輝きを求めて①『おもしれ―女』

 ――もし、学生時代に戻れたら。


 最近、そんなことばかり考えている。


 おそらくそれは自分に限らず、大人であれば誰しも一度は考えた事のあるであろう妄想。

 そしてその舞台は幼稚園でも小学校でも中学校でもなく、決まって高校。


 自分らの摩耗しつくした感性では小学中学の生活や話題にはとても馴染めない。

 だが自他ともに心身が成熟してきた高校生なら、話は別だ。

 高校でなら、大人になってしまった自分でも存分に青春を謳歌出来る。


 そう、つまり大人たちは皆「高校生」をやり直したがっているのだ。

 個々人の差異があるとすれば、妄想する頻度くらいなものだろう。


 授業にテスト、部活に通学。

 そして――恋愛。


 当時は面倒に思うことのあったそれらも、今となっては全てが宝石のように眩しい。


 ああ人生、こんなはずじゃなかった。


 薄暗い自室に一人。

 今は部屋の電気を点けることすら煩わしい。


 そう、これが今の自分の現実。

 真っ暗闇でこそないが、同時に輝きもしていない空間。

 そしてそこにたったの独り。


 今の自分は、光と闇どちらでもない。いや、なれなかった。



 ……ああ。



 あの頃に戻りたい。

 青春をやり直したい。


 全てを知る今なら、もっと上手くやれる筈だ。

 自分はより輝けるはずだ。


 そして、今度こそ――






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 10月中旬。

 早応女子での『十月祭』から、およそ一週間が経った。


 季節はより秋色を深めつつあるが、英人の日常は変わらず。

 今日も今日とて、キャンパスに講義を受けに来る毎日だ。


「……しょっ、と」


 三限の講義がある教室の椅子、それも前から三列目に英人はゆったりと腰を掛ける。

 現在時刻は12時35分、講義開始まであと25分程だ。


 基本的に昼食を手早く済ませてしまうため、席に着くのはいつもこんな時間になる。

 そして講義が始まるまでの時間、スマホをいじったり読書をしたりして潰すというのが英人の日常だ。


 というわけで英人は今日も、まばらに埋まった教室内でスマホを見始める。


 ちなみに彼がよく見るのはメッセージアプリについてるニュース欄。

 1分程度でさらりと読める記事が多いので、大まかな時事問題を辿るには結構重宝するのだ。


「『横浜局所地震、完全復興へ』……」


 その中でふと気になる記事を見つけ、英人はページをスクロールする指を止めた。

 見出しから言って、おそらく7月末に起きたクロキア事件の記事だろう。


 当事者の一人として、これは見逃せない。

 そう思った英人は早速そのページを開いた。


(……成程ね。

 あの辺りもようやく完全に直ったわけだ)


 記事を読み終えた後、英人は自嘲するようにフッと笑った。


 内容としては、取材した事実を淡々と述べるスタンダードなもの。

 特に大きな損害が見られた山下公園や横浜ランドマークタワーの地震被害(世間ではそうなっている)に触れられていた。


 記事によるとどうやら両施設ともつい先週に修繕を終えたようだ。

 事件から早二か月以上、もうその爪痕すら跡形もなく消え去ったと見てよいだろう。


 どことなく寂しさを感じはするが、喜ばしい事には違いない。

 そう思いつつも、英人は液晶の「戻る」をタップして記事一覧へと戻った。


「……で、なんの用だ?」


 そしておもむろに左を向き、一人飛ばした席に座る美女に話かける。


「……講義を受けに来ただけよ。

 悪い?」


 対する美女の方はその言葉にサラリと返した。

 それは長い黒髪で全体の表情こそ見えないが、それでも美女と分からせるほどの美貌と存在感。

 そして英人はその美しさの持ち主をよく知っている。


 そう、東城トウジョウ 瑛里華エリカだ。


「別に、悪いだなんて言ってない。

 ただいきなり近くに座られたら気にもなるが」


「そう、ね……確かにそう思うわよね。

 でも別に、用事なんてないわ」


「そうか」


「そうよ」


 そして二人の間に奇妙な沈黙が流れていく。


 英人はそれを特に気にすることもなく、引き続きスマホいじりを再開する。

 しかしどうした事か、瑛里華の方は先程から微動だにしない。


「……大丈夫か?」


 ついにはその様子を見かね、英人はぼそりと語りかけた。


「だ、大丈 《夫じゃないんだよね、これ》……ッ! ちょっと!」


「お、『そいつちゃん』も一緒か」


《いやーどうも英人さん!

