………」
「………けど?」
ここまでは予想通りなのだが、『けど』という切り返し方をされるとは思わなかった。正直、どんな言葉が発せられるのか、すごいハラハラする。
「綾黒さんが想像以上に真面目すぎて、そこが気に入らなかったみたい。嘘をついて騙すっていう嫌がらせから始まって………」
ブチッ
「…………あ?」
「………あ、結局違うの。確かに最初は嫌ってたみたいだけどね…………騙された時の綾黒さんの反応に皆オチちゃって…………」
「………………な、なぁるほどね」
さっきまでの苛立ちが引いていく。別の意味で
「あの…………綾黒さん本気でキレてたけど、思った以上に感情的なだけじゃなくてムキになって、その………可愛かったです!」
「もういい! もういいから!」
お前もかよ! と、思わないでもないが、それ以上に綾黒の反応の仕方が気になる。あいつがムキになるほど感情的だなんて想像がつかない。
どうやら親睦会を開くついでに勉強を教わるようだ。
まぁ、何はともあれ、それが一時間前の出来事であり。
「…………綾黒が……感情的に、ね」
一言呟いてみて、頭を抱えた。そして次々に呟きが止まらなくなる。
「えぇ、マジかよ………すげぇ気になるんだけどあの真顔がどんな風になってたんだよ」
気になりすぎて集中できやしない。
プレッシャーで居心地悪いし、俺も帰るか。
「あの、部長………」
***
俺の自宅は未来学園から電車で一時間の距離にある団地の一室。2階なので、最上階に比べて窓からいい景色とかそういうのはないが、まぁまぁ近くて便利だ。
そして自分家の前に辿り着き、鍵が空いているであろうドアノブを捻る。が、いくら捻っても開かない。
そこで俺は心当たる。
「……………そうだった。今の時間、朱莉姉はバイトしてるんだった………」
朱莉姉以外の家族については今は省略しておくが、現在二人暮らしをしている。要するに今家は誰もいない不在状態であり、尚かつ鍵も閉まっているということ。
普通に自分の鍵を使えと思われるかもしれないが、朱莉姉に俺の鍵を貸していたというつい今朝の出来事を思い出した。
朱莉姉は未来学園近くのコンビニでバイトをしている。今から朱莉姉の元へ行くのは時間がかかりすぎるので、朱莉姉の方から帰ってくるのを待っているべきだろう。
「…………夕飯は外食確定として、朱莉姉が帰ってくるまでどうするか」
俺も未来学園近くのファミレスバイトをしているのだが、最近、バイト代が入ってお金があるので、近くのデパートにでも寄ってみようか。
外食なのにデパートに行く理由は、レストランだと高いからだ。バカ姉を持つ苦学生は家計を調整しなくてはならず、本当に大変なのだ。
片道10分のところに俺の行きつけのデパートはある。
食品売り場で夕食を食べ終え、朱莉姉の帰ってくる時間まで暇を潰すだけとなった。
「……………朱莉姉。最近は俺もバイトできるようになったから少しは楽になったろうけど。
それでも毎日ずっとこんな遅くまでバイトしてんだよな………」
ふと、浮かんだ思いではあるが、少し労いたくなった。
新しい服を買う機会がないので、夏向けのオシャレな服をプレゼントしてあげれば喜ぶのだろうか。
という訳で暇潰しがてらデパート内のファッションショップへ。
「………どんな服がいいんだろ。」
朱莉姉はあれで外面は大人びているので、それっぽいのを買えばいいだろう。
数十分、同じく服を買いにきたであろう女子組の服選び口論を
どちらも同じメーカー、同じデザインのワンピースだが、白か黒か、どちらにするかで悩むところだ。
「………ここは、黒かな」
と、そこで黒ワンピースを取ろうとしたところで、同じものを取ろうとした誰かの手が重なる。
「………っと!」
「………っ、すみません!」
まさかのシチュエーションに驚き、反射的に手を引っ込めながら相手に向き直る。
というか、何か聞き覚えのある声がしたような………。
「…………って、鏑木さんか」
「………紅智君、どうしてここに? ここって女性用ファッション店だよ」
「朱莉姉の服でもサプライズで、と考えてたんだが、鏑木さんは?」
「あ、私たちはね………」
「――ちょっと、勝手に入ってこないでください!」
試着室から叫び声が聞こえる。さっきBGMにしていた女子組口論が激化したのだと分かる。分かるのだが………。
「良いではないか~」「良いではないか~」
「だからって脱がさないでください!」
「…………やっぱりこの声って…………」
めっちゃ聞き覚えのある声が聞こえるぞ。
「もう、出ていってください!」
堪忍袋の緒が切れた怒声の瞬間、試着室から二人の女子が押し出された。
「――あ………」
つまり、開かれた試着室のカーテンの隙間から中の様子が丸見え――ということだ。
そして案の定、そこにいたのは俺の友達、
「――え………」
そんな彼女のあられもない姿(服が脱がされ実質、ほぼ下着状態)が油断しきっていた俺の目に飛び込んできてしまった。
綾黒が一瞬で顔を真っ赤にし、俺はすぐに目をそらす。
「………っ、ぅ」
「本当にすみませんでした!」
俺が目をそらしたまま、全力で謝るもその甲斐なし。
「――キャァァァァァァ!!!!」
羞恥心マックスまで登り詰めた絶世の美女の悲鳴がデパート内に響いたのだった。
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