第23章 仇のストレイド
次の日は先生が来たので、ちゃんと診察が行われた。
昨日とは違って用事が無かったらしく、いつもの時間通りに屋敷にやって来たのだ。
「よう。昨日はこれなくて悪かったな、寂しかったか」
「だ、大丈夫です。先生がくれた本とか読んでましたから」
「……? そうか、それならいいんだ」
うわずりそうになる声を必死に取り繕って私は先生の言葉に答える。
先生は少しだけ不思議そうにしていたけれど、すぐにいつもの診察をする為に準備をし始めた。
「先生、あの……」
「何だ?」
「えっと、いえ。何でもないです」
聞きたい事があった。
けれど、私は聞けなかった。
先生なら笑って否定してくれるって思っていたけど、もしそうじゃなかったらと思うと、怖かった。
「どうしたんだ? 今日はなんか元気ないな」
「そんな事ないです」
「そんな事あるだろ。下手な嘘つきやがって、悩みがあるなら聞いてやる。嫌いなもんが食えないとか、夜お化けが怖くて眠れないとか、そんなだったらひたすら頑張れとしか言いようがないけどな」
「そんな事じゃないもん。……そんなんじゃないです」
「すねんなって」
こっちは真剣に悩んでいると言うのに、と口を尖らせればそんな悪びれない様子。
先生はとても優しいけど、時々意地悪な時があるから、そういう時は嫌いだ。
「さて、今日は何の話が聞きたい」
「えっと……」
先生の考えてる事が気になってたので、とても考えるどころではなかった。
いつもなら、どんな事が聞きたいか事前に決めておくのに。
思い付かないでいると、先生の方から内容を提案してくれた。
「だったら夜の魔女の話がいいか」
「夜の魔女?」
聞き覚えの無い言葉だ。
「ああ、一般には出回ってない話だけどな。俺の知り合いから聞いたやつだ。世界中の人達から嫌われ者にされちまった可哀想な女の子の話だ」
診察を進めながらも、先生はその物語を話聞かせてくれる。
それは一人の孤独な少女の物語で、強い力を持って生まれてしまった少女の物語。
たくさんの人を守る為に力を使うのに、その人たちからイジメられて仲間外れにされてしまう悲しい物語だった。
夜の魔女は、最後に正義の騎士によって討伐されてしまう。
「その夜の魔女さん、死んじゃったんですか」
「ま、そうなってるな」
「そんなの、可哀そう」
守りたかった人達に、悪者扱いされてずっと一人ぼっちだったなんてあんまりだ。
「誰も気が付かなかったんでしょうか。私だったら、その人は悪くないって皆に言ってあげるのに……」
「だったら、お前がその物語の続きを考えてやれよ」
「え?」
俯いて物語の中の人物に感情移入していると、先生からそんな思わぬ提案をされる。
「本を読むばっかりじゃなくて、たまには自分で考えてみるってのも良い暇つぶしになるかもしれないだろ」
そんなの、考えた事なかった。
お勉強とか礼儀の事とか、歴史の事とかならたくさん勉強してきた。
けれど私は、自分で本を書こうなんて一度も思った事なかったのだ。
「お前が考えてるより、楽しい事は世の中に溢れてんだ。たまには自分から探しにいってみるってのも悪くないだろ?」
先生は、ひょっとして元気がないと思って励ましてくれたのだろうか。
だったらやっぱりあの人が言った事は嘘だ。
先生がそんなひどい人なわけない。
先生を信じよう。
けれど、その時に私が抱いたそんな感情は、すぐに打ち砕かれる事となった。
翌日。
先生にサプライズを仕掛けて驚いてもらおう。
と、そんな事を提案したのは、私に不穏な事を教えた使用人のアンヌだった。
話した情報は誤りだったとそう告げた彼女は、お詫びにとそんな事を提案する。
すぐには信じられなかったけれど、先生の好きな食べ物を教えてくれたりして、よく行く所とか好きな動物とか教えてくれたので、つい油断してしまっていたのだ。
私は昔から人を疑うのが苦手だ。
だから、その時も彼女の企みに気づけなかった。
アンヌの提案に乗った私は、手作りのお菓子を渡す事に決めて、厨房で働いている人達に手伝ってもらった。
リハビリの為に軽い運動はむしろした方が良いと言われていたし、料理自体は自分でやった事が無かったので、すごく興味があったのだ。
そうして出来上がったお菓子を綺麗に包装して、先生が来る時間に、玄関ホールの近くにある角に潜む。
今まで先生と会うのは部屋だけだったから、外に出てるのを見たらきっと驚くに違いなかった。
「まだかなぁ……」
約束の時間はいつくるのだろうか。
もうすぐだろうか。
まだだろうか。
いつも時間通りにくる先生だけど、少しは早く来てくれる日があってもいいのに。
などと……、私はその時、ちょっと八つ当たり気味に考えていたりした。
その抱いた幸せの分だけ、どん底に突き落とされた時の悲しみが増す事も知らずに。
そして、とうとうその時が来た。
見えない角の向こうから足音、気配、そして話し声。
「ツヴァイ・ブラッドカルマだ。通してくれ」
「わざわざ本日もご足労ありがとうございます」
先生の声、そして応対するのはアンヌだ。
「今日はあのじぃさんはいねぇんだな」
「レットなら、所要で屋敷を離れておりますので」
話題に上がるのはステラに勉強を教えてくれる老人の教師だ
「ユースの野郎とケンカしたんだってな。意地張ってねぇで、さっさと和解すりゃいいのに」
「その言葉そっくりそのままお返ししますよ」
「何だよ、俺はケンカなんてしてねぇだろ。相変わらずあいつにこき使われて、この国の遺跡見てきてやってんじゃねぇか」
レットは王宮でも見てくれていたが、王族でなくなって追い払われたステラの為に、この屋敷までついて来てくれたのだ。
先生とレットはそれなりの知り合いのようだ。
レットは良い人だとは思う。
けれど、信じる信じないは別として、私はあの人とはあまり仲良くなれる気がしなかったのだ。
レットからはどこか他人を寄せ付けないような、深い悲しみを感じていたから。
まだ先生は近くにこない。
私が隠れているとも知らず、先生とアンヌは話し続けていた。
「仇は打たなくても良いのですか?」
「ここでその話はするなって言っただろ。ステラに聞かれたらどうすんだ」
「憎き王族に剣を向けなくとも良いので? あの人が死んだのは……」
「そうかもしれねぇけど。それはあいつがアホだっただけだ。俺には関係ないだろ」
あれ、何の話をしてるんだろう。
「なら、ストレイドは憎くはないと」
「そうは言ってねぇ。あいつは今でも殺してぇほど憎んでる。俺自身の手で片をつけるつもりだ」
その一言を聞いた瞬間、私は何も考えずにその場から走り出していた。
ただうわ言のように「嘘つき」だとそう呟きながら。
私は自分の部屋に逃げ込んで、鍵をかけて閉じこもった。
そんな事をしても無駄だと言う事は分かっていたのに、それでも他に行く場所がなかったのだ。
屋敷は、捨てられた私に与えられた唯一の場所。
そこから離れるなどという事は、考えられなかった。
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