第51話過去への手がかり

 過去の光景を――思い出していた。


 一人きりで生きていたとき、僕は目の前で子どもが死体から鎧兜を剥ぎ取っているのを見て、そうやって銭を手に入れればいいのかと学んだ。

 今思えば買取屋に騙されて安値で売ってしまったが、それでもその日の飯は確保できた。


 一人きりで生きていたとき、数人の脱走兵が一人の女に悲しいことをしてるのを見て、ああはなりたくないと思った。

 自分が男で良かったと思う反面、汚らわしい行為をする男に生まれたことに吐き気を催した。


 一人きりで生きていたとき、空腹のあまり死人の肉を喰らおうか悩んだ挙句、死を選んだ浪人を見て、やはり禁じられているんだと分かった。

 己の尊厳を守るために死を選ぶのは高潔だとぼんやりと感じた。人として死ねるって幸せなのかもしれない。


 そして――秀吉と出会った。


『わしと一緒に来い。一人前の男にしてやる』


 その言葉は今でも覚えている。

 秀吉は嘘を吐かなかった。

 武士になれたし、志乃という妻も持てた。

 切なく拙く生きていた僕だったけど、一人前になれたと思う。


『可哀想な子。そして罪悪の子……』


 誰だろう。誰が言っているんだ?

 頭がズキズキと痛む。


『この子は、生まれてはいけない子』


 前にも聞いたことがある。

 確か墨俣で溺れたとき――


『せめていっそう、この手で……』


 その後は確か、こう言われたんだ。


『この手で、殺したい』


 息苦しい……誰か……




「おっと。目が覚めたか」


 見知らぬ人の声だった。起き上がろうとしたが「動くと傷が開くぞ」と鋭く言われた。

 だから目を動かして声の主を見た。結構な老人で、おそらく医師であろう格好をしている。


「しばらく安静にして、なるべく消化の良いものを食べろ。わしは意識を取り戻したことを伝えに行く。動くなよ。動いたら死ぬぞ」


 僕は分かったと言おうとして、腹部の痛みで言えなかった。代わりに呻いてしまった。

 医師はそのまま出て行ってしまう。

 僕はぼうっと天井を眺めた。

 そして先ほどの夢を思い出す。


「過去の記憶……次第に思い出してきたな」


 しかし一人きりで生きてきた頃ならともかく、今更思い出してもという気持ちが強い。

 加えて思い出しても良いこととは思えない。明らかに殺されそうになっているのだから。

 つらつら考えていると襖ががらりと開いた。

 大殿と義昭さん、そして長益さまの三人が入ってくる。


「雲、無事だったか! 心配したぞ!」

「長益さま……ご心配かけました……」

「いやいい。兄上の命を救ってくれたんだな」


 僕は「油断しましたよ」と力なく笑う。


「稲葉山城攻めが終わったと思って、鎧を脱いでついて行ったんですから」

「あはは。勝って兜の緒を締めよという言葉を知らんのか?」


 長益さまは大笑いなさったけど「笑い事ではないわ!」と義昭さんは怒った。


「約束を破るとは何事か! いやそれはいい! 死んだかと思ったぞ!」

「僕は……どれだけ寝ていました?」

「四日だ! 医師から二日前が峠だと言われたのだ!」


 四日……そんなに寝ていたんだ。


「すみません。約束を破ってしまって」

「うぬぬ。素直に謝られたら許すしかないではないか!」


 義昭さんはそう言ってそっぽを向いた。結構心配かけてしまったんだなと思う。


「……雲之介、お前には救ってもらったな。礼を言う」


 大殿が僕に優しく言ってくれた。


「いえ。大殿がご無事で何よりでした」

「お前を足軽大将に任命した。猿の元で大いに働くがいい」


 僕は「ありがたき幸せにございます」と失礼ながら布団の上で言った。


「ふむ。まあいいだろう。雲之介が生きていて良かったわ」


 義昭さんが満足そうに言った。それから僕の顔をまじまじと見る。


「はい? なんですか?」

「ああ。そういえば初めて会ったとき、見覚えがあると言わなかったか?」

「え、ええ。言われました」


 義昭さんは「見舞いに来たとき、ふと思い出したのだ」と何気なく言った。

 そして大殿に向かって言う。


「信長殿は知っているだろう? 山科言継(やましなときつぐ)殿を」

「ええ。父の信秀と交流がありましたから」


 山科、言継……?

 義昭さんは僕に笑いかけた。


「その山科言継殿の娘の……なんと言ったかな、確か……ああ! 巴だ! 巴殿に似ているな!」


 山科言継の娘、巴……


「まあ偶然かもしれんが、かなり似ていたぞ。今思えばだが」

「そう、ですか……」


 なんだろう。頭の中で何かが響いている。


「雲之介。その巴のことが気になるか?」


 大殿の問いに僕は慎重に頷いた。


「ならば早く上洛せねばな。足利義昭さまを奉じて」

「おおありがたい! 頼むぞ信長殿!」


 二人の会話は耳に入らなかった。

 そんな僕を長益さまが厳しい顔で見ていた。




 その後は入れ代わるように秀吉たちがやってきた。


「おお! 大殿の命を救った功労者だな!」

「流石だな兄弟!」

「まったく。無理しないでくれよ」


 三者三様の言葉だった。


「咄嗟に動いてしまったんだ。自分でも信じられないよ」

「主君を助けるために咄嗟に動ける人間がどれだけ居るか。素晴らしいことだ」


 手放しに褒める秀吉。

 それから今後のことを話した。


「大殿は拠点を尾張から美濃に移すらしい。それと同時に稲葉山城も改築し、城下町も整備する。名も改めるそうだ」

「へえ。どんな風に?」

「岐阜城。そして井ノ口の町は岐阜の町となる」


 岐阜? 由来はなんだろうか?

 首を捻って考えていると秀長さんが説明してくれた。


「君もよく知っている沢彦和尚が案を出したらしい。周の文王が天下を目指したときの挙兵場所の山、『岐山』と孔子の生まれ故郷、『曲阜』を合わせて、岐阜と命名したんだ。つまり太平と学問の地を目指すという意味なんだ」


 僕は「そうですか。じゃあ僕の考えた意味じゃないんですね」と言ってしまった。


「なんだ? 雲之介、言ってみろ」

「いや、深い意味はないんだ秀吉。岐阜と聞いて思ったのは、斎藤道三のことだ」


 秀吉と秀長さんは首を傾げた。すると意外にも先に気づいたのは正勝だった。


「ああ。義理の父の義父という意味か」


 秀吉は「つまらぬ洒落だな」と一笑に付した。

 まあ僕も何となく思っただけだからと気にしなかった。


「というわけで引越しするから、おぬしは傷を癒してから来い。そういえば足軽大将に出世したのだろう? 新しく屋敷も用意されるようだ」

「そうか。ありがたい話だな」


 秀吉たちが去った後、僕は山科言継という人物について考える。

 もしかして僕の過去を知っているのかもしれない。

 何となくの予感だった。

 そして巴という女の人。

 会いたいような会いたくないような、二つの相反する気持ちがせめぎ合っている。


「とりあえず……志乃への言い訳、考えておかないとな」


 妄想より現実を考えることにした。

 普通は逆だけど、今回の場合はそっちのほうが気楽だった。




 志乃にこってり絞られて。

 傷もすっかり癒えて。

 岐阜城が完成に近づいた頃。

 秀吉と僕たちにとある命令が下った。


「北近江に隠棲している竹中半兵衛を勧誘して来い。禄はいくらでも出す」

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