第三章 修行

第13話出立前夜

 政秀寺にて、久しぶりに信行さまと会った。

 あの日以来の再会だった。

 寺の本堂で正座をして、向かい合った。


「ずいぶんとさっぱりしましたね。信行さま」

「やめておくれ。もう私は信行でも『さま』を付けられる身分でもない」


 法衣を身に纏い、頭を丸めてしまった信行さま。

 元が美男子だから服装も髪型も似合っているというか似合い過ぎている。

 まるで元々僧侶だったみたいだ。


「傷はすっかり癒えたみたいだな」

「ええ。信行さま――えっと、まだ法名を聞いてないのですが」


 すると信行さまは「ああ。そうだったな」と微笑みながら手を合わせた。


「行雲(ぎょううん)という」

「ぎょううん……」

「禅の教えで行雲流水という言葉があってな。雲は留まることなく行き、水は留まることなく流れる。転じて苦難や悲しみも留まることはない。そんな意味もある」


 なるほど。とても良い法名だと素直に思った。


「信行の行とおぬしの雲を合わせた、というこじつけもできるしな」


 茶化すように信行さま――行雲さまは言う。


「それはとても光栄ですね」

「おぬしには命を助けられたな。ありがとう」

「僕じゃなくて藤吉郎のおかげです。もっと言うならお市さまがきっかけですし」

「それでも、ありがとう」


 にこりと優しく微笑む行雲さまを見ていると、本当に徳の高い高僧のように思える。なんだか憑き物が取れたような感じもする。


「それと申し訳ないが、いずれ私の息子の坊丸も織田家の一家臣として仕えることになる。面倒を見てやってくれ」

「分かりました。確か織田家の庶流の津田を名乗られる予定でしたね」

「ああ。兄上が約束してくださった」


 そういえば柴田さまが養育するらしい。武芸のことは柴田さまから学べるから、それ以外のことを教えてあげよう。


「それではお暇いたします」

「ああ。忙しいのに訪ねてくれてすまなかったな」

「いえ。実を言うと大殿に呼ばれていまして」


 行雲さまは「兄上に?」と不思議そうな顔をした。


「何の用事だろう? ああ、もしかすると褒美がもらえるかもしれないな」

「それはないでしょう。藤吉郎ももらってないのですから」

「ならば直臣に昇格か?」


 直臣、つまり直属の家来になるということで、それはとても名誉なことだろう。

 でも――


「もしそれだったら丁重にお断りします」

「何故だ? おぬしなら上手くやれそうだが」

「僕は藤吉郎の家来ですから」


 藤吉郎のおかげで織田家に仕えられて、こうして何事も無く暮らせているのだ。

 その恩をまだ返していないのに、直臣にはなれない。


「藤吉郎か……」


 行雲さまはしばし考えて、結局何も言わずに「それでは達者でな」と言った。

 少しだけ気になったけど、僕は「それではおさらばです」と本堂から立ち去った。

 行雲さまが言いかけたこと。

 そのことは清洲城に着いた頃にはすっかり頭から消え去っていた。




「雲之介。お前は堺に行ったことはあるか?」


 大広間で大殿が僕に訊ねた。大殿のほかに柴田さまと丹羽さまが居た。そしてどこかで見たような人が一人居た。大殿よりも年上で、柴田さまと同い年のような侍。


「いえ。ございませぬ」


 もしかしたら記憶を失くす以前に行ったことがあるかもしれないけど、覚えてないので行ってないのも同然だった。


「そうか。まあ良かろう。雲之介、お前に命ずる。源五郎のお供として堺に向かえ」


 僕は訳の分からぬままに平伏して「ははっ。慎んでお受けいたします」と応える。


「うむ。良き返事ぞ」


 大殿は満足そうに頷く。


「しかし大殿。堺で僕は源五郎さまのお供として、何をすればよいのですか?」


 藤吉郎から言われたことは、まず命じられたら受けて、それから分からぬことを問うだった。

 まず分かっていることは大殿の弟君に源五郎さまが居ること。確かお市さまと同年に生まれたと聞いている。側室の子らしい。

 それ以外はまったく分からなかった。


「目的は源五郎に茶の湯を学ばせることよ」

「はあ。茶の湯ですか?」


 茶の湯のことは聞いたことがあった。

 なんでも京や堺で盛んに行なわれているものだ。


「そうだ。俺も嗜んでいるが、きちんと習っていない。ゆえに源五郎に習わせて、茶の湯とはいかなるものかを学ばなければならん」

「茶の湯を……」

「俺は近い将来、茶の湯は重要な道具となると睨んでいる。鉄砲と同じくな」


 よく分からないけど大殿が断言したのだから、そのとおりだろう。


「千宗易なる僧に渡りを付けている。堺にてそやつを訪ねよ。ついでにお前も習ってこい」

「えっ? よろしいのですか?」

「許す。源五郎だけでは不安でもある。あやつは気まぐれだからな」


 僕は深く頭を下げた。


「かしこまりました」

「それから堺までの道中は可成と共に行け」


 すると柴田さまと同い年くらいの侍が頭を下げた。

 もしかすると、この方は森可成さまだろうか?

