第104話託す者と託される者

 三方ヶ原に大量の木材が運ばれた。それらを秀吉の指示で次々と付城が築かれる。織田家で普請奉行や墨俣での経験を生かして、物凄い勢いで出来上がっていく。


「早くできた組から褒美をやるぞ! それに一仕事終えたら酒も振舞う! 皆の者、励め!」


 秀吉は人を使うのが上手い。まるで手足のように操る。


「おう雲之介。次の木材は用意できたか?」


 僕に気づいた秀吉は汗を拭いながら寄ってくる。


「ああ。加工していないものを含めて三百本。確かに届けたよ」

「それは上々。それだけあればより多く作れるぞ」

「しかし――まるで本当に城を作っているようだな」


 土を掘り返して、穴を作りそれをつなげて堀のようにする。その後方には柵や逆茂木を配置する。そこから鉄砲や矢で武田の兵を打ち崩すのだ。


「後はここにどうやって誘導するかだが、そこはまあ大殿が上手くやってくれるだろう」

「だといいけどなあ」


 この場に居るのは秀吉の他に正勝と長政だった。二人とも築城の監督をしている。


「おそらく今回の戦は常識や戦術を大きく変えることになるだろう。足軽の集団戦法ではなく、鉄砲隊の一斉射撃。おそらくあの武田信玄といえども……」

「必ず勝てる、か……」


 しかしどうしようもなく不安になってくる。

 武田信玄をどうやって欺いてここに誘導すればいいのか……


「なんじゃ。そのような顔をして」


 秀吉が呆れたように言う。


「おぬしはおぬししかできぬことをせよ。それしか道はあるまい」

「分かっているけどさ……」


 そんな話をしていると足軽がやってきて「森可成さまがいらっしゃいました」と報告してきた。

 おかしいな。森さまは浜松城に居るはずだけど。

 秀吉も同じように怪訝な顔をしている。


「森殿か。よし会おう。雲之介、おぬしもついて参れ」

「うん。いいよ」


 森さまは陣ではなく、外に居て築城現場を興味深そうに眺めていた。

 秀吉が何気なく「森殿、いかがなされた」と声をかける。

 振り向いた森さまを見て、一瞬不思議に思う。

 何故か死人のように思えた。

 しかし気のせいだろう。大声で「おう。羽柴殿。雲之介」と元気に挨拶を返した。


「森殿は大殿に言われて、様子を見に来たのですかな?」

「いやそうではないが、これは見事なものだな」


 森さまは築城の様子を見ながら言う。


「これで武田を打ち破るのだな。まさに爽快だ」

「ありがたきお言葉ですな」


 用件が分からないので、慎重に秀吉は答えた。

 その後、築城のことをいくつか聞いてから、森さまは言った。


「こたびの戦で、俺は殿(しんがり)を任された」


 殿……味方を逃がすために敵を止めておく役割だ。生き残る者は少ないとされる。


「殿……ですか? どうして――」

「徳川さまを囮としてこちらに誘導させる。その際、時間を稼ぐために殿が必要なのだ」


 思わず息を飲む。あの武田に殿なんて……


「死ぬつもりはないが、死ぬ気でかからねば生き残れないだろう」

「どうして――森さまが?」

「俺しかできぬことだからな」


 軽く笑った森さま。死への恐怖などないみたいだった。


「それで――森殿は何をわしたちに託すつもりですか?」


 思わず秀吉の顔を見る。どこか悲しそうな横顔だった。

 森さまは笑いながら「羽柴殿と雲之介に頼みたいことがある」と言う。


「俺の息子、勝蔵の後見人になってくれ」

「ご嫡男のではなく、次男のほうですか?」


 秀吉の疑問に「可隆は心配ない」と短く言った。


「あいつはできた息子だ。一緒に出陣するが、俺が死んであいつが生き残っても、上手くやっていけるだろう。だが勝蔵は違う。もし可隆が死んでしまえばあいつが当主を継ぐことになるが……不安が残る」


