第62話 要塞酪農
鉱山の町エノドアへの移住が終り、慌ただしかった日々から再びのんびりとした毎日が戻ってきた。
要塞村をまとめる村長トアにとって、一番の気がかりは他国への侵攻を始めたフェルネンドであった。
クレイブたちがダルネス領オーストンの町で偽物の《赤鼻のアバランチ》と戦い、それが失敗に終わって退却をして以降、フェルネンドに関する情報は一切入ってこない。
セリウス王国の貴族であるファグナスをはじめ、多くの国が他国への侵攻に対して厳重に抗議する姿勢を見せる中、まったくリアクションを見せないフェルネンド。逆に不気味さを感じていたトアであったが、ローザは「言い訳を熟考しておるのじゃろう」と楽観的な意見であった。
フェルネンドにとって切り札ともいうべき八極が実は偽物であったと分かった今、周辺国家も恐れず立ち向かっていくだろう。それに、今回の件で各国は協力体制をより強固なものとして大国フェルネンドへの対抗策を固めていく動きが見られた。
とりあえず、そちらの心配はいらないようなので、トアは村の運営に全力を注ぐことに決めた。
――と、言っても、現状、村の運営は順調そのものだった。
鉱山での採掘は鋼の山のドワーフ直伝技術により安定した量と質をキープし、エノドアの町自体も非常に活気があって賑やかだ。
屍の森から近いとはいえ、きちんとそこを避けたルートを辿れば危険性はほとんどなく村へとたどり着ける。途中で襲われても、クレイブたち自警団が目を光らせているのですぐに対応できた。要塞村からも何人か派遣をしており、うまく連携が取れているようだ。
そういった次第で、特に解決を急ぐ問題があるわけでもない。
とりあえず、まだリペアやクラフトを使って修繕が追いついていない箇所をこれからどのような場所として再利用していこうかという計画を立てようと、要塞ディーフォルの全体図を広げていた。そこへふたりの来訪者が現れる。
「村長さ～ん」
「少しよろしいですか？」
ノックをしながらそう言ったのは双子のエルフ――メリッサとルイスだった。
「今出るよ」
外へ出ると、相変わらずそっくりな可愛い顔をしたメリッサとルイスが立っていた。
「何かあった？」
「実は、私たちエルフの牧場で新しい試みをしてみようと思いまして」
「村長さんに意見を聞きたいんです！」
落ち着いた口調で妹のルイスが言った後、元気いっぱいに姉のメリッサがそう告げる。双子であり、顔もそっくりだが、性格はやっぱり正反対のふたりだった。
ふたりに連れられて、トアは精霊族の農場近くにある要塞村牧場へとやってきた。
ここでは主に乳牛用金牛と金剛鶏を飼育している。
「あ、ようやく来たわね」
到着すると、そこにはすでにクラーラが待っていた。
「クラーラも呼ばれたの？」
「私は呼んだ側よ。今回の企画者のひとりでもあるわけ」
むふ、と鼻を鳴らして何やら自信たっぷりのクラーラ。さらに、もうひとりのエルフがこの場に加わった。
「ようこそ、トア村長！」
やってきたのは青年エルフのセドリック。
オーレムの森にある長老宅で、トアに要塞村行きを直訴したエルフである。
彼もまたクラーラ同様、自信に溢れた顔つきをしていた。
「一体何を企画したんだい？」
「それについてはこちらで説明しますよ」
トアはセドリックに案内され、牧場の奥へ。すると、牛舎と鶏舎を挟むようにして見慣れない建物が新しくできていることに気づく。
「あれ？ こんな建物あったっけ？」
「ドワーフの方々にお願いしたのです。ここではある物を作っています」
「ある物？」
どうやら何かを作ろうとしていてそれが完成したため、トアにお披露目をしようというのが今回呼び出した目的らしい。
セドリックに案内され、トアは新築された建物内部へ。どうやら調理場のようだ。
「ここでは何をやっているんだ？」
「実は金牛の牛乳を有効活用しようと思いまして」
「牛乳を？ ……あ、もしかして」
トアはなんとなく見当がついた。
それをセドリックも察したようだ。
「そうです！ その名もエルフ印のチーズです！ ご覧ください！」
セドリックは調理場に置いてあった籠をトアの前に差し出す。そこには牧場経営を任されているエルフたちが作りだした金牛のチーズがあった。
「チーズか……一個もらっても？」
