第115話 あの世へは 持っていけない 物ばかり
トルキイバに雪が降り注ぐ頃、今年も無事に野球の貴族リーグが終わった。
わが家が所有するスレイラ
うちの嫁さんやその兄貴は納得がいっていないようだったけど、この町に基盤もないスレイラ家にしてはよくやっている方だと思うんだが……
まぁ、軍人さんにはメンツやら何やら、色々とあるんだろう。
野球人気はますます過熱を続けていて、拡張工事をしているトルキイバの新区画に球場を作るとか、トルクスやルエフマに球場を作るとかっていう話が立ち上がっているようだ。
案外、今はただ野球場と呼ばれているうちの球場が『双子座球場』とか『シェンカー球場』とか呼ばれる日も遠くないのかもしれない。
そんな大人気の野球に最前線で関わっていると、正直言って大変な事ばかりなのだが……
実を言うと、野球に関わっていて個人的に得をした事もある。
なんと国立劇場の劇作家であるスピネル氏が野球の劇を書き、それをうちの劇団が試演を任され、更にその上演までをも許される事になったのだ。
まぁ、これはうちの劇団の実力というわけではなく、うちのおっかない兄嫁であるカリーヤ姫様の絡みではあるのだが……
それでも大変な名誉で、かつ演劇ファンとして嬉しい事だ。
スピネル氏とは元々史劇を書いてもらう約束をしているため、それが納品されればうちの劇団は大作家の劇を二つ持つ事になる。
その見返りとして夏に劇団を王都へ送る事になったが、カリーヤ姫様の仕切りなら、劇団もあちらで無理を言われるような事もないだろう。
つまりうちはほとんどノーリスクで、スピネル氏の劇の初演と、国立での上演という栄誉の両取り。
笑いが止まらないとはまさにこの事。
普段キリッと固められている俺の頬も、少しは緩もうというものだ。
「だらしない顔をしているな」
「えぇ? そうですかぁ?」
「だらしないなー」
「ないなー」
二歳も半ばになり、どんどん喋れる言葉が増えてきた双子は
俺は緩む頬を抑えながら、膝の上のノアのぽんぽこお腹を撫でて前を向く。
双子座の身内専用のVIP席、そこから見える舞台では、夜霧のヨマネスが煌々とスポットライトに照らされている。
「なんだかこの劇について、ザルクド流が怒っているみたいだね」
「そりゃあ怒りますよ。一試合で負けただけなのに、リーグで負けた事にされたんですから」
「ザルクドぉ?」
「剣術の流派だよ。剣を振って戦うの」
「つよいのー?」
「すっごい強いよー」
うちの家族が、観劇中にこうして喋っていられるのにも理由がある。
俺が新しくこのVIP席に、
これはVIP席側から出る音だけを狙って、逆位相をぶつけて打ち消すというもの。
つまり前世にあった、ノイズキャンセリング装置と同じ原理だ。
これによりVIP席にいる限り、普通のおしゃべりぐらいは外へ漏れないようになった。
「しかし、こんなに喋っていて本当に大丈夫なのかい?」
「大丈夫大丈夫、試験では静かな状態で歌っても外に漏れなかったんですから」
「それならばいいんだが……」
「おうた?」
「おうたは後でねー」
うちの子たちはローラさんの教育がいいのか、外では大人しいものだが……
小さな子供というのは、どうしても所構わず騒いでしまうもの。
それが迷惑にならない方法があるならば、子持ちとしてそんなに嬉しい事はないわけで……
なんならこの劇場でも、全席に導入しようかとも考えたのだが、そちらはローラさんに「一応長兄に確認を取った方がいい」と言われて保留中だった。
まぁ、暗がりからいかがわしい声が聞こえてくるような小劇場と違って、うちは客がいいからな。
別に必要ないと言えば、必要ないものなのかもしれない。
そんな事を考えながらも楽しく観劇を済ませ、寝てしまったノアを抱っこしたままVIP席を出た。
そうしてエスカレーターで下階へ降りようとしたところで、俺は思わず足を止めて柱の陰へと飛び込んだ。
そんな俺の隣には、ラクスを抱っこしたローラさんが続く。
「突然どうしたんだい?」
「下、下」
「……なるほど、たしかに降りていったら一悶着起きそうだ」
俺たちが階段の柱の影から覗き込んだ三階の踊り場には、真っ黒のコートに剣を佩いたライミィ・ザルクドと、ザルクド流野球部の面々が屯していた。
まぁ、そりゃあそうか。
今のところ、ここでしかやっていない劇なのだから、渦中の人である彼らが来ないわけがないのだ。
「文句を言いに殴り込みに来たんですかね?」
「それなら試合の時に直接言いに来るさ。敵情視察って事じゃないか?」
「敵情って……何の?」
「さてね……でも、ザルクド流って奴らはね。絶対にやられっぱなしではいない連中なんだよ」
ローラさんはなんだか面白そうな顔でそう言ったのだが……
果たして、その答え合わせの時はすぐにやってきた。
その冬のうちに、トルキイバの名門クバトア劇場へと、新作劇の予告ポスターが掲載されたのだ。
『悪逆非道! 迫る
それは、ザルクド流側の野球劇の予告だった。
つまり、ザルクド流はスレイラ家と同じ演劇という地平で、真っ向からの反撃に出たのだ。
『蘇る
まぁ、いいんだけどね……
劇自体は観客として、普通に楽しみなんだけれど……
