第49話酔った勢いで改名

「いやあ! めでたいな兄弟! それ、どんどん吞め!」

「ありがとう小六の兄さん!」


 志乃の妊娠が分かった日から、僕は藤吉郎の屋敷に泊まった。ねね殿が何かあったときに自分が居たほうが志乃も安心するからと言ってくれたので、その言葉に甘えた。

 一ヵ月後、美濃三人衆調略の主命を果たして帰ってきた藤吉郎たちに報告すると、みんな自分のことのように喜んで、こうして祝いの場を設けてくれたのだ。


「子どもだと思っていたが、やることはやっていたんだな」

「藤吉郎、僕はもう大人だ。いつまでも子ども扱いしないでくれ」


 上座で上機嫌に酒を吞む藤吉郎に口を尖らせて言うと「すまぬな」と気さくに笑った。

 僕の隣では志乃がにこにこ笑いながら酢の物を食べていた。何でも妊婦は酸っぱいものを好むらしい。こういうことは覚えないといけないな。


「しかし、めでたいことは続くものだな。兄者は美濃三人衆の調略の功で加増されたし、前途洋洋だ!」


 小一郎さんもにこにこしていて上機嫌だった。この前から酒は控えていたけど、今日ばかりは吞むつもりらしい。


「そういえば、お前の友達の覚慶さまが還俗と元服式を行なうらしいぞ。京より二条晴良さまという公家を招いて執り行うようだ。さっき清洲城に寄って聞いてきた」

「ああ。知っている。大殿が烏帽子親をするらしい」


 僕はこの一ヶ月、覚慶さんの相手をしていたので話は聞いていた。二条さまは関白になられたほどのお方らしい。そういった人物を藤氏長者という。博識な覚慶さんから教えてもらった。


「なんだ。知っておるのか。じゃあどんな名になるのか、知っているのか?」

「うん。初めは義秋――義理人情の義と季節の秋で義秋だ――と名乗られる予定だったけど、占いの結果が良くないらしくて、別の名になった」

「ほう。どんな名だ?」

「読みは同じで日を召すと書いて義昭さまになる」


 小一郎さんが「やけに詳しいね」と酒を吞みながら言う。


「そりゃあ当然ですよ。一緒に考えたんだから」

「ええええ!? それ本当かい!?」


 さらりと言ったことに、小一郎さんと小六、そして志乃とねね殿はかなり驚いた。特に酌をしていたねね殿は藤吉郎の袴に酒を零してしまう始末だ。


「えっ? そんなに驚くこと?」

「あ、当たり前じゃない! 次期将軍の名前をあなたが決めたのよ!」


 志乃の声が裏返っている。

 ああ、そういうことになるのか。気がつかなかった。


「でも僕が決めたのは半分だし、採用されたけど変えられたから……」

「……ちなみにだが、半分ってどういうことだ?」


 少しだけ驚いていた藤吉郎の問いに僕は答えた。


「ああ。秋のほうだよ。義は覚慶さんが決めたんだ」


 すると小一郎さんが気の抜けた声で言う。


「義は代々の将軍が使ってたから、実質的に雲之介くんが決めたんだと思うよ……」

「うん? そうなんですか? なんだ、覚慶さんもそう言ってくれればいいのに」


 藤吉郎は愉快そうに「やれやれ、とんでもない人間を家来にしたものだな」と呟いた。


「そうだ。この際、わしも新しい名を名乗ろうと思う」

「新しい名? なんだい藤吉郎さん」


 興味が湧いた小六が訊ねる。藤吉郎は「既に新しい名を記した紙を用意している」と自慢げに懐から取り出した。


「藤吉郎が藤吉郎でなくなるのか。なんか複雑だな」

「私もだ。兄者は藤吉郎のままがいい」


 小一郎さんと一緒になって反対する。しかし「もう決めたことだ」と頑固に言う。


「まあ藤吉郎に愛着がないわけではないが、どうも農民出身という感じがして、これからの出世に響くからな」

「焦らしてないで教えてくれよ!」


 小六の言葉に藤吉郎は「分かった。では教えて進ぜよう」と紙を開いた。


「…………」

「うん? どうした? 雲之介?」

「藤吉郎、紙が反対だ……」


 まったく格好つかないな!

 藤吉郎は顔を赤くして――酒のせいではない――紙の位置を正しくした。

 そこには『秀吉』と書かれていた。


「なんて読むんだ? ひできちか?」

「違うわ! 『ひでよし』と読む。今日から木下藤吉郎秀吉だ!」


 な、なんか格好いいぞ! さっきの失態が返上された気がする!