 ブランド物のバッグの中からコンニチハ! ってね!》


 英人はバッグの方へと視線を移す。


 このバッグに入っている手鏡こそが『そいつ』の本体である瑛里華の『異能』だ。

 ちなみに今回は周囲に配慮してかやや声のトーンは抑え目。


《いやー『私』ったらせっかく隣に座ったのにこの体たらく。

 用事がないのはいいけど、話題の一つもないという。

 情けないったらありゃしませんわ!》


「うっさいわね。

 今考えてたのよ」


 瑛里華は頬杖をつき、ぶっきらぼうに返す。


《で、思いついたの?

 いや結果は分かってるんだけどもさ》


「……」


 だが瑛里華は無言で口を真一文字に結んだままだ。


《やっぱりな》


「別に無理せんでも

 しかし話題ね……あっそうだ。

 ミス早応だミス早応」


 英人はスマホを閉じ、瑛里華に話しかける。


「ミス早応?」


「ああ。だって来月『田町祭』だろ?  

 つまり今年のミス早応グランプリもそこで決まるってわけだ。

 とくれば昨年度のミス早応として、何かあるのかと思ってな」


「……特にはないわね。

 まあ出てる子は一応全部チェックはしたけど」


 瑛里華はあまり関心がなさそうに答える。

 しかしそれでも目つきが真剣身を帯びているあたり、完全に無視しているわけではないのだろう。


 何故なら今年の出場者である彼女らは言ってしまえばいずれ瑛里華と競合する可能性もある存在。

 最低限のリサーチ位していても不思議はない。


「へえ。さすがはぶっちぎり一位でグランプリを取った実力者。

 あくまでミス早応は通過点、と」


「ま、言ってしまえばそうね。

 ミス早応なんてのはあくまで数ある肩書の一つ。それも鮮度に限りのある、ね。

 もう一年経つわけだし、あまりこだわっていても仕方ないわ。

 今年の出場者ならともかく、私は次のことを考えないと」


 瑛里華は腕を組み、鋭い目つきで前方のホワイトボードを見つめる。

 先程とはまるで別人のような表情、この話題を振ったのはある意味正解だったらしい。


「次、か。

 となるとなんか目標というか、なりたい職業でもあるのか?

 やっぱミス早応らしくアナウンサー?」


「なくはないわね。

 実際テレビ局の人からそういう話題を少し振られたこともあったし」


「おお、実質スカウトか。すごいな」


 英人は合点がいったような表情をする。


 これまでの経験で分かったことであるが、普段の瑛里華は話し方がとても綺麗だ。

 おそらく自身が衆目を集める存在だと熟知しているからなのだろう、相手を不快にさせない話し方や間を心得ている。

 アナウンサーのような人前で喋る職業にはうってつけだろう。


 問題は英人相手にその話し方を徹底してくれない所だが。


「でもうーん……なーんか違う気がするのよねぇ……」


 しかし瑛里華の表情はどこか浮かない。


「ん? なんでだ」


「だって女子アナって基本、スポーツ選手と結婚して終わりじゃない?

 天井が決まっているというか……あまり旨味を感じないのよね」


「なんつー偏見だ」


 英人は唖然とした表情を見せるが、瑛里華は続ける。


「そもそもね、私はこの顔を使ってお金や地位のある男を捕まえたいわけじゃないの。

 私はこの顔を含めた自分の実力で、お金と地位を得たいのよ」


 その瞳に、嘘や偽りは一切ない。

 彼女は本気で己の美貌と実力で上り詰める気なのだ。


「……へえ」


「可笑しい?」


「いや別に。

 しかし何気なしに聞いたら、とんでもないのが出てきたな。

 でもうん、いいんじゃないか?

 そういうのも悪くないと思うぞ」


 そして英人は優しく笑う。

 今の時代、このような野心を持つ人間は多くない。

 その意味で彼女の夢は英人にとって新鮮だった。


「そんなこと言いながら少し笑ってるし……」


「これはそういうんじゃないって。

 それより美貌でのし上がる、か……現状ライバルとかいんの?」


「ライバル?」


 瑛里華は首を傾げる。


「ああ。この先自分と競合しそうな相手だ。

 ほら、芸能界を始め色んな業界に美人っているじゃん?

