第17話:真実
翌朝は気持ちいい程の晴れ空だった。
空は青く透き通り、昼の神は優しく温かい輝きを、まるで人々を慈しむように降らせている。
麗らかな陽の光の下、頭から外套を被って、姿を偽ったロイドとリンカ。
二人は雑踏に紛れながら、街の最奥を目指して歩んでゆく。
今日は安息日のためか、リンカの育った場所でもある”ラビアン教会”は静寂に包まれていた。
そんな穏やかな教会のテラス。
そこではここの主で、リンカに姓を与えた、初老の女性――【ローズ=ラビアン】が日差しを浴びながら、優雅にお茶を楽しんでいたのだった。
「どちらさま?」
ロイドが門扉を押し開けると、ローズは淑やかに首を傾げる。
「リンカ」
「……」
「リンカ!? な、なんであなたが……!?」
ローズは外套を脱いで素顔を晒したリンカをみて驚きを隠せない様子だった。
リンカも意外だっただろうローズの反応に戸惑いを隠しきれていない。
(信じたくは無かったが、やはり……)
僅かに別の反応を期待していたロイドは、覚悟を決めて自らも外套を脱ぎ捨てる。
「随分余裕ですね、ローズさん。昨晩、リンカが突然消えたというのに優雅にお茶の時間ですか?」
「……!」
ロイドはリンカを伴いながら、顔を凍り付かせるローズへ歩み寄る。
そして綺麗なティーカップが置かれたテーブルへ、一枚の羊皮紙を叩き付けた。
「こいつに見覚えはあるな?」
「それは……!」
「この薔薇の刻印とイニシャルはローズさん、アンタのものだ。貴方はリンカに姓を与えた親権者なんだよな? だったら何故、ここにリンカの譲渡証があるんだ!? いつからこの子はアンタの養子から、”奴隷身分”に変わったんだ!!」
聖王国では奴隷にするためには、まず平民や貴族といった身分の剥奪が必要であった。
特に階級の転落には明確な理由と、細かな審査が要され、その間は拘留される。
そして奴隷局が存在し、そこに登録されて初めて、人は奴隷身分へと落ちて行く。
本来なら譲渡証には売買当事者の刻印と、そして奴隷局の認定刻印が必要である。
しかし今、ローズへ叩き付けた譲渡証にはローズの刻印のみ打たれている状態だった。
「相手のキンバライトが奴隷局の局長だから大丈夫とでも思ったのか? リンカはいつ拘留されていたんだ。俺はこの目で確かに、昨日この子が街中で子供たちと楽しげに買い物をしていたのを見かけたぞ!」
「……」
「しかも奴隷だぞ!? この子が一体何をした! 奴隷にされるようなことをリンカがしたのか! ご丁寧に夜中に攫わせて、目の付かないようにまでして!!」
ロイドの怒りが青空へ溶けて消えて行く。
「――ああ、もうウザったいな。貴方には関係のないことでしょ……」
やがてローズは唸りのような声を上げ、淀んだ目でロイドを見上げる。
そこには進んで孤児を受け入れ慈しみ、至高神を崇め奉る敬虔な信徒はいなかった。
ただ怒りに満ちた視線でロイドを鋭く睨む、魔女のような老婆がいるだけだった。
「リンカをここまで育てたのは私よ! 彼女の魔法の才能を見抜いて冒険者にしたのは私よ! 薄汚い、ろくに字も書けないこの子がSSランク冒険者に成れたのはこの私のおかげよ!」
ローズの払いのけたティーカップが割れ、赤茶色の茶が血だまりのように床へ広がる。
リンカはただ茫然と立ち尽くしているだけだった。まるで壊れたティーカップのように、心が砕け散っているかのように見えた。
「声の出ない魔法使いなんてただの魔石だ! ここまでその子を育てたのはこの私よ? だから私がこの子を売ろうが何をしようが勝手じゃない! 元々その子はスラム出身の、ほとんど奴隷みたいなものなのだから!!」
「身勝手だな。そんなことをして許されるとでも思っているのか?」
「うるさい、Dランク冒険者! お前程度が一人で咆えても無駄よ!」
ローズは机を叩き、乱れた髪の間から、怒りに満ちた視線をロイドへ向ける。
「みていろ。お前なんてキンバライト卿にお願いをして、奴隷にしてやる! あのお方ならお前程度、すぐに!!」
「おーっと! なるほど。やっぱりそういうことか」
門扉からジールの声が聞こえた。彼の指示に従って、数人の憲兵が押し入る。
「な、なんだ、お前たち!?」
「なんだって、憲兵だろうが。実はずーっと、この界隈で不正な奴隷売買が続いてるって情報があってね」
ジールはロイドへ歩み寄り、手にした巻物を手渡す。
依頼しておいた”リンカの拘留記録”だったが、羊皮紙には何も記載がなく、ただ奴隷局発行の印である刻印が打たれているだけだった。
「まさか慈善家のアンタとキンバライト卿が手を組んでやってたとは驚きだな。まっ、続きはゆっくり詰め所で聞かせて貰うわ」
「ちっ!」
ジールの宣言にローズは舌打ちをした。
気づくと、彼女の腕に嵌められていた”腕輪型の魔法の杖”が僅かな輝きを発している。
すかさずロイドはローズの腕輪へ向けて足もとの小石を拾い投げた。
石は今まさに腕輪を掲げようとしていたローズの右腕を打ち据える。
「取り押さえろ!」
ジールの指示を受けて、彼の部下が一斉にローズへ飛びかかる。
老婆は抵抗も空しく、取り押さえられるのだった。
「リンカ! よく覚えておきなさい! 声を無くした魔法使いなんてただの役立たずよ! 生きる価値もない! 誰にも必要とされない! 待っているのは過去の栄光に縋るだけの、みじめな日々だけ! お前にはもう明るい未来は存在しない!! せいぜい絶望の中、泥水でも啜って生きることね! あははは!!」
老婆が幾ら暴れようとも、屈強で訓練された憲兵に叶うはずもない。
魔女のような女は奇声を発しながら、ジール達憲兵たちに連れて行かれるのだった。
「……」
リンカはその場へ崩れるように座り込んでしまった。
本当は叫び出したいのだろう。獣のように声を張り、気持ちを発散させたいに違いない。
しかし今の彼女は、声を失っている。
リンカはただ青い瞳から涙をこぼしながら、肩を震わせる。
掛ける言葉が見つからなかったロイドはリンカの隣へ膝を突いた。
そして岩のようにごつごつとした手で、稲穂のように輝くブロンドの髪を、ただ優しく撫で続けるのだった。
*次回1章エピローグです。
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