第3話尾張の大うつけ

 尾張の清洲――今まで訪れたことはなかったけど、こんなに活気のある市だと思わなかった。路傍で倒れている人はいないし、物乞いもいなかった。商人たちが店を出して、品物も充実しているように見える。


「ほほう。信長は大うつけと聞いていたが、意外とそんなことはないようだな。駿府より劣るが盛況さにおいては同じだ。数年前と段違いとは」 


 藤吉郎も感心したように周りを見渡した。確かに離れていた故郷が栄えていたら驚くだろうけど。


「まずは飯だ。酒場に行こうぞ」

「うん。だけど、僕はお金を持ってない――」

「山賊に盗られたと言ってたな。安心しろ、おごってやる。なに、出世払いで返してくれればいい」


 そう言って近くの酒場に入っていく。僕も慌てて入った。

 中は昼間だというのに人がごった返していた。酒を呑んでいる者、食事をしている者、仕事を斡旋してもらっている者。そして賭け事をしている者と様々だった。


「いらっしゃい! お食事ですか?」


 酒場の女将さんがこっちに元気よくやってきた。


「おう。適当に見繕ってくれ。酒は要らん。白湯をくれ。それとご飯は大盛りでな」

「あいよ! ちょっと待っておくれ!」


 僕は「酒は呑まないのか?」と藤吉郎に訊ねた。


「これから信長を見に行くのだ。酔っていてはきちんと見れん」

「はあ。そういうものなのか」

「それに酔いつぶれてしまっては、夜におなごを抱けぬからのう」


 藤吉郎はにやにや笑っている。女好きだったのか。男で良かったと心から思える。


「そういえば信長は父親の葬儀のときに奇行をしたと風の噂で聞いたぞ」


 飯が運ばれてきて、さっそく食べ始めていると藤吉郎が信長についての噂を話し始めた。


「奇行? なんだそれは?」

「なんでも父親であり先代当主の信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつけたとされている。父親の葬儀だぞ? 普通はせんわ」 


 確かにおかしな話だ。父親を恨んでいたのだろうか。


「まあ武士の親子の関係はまるで分からんけどな」

「藤吉郎の父親はどうなんだ?」


 しばらく一緒に居たけど、そういう話は出てこなかった。


「わしの実父は既に亡くなっている。まあ義理の父親とはあまり仲が良くなかったけどな。それで家を出て、武士になろうとしたのだ」


 そんなことを愉快そうに言う藤吉郎。父親に対して何のわだかまりを覚えていないようだった。


「まあ父親のいないおぬしに話すことではなかったがな」

「気にしないでくれ。僕から聞いたのだから」


 飯も食い終わり、そろそろ出ようとしたときに見覚えのある顔が酒場に入ってきた。


「おい! 酒だ! 酒を持って来い!」


 五人ほどの男が入ってくる。乱暴な物言いで酒を要求してくる。だけど酒場に居た人間は慣れたもので、すぐに自分の行為に夢中になる。

 しかし僕はその男たちから目が離せなかった。


「うん? どうした? あんまりじろじろ見てると絡まれる――」

「あいつら、僕から金を奪った山賊たちだ」


 藤吉郎がちらりと山賊たちを見て「確かに金を奪いそうな顔をしているな」と言った。


「無茶なことを考えるなよ。金を奪い返そうだなんて。わしは自慢ではないが弱いぞ」

「……分かっている。気づかれないように出よう」


 僕だって弱いことを自覚している。だから女将に藤吉郎が勘定を払い終えるまで、顔を伏せていた。


「しかし、あのガキ。結構金を持っていたなあ」


 酒場を出ようとしたとき、山賊の下卑た声を聞いて、思わず足を止めてしまった。


「ああ。いい鴨だったぜ」

「殺そうとしたとき、あいつ土下座までしたんだぜ? そんなに生きたいのかよ?」

「てめえが生きててもしょうがねえのによ!」

「ぎゃははは! 確かにそうだな!」


 大笑いする山賊に僕は怒りを覚えた。許さないと思った。殺してやりたいと憎んだ。

 でも弱い僕ができることなんてない。仕返しなんて、できるわけがない――

 だけど。


「まったく、子供ってのは――」


 山賊の一人はそこまでしか言えなかった。

 藤吉郎が刀を抜いて後ろから斬りつけたからだ。


「ぎゃあ!」

「お、おい! てめえ、何を――」

「……我慢してやろうと思ったができぬな。反省せぬならさせてみよう」


 藤吉郎の目が暗くなっている。日輪のような笑みを見せていた、あの猿とは思えなかった。

 酒場中が大騒ぎになった。皆が藤吉郎から離れた。

 藤吉郎は山賊たちが刀を抜く前に一人の男の首筋に刀を添えた。


「この子供から奪った金子を返してもらおうか」

「――っ! てめえ!」

「山賊の親分なんだろう? 身なりと態度で分かるわ。さあ、親分が殺される前に出すんだな」


 山賊の一人が慌てて金子の入った袋を僕のほうに投げて渡した。

 中身を確認するとちゃんとあった。


「うん。あるよ、きちんと」

「そうか……次はないと思え」


 藤吉郎は刀を納めて、僕と一緒に出て行く。

 酒場を出ると藤吉郎は言った。


「よし。逃げるぞ!」


 その言葉通り、物凄い速さで駆け出す藤吉郎。

 唖然としながら、僕もついて行く。


「な、なんで逃げるのさ!」

「山賊共が追いかけてくるに決まっておろうが! 落ちついたら仕返しに来るだろうよ!」


 後ろから「待てこら!」という声が聞こえる。


「ならなんで酒場で殺さなかったのさ!」

「人なんて殺したくないわ! 斬りつけた山賊も息があるだろう!」


 ああもう! 考えがあるのかないのか、はっきりしてほしい!