 誰かマークというか、目標にしてる人とかいんの?」


「うーん、そうねぇ……。

 まあマークや目標とはいかないけど、私と同等以上の美人だと思ってる人はいるわ。

 とりあえず二人だけね」


 瑛里華は左手の指を二本上げ、英人に指し示す。

 しかし日本(下手をすれば世界?)で二人とは、謙虚なのか傲慢なのか。


「ちなみにそれって?」


「一人は女優の水無月ミナヅキ 楓乃カエノ

 これは文句なしね。全国民が認めるトップ女優で、海外までいきそうだもの。

 しかもそれは卓越したルックスはもちろん、抜群の演技力も持ってこそ。

 まさに外見と中身を両方武器にしてる人間ね」


 瑛里華は尊敬と畏敬を込めた声色で説明する。


 彼女の言う通り、水無月 楓乃は日本を代表する若手女優だ。

 そのクールでミステリアスな美貌は強豪揃いの芸能界でも随一であり、それでいて実力派女優という完全無欠さを誇る。


 出るドラマは度々世間の話題をかっさらい、高視聴率をマーク。

 低迷続くテレビ業界における救世主としての地位を築きつつあり、まさに新時代のスター女優とも言える存在だ。


 そして近々ハリウッドデビューも期待されるなど、確かに瑛里華の口からその名が上がっても全くおかしくはない。


「まあ順当っちゃ順当か。

 確か俺より一個下だけど既に国民的女優だもんな。

 そんでもう一人は?」


「……昨年のミス早応、白河シラカワ 真澄マスミよ」


「……なるほど。そういやそうか」


 神妙にその名を告げる様子に一瞬吹き出しそうになったが、英人はなんとか冷静に返事をする。


「ん? なによその微妙な表情……まあいいわ。

 それで彼女だけど、なんというか……一言でいえば謎ね。

 正直よく分からないわ。

 もちろんルックスはすごいわよ? 歴代のミス早応でもトップクラスと言っていいし。

 でも肝心の中身というか行動原理が全く読めないのよ」


「中身?」


「ええ。

 だって彼女、アピール期間中に食堂のチャーハンの画像一枚をSNSにあげただけでグランプリ取ったのよ?

 いくら外見が優れているとはいえ、そんなことある!?

 しかもそれほどの外見を持ちながら周囲の評判に執着がないというか、自由なのよ。

 ある意味、恐ろしいのはこっちね……」


 瑛里華は顎に手を当て、なにか悩んだように唸る。

 それほど白河 真澄なる少女は彼女の理解を超えた存在だということなのだろう。


「うん、確かに。

 言う通りかもな」


 対する英人はなんとも言えない表情で相槌を打ち続ける。


「ん? それって――」


 そしてその様子に疑問を持った瑛里華が口を開いた直後、遮るようにチャイムが鳴った。


「ほら、もう講義だ。

 教授も入ってきたし、私語は慎もう」


「ああもう、タイミングの悪い……」


 視線を前に移すと、教授は既に教壇に立っている。

 なんとなく惜しい思いをしながらも、瑛里華は渋々とレジュメとノートを机に出した。




 ――――――



 ――――



 ――



「――じゃあ今日の講義はここまで。

 次回のレジュメは明日アップするので、各自ダウンロードして持ってくるように」


 そして90分後。

 終了時刻ほほピッタリに講義が終了し、教室全体の空気が一気に緩まり始める。


 小学校以来、授業直後のよくある風景だ。

 英人のその例に漏れず、肩の力を抜いて背もたれに深く寄り掛かろうとする。


 しかしその時、ポケットに突っ込んだスマホが振動を始めた。

 何事かと思い画面を見てみると――そこにはヒムニスからのメールが来たという通知が。


「ん? 誰かからメール?」


「ああ。ここの教授」


 興味深そうに聞いてくる瑛里華を横目に英人は早速メールを開く。


(まさか、『異能』事件でもあったか……?)


 ヒムニスと聞いて真っ先に思い浮かぶのは『異能』もしくは『異世界』関連。

 若干の不安を感じつつもその文面に目を通すと――


『やあ。当然だけど君、この後暇だろう?

 なら新藤君と柊さんの面倒を見てくれない?』


 そこにはやや懐かしさを感じる名前と、突拍子もない依頼が書かれてあった。









《……英人さん、講義が終わったら用事があるってすぐ出てっちゃたね》


「……」


《せっかく話が弾んだもんだから、続きは落ち着いた所で話そうって口実でカフェに誘おうとしてたのにね》


「……」


《……結局話した内容が中二病感満載の野望(笑)と他の女ってどうなん?》


「……頼むから、それは言わないで」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る