第100話妻の決意

「それで島清興って人、客将として取り立てることになったの?」

「ああ。そうなんだ。だからご飯の支度を一人分増やしてほしい」


 長浜城の僕の屋敷の居間。筒井攻めを終えて帰ってきた僕は怪訝な表情の志乃に言う。

 まあ陪臣の僕が客将を迎えるというのもおかしな話だけど、それでもあの見事な夜襲を成功させた彼を味方に付けるのは心強い。秀吉にも許可をもらっている。


「島さんはいまどこに?」

「雪之丞くんと一緒に子飼いたちと会っているよ。若いとはいえなかなかの戦術眼を持っているから、いろいろと教えてくれるはずだ」

「大丈夫なの? その人の主家を織田家が滅ぼしたのよ?」

「島は賢くて冷静な人だ。そんな馬鹿なことはしないだろう」


 気軽に言うと志乃は「あなたは人を信じすぎるところがあるわよ」と顔をしかめた。


「でもまああなたの決めたことなら何も言わない。一人分、多く作るわ」

「ありがとう。できた妻をもてて僕は幸せだよ」

「恥ずかしいこと言わないの」


 大事な話は終わったので、僕は「晴太郎とかすみは?」と訊ねる。どこにも姿がない。

 早く会いたいのに。


「あの子たちならお昼寝しているわよ。遊び疲れちゃったのね」

「そっか。まだ三才ぐらいだもんな」


 元服まで十二年。それまでに戦国乱世を終わらせないと。

 晴太郎を戦に出すのは親として嫌だから。


「顔だけでも見たら?」

「ううん。起こすと悪いから。それより志乃ともっと話したいな」

「そうねえ。最近夫婦の会話してなかったわね」


 僕は志乃といろいろ話をした。すっかり仲良くなったお市さまのこと。尊敬するねねさまのこと。他の武将の妻たちのこと。晴太郎やかすみのこと。

 たくさん喋ったから、すっかり夕暮れになってしまった。


「ただいま帰った」

「……世話になる」


 雪之丞くんと島が帰ってきたようだ。がらりと障子が開いて、二人が姿を見せる。

 なぜかぼろぼろになっていた。


「うん? どうしたんだその格好?」

「子飼いたちにちょっとな……」


 雪之丞くんが言葉を濁した。

 喧嘩じゃないよな……


「あ、そういえば初陣よく頑張ったね」

「ああ。とは言っても島を捕まえただけで、何もしなかったに等しい」

「いや大手柄だよ。こうして優秀な武将を迎え入れられたんだから」


 島は複雑そうな顔をした。まあ聞いてて楽しい話ではないだろう。


「褒美を授けよう。実は初陣のために用意してたものだったけど、急な戦だったら遅れちゃったんだ」


 僕は先日、美濃から届いたあるものを持ってくるために、一旦席を外した。

 雪之丞くんはなんだろうという顔をしていた。


「前に野太刀が欲しいって言ってただろう? 名匠関兼定が打ったものだ」


 両手に抱えた大きな大きな野太刀を雪之丞くんは驚いた目で見つめる。


「手入れは必要だし、斬れなくなったら新しく打ってもらう必要があるけどね」

「く、雲之介さん。本当にくれるのか?」

「うん。そうだよ」


 震える手で受け取った雪之丞くんは嬉しそうに笑った。


「ありがとう……!」

「お礼を言いたいのはこっちさ。君を家来にして本当に良かったよ」


 雪之丞くんは野太刀の刀身を見たがったけど「自室で見なさい」と志乃に厳しく言われたので渋々我慢した。


「それで、島の俸禄なんだけど、雪之丞くんと同じくらいでいいかな?」


 僕は島に話を振った。この手の話は早いほうがいい。


「俺は構わないが、家臣でもないのに同等でいいのか?」

「島。俺は気にしないぞ」


 島が遠慮するように言ったけど、喜びのあまり気持ちが高まっている雪之丞くんは気にしないようだった。


「それならば良いが……」

「それでこのくらいなんだけど」


 僕は紙に書いて俸禄を見せる。

 島は目を見開いた。


「こ、こんなか!?」

「あれ? 少ないかな……じゃあ、雪之丞くんも同じくらいに増やすよ。良かったね、雪之丞くん」


 僕は墨で横線を引いて、新しく書き込む。

