第十三章 問答

第95話七千貫の誓紙

「やれやれ。大変な主命を命じられてしまったね」

「まったくですね。秀吉も無茶を言う……」


 長浜城に設けられた茶室で、僕は秀長さんに茶を振舞いつつ、今後について話していた。


「雑賀衆の頭領である雑賀孫市。それに従う雑賀衆を味方につければ、本願寺も自然と落ちる。理屈は分かるけど、味方にするって前提が難しい」


 秀長さんの言うとおりだ。僕は秀長さんが好む赤茶碗に茶を点てて置いた。秀長さんはそれを作法どおりに飲む。


「雲之介くんはどう考える?」

「金で寝返らせればいいのですが、本願寺も織田家と同じくらいの資金力があります。ですから、金の他に利益のある話をしなければいけません」


 これは以前、大殿が話していたことだけど『人が望むものを惜しみなく与えれば人は従う』らしい。だとするのなら本領安堵や独立を認めるなどが妥当だと思う。


「はたして、それで大丈夫なのか……少しだけ不安だね」

「話してみなければ分かりません。思い出しますね、正勝のときを」


 思えば三人だけで山賊の巣窟に行って交渉するのは、だいぶ無茶だった気がする。

 秀長さんは茶碗を脇に置いて「あの頃は皆若かったよ」と笑った。


「でも楽しかった。兄者に振り回されるのはね。今でもそうだけど」

「ええ。これからも楽しいことがたくさんありますよ」


 具体的な方策は生まれなかったけど、不安はなかった。

 できるかどうか分からない。でもやるしかないと思った。




 それから四日後。僕と秀長さんは少ない兵を連れて、雑賀孫市に会うため、紀伊国の雑賀城に来ていた。小さな城、というより大きな砦と言うべき簡素な山城だったけど、なんとなく攻めづらいと思った。まあ内政官的に言えば城下の発展が難しい立地だと思う。森林が多いから、木工業を導入すれば稼げるかもしれないが。

 しかし高価な鉄砲が民衆に広まっているのは道中で分かる。銃の手入れをしている老人や木を鉄砲に見立てた遊びをしている子どもも見かけた。


 城に着くと僕と秀長さんは雑賀孫市の居る一室に案内された。案内人は若い女性で物腰に隙がなかった。おそらく僕たち二人がかりでも勝てないだろう。それほどの武芸の達人だった。


「おう。あんたらが織田家の家臣か。それで何の用だ?」


 獣の敷物の上にどかりと座っている尊大な男――雑賀孫市は僕たちにそう言った。部屋には案内人の女性の他、もう一人少年がいた。

 この二人は帯刀していない。しかしこちらは刀を預けていない。それほど二人の実力があるということだろうか。信頼しているのだろう。

 雑賀孫市は堺でよく見かける南蛮人のような色鮮やかな衣装をしている。大殿も愛用しているマントを羽織っていて、まるでキリシタンのようだった。本願寺に味方している仏教徒には思えない。

 傍に控えている女性と少年は猟師のような姿をしている。女性の髪は短く、一見すると美少年と見間違うかもしれない。鷹のように鋭い目。こちらを睨み付けている。

 少年はまんまるとした目。こちらは梟みたいだ。興味深そうにこっちを見ている。


「まずはお会いしていただけて――」

「挨拶はいいぜ。単刀直入に用件を言いな」


 秀長さんの挨拶を鬱陶しそうに遮って、孫市は話を促した。


「では、孫市殿。我らの側につかないか?」


 秀長さんは気を取り直して、端的に目的を述べた。


「もちろん、見返りは用意する。我が主君、羽柴秀吉から二千貫。大殿の信長公からは五千貫を支払う。それだけではなく、本領を安堵する」


 それを確約する誓紙を秀長さんは差し出した。それを女性を介して孫市は受け取った。


「なるほど。合計で七千貫か。そりゃあ豪気な話だ。それに今や天下統一に一番近い織田家から直々のお誘いだ。こりゃあ雑賀衆に箔が付くってもんだ。格好良いねえ」


 お、なかなかの好印象だ。


「でもよ。もっと格好良いことを思いついたぜ」


 孫市は――誓紙を破り捨てた。


「な、何をする!?」

「織田家のお誘いを断って、本願寺への義理を押し通す。最高に格好良いよなあ!」


 バラバラになった誓紙は宙を舞い、床に散らばった。

 し、信じられない……七千貫を破り捨てた……


「今、何をしたのか、分かっているのか!」

「ああ。ただの墨で汚れた紙を破ったのさ」


 激高する秀長さんをせせら笑いながら孫市は言う。


「軽く見られたもんだな。いや、安く見られたもんだ。この孫市を七千貫程度の安値で買おうなんてよ。小せえ小せえ。どうせなら十万貫くらい持ってこい。そんなら少しの間考えてやってもいいけどよ」