「どうぞ！」
早速、トアはひとつ味見をしてみる。チーズはこれまでも何度か食べたことがあるので味自体は分かっていた――が、このチーズはこれまでに食べたどれよりもうまく感じた。
「うまい！」
「よかった！ 頑張った甲斐がありましたよ！」
「俺もこれまでいろんなチーズを食べてきたけど……これは今まで一度も食べたことのない味だ。何が違うんだろう」
「これは私たちオーレムの森に古くから伝わる手法で作ったチーズなの。だからあなたたちが食べていた物とは味が違って当然よ」
同じようにチーズを食べるクラーラ。その後ろではルイスや他のエルフたちもおいしそうに食べている。その表情は故郷オーレムの森を思い出しているようにも映った。
「故郷の味ってわけか」
「そうですね……僕たちオーレムのエルフ族はほとんど森の外へ出ません。この要塞村で暮らす者たちも、外へ出たのはこれが初めての経験でした」
「で、どうだった？ 外の世界は」
「想像を遥かに超えていました。この世界は広い……正直なところ、僕らよりも先にこの世界に触れていたクラーラが羨ましいと感じましたよ」
オーレムの森は広い。
しかし、世界はその比でない。
今回、トアたちについていき、初めて外の世界とつながりを持ったことで、彼ら若いエルフたちにいい刺激をもたらしたようだった。
「そう思ってもらえたならよかったよ。――て、あれ？ そういえば、さっきからメリッサの姿が見えないようだけど」
チーズに舌鼓を打っていたトアは、ルイスの双子の姉であるメリッサがいないことを伝えたが、その直後に当のメリッサから声をかけられた。
「村長、次はこれを食べてみてください！」
メリッサが持ってきたのは香ばしい匂いのするケーキ――どうやら、このチーズを使ったケーキを作るために席を外していたようだ。
「どれどれ……うおっ！ これもおいしい！」
なんでもないチーズケーキに見えたが、これもまた絶品。チーズの濃厚さを生かしつつ、それでいてしつこくない。上にかかっている果実のソースも相まっていくらでも食べられそうなうまさだった。
「これはもうお金を取れるレベルだな――そうだ！」
トアはあるひらめきをエルフたちに話した。
すると、エルフたちは瞳を輝かせ始める。
「素晴らしい提案です、村長！」
「是非とも我々にやらせてください！」
ノリ気のエルフたちに、トアは自らが申し出た提案を全面的に任せることに決めた。
――数日後。
鉱山の町エノドアにエルフ印のケーキ屋が誕生した。
町の人たちは最初こそ物珍しさで来店をしたが、そのうちこのチーズケーキは評判を呼びたちまち大人気店となった。
「僕たちでもこうやって誰かの役に立てる……こんなに嬉しいことはないな！」
「これからも頑張っていこうね、セドリック」
「ああ！ 一緒に頑張ろう、メリッサ」
ケーキ作りに勤しむメリッサとセドリックを見て、様子を見にきたクラーラは妹のルイスへ耳打ちをする。
「ねぇ、メリッサとセドリックって……そうなの？」
「今頃気づいたんですか？ クラーラさんが森にいた頃からあのふたりは結構良い感じだったじゃないですか」
「えっ！？ そうだっけ……？」
まったく知らなかったクラーラ。
だが、ルイス曰く、オーレムの森で生活をしていた頃から今と同じくらい甘ったるい空気を醸し出していたらしい。
「ぜ、全然気づかなかったな……」
「それはきっと、森にいた頃のクラーラさんが恋を知らなかったからですよ。姉さんとセドリックの関係に気づけたのは、クラーラさんに恋を教えたトア村長のおかげですかね」
「っ！」
クラーラは反論できず、顔を真っ赤にして黙りこくってしまう。
ルイスはそれを微笑ましく感じながら、ふと視線を横へずらした。そこには店でケーキを食べる若い男女の姿があった。
「ふむ……モニカの言った通り、この店のチーズケーキはうまいな」
「でしょ！ エドガーやネリスもよく一緒に食べに来るんだって！」
「そうか。よし。では今度トアを誘って来よう。あいつもチーズケーキが好きだからきっと気に入るぞ」
「…………」
こっちはこっちでいろいろ大変そうだなぁと思うクラーラとルイスだった。
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