新宿異能大戦㉙『この世の何より愛してる』

 11時08分、新宿大ガード下。


「ミシェル=クロード=オートゥイユ……!」


 唖然とした表情で、英人は口を開いた。


「フフ、ごきげんようムッシュー・ヒデト

 こんな所で奇遇ですわね?」


 第五共和国『国家最高戦力エージェント・ワン』、ミシェル=クロード=オートゥイユ。

 伝統と革命の国で最も力強いその女性は、薄汚い青梅街道をまるでシャンゼリゼ通りの如く優雅に歩く。

 それはあまりにもミスマッチ過ぎる光景だったが、それでも華があると思わせるだけの強引さと貫禄を、この最強の女性は持っていた。


「しかし、汚い街ですわね。

 まぁパリにもこういう区画はありますが、シンジュクは東京でも有数の都市の筈では?」


「こういうモンなんだよ、新宿ってのは。

 それよりコイツの相手は俺がやる。お前は周りの暴漢達を」

  

「あらそれは困ります。

 これは私の受け持ちですも――」


 ふわりとした歩幅でミシェルが前に出る。


――ッ、ガキイイイイィンッ!


「のッッっ!!!!」


 その刹那、閉じた日傘がレックスの放った拳を受け止めた。

 ちょうど、英人を庇う形である。


「殺そうとしたのに、邪魔をされた……これは、殺さなければならない……!」


「分からない御仁ですわね!

 相手を選ぶには貴方じゃなくて、私ですのよッッッ!」


 淑女の叫びと共に、レックスの腹部に拳がめり込む。

 高密度の金属ぶつかったかのような、れき音。

 そのままレックスの巨体は浮かび上がり、数メートルほども後ろに飛んだ。


「あら軽い。

 男であれ女であれ蜥蜴とかげであれ、中身が伴わなければ笑いものですわよ?」


「しかしミシェル、奴は……」


「ええ、この世界の生物ではないのでしょう?

 もちろん存じていますわ」


 言いながら、ミシェルはドレスをはらりと揺らして振り返った。

 浮かぶ笑顔にはいつもの優雅さが漂っている。つまり彼女は、あの『竜人ドラゴニュート』を倒す気だということだ。


「ですがこの世界において仇なす以上、矢面に立たぬわけには参りません。

 それが貴族であり、そして『国家最高戦力エージェント・ワン』でもある私の努め。

 だから貴方は貴方らしく街を駆けずり回って命を拾って下さいな。

 いつものように、全力で」


 その言葉に英人は数瞬沈黙した後、


「……分かった、言葉に甘える」


 ゆっくりと口を開き、答えた。


「ええ。貴方も今回は色々と立て込んでいるようですし、それが良いでしょう。

 それに私も――」


 ミシェルは小さく息を吐き、口角を上げて拳を鳴らす。


「ああいう大男を殴りに殴って差し上げることが、幼いの頃からの夢でしたの。

 ですから邪魔しないで下さる?」


「……はっ、あんまりやり過ぎるなよ?」


「ご心配なく、淑女です御座いますから」


「そういやそうだったな」


 笑みを浮かべながら、二人は互いに背を向けてそれぞれの目的へと対峙する。

 ミシェルは第三位、そして英人は大切な人を求め次なる戦場へ。 


「行くか」


 その足取りは、幾分か軽やかなものになっていた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 午後11時10分。

 北新宿、大久保通り付近。


「――ったく、んだよアイツはぁッ!?」


 エスニック、焼肉、カレー。

 異国の文化が雑多に集う路地を、第六位アンドレイ=シャフライは息を切らしながら駆けていた。

 それを追うのは、トレンチコートに身を包んだ長身の男。


「クソ、あの野郎も『国家最高戦力エージェント・ワン』とかいう奴かよ!