「……あなたのことが分からなくなりました」


 僕は目の前に居る雑賀の頭領に訊ねる。


「七千貫もの大金を捨ててまで、本願寺に尽くすつもりですか? その先に何があるって言うんですか? 本願寺は決して天下を望まない! 太平の世は訪れない!」

「だろうな。俺もそう思うぜ。本願寺は人を救うことはできるかもしれねえが、世の中は救えねえよ」

「だったら――」

「そうじゃねえんだよ」


 孫市は僕たちを馬鹿にしていた。そんなことも分からないというかのように。


「この世全てを差配できる強者に逆らうことのほうが、金で寝返るよりも格好良いじゃねえか」

「…………」

「格好悪く生きるなら、格好良く死んだほうがましだ」


 孫市の頭には利益とか打算とか、そんなものはない。

 ただ自分が格好良く生きられるか、そして悔いの残らないように生きられるか。

 それしか頭にないんだ。


「呆れたか? まああんたら武士には分からねえだろうよ」

「……分かったかどうかは別にして、少しだけ羨ましく思うよ」


 孫市を説得するのは無理だと思った。

 だから言いたいことを言おう。


「自由に生きられるって言うのは素晴らしいよ。それだけの力がないと、奔放に振舞えない。戦国乱世で我を通せるのはさぞかし楽しいことだろうね」

「ははは。そうだろう?」

「でもそんな生き方は長く続かない」


 孫市に何を言っても無駄だろうけど――それでも言わなければいけない。


「太く短く生きる。それは決して真似はされない。賢く長く生きている人間にとってはつまらない生き方だろうね」

「……あぁん?」

「身勝手に生きればいい。でも後世ではこう伝えられる。『雑賀孫市は格好良く生きましたが、織田家に味方しなかったので、最期は格好悪く死にました』ってね。そう伝わることは格好悪くないのかな?」

「はっ。後世にどう伝えられようが、死んでしまったら関係ねえだろ」

「そうでもない。人生は死んで完結するんだ。一つの物語のように。いくら劇的に生きても、最後がくだらなかったら、締まりが悪い。誰も雑賀孫市のことを思い出さないさ」


 それだけ言って、僕は席を立った。秀長さんも無言で立ち上がった。


「それでは、御免。次に会うときは敵かな」

「……ああ。あんた、名前は?」


 雑賀孫市は、僕の名前を訊ねた。


「雨竜雲之介秀昭。雲之介と呼んでくれ」

「そうか。雲之介、あんたの最後はこうなるだろうぜ」


 それまで笑みを絶やさなかった孫市だったけど、一瞬で真剣な顔になって言う。


「雲之介は銃弾に倒れて、天下統一を見ずに死にましたってな」


 僕は静かに返した。


「……そうならないように努力するさ」




「雑賀衆を味方にできなかった。さて、どうする?」

「……雑賀衆は地侍の寄り合いです。孫市に従わない者、反感を持つ者もいます」


 僕たちは雑賀荘の外れで馬に乗りながら今後の方針を話し合っていた。


「ですから、その者たちを味方に――」


 話そうとしたとき、秀長さんが手を挙げて遮った。

 目の前に地侍の集団が現れたからだ。


「何者だ!」


 秀長さんが強い言葉で誰何すると先頭に居る馬に乗った男がすぐさま答えた。


「……織田家の者だな。雑賀荘から生きて帰れると思うな」


 やばいな。僕たちが引き連れている兵よりも向こうのほうが多い。


「雑賀孫市の命令か?」

「孫市? 違うな。我らは――」


 銃声。先頭の男は頭をぐらつかせて、落馬する。

 こっちの兵には、鉄砲を持たせていない。誰だ!?


「……使者を殺すのは、良くない」


 振り向くと、先ほどの女性と少年が居た。

 手には鉄砲。おそらく女性が男を撃ちぬいたんだろう。


「小雀! 蛍!」

「何故、あいつらが! 一旦、引くぞ!」


 地侍たちは散り散りになって逃げていく。

 女性と少年がこっちにやってくる。兵たちは武器を二人に向ける――


「やめろ! その二人に手を出すな!」


 秀長さんが兵たちに命じた。僕は馬を降りて「どうして助けたんだ?」と訊ねた。


「さっきも言った。使者を殺すのは良くない。たとえ敵でも」


 女性の言葉に少年も頷いた。


「ありがとう。えっと、君たちは小雀と蛍って呼ばれてたね」

「私は蛍。この子は小雀」

「改めてありがとう。蛍さん。小雀くん」


 蛍さんは無表情だったけど、小雀くんは笑ってくれた。


「お礼はいいから、さっさと出て行って。さっきの話、腹が立ったから。私はあなたが嫌い」

「嫌いなのに、助けたのか?」

「頭領が『使者を殺すのは格好悪いことだ』って」


 そう言い残して、二人は去っていった。

 もし、雑賀衆と戦うことになったら、二人とも……

 戦国の習いとしても、なんだか嫌だった。

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