 そりゃ斬りつけたときは格好いいと思ったけど!


「おおっと!」


 藤吉郎が石につまずいてこけてしまった。すぐ後ろで走っていた僕も藤吉郎にぶつかって倒れてしまう。


「いたたた……」

「……逃げ足の速い猿とガキだな」


 ハッとして起き上がるとぐるりと山賊たちに囲まれていた。


「……藤吉郎、どうする?」

「うーん。土下座しても許してくれるとは思えぬな」


 ここで僕は死ぬのか。死んでしまうのか。

 そう覚悟を決めて、目を閉じた。

 そのとき――


「……俺の国で何をしている?」


 その声で目を開けた。

 馬に乗っている男。かなり着物を着崩している。髪もきちんと髷を結っていない。噂に聞くかぶき者というやつだろう。

 かなりの美男子で目つきが鋭い。そして何より圧が凄かった。この場に居る者全てを飲み込んでしまうかのような、そんな威圧感。


「て、てめえ! 何者だ!」


 山賊の親分が虚勢を張って、誰何した。刀を抜いているけど、震えていた。


「国の主も知らずに、狼藉を働いていたのか」


 そう言って馬から降りて、僕と藤吉郎の目の前で、山賊の一人を――斬ってみせた。


「無知は万死に値するな」


 血飛沫を浴びながら、男は何事もないように言う。


「ち、ちくしょう! お前ら、やっちまえ――」


 親分がそう言って部下をけしかける。でも残り二人になった山賊は動けなくて――


「ふん。つまらぬな」


 男は山賊の親分の目の前に来て、袈裟切りに斬り捨てた。断末魔を上げる間もなく、山賊の親分は崩れ落ちてしまった。他の山賊は腰が抜けてしまったようで、抵抗しなかった。

 周りの人々は何も言わずに見ていた。いや見るしかなかったのだ。


「大殿! 何をしているのですか!」


 大通りを数人の武士が駆けてきた。血ぶるいをして刀を鞘に納めた男はやってきた武士たちに言う。


「山賊を討ち取った。そこの者は牢屋に入れよ」

「相変わらず無茶をなさいますな……」


 呆れたように言う武士の一人に男は笑って言った。


「勝三郎、許せ」


 その笑みは先ほど残虐な行為をしていたとは思えないくらい穏やかで幼いものだった。


「それで貴様らはどうして山賊に追われていたのだ?」


 男が僕たちに訊ねてきた。突然話しかけられたのでたじろいてしまった僕。だけど藤吉郎が代わりに答えてくれた。


「はい。実は、この子供が山賊に金子を盗られてしまいまして。それを取り返した際に、このような――」

「ほう。子供の金子を。貴様、何と申す?」


 藤吉郎は姿勢を正して、大声で言った。


「わたくしは、木下藤吉郎と申します――お殿さま」


 えっ? お殿さま? じゃあこの人が織田信長?

 男――信長はにやりと笑った。


「貴様は俺の顔を見たことがあるのか?」

「いえ。しかし先ほどのやりとりで分かりもうした」

「なかなかに賢いな。この姿を見ても、織田信長だと分かるとは」


 愉快そうに笑う信長に応じて笑う藤吉郎。


「貴様は猿に似ているな」

「へえ。よく言われます。前に仕えていた今川家でも猿と――」

「何!? 今川だと!?」


 勝三郎と呼ばれた武士が刀に手をかける。他の武士たちも同じくそうした。


「今川の密偵か!?」

「落ち着け。この猿は今川家を出奔したのだ」


 この信長という男も藤吉郎と同じくらい賢いな。


「どうして出奔したのだ?」

「上の者が部下を選ぶように下の者にも主人を選ぶ自由があるのですよ」


 そして藤吉郎は平伏して信長に言った。


「お殿さま。是非、この藤吉郎をあなた様に仕えさせてください」

「この無礼者! そのようなことを――」


 勝三郎が怒ろうとするのを信長は制して、藤吉郎に言った。


「面白い。猿、お前を下働きとして雇ってやる」

「大殿! そんな――」

「ははっ。ありがたき幸せ!」


 勝三郎が答える前に、藤吉郎が応じてしまった。

 これで藤吉郎は信長の家来になったのだ。


「そこの子供。貴様はどうする?」


 今度は僕に声をかけた信長。どこか品定めしているような目だった。


「僕は藤吉郎について行くだけです」

「ふむ。猿よ、既に家来がいるのか」

「いえいえ。そんな大層なものでは……」

「そのほう、名前はなんだ?」


 僕は正直に言った。


「名前は分かりません。昔の記憶がないのです」

「そうか。では俺が名付けてやろう」


 信長は空を見上げた。つられて僕も上を見た。昨日の雨が嘘のように晴れていて、青空に小さな雲がぽつんとあった。


「決めた。貴様は今日から雲之介(くものすけ)だ」

「く、くものすけ……」

「猿といえば金斗雲だからな」


 訳の分からぬことを満足そうに言って、信長は馬にまたがった。


「ついて来い。城へと案内してやる」

「ははっ。ゆくぞ雲之介!」


 すっかり僕は雲之介になってしまったらしい。

 でもなんだか楽しい気分になった。


「うん。分かった。僕はあんたたちについて行く」


 立ち上がって僕は信長を追う藤吉郎の後について行く。

 これから僕の武家奉公が始まるのだ。

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