 二倍は多いから、半分ほど上乗せして――


「い、いや! 多すぎる! こんなには貰えん!」

「えっ? 僕が貰っている八分の一の俸禄だけど」

「普通はもっと少ないぞ!?」


 うーん。筒井家はあんまり豊かじゃなかったのかな……


「いいから貰っておきなさいよ。この人全然そういう欲がないの」


 志乃が横から口を出した。まあそのとおりだ。それに銭ならいくらでも作れる。


「お、奥方は、それでよろしいのか?」

「ええ。あなたがいずれ、雲之介の家臣になってくれるのを信じているだけだから」


 島は呆然として志乃と僕を交互に見ている。


「さて。今からご飯作るわよ! 雲之介、今日は美味しい琵琶湖の魚が手に入ったから、楽しみにしててね!」


 元気良く志乃が言ったので、これで話は終わった。

 島は何か言いたげだったが、結局言わなかった。




 その夜のことだった。

 志乃が子どもたちを寝かしつけてから、僕に言った。


「大事な話があるのよ」

「昼間言わなかったってことは、よっぽど重要なことだね」


 僕の言葉に志乃は頷いた。

 そして決意に満ちた顔で言う。


「――施薬院に、戻りたいの」


 僕は「やっぱり気になるかい?」と訊ねた。


「ええ。道三さんや玄朔さん、それに明里も居るから大丈夫だって思ってた。でもどうしても人手が足らないって、手紙が来るのよ」

「……うん」

「ごめん。わがまま言ってると自分でも思うけど、それでも……」


 僕は寝ている晴太郎とかすみを見つめながら言う。


「この子たちはどうする?」

「私が育てるわ。雲之介には淋しい思いをさせるかもだけど」

「…………」


 何も言わずに、僕は黙って志乃を見る。


「……ごめん。聞かなかったことにして」


 志乃は僕に微笑んだ。


「太平の世を目指す雲之介の妻、失格よね。自分のわがままで守らないといけない家を疎かにするなんて。大丈夫。あたしは――」

「半年は、駄目かな?」


 口から出たのは、優しさからだろうか?

 それとも――


「半年?」

「半年ごとに、京と長浜城を住み分ける……それじゃあだめかな?」


 志乃のことを大事に思っていた。この世の誰よりも愛していた。

 だからできる限り、願いを叶えてあげたいと思った。


「雲之介――」

「志乃。僕は大丈夫だから」


 優しく志乃に囁く。


「僕は優しいって言われるけど、志乃も相当優しいよ」

「……ありがとう」




 志乃と晴太郎とかすみは京へと出立のは、年が明けてからだった。

 次に会えるのは、文月か。

 それまでに武田家を倒さないと。


「雲之介さん。良かったのか?」


 雪之丞くんが気遣ってくれた。僕は笑って言う。


「僕はね。志乃を誇りに思うよ。見ず知らずの人を助けるなんて、できることじゃない」

「そうだな。あの人は立派な人だ。でも、淋しくないのか?」


 僕は――ここで本音を言った。


「淋しいってもんじゃないよ……」


 本音ではなく、弱音だったのかもしれない。

 そんな僕を、雪之丞くんは悲しそうな目で見ていた。


 志乃がいない寂しさを打ち払うように、僕は仕事に没頭した。


「島。次の書類を運んできてくれ」

「承知した」


 大殿の考えは分からないけど、どうやら大量の鉄砲が必要らしい。

 しかし今のところ、五百丁しか集まっていない。

 間に合うか……


「雲之介さま! すぐに評定の間に来てください!」


 慌てた様子で長浜城の僕の仕事部屋にやってきた浅野くん。僕は「何があった?」と筆を置いて訊ねる。


「武田信玄が、上洛を始めたようです!」


 ……馬鹿な。早すぎる。今は如月だぞ?

 農兵が中心なのに、田畑の面倒は、誰が見るんだ?

 そんな余裕があるとは思えないが……


「分かった。すぐに向かう」


 だけど、それでも織田家は負ける。

 内政に関わっているからこそ、分かってしまった――

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