「おお! 一気に武将らしくなったな!」

「まあそうだけど、どうして『秀吉』なんだ?」


 小六の賞賛の声と不思議そうな小一郎さんの声。

 藤吉郎――秀吉は「大殿から『秀』の文字をいただいたのよ」とにこにこ笑った。


「おそらく大殿の父君、先代当主の信秀公の秀だろうな。それと藤吉郎の吉を使わせてもらった。吉は縁起が良いからな」

「なるほどなあ。良い名前だと思うぜ!」


 小六の言葉に機嫌を良くした秀吉は「そうだ! おぬしたちも改名しろ!」ととんでもないことを言い出した。


「まずは小一郎だ! なんか考えろ!」

「無茶を言うな。いきなり言われても困る」


 腕組みをして考えている小一郎さんに酔っている僕は「秀吉と大殿の名前を一字ずつ貰えばいいじゃないですか」と考えなしに言った。


「……何を言っているんだ雲之介くん。陪臣の私がそんな大それたことできるわけないだろう」

「信の字は先代と同じになってしまうから、長の字にしましょうよ」

「雲之介くん。君はだいぶ酔っているね」


 すると「ではわしが名付け親になってやろう!」と立ち上がってびしっと指差した秀吉。


「今日からお前は『秀長』だ! 木下秀長と名乗れ!」

「…………」


 唖然とする小一郎さん――秀長さんは何も言えなかった。


「あっはっは! 秀長! お似合いの名だぜ!」

「後で覚えていろよ小六殿……」


 楽しい宴会なのに新しい遺恨が発生してしまっている。


「次はどっちだ? 雲之介か? それとも小六か?」

「俺が行くぜ! というよりもう決まっているしな!」


 小六はかなり酔っているみたいだ。僕もだんだん楽しくなってきた。


「俺にはもう一つ名前があってな。『利政』という――」

「利政? なんか小賢しそうだな。もっと強そうな名前にしようぜ兄弟!」


 僕の無責任な発言に小六も乗せられて「じゃあ強そうな名前ってなんだよ!」と言う。


「うーん、秀吉、なんかないか?」

「おぬし、改名しても呼び捨てなんだな。まあいい、ゲンを担いで『勝』の字を使いたい」

「おいおい、秀吉さんよ。それだと柴田さまと一緒にならないか?」

「それなら後ろに持ってくればいい。小六、利政のどっちの字が気に入っている?」

「そうだな。強いて言えば政だな」

「では政勝……なんか強そうじゃないな」


 悩む秀吉に「じゃあ『まさ』を別の字にしよう!」とこれまた無責任に言った。

 それに加えて秀長さんが「では正しいを使って正勝にしないか」と言う。かなり適当だ。さっきの意趣返しだろうか。

 だけど小六は気に入ったみたいで「よしそれにしよう!」と男らしく即決した。


「これからお前は蜂須賀正勝だ!」

「おう! これから頑張るぜ!」


 何を頑張るのだろうか?


「最後はおぬしだな。雲之介」

「さあどんな名前にするんだ?」


 だんだん楽しくなった僕。志乃が「雲之介、吞みすぎよ!」と盃を奪った。


「そうだな。そういえばどうして秋の字を覚慶さまに提案したのだ?」

「うん? ああ、もうすぐ秋だからそれにした。覚慶さんには内緒だけどね」

「……そんなの口には出せないよ」


 秀長さんの引きつった顔が妙に面白い。


「そうだな。せっかくだから秋の字――いや日を召すほうの昭にしよう」

「ほう。それでそれで?」

「わしの秀をやろう。『秀昭』はどうだ?」


 秀昭か……悪くない気がする。


「兄者? 良いのか? 将軍になられるお方の名前を拝借しても……」

「まだ元服してないからな。大丈夫だろう」


 秀吉は僕に向かって言う。さながら神の宣告のように。


「今日からおぬしは『雨竜雲之介秀昭』とする!」


 おお! なんか武将っぽい!


「志乃! 僕は今日から雨竜雲之介秀昭になったぞ!」

「えっ? 今更だけどそんな感じで決めていいの?」


 呆れる志乃だったけど、僕は嬉しかった。

 というか何をやっても楽しい。

 子どもが産まれることの喜び。

 おそらく現世で一番の幸せ者だった。




 宴会が終わって、僕と志乃は寝室で二人きりになった。


「志乃。何か不安はないか?」

「うーん。出産のことが不安ね。痛いって聞くし。でもまあやってみるしかないわ」


 どうやら覚悟はとうに決まっているようだ。こんなときは女のほうが強い。


「ねえ。雲之介――それとも秀昭って呼んだほうがいい?」

「雲之介でいいよ。なんだい、志乃」


 志乃は真っ直ぐ僕を見つめて言った。


「私のことと産まれてくる子どものこと、愛してくれる?」


 僕は嘘偽りなく答えた。


「ああ。もちろん愛するに決まっているさ」


 それを聞いた志乃は泣きそうな顔をした。

 まるで痛みに耐えているようだった。


「ど、どうかしたのか!?」

「なんでもないわ。早く寝ましょう」


 早口でそう言って、志乃は布団に包まった。

 気になったけど、かなり酔っていた僕は、そのまま横になって寝てしまった。


 どうしてこのとき、気にかけてあげなかったんだろう。

 そうすれば、志乃の苦しみを分かってあげたのに。

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