 不安というか、未練だろうな。


「だから後見人をしてくれないか。お前たち二人なら安心できる」

「交流のある雲之介は分かりますが、何故わしなのですか? 柴田さまが良いのでは?」

「羽柴殿のような優れた者はおらん。いや明智殿が居るが、あやつは信用できん」


 そして最後に、僕たちに向かって頭を下げた。


「頼む。このとおりだ」


 ここでさっき死人のように見えたのは、死相だったのだと気づいた。

 ああ、この人は死ぬんだ。

 そう思うと――


「……馬鹿者。森殿は武士の本分を遂げられるのだ」


 秀吉が静かに言った。


「だから、泣くな。雲之介」


 溢れるものが止められない。僕は森さまの手を取った。


「頼りないと思いますが、僕は後見人になります! 勝蔵くんの面倒を一生見ます!」


 森さまは僕の手を力強く握り返した。


「ありがとうな。これで心置きなく死ねる」


 死を覚悟しているのに――森さまは笑った。

 明るく元気良く、笑ったんだ。


「それでは浜松城に戻る。元気でな、二人とも」

「勝蔵くんに、言い残すこと、ありますか?」


 馬に乗って去ろうとする森さまに、僕は未練がましく言う。

 森さまはしばらく考えて、そして言った。


「思うがままに生きろ。それだけ伝えてくれ」




 それから――八日後。三方ヶ原に連なった『城』ができた。


「見事だ猿。これならば信玄も倒せるだろう」

「ははっ。お褒めいただき感謝いたします」


 すぐに諸将が配置につく。信玄が西進を開始したと報告があったからだ。


「相手は戦国最強の武将、武田信玄率いる軍団だ。しかし恐れることはない! 我らの勝利は揺ぎ無い!」


 大殿の鼓舞にみんなは大いに騒ぐ。

 僕もそれを聞いていた。

 森さま、大丈夫かなと思いつつ。


 そしてすっかり日が暮れて、辺りが暗くなったきたとき。

 武田家の兵が、三方ヶ原にやってきた――


「雪之丞くん。しっかり見ておくんだ」


 僕は雪之丞くんに言い聞かせた。黙って頷く彼に僕は話す。


「新しい戦。そして大勢が死ぬ戦を。それを見て考えるんだ」

「ああ、分かった……」


 島ももちろん居た。彼は何も話さない。語らない。

 ただ静かに、戦が始まるのを待っていた。




「武田信玄が率いる軍団が三方ヶ原に着陣! 徳川さまは無事に配置につかれました!」


 物見の報告があがる。

 そしてかがり火を灯しながらやってくる大軍が見えた。

 向こうはこっちが城を築いているのに気づかない。

 ちなみにここに居るのは二万ほどである。残りの二万は城の懐まで入ってきた武田の兵を包囲するために隠れて待機している。


「武田の兵、直前で止まりました!」


 まさか――気づかれたか!?


「いえ、こちらに向かってきました! あれは――森隊です! 森隊がこちらに引き寄せてきてくれました!」


 本陣から思わず出て、森さまの軍を見る。一人二人と討たれていく中、森さまは、一心不乱に、武田家を引き寄せてくれている――


「可成の活躍を無駄にするな! 鉄砲隊に指示を出せ!」


 大殿の号令で鉄砲隊に撃ち方準備の指示が下る。

 その最中、森さまの軍が崩れるのが見えた――


「森さまぁあああああああああああ!」


 声が嗄れてしまうほど、喉が張り裂けそうなほど、僕は叫んでしまった。


「撃てええ! 武田の兵を皆殺しにせよ!」


 大殿の良く通る声で、三方ヶ原の戦は始まった。

 四方八方から銃声が聞こえる――

 僕は膝から崩れ落ちてしまった。


「森さま……」


 そんな僕をいつの間にか隣に居た雪之丞くんが支えた。

 その様子を島はじっと見つめている。


「雲之介さん……」

「ああ、大丈夫だ……もう、大丈夫だよ……」


 自分に言い聞かせるように呟いて、僕は立ち上がった。

 腑抜けちゃいけない。

 前を向いて戦わないと。

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