 なんだって俺の方にぃ……!」


 アンドレイはただ、効率よく人を殺したかった。

 だから基本的に争いから逃れた人々が流れる北新宿界隈は、絶好の狩場だった。なのにこの男は突然現れ、蛇のようにしつこく追い掛け回してくる。


「ああしつけぇ! さっさと諦めやがれ!」


 あんな化物とまともに相手した所で、何の得にもならないのは先日の件で証明済み。

 つまりここは逃げるが勝ちだ。


「だから、道を開けろぉ!」


 アンドレイは行く道を遮る参加者をその手で破壊しようとした時。


「……それは、させない」


 身体の芯まで響くような衝撃が、左の脇腹を襲った。


「ガハぁッ!?」


 瞬間、アンドレイの身体は面白いように真っすぐと右に吹き飛び、ゴミ袋の山に激突する。

 おそらくそのままコンクリートの壁に激突していれば、そのまま気絶していたことであろう。


「テメェェェェェッ……!」


 だが当然そんな幸運に感謝することもなく、アンドレイはふらふらと立ち上がってその男を真正面から見つめた。


「……連合王国『国家最高戦力エージェント・ワン』、ケネス=シャーウッド。

 国連軍の責務に従い、貴様を抹殺する」


 ケネスはそれを、冷めた目で見つめ返す。

 しかし次の瞬間、目にも留まらぬ疾さでケネスは彼我の距離を詰めにかかった。


「ぐ、おお……っ!?」


 だがアンドレイとて、ただでやられる程の能ではない。

 彼はたじろぎながらも野性的な本能で最適解を選択し、手元のごみ袋を掴んで投げた。


「――!」


「はっ、目くらましってな!

 こちとら喧嘩慣れしてんだよ! ぶっ殺してやる!」


 威勢のいい言葉はブラフ

 それに人間の心理として、いきなり視界を塞がれたら必然的に思考は守りに入る。その上で来るはずもない攻撃を待ってくれれば、逃げる時間としては十分だろう。

 そう、その結論に至った点でいえば、アンドレイにミスはなかった。

 しかし、


――ゴギィッ!


 相手は、『最高』の人間だった。


「ガァッ!?」


 ごみの隙間から正確に顔面へと拳を叩き込まれ、アンドレイの肉体は二回転して地面に打ち付けられる。

 あまりにも精密なその一撃は、ただの一発で顎の骨を粉砕していた。


「ゴ、ゴ……フゥウウッ、ガッ。

 アガガアアアアァッ!」


「……逃げる時間を稼ぐために虚勢を張る……その癖はすでに織り込み済みだ。

 逃がしはしない」


 まるで瀕死の獣のようなうめき声を上げるアンドレイに、ケネスは一歩一歩近づいていく。

 その静かさは、死神すら想起させた。


「ヴ、ヴヴヴゥゥッ!」


「……アンドレイ=シャフライ、連邦国籍の43歳。

 傷害、殺人、強盗、放火、強姦……冷戦終結後の混乱期に乗じ、あらゆる犯罪を日常的に行ってきた男。通称『ヴォルガの殺人鬼』。

 その動機は一貫して利己的なものであり、言葉が気に食わない、肩がぶつかった、注意された……ただそれだけで人を殺める。

 その被害者は多岐に渡り、手始めは身寄りのない老人やその日を必死に生きるストリートチルドレン。次に隣人、友人、家族を経、警察や軍隊、政治家高級官僚――」

 

 

「そして先代『国家最高戦力エージェント・ワン』、エドワード=シャーウッド」


「ア”ア”ア”ア”ッ!」


 ケネスの言葉を待たず、殺人鬼が両手を突き出して突進してくる。

 皺と手垢に塗れたその手は、その気になれば人体を十秒足らずで崩壊させてしまう凶器。

 しかしケネスはまるで地面に落ちたものを拾い上げるかのように容易くその手首を掴み取り、無力化した。


「グ、ウ……!」


「……『破壊デストロイ』、だな?

 これまでのデータから、手で触れた細胞組織を崩壊させる能力と既に断定されている。

 ……もし間違いがあるならば、この場で訂正願いたい」


「バッ、アゼェェェエッ!」


「……そうか」


 返事と共に繰り出されたのは、蹴り。

 それはまたも正確に顎を貫き、アンドレイの身体は四メートルほども宙に飛んだあと地面に落下した。


「……ア”、ア”…………!」


 血泡を吐きながら、震えるアンドレイ。

 瀕死とも言えるその身体に、普段物静かな男は僅かな怒気を含んだ足音で再び歩み寄った。


「……個人的な感情はあるが、責務を蔑ろにするわけにはいかない。

 ……これで、最後だ」


 止めを差すため、ケネスが拳を静かに振り上げた時。


「おい! あれ『使徒』と『国家最高戦力エージェント・ワン』って奴だろ!?

