第四章 噂・その4
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翌朝。普通に朝食を食ったあと、おかーちゃんが食卓にだしたホルマリンを一気飲みしたヒロキくんが家をでた。隣には、昨日とはべつの種類のゴスロリ服を着た閻魔姫である。そのまた隣には死に装束を着たボタンが立っていたが、これはヒロキくんが見ていたら、パッと消えてしまった。――のではなく、なんか、見えにくくなった。半透明である。
「ボタンさん、いま、人間に見えなくなったんですか?」
「そうですが?」
「俺、見えるんですけど」
「それはヒロキさんが不死者だからです。昨夜も、漂っている人間の魂を目撃したではありませんか」
「なるほど。俺は特別ってわけですか」
「じゃ、行くわよ」
昨日と変わらない調子で閻魔姫が言い、ヒロキくんの手をとって歩きだした。ときどき、ちらっとボタンのいる方向をむく。やっぱり、ヒロキくんと同じで見えてるらしい。
で、隣同士に並んでる高校と小学校の校門前で、ユウキちゃんを少し待つことになったのだが。
「なんだ太野。また、そんな変な格好かァ?」
意地の悪そうな餓鬼ンチョの声がした。閻魔姫の、黒百合を思わせる清楚な美貌が柳眉をひそめる。その前に黒いランドセル背負った男子小学生が近づいてきた。しかも複数。デブもヤセもノッポもチビもいるが、全員、からかう気満々の表情が共通していた。
同時に閻魔姫の、ヒロキくんの手をにぎる力が増す。声には出さないが、怖がってるらしい。
「言っただろうが。そんなビッチな服着て学校くるンじゃねーよ。おまえみたいなのがいると、学校の空気が悪くなるンだよ」
「そうだよ。帰れ帰れ」
「そうじゃなかったら脱げよテメー」
「そうそう。馬鹿な格好してるンじゃねーよ」
「おまえら、この娘に惚れてんのか?」
と、小学生ズの煽り文句をさえぎったのはヒロキくんである。閻魔姫を守るためとはいえ、年端もいかない糞餓鬼相手に、こっちも大人げない行動であった。名前もわからない小学生ズがうるさそうにヒロキくんを見る。
「なんだよおっさん? 関係ねーンだから黙ってろよ」
「おっさんじゃねえ。俺は高校生のお兄さんだ。それと、こっちの娘とは親戚ってことになってる。関係大ありなんだよ。ちょっかいかけるなら俺が黙ってねェからな」
ちっとばかし、きつめにドスを効かせるヒロキくんであった。『僕たち、子供だから守られてるもンね。大人は僕たちに暴力なんか振るわないから、何をやっても赦されるンだ。だから大人にタメ口利いても大丈夫』なんて勘違いしてる餓鬼どもがいる。確かに、軽いお灸は必要だったかもしれない。
「黙ってねェなら、どうしようってンだよ? おっさん?」
怖いもの知らずの餓鬼が笑いながらヒロキくんに近づいてきた。ヒロキくん、面倒臭そうな顔で、ひょいと足っ払いをかける。ゴテンと転がった餓鬼がギョッとした顔で起きあがり、ヒロキくんを見た。こいつは良識ある大人じゃねェ。自分たちと同じか、下手したらそれ以上にヤバい側の人間だ。御せねェと悟ったらしい。
「どうする小僧ども? 本気でローキック入れてへし折ってもよかったんだぜ。やらなかった俺に感謝の言葉はねェのか?」
「いや、あの」
「それから、姫に何かあったら、俺はおまえらのこと、ポカポカって殴るからな。覚悟しておけよ」
「覚悟って。俺たち、その」
「言っておくけど、まだ俺は優しいほうなんだぞ? この娘には、大鎌を振りまわす死神のお姉さんがついてるんだ。ブッ殺されたくなかったら姫にはさわるな」
「――わかったよ」
「わかりましたって言えよ。年上と話をしてるのに、どういうつもりだ。あン?」
「なんで年上だと、わかりましたって言わなくちゃいけないんだよ?」
ポカん、と軽く叩いた。本当にやったヒロキくんである。
「な――」
「難しいことは俺だって知らねーよ。つか、儒教の教えの名残りだとか、本当は詳しいことも言えるんだけど、面倒臭いから説明する気にならねェ。わからないことは家に帰っておかーちゃんにでも聞きな。ほら、返事は?」
「――わかりました」
「わかったらいい。早く学校に行け」
「はははい!」
泡を食った顔で餓鬼どもが小学校へ走りだした。ヒロキくんがその背中を見送ってから閻魔姫のほうをむく。
「これでいいか? 姫」
「うん。復讐できてすっきりした。あいつら、もうちょっかいかけてこないと思うし。それはいいけど」
「いいけど?」
「ちょっと、やりすぎじゃない? 相手は子供なのに。ああいうの、体罰って言うんでしょ?」
「あんなもん、屁みたいなもんだろ。力まかせに殴ったわけじゃないし。ちっとばかしの恐怖政治は必要悪だ。地獄だって、同じ理屈で存在してるんじゃないのか?」
「だからって」
「第一、本物の体罰ってのはレベルが違うぜ。俺も餓鬼のころは口の利き方を知らないで目茶苦茶やられたからなァ」
「へェ。学校の先生に? それともパパ?」
「どっちでもない。趣味で武道をやってたことがあってな。そのときの師範にだ。『武道をやって心身ともに鍛える以上、目上の者に敬意を払う精神も養わなければならん』とかなんとか、師範にも先輩にも言われたよ。いまならその意味がよくわかる」
「おはようヒロキくん。それと姫ちゃんも」
と、ここで声がかかった。ヒロキくんと閻魔姫と、人間には見えてないボタンが振りむくと、ユウキちゃんが立っている。顔はボケボケで髪はボサボサだった。
「おはようユウキ。今朝は寝不足だったのか?」
「あら、どうして?」
「髪の毛が、ちょっと跳ねてるから。セットする時間がなかったのかと思ってな」
「あ、これ? これは、セットに失敗したんじゃなくて、ちょっとイメチェンしてみようと思ったんだけど。お母さんにカーラー借りて、巻いてみて。でも、似合わなかった?」
「あーイメチェンか。いやべつに、似合わないってわけじゃなくてな。見慣れてないから、あれ? と思っただけだ」
会話の最中、なんでもない感じで閻魔姫がユウキちゃんまで歩きだした。ユウキちゃんはヒロキくんに視線を合わせていて、閻魔姫の接近に気づいていない。閻魔姫、ひょいとユウキちゃんの背後にまわって、ポケットから金色の光をだした。背中にポン。ユウキちゃんが振りむく。
「あら、姫ちゃん、なァに?」
「長生きのおまじないよ。いまので一年は寿命が延びたから」
「? ふゥん? ありがとうね」
「さ、学校だ学校。じゃ、姫。放課後、な」
「行こう、ヒロキくん」
「おう。ところでユウキ、なんでイメチェンしようって気になったんだ?」
「いままでの私だと、好きな人が振りむいてくれなくて」
平気な顔で言いだすユウキちゃんもタダもんじゃないが、
「へえ」
他人事で返事をするヒロキくんも相当なものであった。
「それに私、昨日、その人が、なんだか、すごく綺麗な女の人と一緒にいるのを見ちゃってね。それで、焦っちゃって」
「そりゃー大変だな」
どうして気がつかないのか、世間話でも聞くような調子のヒロキくんであった。
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