第62話忘れたいから働く

 本圀寺の変と呼ばれる戦からしばらくして、僕は大殿に呼び出された。

 本圀寺にある奥の間に向かうとそこには義昭さん、大殿、秀吉、そして細川さまが僕を待っていた。

 僕が上座にいる義昭さんの前に座ると、その右に居る大殿が言葉を発した。


「雲之介。お前を大工奉行に任ずる。村井貞勝と共に公方さまの居城を作れ」

 

 大殿の主命に対し、僕は平伏して「承知しました」と淡々と応じた。

 秀吉はそんな僕を心配そうに見つめている。


「村井は別の主命で遅れている。半刻もすればお前と合流できるだろう。しかしその前に聞いておきたいことがある」

「なんでしょうか?」

「どのような城を建てる?」


 僕は「防御性に優れた城を建てます」とすかさず言った。


「加えて将軍が住むのに相応しい、豪華なものを」

「言葉にするのは容易いがな。何か考えはあるのか?」


 以前、角倉了以に聞いた松永久秀の居城、多聞山城のことを思い出した。


「石垣を築いて高さを出します。平地でも攻めにくいようにです」

「普通は山の上に築くものだが」

「京の都から離れるのは何かと問題があります」


 多聞山城は今までに無い大胆な発想で作られていると聞いている。

 悪人にできたことなんだ。できないわけがない。

 定石を外した城を建てることも――可能なはずだ。


「平地で城を築くことが出来れば、今後の城造りの歴史が変わります」

「歴史を変える、か……しかし雲之介。いつ俺が城造りをお前に命ずると知った?」


 大殿は鋭い目で僕を睨んだ。


「決めたのはつい先ほどだ。お前は知れたはずがない。なのにどうしてだ?」

「……本圀寺が戦で使い物にならなくなったときから、考えていました」

「……なんだと?」


 僕はこの場に居る全員に分かりやすく説明した。


「本圀寺が強襲されて、大殿が真っ先に考えることは義昭さんの身の安全です。そのためには何をすべきか――安心できる住まいを提供すること」

「…………」

「ですから、命じられても良いように、僕なりにいろいろと考えていました」


 戦のことには頭が回らないけど。

 こういうことなら得意だった。

 それに別のことを考えないと。

 あのことを思い出してしまうから。


「……秀吉殿。雲之介を私の家臣に」

「公方さまの申し出だとしても、お断り申す」


 義昭さんの頼みをばっさりと断る秀吉。


「なるほど。先を読めるようになったな。ならば二つの課題がなんなのか、分かるか?」

「ええ。一つは三好三人衆や畿内の大名の襲撃に備えて――素早く建てること」

「そうだ。なるべく早く建てろ。そしてもう一つは?」


 頭の中でいろいろな考えが巡った。

 その中で大殿が求めている答えを示す。


「木材などの機材の調達、ですね」

「そうだ。木材の調達から加工するまでに時間がかかる。どうするつもりだ?」


 僕はふうっと溜息を吐いて、周りを見渡してから言った。


「本圀寺はこのように内部は無事ですね」

「……まさか、君は本圀寺を使うつもりなのか!?」


 細川さまが大声を上げた。思いもしなかったのだろう。


「ええ。ここはもう血に濡れすぎている。寺としては使い物になりません。ならばいっそ、建物を新しく再利用するべきです」


 細川さまが何か言いたげだったけど、思い直したように「まあ悪くない策だ」と言ってくれた。


「しかし公方さまはその間、どこに住む?」

「公家のどなたかの屋敷を間借りしてはいかがかな?」


 細川さまの問いに答えたのは秀吉だった。

 義昭さんはそれに頷いた。不満はないようだ。


「私は問題ないぞ。与一郎」

「かしこまりました」


 話はまとまったのを見計らって、大殿は言う。


「それでは直ちに築城を始めよ。期待しているぞ」

「ご期待に添えるように努めます」


 大殿と秀吉が部屋から出た後、義昭さんが「雲之介、そなたに贈り物がある」と木の箱を出した。とても高級そうだ。


「なんですかそれは?」

「開けてみよ。かなり珍しいものだ」


 僕は箱を受け取って、紐を外して、中を開けた。

 そこには――見たことのない不思議なものがあった。

 木でできている。形は横に細長い長方形だった。内側は串のようなものに玉が刺さっていて、それがじゃらじゃらと動く。玉は一つの串に七つあり、仕切りで二つと五つに分かれている。

 なんだろう。音が鳴るから楽器だろうか?


