第232話子を想う

「雨竜秀昭殿。羽柴秀長殿。このたびは真に申し訳ない」


 別室で黙ったまま、運ばれてくる茶を飲みつつ待っていると、勧修寺晴豊殿が頭を下げた。

 僕は茶を口に含んで飲み、それから「謝ることはありません」と伝えた。


「あなたはそれなりに配慮してくれた。さらに醜聞のある雨竜家と親戚になろうとしている。ま、隠していたのはちょっとだけ引っかかりますが、それも覚悟の上でしょう」


 騙していたではなく、隠していたという言い方は、僕なりの気遣いだった。


「私は怒っているけどね。でも雲之介くんが許すのなら何も言うまい」


 流石、秀長さんは度量が深い。溜息を吐きながらそう言ってくれた。


「……ありがとうございます」

「それで、二点ほど訊きたいことがあります」


 頭を上げた晴豊殿は「答えられるものならば答えよう」と公家らしい回答をした。


「雨竜家は勧修寺家に対して幾ばくかの援助をするつもりですが、件の家は如何ほど受け取る予定ですか?」


 件の家の目的はそれだ。雨竜家の丹波国経営は順調に行っている。家臣不足が問題になっているが、宗二さんや京の商人である角倉のおかげで商業政策は機能し始めた。先ほど晴豊殿が言ったとおり、羽柴家傘下の中で一番羽振りが良いと言っても過言ではない。だから公家の一家が満足に暮らせるほどの援助はできるのだ。


「五割、だな」

「……自分たちは何の危険や関わりを持たずに五割だと? 勧修寺殿、あなたはそれで良いのか?」


 秀長さんが厳しく問うと「件の家も十分に代償を払っている」と晴豊殿は答えた。


「愛娘を醜聞のある雨竜家に嫁がせる。その意味をあなた方は理解していない」

「……あまり好ましくない言い方だな」


 秀長さんの怒りが増している。

 僕は制するように「では、どうして晴豊殿はなつさんを自分の養女として雨竜家に嫁に出す?」と質問した。


「たとえ援助があるとしても、勧修寺家は損のほうが大きいと思うが」

「信じてくれないだろうが、私は雨竜家を、あなたを汚れたものだとは思わない」


 僕と秀長さんを見据えて、勧修寺晴豊殿は何の誤魔化しのない、真っ直ぐなことを言った。

 僕は少しだけ何も言えず、ようやく口にしたのは「……どうして思わない?」という一言だった。


「老人たちや他の公家衆は己の血筋を大事にしすぎだ。現実を見れば、百姓の子だった羽柴殿が天下を差配している。その前の天下人は成り上がった織田信長殿だ。それに比べて日の本が混乱しているのに、歌や蹴鞠で生計を立てているような弱い存在の何が偉いんだ? 偉いのは太平の世を築こうとしている者たちだ」


 日頃思っていたことを吐き出すように、晴豊殿は一気に言った。


「私個人としては雨竜家は付き合うに値する家だ。京に近い丹波国の大名であり、羽柴秀吉殿や重臣たちの信頼の厚い雨竜秀昭殿は立派な人間だ。変事の際の活躍を聞いた。伊勢長島や足利家の復興、古くは己の命をもって主君を諌めた話も聞いている」


 そして晴豊殿は「生まれだとか血筋は関係ない」ときっぱりと言った。


「公家の私が言うのはどうかと思うが、人はどう生まれたかではなく、どう生きたのかが重要なのだ」


 本当に公家らしくない言葉だった。

 でも、だからこそ僕はこの人なら信用してもいいと思った。


「分かりました。十分に分かりましたとも。晴豊殿、僕はあなたに十分な援助をすることを約束します」


 晴豊殿は少しだけ緊張を崩した顔で「かたじけない……!」と頭を下げた。


「でも秀晴くんがなつさんと婚姻するのか……雲之介くんは自信があるのかい?」


 秀長さんは冷静だった。

 僕は「ありますよ、自信」と答えた。


「それは親としての自信なのかな?」

「違いますよ。ただの勘です」


 僕が秀晴にしてあげたことなんて少ないけど。

 それでも秀晴なら受け入れるだろうと思っていた。




「父さま。なつと婚姻させてください」


 長い時間話し合って結論が出たのだろう。秀晴となつさんは身体を寄せ合って、僕たちに頭を下げた。

 僕は二人の覚悟を問う。


「秀晴。いろいろな事情があるとはいえ、清華家の娘と婚姻するということがどれほどのことか分かっているのか? なつさん。婚姻を受け入れたら表立って実家に帰れない。それでもいいのかな?」


