第104話 お姫さまと女の子と百合とお菓子 前編

 ここ二週間ほど趣味の創作を我慢してましたら、ついに力尽きました。

 pixivの百合文芸コンテスト第2回の結果も出るしもういいかなと、参加作品の改稿作業をしてしまいました。

 今回のは参加することに意義があるだったので、応援してた作家さんが佳作に入っていてよかったなと、気持ちもすっきりしたものです。

 カクヨムは夏コンテストがあるそうですが、ホラー部門がないのですよね、夏なのに。


 ちなみに、もしよろしければ、ご覧くださいませ。

 きれいホラーなのでスプラッタ表現はありません。

 「やって来る彼女」

 https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12713447


 ひたすらにきれいなものって、深みがないと言われてしまうことがあります。

 心の中は、どろどろでスプラッタなものが沈殿していて、そういうものをさらけ出すのが創作では訴えかけるものになるとされていますよね。

 それはその通りだと思います。

 そうした物語も好きです。

 が、そこを戦いながら掻いくぐって、あがいて、もがいて、上昇して、上澄みに到達すると、そこには、静かできれいな水面が広がっているのです。

 そこだけを描いた物語も、欲しくなるのです。

 百合も薔薇も鈴蘭も。

 美しい、かわいい、とも違うんですよね。

 きれい、は。

 

 

 さて、話は変わりますが、女の子をテーマにした面白い視点の本を読んだのでご紹介します。


 一冊目は、『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』原田有彩著 柏書房刊 2019

です。ちなみに著者さんはカドブンにエッセイを連載してます。


 くくりでいうとフェミニズム本かな、でも、民俗学や文学、心理学など多様な要素を含んで読み解かれていて、ひとくくりにしないで楽しむのがよいと思いました。

 体裁はエッセイです。


 まず、それぞれのテーマ(「どうしても欲しい女の子たち」「許さない女の子たち」「あれこれ言われる女の子たち」「抵抗する女の子たち」「運命を切り開く女の子たち」)の元になる昔話、神話、説話が、著者の語り風に紹介されます。

 そして、そこに登場する女の子たち(年齢不問)が、一見はかなげでかわいそうな顛末を迎えていても実はそれぞれに「ヤバい」ところのある、すなわち、ちゃんと自分の立場を主張し表明しているのだということが、著者の視点で述べられます。


 この、著者の視点が面白いのです。

 神話や文学作品は、著名なものがとられているので、わりとすんなりそうだよね、そうそうそんな風に自分も思ってたとなりますが、各地の伝承や昔話への言及は、なるほど、と興味深いものがありました。

 各章の間にはさまれいる四コマ漫画も、「女の子」の個性がわかるように描かれています。


 「女の子」全員ご紹介したいのですが、それではネタバレになってしまいますので、今回は「女の子」同士の友情? ものを一つ。

 

「運命を切り開く女の子たち」CASE STUDY 18

 友達とヤバい女の子――ちょうふく山の山姥


 どんな話が元になっているかと言いますと……


 ちょうふく山の山姥が子を産みました。

 山から降りてきた黒雲が、お祝いのお餅を持って来ないと村人を殺すと叫びまわりました。

 村一番の年寄りの「あかざばんば」が行くことになりました。

 山姥は、あかざばんばを歓迎してくれて、しばらくここにいてくれないかと申し出ました。

 山姥の親し気な様子に、あかざばんばは、合い分かったと、産後で弱っている山姥を献身的に世話をした。

 産後の肥立ちの二十一日が過ぎた頃、あかざばんばが帰ると言うと、山姥は御礼に美しい綾錦を差し出しました。

 あかざばんばは、村に帰ってからそれを村人たちに分けてあげました。

 その綾錦の反物は、切っても切っても無くならなくて、高価に売れて、村人みんなで幸せにくらしました、とさ。


 おばあさんを一人で危険な場所に行かせたのに、村人たちがみんな幸せというのは納得のいかないところですが……苦笑……そこはここでは置いておきます。


 この話で著者が着目したのは、強い立場の山姥と、弱い立場のあかざばんばの間に、そうした強弱の立場を越えた関係性が生まれていたのでは、という点です。

 昔話や説話には、喜怒哀楽といった感情は表わされていても、こみいった心情までは描かれていないことが多いです。


 「ちょうふく山の山姥」の話は秋田県の昔話なのですが、この元の話でもあかざばんばが山姥の世話をしていく中でうちとけていったという心情的な部分は描かれていないのです。

 そこをあえて深読みして、人と人の関係性には、「友情」「愛情」といった名前がつかないような関係性があってもよいのではないか、そうした関係性が尊いものであることもあるのではないか、と思いを馳せている著者の視点が、とても興味深かったです。


 この話での「ヤバい」部分は、あかざばんばが、明らかに人間を超越しているお恐ろしい存在の山姥を、人間の身内の世話をするように産後から回復するまでみてあげてしまうところでしょうか。

 山姥が回復したら、自分は殺されてしまうかもしれないにもかかわらず。


 多分、山姥へのあかざばんばの態度には、弱っている者への労りが自然とにじみ出ていたのだと思います。だからこそ山姥も、あかざばんばに気を許して、もしかしたら甘えていたのかもしれません。

 この話には、山姥の夫は登場しません。

 


 老いらく百合が一編できましたね。


 



 >「お姫さまと女の子と百合とお菓子 後編」へ、つづく

 

 

 


 

 




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