「それは『そろばん』というものだ」

「そろばん……ですか?」

「簡単に言えば計算をしやすくする装置だ。常々、簡単に計算できたら良いと言っていただろう」


 計算をしやすくする装置。どうやって使うのか、判然としない。


「義昭さん。どうやって使うんですか?」

「玉を上下させるのだが、私にも分からん。詳しくは商人が書いてくれた指南書を読んでくれ」


 そろばんが入っていた箱の底に紙が挟まっていた。

 指南書を読むと、なかなか複雑そうだった。

 習得には時間がかかりそうだ。


「ありがとうございます。勉強して使いこなしてみせます」

「うむ。これからも仕事に励んでくれよ」


 満足そうに頷く義昭さん。

 その様子を細川さまはじっと見つめていた。

 それには気づかないふりをした。


 それから村井さまと合流して、僕の築城計画を話すと、すぐさま頷いてくれた。


「うん。それがいいね。でも木材も石も足らないから、足利家の御用商人に頼んで調達してもらおう」


 村井さまは柔和な表情で言った。文官としてやり手な人物だけど、どこか気の弱そうな雰囲気があった。細目で顔が長いことよりも、そっちのほうが気にかかる。


「商人に払う金は織田家で負担することになったから」

「そうですか。それは助かります」

「それにしても雲之介くんの考えは柔軟だね。見習いたいよ」


 陪臣である僕にお世辞を使っても意味が無いのに。

 この人は善人なんだなと思った。


 本圀寺の解体作業は昼夜問わず続き、並行して築城も進ませた。

 建材の調達と人足の手配、そして築城の監督。目の回る忙しさだった。

 眠る暇も無いくらい――忙しくなる。

 そうやっていれば、あのことを思い出さずに済む。

 

 月日が経ち、もうすぐ城ができそうな頃。

 僕は久々に自分に与えられた屋敷に戻った。


「おう兄弟。久しぶりだな」

「雲之介ちゃん。あなた酷い顔になっているわよ?」


 門の前に待ち構えていたのは、正勝と半兵衛さんだった。


「二人とも久しぶりだね。元気そうで何よりだ」

「お前は全然元気じゃないようだな」


 門に寄りかかっていた正勝は身体を起こして、僕の肩を叩いた。


「秀吉さんに聞いたよ」

「何を? ああ、足利家の家臣になったことか。それは一時的なことで――」

「ちげえよ。お前――人を殺したようだな」


 聞きたくない言葉をはっきりと言われてしまった。


「雲之介ちゃんのことだから、思いつめているんじゃないかと思って、心配してたわ」


 半兵衛さんも聞きたくないことを言ってきた。


「お前、ちゃんと寝ているのか? 酷い隈だぜ?」

「寝ている? いや、あんまり寝ていないけど……」

「どうして寝ていないの?」


 だって、寝たらあのときのこと、夢に見るんだ。


「いいだろう別に。なんだ二人とも。遊びに来たのか? 随分暇なんだな」


 苛立って皮肉を言う。

 だけど正勝が予想もしないことを言い出した。


「それもちげえよ。お前の家族を連れてきたんだ」

「……家族?」

「もう来てもいいわよ!」


 その言葉を合図に。

 屋敷から、秀長さんと一緒に――志乃が出てきた。

 僕の子ども――すやすや寝ている晴太郎とかすみを抱いて。

 能面みたいな無表情でやってきた。


「志乃……」

「……こんな日が来ると思っていたわ」


 志乃は真剣な表情で。

 僕を気遣うように。

 はっきりと言ってくれた。


「あなたは――悪くないわ」

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