第122話妻と息子

 明里さんはあの日――志乃と一緒に患者の面倒を見ていた。

 そして晴太郎は庭で一人遊んでいたという。虫取りをしていたようだ。

 重傷な患者は居らず、道三さんや玄朔が居なくても大丈夫だったらしい。

 そこに、一人の僧兵が現れた。

 大柄で粗暴な印象を与える、悪僧だったみたいだ。


『おい! 金目のものを出せ!』


 薙刀を振り回しながら、怒鳴り込んできた僧兵。

 患者たちの大半は動けない怪我人や病人だ。

 志乃は無用な争いを避けるために、要求を飲んだ。

 銭は僕から送られたばかりだったから、好きなだけ渡してやった。


『ふはは。素直でよろしい。では拙僧はこれにて』


 銭を抱えて去ろうとしたとき、僧兵はがたがた震えている晴太郎を見つけたらしい。

 べろりと舌なめずりをした。


『可愛い子だ。どれ、稚児にしてやろう』


 下卑た声を出しながら、僧兵は晴太郎に手を出そうとして――


『やめて! 晴太郎だけには、手を出さないで!』


 志乃が駆け寄って、晴太郎を抱きしめた。


『なんじゃ女。逆らうのか』

『この子だけは、どうか……!』


 僧兵はしばらく考えて、それから持っていた小刀を地面に放った。


『子どもか母親。どちらか死ねば、片方を見逃してやる』


 吐き気がするような選択だった。

 しかしそれだけじゃなかった。


『ただ自害するだけではつまらぬ。生き残りたい者は片方を殺せ』


 そして大上段に薙刀を構えた僧兵。


『さっさとしろ。さもなくば両方殺すぞ』


 極限まで追い込まれて、正常に判断できる者は居ない。

 志乃は小刀を晴太郎に渡した。


『晴太郎。これで私を刺しなさい』


 晴太郎は鞘が抜かれた小刀を呆然と見つめて――


『そんなこと、できないよ! かあさま!』


 泣き喚いた――僧兵は高笑いをして、それからすぐに飽きたのか、構えたまま志乃を足蹴した。


『さっさと殺せ。己が生き残りたいのなら』


 晴太郎の全身は震えていた。

 必死になって小刀を持っていた。


『……晴太郎。私はあなたを愛しているわ』


 志乃が微笑んだと思った瞬間、二人は抱き合った。

 そう。刀を持った晴太郎を抱きしめたのだ。


『か、かあさま……?』


 晴太郎は志乃の血を浴びた。

 そして志乃は後ろに倒れた。


『ふはは。なんとも美しい親子愛よ』


 満足そうに笑う僧兵は、志乃の首にかけられた水晶を盗った。


『これは良い物だな。盗っておこう』


 そして瀕死の志乃を放置して、機嫌良く去ってしまった。

 明里さんが志乃に近づいた。

 志乃は――すぐに死ななかった。

 相当苦しんだらしい。


『晴太郎……かすみ……ごめんね……』


 明里さんは必死に溢れる血を止めようとするけど、駄目だった。

 そして最期に志乃はこう言い残した。


『ありがとう、雲之介』




「これが、あの日の出来事です……」


 明里さんは話の途中から顔が涙で覆われていた。

 玄朔は悔しさのあまり唇から血が出ている。

 道三さんは苦悶の表情を浮かべている。


「……晴太郎が、殺したのか」

「そんなこと、言わないでください! 殺したのは、あの僧兵です!」


 分かっている。悪いのは、僧兵だ。

 しかし問題は晴太郎が自分の母を殺したと思い込んでいることだ。

 だから晴太郎は僕に嫌われないように必死に懇願していたのだろう。


「これで、満足しましたかな?」


 皮肉めいたことを言ったのは、道三さんだった。

 まるで知らなくていいことを知ったと言わんばかりだった。


「……でも、知らなくていい話ではなかったですから」


 そう返すのが精一杯だった。

 これからどうやって晴太郎と向き合うのか、考えなければいけなかったから。


「どうか、お願いします。晴太郎くんを責めないであげてください」


 明里さんが床に額を擦り付けて懇願する。


「愛した妻を殺した息子を、愛せというのか?」

「責めるのであれば、私を責めてください。何もできなかった私を責めてください。死ねと言われれば死にます」