 ラッキー、これで一気に100ポイントじゃん!」

「まずは俺が先だ!」

「いやこっちが先だろ!」


「……参加者たちか」


 周囲から集ってくる十人以上もの暴徒の存在が、ケネスの拳を止めた。

 会話を聞く限り、おそらくはポイントに釣られた参加者だろう。


「……待て、この男は私が預か」

「死ねえええっっっ!」


 制止の言葉などまるで耳に届かぬと言わんばかりに、暴徒は鉄パイプを容赦なく振り下ろす。

 さらに周囲では、『異能』の行使を行おうとする者も数人見えた。


「……仕方なし、か」


 ケネスは小さく息を吐き、まずは彼等の制圧へと乗り出す。

 しかしその間の僅か十数秒、そのたった十数秒が致命的だった。


「…………ガ、バアアアッ! ア”ッ!」


 誰よりも利己的な悪魔に、復活の機会を与えてしまったのである。


 意識を取り戻したアドンドレイ口の中に溜まった血を吐き出し、顔を上げる。

 もはやその目に映るのは、ケネスだけではない。


「――ゴ、ア”……!」


 周りで暴れる参加者も、自身の命を狙う不届き者も、まるで自身を異常者かのように見つめる傍観者も、彼に取っては全て敵。

 そして敵は、必ず殺す。絶対に嬲り殺す。


「ゴヴ、ア”ッ、ア”イ”イ”ン”ッッ!」


 ――ゴオオオオオオッッ!


 崩れた発音が響いた瞬間、黒い嵐が赤髪の男をその周囲ごと覆いつくした。

 まるで舌のように不快な湿気と臭いを放つ風に、その場の誰もが立ち尽くす。


「――全部だ、」


 しばらくして嵐が止み、その中から現れたのは、獣。

 牙を持ち、爪を持ち、そして腕の如き翼を背中に生やす、禍々しい利己の害獣。


「俺の機嫌を損ねるやつは、全部殺して壊して、喰ってやる……!」


 人の姿をした悪魔は、完全なる悪魔へと変貌を遂げた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 午後11時12分、新宿小滝橋。


「……見えた…………!」


 美智子のキーホルダーを握りしめながら、英人は目を見開いた。

 『看破の魔眼』を通して映るのは、美智子の姿。オフィスの会議室のような光景から察するに、居場所はおそらくは茅ヶ崎ビルであろう。

 ダメ元でやってみた行為ではあったが、ここに来てようやく美智子の無事を確認できた。


 しかし、同時に疑問も残る。

 これまで『看破の魔眼』すら届かぬ異空間に幽閉していたというのに、何故外に出したのか。

 考えられる理由としては、


(晒してもいい、という段階になった訳か……!)


 既に茅ヶ崎ちがさき十然じゅうぜんはこちらを待ち受ける体制にあるということ。

 つまりはこちらに挑戦状を突きつけたわけである。


「参加者なんざ放ってさっさとこっちに来い、ってか……?」


 確かに『新宿異能大戦』が開始したことで、人質としての美智子の役割は半分以上達成されたと言っていい。

 だからこそあえて晒し、こちらの注意を引くという目的に運用を変えたにだろう。


 英人はギリ、と歯を食いしばった。


「上等……!」


 確かに美智子の無事を見てしまった以上、どうしたって思考がそちらに向いてしまう。

 それはたとえ百戦錬磨の英人であっても同様で、戦闘中なら猶更だ。

 ならばここは敵の手に乗る形になろうとも、速攻で片を付けることが得策。

 上手くすれば最高幹部も倒すことができ、『新宿異能大戦』の進行にも一定の影響を及ぼせるかもしれない。


「待ってろ……!」


 新たな決意と覚悟を胸に、遠方にそびえる茅ヶ崎ビルを捉えた時。


「――おや、私を置いて他の女の所へ向かうのかい?」


 聞き慣れた、それでいて聞きたくなかった声が耳に入った。


 英人は反射的に脚を止め、ゆっくりと振り返る。


「やぁ、八坂君」


 それは、何度も日常で見てきた姿。

 何度も取り止めのないことを話し、何でもない時間を過ごしてきた姿。


 でもあの頃と同じなのは、目で見える姿とカタチだけ。

 今はそれ以外の全てが違っていて――


「…………泉、代表……」


「いい響きだ。

 愛しているよ八坂君、この世の何よりも」


 目の前にいたのは、ひたすらに偏った愛を持つ存在だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る