 秀晴は「覚悟の上です」と短く答えた。

 なつさんは小さく頷いた。


「二人で話し合って決めたことです。一生を懸けた覚悟はできています」

「……そうか。なら僕が言うことはないな」


 僕は優しく二人に微笑んだ。


「幸せになりなさい。僕が二人に望むのは、それだけだ」


 秀晴の顔がぱあっと明るくなった。最近、大人になったと思ったが、そんな表情がまだできたのだなと嬉しく思ってしまった。

 なつさんも嬉しそうな顔をしている。安心した顔はどことなく年頃の女性に似合った、美しいものだった。


 僕は親のことは知らない。だからそういう意味では親として相応しくないところがあるのかもしれない。

 でも子どもや青年の時代は普通に過ごしたし、親代わりに秀吉が居た。だから気持ちは分かるつもりだ。

 できることなら、二人が幸せになりますように。そう願わずにいられなかった。




 数ヵ月後。

 だんだんと出来上がってきた大坂の城近くの武家屋敷。

 僕は秀吉に呼び出されていた。

 少し広い部屋の上座に座る秀吉は機嫌が良さそうだった。


「おう、よく来た。秀長から聞いたが、面倒なことをしてしまったな。悪かった」


 頭を下げる秀吉に「気にしていないよ」と手を振った。


「それより、何か良いことでもあったのか?」

「うん? ああ、官位を授かることとなった。従五位下、左近衛権少将だ。これもおぬしの縁戚となった勧修寺晴豊のおかげだな」

「へえ。そうなんだ。おめでとう」


 秀吉は「おぬしの手柄だろうに」と軽く笑った。


「予定よりも早めに任官できたのはおぬしと武家伝奏の勧修寺家の間に渡りがついたからだ」

「それは知らなかった……もしかして、それが狙いだったのか?」

「そうではないが、結果的にはそうなってしまったな。かっかっか」


 どこまでが計算なのか計り知れなかった。

 油断ならないというか、狡猾というか……


「それで、他にも用があるんだろう? それだけなら手紙で十分だ」

「ああ。おぬしに会わせたい者が居ってな」


 秀吉は小姓に「呼んで参れ」と命じた。

 すぐにその者は現れた。


「なんですか、父上」


 現れたのは小柄な少年だった。賢そうで利発な顔立ち。少しだけ不機嫌そうに秀吉の前に座った。

 ……うん? 父上?


「以前、話したであろうおぬしの命の恩人だ」

「……ああ。幼い頃に医者を紹介してくれた家臣ですね」


 その少年は僕のほうを向いて少しだけ頭を下げた。


「どうも。羽柴秀勝です。石松丸のほうが分かりやすいですか?」


 ああ、秀吉の子か! あの子か!

 思い出した僕は「これはお久しぶりです」と頭を下げた。


「久しぶり? どこかで会いましたか?」

「ええ。あなたが幼かった時分に」

「ふうん。そうですか」


 興味が無いらしく、秀吉に「部屋に戻っていいですか?」と言う。


「書物を読んでいる途中なのです」

「勉強熱心なのは良いが、おぬしの命の恩人だぞ? 少しは――」

「助けたのは医者でしょう?」


 そう言い残して秀勝くんはさっさと部屋に戻ってしまった。

 秀吉は「賢いのだが、愛想がないのだ」と溜息を吐いた。


「親として溺愛しすぎた。叱ることもできん」

「それは大変だな」

「……おぬしをここに呼び出したのは他でもない」


 嫌な予感がしたので「ちょっと所用を思い出したから帰るね」と言って立ち上がる。


「待て! おぬしに命じる! 秀勝を教育してくれ!」

「そんなの他の家臣に命じろよ! 僕は丹波国の大名だぞ!」

「おぬししか居らん! 一生のお願いだ!」

「それ何度目の一生のお願いだよ!?」


 今や天下人に近い秀吉と丹波国の大名の僕。

 そんな二人がまるで子どものように言い合っているのを小姓たちは驚いて見ていた。


「それに、教育ってどうすればいいんだ?」

「簡単だ。丹波国でいろいろ教えてやってくれ。わしの偉大さとか」

「簡単じゃないよ……ていうか、人質になっちゃうだろ」


 僕の言葉に秀吉はきょとんとした。


「うん? 別におぬし、謀叛するつもりはないだろう?」

「まあしないけど。体面があるだろう?」

「そんなものどうでも良い。それよりもあの子の将来が心配なのだ」


 急に親らしいことを言い出す秀吉。


「賢いし可愛いし顔も整っているが覇気が無い」

「ほとんど褒めているじゃないか」

「わしの後を継ぐ者として、教育を施してほしいのだ」


 そして秀吉は頭を下げた。


「頼む。このとおりだ」

「…………」


 まったく、僕は秀吉に弱いな。


「分かったよ。昔を思い出して少しだけ教育する」

「おお! おぬしならそう言ってくれると思っていたぞ!」


 嬉しそうに笑う秀吉に厄介事を引き受けてしまったなと思う僕。

 ま、これも主従の務めだよな。

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