「……そんなことしたら、志乃の死が無駄になる」


 あまり余裕がなかったので、そっけない言い方になる。


「妻は命懸けであなたと患者を守ったのだ。ならば生きることで償ってほしい」

「う、うう……」


 すすり泣く明里さんをほっといて、僕は立ち上がった。


「道三さん。施薬院を頼みます。銭は送りますから」

「よろしいのですか? わしたちは――」

「施薬院は、志乃が生きた証だ。夫として、残しておきたい」


 僕は怒りとも悲しみともつかない感情に動かされていた。


「志乃の死の原因は、口外しないでください。晴太郎のために」

「……分かりました」


 道三さんと約束して、僕は施薬院から出た。

 あまり、居たくなかったから。




 京の墓地に、志乃は埋められた。

 僕と家臣たちは、墓石を洗い、お供え物をした。


「志乃さん、ちょっとおっかないところもあったけど、良い人だった」


 手を合わせて拝む雪隆くんがぼそりと呟く。


「ああ、料理も美味しかったし、ほつれた着物も直してくれた」

「私には厳しかったけどね。でも悪い人じゃなかったわ」


 島もなつめも拝んでくれた。


「なあ雲之介さん。普通こういうときって、戦が終わって、その報告に墓参りするもんじゃないのか?」


 雪隆くんが鋭いことを言う。

 手を合わせつつ、僕は答えた。


「比叡山攻めで死ぬかもしれないからね」

「そんなことはさせない。俺たちが居るんだぞ?」


 島が憤慨して言うけど「念のためだよ」と笑って答えた。


「人は――いつ死ぬか分からないからね」

「…………」

「後悔だけは、もう二度としたくない」


 僕はみんなに告げる。


「僧兵を殺すことになる。たくさん殺すことになる。でも君たちは僕の命令で殺すんだ。だからこの世に仏罰というものがあるのなら、下るのは僕だ」

「……雲之介さん」


 雪隆くんはぎゅっと野太刀を握った。


「地獄に行くとすれば、僕だけだ。だから、手を貸してほしい。手を汚してほしい」


 深く頭を下げる。それしか誠意を表せなかった。


「頭上げてくれ。そんなことしなくても、俺は従うぜ――殿」


 島が初めて、僕のことを殿と呼んだ。

 ハッとして顔をあげる。

 少しだけ気恥ずかしそうにしていた。


「金さえ払ってくれれば、あなたに従うわよ」

「ああ。昔誓ったとおりだ。武士に二言はない」


 なつめと雪隆くんが優しく言ってくれた。


「ありがとう、三人とも」


 僕は笑顔で言う。


「じゃあ、比叡山延暦寺を、滅ぼしに行こう」




 遅れてやってきた秀吉たちと合流する。今回の戦に参戦するのは、秀吉と正勝だけだった。越前の一向宗が気になるので、他の三人は長浜城に残っている。

 陣を敷き、上様の到着を待つ。


「正勝。まさか参戦するとは思わなかったよ」


 別に皮肉でもなんでもない疑問だった。この前のことがあったから。

 正勝はそっぽを向きながら理由を語る。


「兄弟一人だけ、地獄行きは可哀想だからよ。付き合ってやるぜ」

「あはは。相変わらず男らしいな」


 その男気に感動していると秀吉も「わしも同じなんだがなあ」と呟いた。


「何言ってやがる。上様の命令だろうが」

「だって、正勝の理由のほうが格好良いではないか」

「秀吉も相変わらずだな……」


 すると秀吉は「おぬしは変わったな」としみじみ言う。


「ただ優しいだけの子どもだったのに、今では立派な武将ではないか」

「な、なんだよいきなり……」

「ふふ。らしくなかったか」


 笑っていた秀吉だけど、急に真面目な顔になって「こたびの戦でおぬしは乗り越えられるか?」と問い質してくる。


「志乃の死を乗り越えられるのか?」

「……分からないよ」

「ま、大いに悩め。人生は短いからな」


 そのとき、陣の外から「上様、ご到着!」と報告が上がった。


「ほれ。挨拶に行くぞ」

「分かったよ秀吉」


 明日、戦ではなく、虐殺が起こる。

 悪僧も善僧も関係なく。

 平等に死が訪れる――

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