第二章 地獄界考察・その3
「おはよう、ヒロキくん」
高校の校門まで歩きだしたヒロキくんの背後から、綺麗な声がした。ただし、録画を〇・八倍のスロー再生にしたような、やたらとのんびりした調子である。校舎を背にしてヒロキくんが振りかえった。
「おはよ。ユウキ」
「今日もいい天気だよね」
青空に負けないくらいノー天気な声がヒロキくんに近づいてきた。肩で綺麗にそろえられたセミロングの黒髪が印象的な美少女である。この美少女がユウキちゃん(本名・大野裕樹)であった。本来ならヒロキくんの代わりに魂を狩られていたはずの娘である。
「あのね、ヒロキくん。今朝、私、変な夢を見たのよ。内容は覚えてないんだけど」
いきなり自分語りをはじめたユウキちゃんである。
「ただ、とにかく変な夢だったっていう印象が強くてね。なんだか、世界が変わった感じって言うのかな。たとえば、学校が、突然、場所を変えたみたいな、そんな夢だったっけ」
「それ正夢だよ」
「あら、じゃ、予知夢だったのかしら。不思議なことって実際にあるのね~」
なんて台詞を、えらく間延びした調子で言ってきた。実を言うとユウキちゃんは、学校でも有名な天然系美少女子学生なのである。本当に天然かどうかは、そのうちわかることになるが。
「ただ、変な夢を見たってだけじゃ、どうにもならないし。夢占いで診断してもらうにも、内容を覚えてないから、できないしね。やっぱり、ただの気のせいだったのかな? って、思ったりしないこともないような気がするかも? それともしないかも? って、少し考えちゃうくらいには、ヒロキくんに話しておきたくて」
「どれくらい話しておきたいのか、相変わらずわからねェなァ」
「んー、どれくらいだろ? 忘れちゃった。あ、そうそう。早く教室に行きましょうよ」
言いながらユウキちゃんが歩きだした。というよりも、風に吹かれてよろめいたようにしか見えない。本当に大丈夫かと見ている人間が心配になるような娘であった。
「ほら、ヒロキくん。遅刻しちゃうわよ」
ユウキちゃんがヒロキくんの手をとった。男女の意識なんて、毛ほどもないらしい。――は、いいんだが、ユウキちゃんが、少し不思議そうにヒロキくんの手を見た。
「ヒロキくんって、こんなに手が冷たかった?」
「昨日の夜から、いきなり冷え症になったんだよ」
君のせいで俺はゾンビになったんだ、とは言わないヒロキくんであった。そこは男である。それはともかく、この娘の魂まで閻魔姫に狩らせるわけにはいかんわけである冗談抜きで。さて、どうするか。
「早く行きましょうよ」
「あ、うん」
閻魔姫には突っ込み役のヒロキくんも、なぜかユウキちゃんには弱いらしい。手をひかれて下駄箱まで行って靴を履き替える。
「おはよ。相っ変わらず仲がいいわね、あんたたち」
声をかけてきたのはユウキちゃんの友達の島崎晶ちゃんである。半分感心、半分あきれた顔でユウキちゃんヒロキくんを眺めた。
「今日も同じ質問するけど、あんたたちって、本当に付き合ってないの? 私の知らないところで告白したりとか、そういう感じで、こっそり仲よくしてるとか。マジでそういうのないの?」
「おはよう晶ちゃん。付き合ってないけど?」
「付き合ってねーよ」
「本当に不思議だよね。名前がそっくりだって一年のころから冷やかしてンのに、ユウキったら他人事みたいになっておもしろがって、しかも、ヒロキのこと、全然意識しないし。からかい甲斐ないわよ。てか、名前が似てるって言われて恥ずかしくないわけ?」
「だって、親がつけた名前なんだから。似てるのだって、ただの偶然だし、べつに恥ずかしくなんかないけど?」
「相っ変わらず天然だよねーユウキって」