 織田家で武勇の誉れ高い、森可成さま。

 大殿と似た雰囲気の美男子だった。もしも大殿がお年を召されたらこんな感じになるんだろう。そう思うような人だった。


「大殿。源五郎さまの護衛、お任せくだされ」


 森さまは大声で言った。


「よし。出立は明日とする。準備は怠るなよ」


 大殿が柴田さまと丹羽さまと一緒に立ち去った後、森さまは僕に向かって言った。


「線の細い子供だな。よし、道中でいろいろ教えてやろう!」


 少しだけ、不安になった。




「堺で茶の湯修行か。頑張って励めよ」


 藤吉郎は羨ましそうな顔で言う。

 出立の晩。僕は藤吉郎の部屋で食事をしていた。

 何故かいつもよりも豪勢な料理が並んでいて、とても美味しい。


「茶の湯なんか習って、どうするんだろうな」

「決まっておろうが。政治に利用するのだ」


 藤吉郎は簡単に言ったけど僕にはピンと来なかった。


「どういうこと?」

「そうだな。まあ茶は庶民でも飲んでいるし、闘茶など賭け事にも使われていたが、それら下賎なものと線引きしたのが、村田とか言う人物らしい。以来、公家や京や堺の商人の間で流行っている。ま、やんごとなきお方の文化でもある」

「うん。それで?」

「尾張を統一した大殿は次に狙うのは美濃だが、その先に目指すものはなんだ?」


 僕は少し考えて「天下を治めること?」と答えた。


「そうだな。この場合の天下とは京、あるいは畿内のことだ」

「うん。そうだね……あ、上洛ってことか」

「上洛するということはやんごとなきお方たちと関わるということだ」


 だんだんと分かってきた。


「じゃあそのやんごとなきお方との交流を深めるために茶の湯を習う必要があるのか」

「おっ。察しがよくなってきたな。茶の湯を知らぬ大名は田舎者扱いされる。だから否応なく習う必要があるのだ」


 藤吉郎は賢いなあと尊敬の眼差しで見つめると「これは丹羽さまの受け売りだがな」と顔を背けた。

 黙っていればいいのに。意外と正直者だった。


「だから一門の源五郎さまに習わせるのか。でも僕も習っていいのかな」

「いいんじゃないか? 一応わしに大殿が話を通してきたしな」

「うん? 家来の家来だからいちいち許可なんているのか?」

「当たり前だ。そもそも陪臣に命令などできぬわ」


 呆れたように言う藤吉郎。


「でも茶の湯を習えば、役に立つってことだな」

「そうだな。大殿のために――」

「違うよ。藤吉郎のためだよ」


 僕のこの一言に藤吉郎はきょとんとした。


「だって僕は藤吉郎の家来なんだから。それに信行さま――じゃなかった、行雲さまを助けてくれた恩もあるし」

「……恥ずかしいことを恥ずかしげなく言うものだな。おぬしは」


 ぽりぽりと頬をかく藤吉郎。


「まあよい。明日出立だったな。遅れぬように気をつけよ」

「うん……それにしても今日の料理は美味しいな」


 とても藤吉郎が作ったものとは思えない。

 すると何故か嬉しそうな顔をした藤吉郎。


「ふふふ。これはおなごが作ってくれたのよ」

「おなご? 誰だよ?」

「浅野長勝さまの養女、ねね殿よ」


 しまりのないにやけ顔で自慢が始まった。


「気立ての良いおなごよ。歳は若いが、数年後には美女になるだろう。しかもわしを好いておる」

「珍しいね」

「……珍しいとはどういう意味だ?」

「えっ? えっと、その、気立てが良くて美しいって人は珍しいから」


 藤吉郎は「そうだろうなあ」と頷いた。

 なんとか誤魔化せたみたいだ。


「おぬしが懸想しているお市さまもお美しいがな。ねね殿もそれなりに美しい」

「懸想なんてしてないよ」

「ふふふ。何を照れておるのだ? 好意はおなごに示さないと意味がないぞ」


 そんな会話をしつつ、夜は更けていった。

 ねね殿に会うのは、僕が織田家に帰ってきてからだった。

 それはちょうど一年後のことになる――

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