第43話

 良壱はいつものように深夜になってから小部屋のドアを開けた。小さなデスクに置いたダンボールの箱からは、黄色いカサの柄が飛び出していた。押しても入らないと思いながらも、つい黄色いプラスチックの柄を手のひらで叩いてみる。

 電気を消し、真っ暗闇のなかで指を組んで集中をする。それをしたらどうしてそうなるのか分析をしたことは一度もない。ただ能力を授かった時点からずっとそうしている。

 あの黒とオレンジの渦巻きが見えはじめると、向こうの世界はもうすぐだ。しかし全身が烈しく回転することはわかるのだが、上昇しているのか、下降しているのかはまったくわからない。夜が明けるみたいに徐々に周りが白みはじめ、やがて躰が一瞬無重力のようにふわりとすると一気に周りの景色が網膜に映るのである。

 良壱の目の前に広がったのは、この前のマルチーズのモモちゃんと同じ黄色い花畑と小川が流れる光景だった。

 白いベンチに目を向けると、そこには赤いスカートに白のニットケープを羽織った小さな女の子がぽつんと前を向いて坐っていた。

「優花ちゃん」

 良壱はダンボールの箱を腹のところで抱えながら声をかけた。

 突然名前を呼ばれたからか、声のするほうに顔を向けたものの、その表情は怖いものでも見るかのように強張っていた。

「こんにちは」

 まずは優花ちゃんの警戒心を解かないといけない。

「………」

「大丈夫だよ。オジさんは優花ちゃんのママに頼まれて、優花ちゃんにお届け物を持って来たんだよ」

 ベンチの近くまで行くと、良壱はしゃがみ込んだ。そうすることで不安がなくなると思った。

「ママから?」

 優花ちゃんは目大きくして良壱を見る。

「そうだよ。それも、優花ちゃんの大好きなもの」

「優花が大好きなもの?」

「何だか当ててごらん」

 良壱は警戒心が解かれたのを見計らって優花ちゃんの隣りに腰を降ろした。

「何だろ? ええとォ、いま優花が欲しいのは、ゲーム機でしょそれからスマートフォン、自転車に大きなクマのぬいぐるみ」

 優花ちゃんは小さな腕を組み、首を捻りながら懸命に考える。

「ブ、ブゥーッ。残念でしたどれも外れです。正解は、これ」

 良壱はダンボール箱のなかから赤いレインシューズを取り出した。

「わあッ! キティちゃんだ。わたし、キティちゃんが大好きなの」

 優花ちゃんは片方だけ手にして、ためつすがめついろんな角度から眺める。

「ほら、これも」

 良壱は黄色いビニール傘を開いて見せた。透けて見える陽の光りがふたりを包んだ。

「ほんとだ。これもキティちゃんがついてる」

 優花ちゃんは履いていた靴を脱ぎ捨てると、良壱が持って来たレインシューズに履き替え、黄色いカサを担ぐようにして花畑に入って行った。突然花びらが大きくなったように見えた。歩くたびに黄色い花畑に赤い花が咲いた。

「優花ちゃーん、戻っといで。もうひとつあるんだ」

 良壱は大きく手を振りながら優花ちゃんを呼び戻す。

「まだあるの?」

 黄色いカサを肩に載せたまま訊く。

「そうだよ」ふたたびダンボール箱に手を入れると、半透明のタッパーを取り出した。「ほら、これも」

「なあに?」

 覗きこむ優花ちゃんの前でタッパーの蓋を取って見せる。

「やったァ、唐揚げだ」

 真四角のタッパーにはキツネ色をした鶏の唐揚げと、真っ赤なプチトマトがふたつ、それにブロッコリが入っていた。

「さあどうぞ」

 良壱はサランラップの包みを解いて、持ち手にピンクのキティちゃんがついたフォークを手渡してやる。

「ありがと」

 優花ちゃんはなかからいちばん大きい唐揚げを探すと、真上から突き刺した。

「優花ちゃん唐揚げ好きなの?」

「うん、だーい好き。ママが作ったのがいちばん好き」

 優花ちゃんは嬉しそうに首を左右に振りながら唐揚げを頬張った。

「オジちゃんもう帰らないといけない。そうそう、ママがね優花はおりこうさんにしてるかなって心配してたよ」

「優花、ちゃんとおりこうにしてるよ。優花はもうママに会えないの?」

 優花ちゃんは右手に唐揚げのフォークを持ったまま、あどけない顔で良壱を見上げる。

「そんなことないよ。いまは優花ちゃんと一緒に暮らすことができないけど、もう少ししたらママもパパも一緒だよ。それまで我慢してね」

 良壱は、優花ちゃんの瞳を見て涙が出そうになるのを必死でこらえた。

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