第241話巡り合わせ

「そうか。徳川家は――羽柴家に従属するのか」


 雨竜家の本陣。

 よく晴れた日だったけど、日差しは柔らかかった。

 この場に居るのは、二人きり。

 目の前に座っている本多忠勝殿――縄で捕らえていない。必要ないからだ――は、僕から全てを聞いて落胆した。

 それは己の主君や他の家臣にがっかりしたのではなく、自分の力が及ばなかったことを悔やんでいるようだった。


「ごほん。それで、本多殿はいかがする?」


 咳払いして――交渉が終わったときから咳が出るようになった――今後の身の振り方を問うと「もはや忠義は尽くせぬ」と本音を言った。


「信康さまや石川殿は羽柴家についた、いわば殿を裏切った者たち。いかに徳川家に御恩があっても、その二人が牛耳る主家には従えぬ」


 本多殿ならそう言うと思った。おそらく徳川家で最も頑固な男だから。


「繰り返すが、本多殿はいかがする? ごほ」

「この歳で浪人はきついが、いたし方あるまい」


 そこまでの覚悟があるのならと僕は本多殿に訊ねた。


「良ければ、当家に仕える気はないか?」

「断る」


 本多殿は僕の勧誘を予想していたようだった。


「雨竜殿は――徳川家を従属大名に追いやった原因であろう?」


 雲之介ではなく、雨竜殿。

 僕に対して以前と同じ呼び方はしなかった。僕もそうだった。

 いつの間にか、互いの立場は大きく変わってしまった。


「恨みこそあれ、仕える義理はないな」

「……僕は本多殿を高く評価している」


 僕は咳払いして、それから素直に思っていることを言う。


「できることなら、これからの日の本のために、働いてほしい」

「日の本のため? 雨竜家や羽柴家のためではなく?」

「ああ。僕と秀吉が目指しているのは、太平の世だ。家康殿もそれが分かっていたから、あっさりと従う道を選んだんだろう」


 もっと良い条件で従うことができたはずなのに、それをしなかった。

 それは、ひょっとしたらだけど――


「本多殿。僕もあなたも、秀吉も家康殿も、血を見るのはうんざりじゃないですか?」

「…………」

「だからこそ、今回の戦では血を流さずに――」


 本多殿は「俺は戦働きしかできない、功名餓鬼だ」と口を挟んだ。


「戦が好きというわけではないが、戦で手柄を立てて出世したようなものだ」

「僕だって同じです」

「そんな俺が今更やれることなどない」


 本多殿は頑なに仕官を断っている。

 本来なら打ち切るところだけど、今ばかりは諦めなかった。


「本多殿。僕はね、あなたのような人が家臣に居てくれると助かるんです」


 交渉ではなく、もはや懇願と言ってもいいくらいの率直な物言いだった。


「頑固で融通のきかない人。そんな人が隣で助言してくれたら、上手くいくと思うんですよね」

「曖昧な言い方だな」

「ええ。そうです。ごほん。僕は――あなたを諦められないんですよ」


 僕は昔を思い出すように語り出す。


「初めて出会ったときは桶狭間の戦いでしたね」

「ああ、そうだった」

「あのときはこうなるなんて思わなかった」

「俺もだ」

「どんなことが起こるか分からないのが人生ですね」


 僕は本多殿に近づく。

 そして眼前まで来た。この距離なら脇差を奪って僕を殺すことは可能だ。


「だからこそ、僕の補佐をしてもらいたい」

「……他の者がなんと言うか分からんぞ」

「あはは。雨竜家は知ってのとおり、譜代の家臣は居ません。誰も文句など言いませんよ、ごほ」


 僕は本多殿と目線を合わせた。


「お願いします。僕の家臣になってください」

「…………」

「情けない話、僕はそうやって頼むことしかできません。でも頼み続けることはできます」


 立ったまま頭を下げる僕。


「このとおりです。どうか――」

「……簡単に頭を下げるな」


 本多殿は僕の肩を掴んで、頭を上げさせた。


「降った将に頭を下げるなど、武士の矜持はないのか?」

「懐かしいやりとりですね。刀を預けたとき、同じようなやりとりがあった」

「……ふん。変わらないな、雲之介は」


 本多殿は昔の呼び方、僕の名前を言った。


「本多さん……」

