第229話丹後国の愛深き男

 徳川家との戦に備えて、丹波国の内政を数少ない配下の武将と共に行なっていた。

 とにかく治水と開墾を進めていかねばならなかった。山々に囲まれて領地の割りに農地が少ない現状を変える。それと同時に商業も上手く折り合いをつけることも重要だった。


 大久保と秀晴が中心となって内政を進める。伊勢長島から教育を続けていた文官たちもようやく一人前となってくれたこともあって、書類や勘定の部分では間に合ってきている。しかしながら人材不足は否めないので、引き続き人材を募集していた。


 雪隆くんが提案してくれたことだけど、募集した兵にも田畑を耕すのを協力させていた。百姓と混じって兵が開墾をし、その分の俸禄は百姓と雨竜家で折半して支払う。百姓が管理できない田畑は兵の希望者に買い取らせる。こうして土地持ちの百姓が増えた。島はせっかく鍛えた兵が百姓になると文句を言ったが、土地やそれを耕す者がいなければ国は成り立たないと説得した。


 また、山上宗二さんは丹波国に来てから、雪隆くんたちに茶道を教える傍らで百姓や商人たちにも教えているらしい。そのおかげで茶道が丹波国で広まりつつあるみたいだ。宗二さんは初め、なんでこんな田舎にと愚痴っていたが、最近はあまり言わなくなった。彼自身楽しんでいるのだろう。


 しかし茶道が広まることで百姓たちに被害が出てしまった。


「何? 百姓たちが騙されている?」

「そのとおりです。何でも他国の商人が偽物や安価なものを騙して売っているようです」


 宗二さんは苦い顔で僕に相談してきた。


「私が開催している茶会で、自慢げに差し出された茶壷がタン壺だったときは、目が眩みました」

「それは酷い……では、こういうのはどうでしょうか?」


 僕は宗二さんにある提案をしてみた。


「宗二さんが安価な茶器を作って売る。これ以外に手立てはないでしょう」

「……私がですか?」

「ええ。それを僕の御用達にします。そうすれば目利きできない者でも安心して買えるでしょう」


 宗二さんは「安価な茶器……」と腕組みをした。


「私好みの茶器も出来上がっていないのに……」

「ああ、そういえば宗二好みの茶器はどうなっていますか?」


 僕の問いに宗二さんは「試行錯誤をしています」と正直に答えた。


「どうしても師匠の真似となってしまう。人真似をするなと常に言われていたのですが……難しいものですね……」

「ふむ……宗二さんは、誰のために、何のために茶器を作っているのですか?」


 根本的な問いをしてみる。宗二さんはきょとんとした顔になった。


「それは……」

「己のためなら、自分の好む茶器を作ればいい。でも宗二さんはどこか違う気がします」


 弟弟子が兄弟子に教えるなんておこがましいけど、今まで接してきた感想だった。


「宗二さんは師匠に認められています。だからこそ、師匠とは違う別の物が作れるんじゃないかなと思います」

「雲之介……」

「ま、創意工夫がまだまだな僕が言えることなんて少ないですけどね」


 最後はお茶を濁すようなことを言って、その日の会話は終わった。

 宗二さんならできるだろうと思う。それは自信より確信と言ったほうが正しかった。


 丹波国を豊かにするには他国との交易が重要だった。なにせ海に面していないのだ。塩や海産物はどうしても必要だった。摂津国の支配している秀吉や丹後国の大名、長岡殿と話し合わねばならない。ということでまず、僕は長岡藤孝殿――今は長岡幽斎というらしい――と会見することとなった。