「あら、晶ちゃん、昔から言ってるでしょう? 私は天然じゃなくて養殖だって」
笑いながら言うユウキちゃんである。タイやヒラメじゃあるまいし、天然ボケじゃなくて養殖ボケなんて聞いたこともない。と言うか、本当は実在する言葉なんだが、認知度が非常に低いのだ。ヒロキくんがため息をつく。
「俺は名前が似てて恥ずかしかったよ」
「あら、ヒロキくん、どうして?」
「からかわれるからだ」
「そんなの、言いたい人には言わせておけばいいんじゃない?」
「最初は俺もそう思ったよ。けど、同じクラスになってから、たちの悪い連中に、夏休み前まで言われつづけたろ? あれで、いい加減うんざりしてな」
「そういう人はストーカーって言うんじゃないかな。そんなにいやだったら、先生に言いつければよかったんじゃない?」
「そんな格好の悪い真似したくねえ」
閻魔姫には偉そうに言っておいて自分がそれとは。閻魔姫とヒロキくんの会話を聞いてないユウキちゃんが笑顔で首をかしげる。
「だったら、ヒロキくん、その人と友達になればよかったのよ。そうやって、ちょっかいをかけてくる人って、本当は自分も仲間に入れてほしいから、そういうことをするんだって、どこかの本で読んだけど? 晶ちゃんもそうだったんでしょ?」
飄々とした調子で言ったものである。ボケと達観は部分的に共通するらしい。晶ちゃんが苦笑いしながら腕を組む。
「なんか、朝から夫婦漫才見てる気分になってきた。あんたたち、いっそのこと、本当に付き合って結婚しちゃえば?」
「あ、そうなったら私の名字、大小の『大』の大野じゃなくて、桃太郎の『太』の太野になっちゃうんだ。でも、下の名前、漢字で書いたら同じだし。手紙がきたら、どっち宛てかわからなくなっちゃうわねェ。読み仮名を振ってもらわないと」
「馬鹿なこと言ってないで、行くぞ」
今度はヒロキくんがユウキちゃんの手をとって歩きだした。仕方なしって調子だが、これは、ほとんど毎日行われている、ヒロキくんとユウキちゃんの恒例行事なのである。おかげで、実はユウキちゃんに片思いという男子学生も、そうそう簡単には声をかけられないという妙な空気が出来上がっていた。
「うーっす」
階段を上がって二年のクラスに行く。ヒロキくんユウキちゃん晶ちゃんは同じクラスであった。なんだか騒がしい。ヒロキくんが目をむけると、クラスの奥で津村と後藤のふたり――通称クルクルパーズ――が取っ組みあっている。
「あー、あのふたり、今日もやってんのか。お題はなんだよ? 誰か知ってるか?」
「テルテル坊主とタルタルソースはどっちの歴史が古いかって話で揉めたんだってよ」
「また無茶苦茶なテーマでおっぱじめやがったな。昨日はまだましだったのに。確か、グレープジュースとグレープフルーツジュースはどっちがうまいか、だっけ?」
「そりゃ一昨日だ。昨日はドリアンとドリアに関係があるかないか、で殴り合いになったんだよ」
「あーそうだった。仲よく喧嘩しろよ」
トムとジェリーのテーマ曲みたいな声をかけるヒロキくんであった。もっとも、これが日常茶飯事らしく、ヒロキくんが平然な顔でユウキちゃんから手を離して席に着く。予鈴が鳴り、ほかの学生も同様に席に着いていった。
「あークソ頭痛ェ。飲み過ぎたかな。おい、俺、今日は機嫌悪いから、痛い目にあいたくなかったら静かにしてろよ。ほら、津村と後藤、とっとと席に着かんかァ」
不機嫌そうな担任の先生が入室してきた。レスリング部顧問も兼任してる体育会系教師の言葉に、津村と後藤もおとなしく喧嘩を辞めて席に着く。いつもと同じ学校のはじまりであった。
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