「さん付けなんてするなよ。今日から俺はあなたの家臣になる」


 本多殿は困ったような溜息を吐いた。


「本当に面白いな、巡り合わせっていうのは」




 本多忠勝が僕の家臣になったことを、息子や他の家臣たちは平然と受け入れた。

 島は「ようやく俺の負担が減ります」と喜んだ。

 秀晴は「本多殿からいろいろ学べますね」と頷いた。

 そして雪隆くんは――


「まさか、あんたが同僚になるなんてな」


 気さくに話しかける雪隆くん。戦場での死闘によって情らしきものが芽生えたらしい。それは本多殿も一緒だったらしい。


「殿。一つだけお願いがあります」


 雪隆くんの肩を掴みながら唐突に言う。


「俺には小松という娘が居る。その娘を真柄殿に嫁がせたい」


 雪隆くんは「な、なに!?」とかなり驚いた。


「いきなり何を言うか!」

「俺は、真柄殿なら娘を任せられる。殿と同じくらい信頼しているからな」


 僕は「雪隆くんが良いならいいよ」と応じた。


「と、殿! そんな軽々しく――」

「いいじゃないか。独り者なんだから。僕は賛成するよ」


 雪隆くんは困り顔で僕と本多殿を交互に見て、そして諦めたようにうな垂れた。


「まあ、本多殿の娘なら変なことにはならないか」

「男勝りだけどな。お似合いの夫婦になるだろうよ」


 さてと。諸々のことを秀吉に報告しないとな。

 そう思って、立ち上がろうとした――


 ぐらりと、地面が揺れた、感覚がした。


 地面に膝着く僕。

 頭がくらくらする。


「ごほ、ごほ、ごほ!」


 激しく咳き込んでしまう。


「殿! どうしたんだ!?」


 雪隆くんが駆け寄ってくるのを右手で制して。

 口元を押さえていた左手の手のひらを見る――


 赤黒い、血が、付いていた。


「殿! おい、誰か、来てくれ!」


 雪隆くんの声が遠くに聞こえる。

 次第に闇の中へ沈んでいく。

 僕は意識を失った。




 気がつくと、どこかの民家の一室で寝ていた。

 起き上がろうとして、起きられないことに気づく。


「ここは、どこだ……?」


 僕に呟きに、小姓らしき者が反応し、外に聞こえるように大声で呼ぶ。


「誰か! 雨竜さまがお目覚めになられました!」


 どたどたと足音。

 がらりと開く襖。

 そこには秀晴が居た。


「父さま! ああ、良かった! 目を覚まされたのですね!」


 枕元に近づく秀晴に「どのくらい寝ていた?」と訊ねる。


「一日ほど。医者が言うには過労だということです」

「過労……」


 過労で血など吐くのだろうか?


「とにかく、安静してください」

「分かった……」


 喋ったり考えたりする気力がない。

 僕も年老いたなと思う。


「ゆっくり休んでください。後のことは任せて――」


 最後まで聞かずに、僕の意識は再び無くなった。


 暗くて暗い、闇の中へ沈んでいった――




『雲之介――』


 誰だろう?

 とても懐かしいような。

 それでいて悲しい。


『私、あなたと一緒に居られて、幸せだった』


 僕もだよ。

 思えばあの頃が一番楽しかった――


『まだ、こっちに来ちゃ駄目』


 どうして?

 もう、僕は疲れたよ――


『あなたには、やるべきことがあるから』




 そんな夢を繰り返し見て。

 ようやく意識を取り戻したのは、倒れて五日後だった。


「……本当にただの過労なんだろうか」


 粥を匙で掬いながら食べつつ、そんな風に考えた。

 もう食事はできるけど、あまり食欲は湧かない。

 早く丹波国に帰らなければいけないのに。


「道三さんに診てもらおうかな」


 僕は帰還途中に京に寄ることを思いたった。

 あの日以来、まともに話していないけど、道三さんは診てくれるだろうか。

 そして大病だったりしたら、僕は――


「詮のないことほど、余計なこと考えてしまうな」


 もう自分には時間がないのかもしれない。

 そう考えると、やり残したことがないか、考えてしまう。

 本当に――厄介な生き物だな、人間は。

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