 弥助を連れて丹後国の宮津城に訪れた。長岡家は本能寺の変までは丹後国の半分の領地だったが、羽柴家に敵対した一色家を滅ぼしたことで丹後国を支配していた。


 宮津城の一室で待っていると、幽斎殿が部屋に入ってきた。剃髪していて、老いてはいるものの、覇気が漲っている。


「お久しぶりですね。幽斎殿」

「雨竜殿もお元気そうで」


 にこりともせずに幽斎殿は僕の正面に座った。

 そして弥助をちらりと見た後「それで何の御用かな」と訊ねてきた。


「隣国ですからね。ご挨拶を兼ねて交易の交渉をしようと思いまして」

「丹波国の大名になったと聞いていた。雨竜殿が立てた勲功を鑑みれば当然だが」

「ありがとうございます」

「それで、交易のことだが、既に私は隠居の身だ。そのことは当主の忠興に話してもらいたい」


 確かに筋は通っている。


「分かりました。では忠興殿はいらっしゃいますか?」

「もうじき城へと帰ってくる。あの馬鹿息子は……たま殿に会っていて留守なのだ」


 顔をしかめる幽斎殿。

 弥助は「たまどのってだれ?」とこっそり耳打ちしてきた。


「忠興殿の妻で、明智の娘だよ」

「えっ……いきているのか?」


 弥助が驚くのは無理もない。謀反人の一族郎党を殺すのは戦国の慣わしである。

 でも妻を殺したくない気持ちは十分に分かった。それゆえどこかに幽閉しているのも分かった。


 しばらくして、忠興殿が帰ってきた。


「父上。今戻りました――おっと、客人でしたか」


 若い頃の幽斎殿によく似た若者だった。少々目つきは悪いけど美男子と言って良い風貌。


「雨竜殿だ。忠興、挨拶せよ」

「おお! あの雨竜殿ですか!」


 忠興殿は僕に近づいて、座って僕に頭を下げた。


「長岡忠興です」

「雨竜雲之介秀昭です。以前より名は伺っておりました」

「なんと! お師匠さまから素晴らしい茶人だと評される雨竜殿に名を覚えられていたとは!」


 まさに感無量と言わんばかりに感動する忠興殿。

 僕は「未だ創意工夫の足らない身です」と言う。


「謙遜なさらずとも……おっと、そこに居るのは崑崙奴ですな」

「は、はじめまして」

「なんだ、日の本言葉が上手いではないか!」


 どうも感情が豊かな若者だなと思った。冷静な幽斎殿とは似ても似つかない。


「実は忠興殿に頼みがありまして」


 本題を切り出すと忠興殿は「頼み? なんでしょうか?」と真剣な表情になる。

 僕が丹波国と丹後国の交易を提案すると「ええ。いいですよ」と彼は快く頷いた。


「具体的な割合は後で決めましょう」

「そうですね。いやあ、雨竜殿とは一度お会いしたかったのですよ。私にとっては兄弟子ですからな」


 なごやかな会話が続くと思い、僕は「そういえば奥方の――」と言葉を続けようとした。

 すると――


「……たまがいかがした?」


 今までにこやかだった忠興殿が急に無の表情となった。

 目から光が消えている。


「雨竜殿、たまに何か文句でもあるのか?」

「いや、別に――」


 畳を思いっきり殴りつける忠興殿。

 これは踏んではいけない虎の尾を踏んだのかもしれない……


「たまと離縁しろとでも言うのか? ああ、雨竜殿は明智に恨みがありそうだな。でもたまは私の妻で愛する妻で最愛にして至高の妻なのだ。決して離すつもりはない。これからも愛で続ける愛し続ける。愛しくて愛らしいたま。彼女のためなら私は鬼にでも何にでもなる――」


 弥助が恐ろしさのあまり震えている。

 僕は志乃やお市さまで慣れていたので「誤解なさるな」と手で制した。


「たま殿の母、煕子殿と面識があったと言いたかったのです」

「――うん? ああ、そうだったのか。すみません」


 けろりと普通の態度になった忠興殿。

 その後ろで幽斎殿は溜息を吐いた。


「交易のことはまとまったようですね。それではこれにて」

「そうですか。茶の一席でもどうですかな」

「いえ、早く帰らないといけないので、ご厚意だけ」


 挨拶もそこそこに僕は部屋から退席した。


「な、なんだあのひと。こわい……」

「弥助。ああいう人も居るんだよ」


 僕は弥助にこう言った。


「愛するゆえに狂ってしまう人。でも可哀想とは思ってはいけない。ただそうであるように受け入れてあげなくちゃ」

「くものすけって、すごいな……」


 自分でも慣れって恐ろしいなと思ってしまった。

 同時にたま殿を哀れむ。

 今度秀吉に相談してみるか。

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