恐らくこの劇がここで上演される頃には、王都の国立にてうちの『球場に結ぶ恋』が上演されている事だろう。
同じ題材で敵と味方を変え、南の果ての名門劇場で演られる劇と、中央ど真ん中の最も伝統ある劇場で演られる劇。
言っちゃあ悪いが、この演劇イメージ戦争の勝敗は最初から見えているようなものだ。
もし『球場に結ぶ恋』が、スピネル氏の国立用の新作なのだという情報を知っていれば、きっとザルクド流も劇で反撃するって事は考えなかっただろうなぁ……
俺はちょっとだけ気の毒に思いながらも、ポスターに書かれた情報を、趣味用の手帳へと書き写したのだった。
俺が小さい頃のトルキイバの冬というのは、とにかくつまらないものだった。
やる事なく、楽しみなく、ただただ寒く、雪が降っては外に出るのがおっくうになって、兄貴たちと一緒に暖炉の前で寝そべっていたものだ。
そんなトルキイバの冬にも、近頃はどんどんイベント事が増え、もう十年前とは比べ物にならないぐらいに楽しい季節になった。
そんな楽しいイベントのうちの一つが、うちの下の兄貴のシシリキが仕切っている、シェンカー通りで行われている土竜神殿のお祭りだ。
そしてそのお祭りを半ばジャックする形で、今年はとある人物の結婚披露宴が行われていた。
「メンチさん! おめでとうございます!」
「ありがとう」
「そのドレス、どこで買ったんですか?」
「これはな、チキンに用意してもらったんだ」
「もう寮は出るんですか?」
「
土竜神殿の前で神前式を行った後、祭りの一角に陣取ったメンチはうら若き乙女たちに質問攻めに遭っていた。
そう、メンチが以前から付き合っていたガナットという男と結婚したのだ。
しかも話を聞くと、どうやら授かり婚らしい。
うちの奴隷の一人であるガナットは結構熱烈にメンチに迫っていたし、まぁ念願叶ってというところだろうか。
昔から彼女を知る俺としては、よくもまぁ……と思うところはあるが、人の好みも好き好きだからな。
「メンチ、おめでとう」
「これはご主人様! 奥方様! お疲れ様でございます!」
俺は立ち上がろうとするメンチを、肩を叩いて止めた。
今日は彼女が主賓だし、なんか立ち座りするのも大変そうなドレスを着てるしな。
「これ、お祝い」
「これは……ありがとうございます!」
メンチは俺が手渡した贈答用のタオルの箱を、大事そうに胸に抱きかかえた。
最近は奴隷たちが結婚したり、子供を生んだりする事も多いので、こういうお祝い用の品をちゃんと家にストックしてあるのだ。
もう金貨を渡して、妊婦を恐怖で泣かせていた頃の俺ではない。
まぁ、それもチキンとローラさんの差配ではあるんだけどね……
「あんまり身体を冷やさないようにね」
「奥方様、ありがとうございます!」
ローラさんの言葉に、結局メンチは立ち上がってお礼を言った。
まぁ旦那の方は最初から立ちっぱなしだけど。
あんまり長居すると迷惑になりそうだったので、俺とローラさんは適当なところで引き上げた。
「今年のボクシングは出場者が多いんじゃないか?」
「まぁ、優勝候補のメンチがいませんしね」
本戦前の賭けで盛り上がっている、祭りの中央のボクシングリングを眺めながら、俺たちはそんな事を話す。
祭りを仕切る兄貴の盛り上げ方が良かったのか、それとも似たような競技がないからなのか……
この年末の殴り合い祭りは、なかなか人気を博しているようだった。
今では階級制の上予選制になっていて、この日のために身体を仕上げてくる人たちが結構いるらしい。
「初年度に優勝したマリオン、彼をもう一度呼べないものかなぁ……あれはいい試合だった」
「出ないんじゃないですか? あれから一度も出てませんし」
「メンチの雪辱戦とでも銘打って試合を組めば盛り上がると思うんだがなぁ」
まぁ、愛妻家の彼の嫁さんが喜びそうなものを商品に用意すれば、普通に出てくれるかもしれないけど……
「でもしばらくは、メンチの方が試合に出れないんじゃないですか? ほら、子供も生まれるわけですし……」
「わからないぞ、メンチなら夫に子供を任せて出るかもしれない」
たしかに、その様子は容易に想像できる。
まぁ、来年の祭りの準備が始まる頃、メンチに再戦してみたいかどうか聞いてみようか。
鬼に笑われたくはないし、来年の事は来年に考えるとしよう。
しかし、メンチに子供かぁ……なんだか、不思議な感じだな。
「この祭りも、毎年人が増えてるみたいですね」
「そうだなぁ。深夜商店も大変そうだ」
そう言いながらローラさんが指差した深夜商店は、たしかに店の表に列ができるぐらいの人でごった返していた。
そういえば、お祭り専用のメニューを用意すると聞いていたが……
もしかしたらあれはそれ目当ての客なんだろうか?
「あっ、ほらあれって、君が懐妊祝いに金貨を渡そうとした子じゃないか?」
「え? あ、たしかに。音楽隊にいた子ですね」
列をよく見てみれば、その中には小さい子どもと一緒に並んでいる、シーナという奴隷の姿があった。
……思えば、遠くへ来たものだ。
シェンカー通りを行き交う人の大半は、みんな二束三文で売られてきたボロボロの奴隷だった。
だが今はみんなしっかりと働いて伴侶を見つけて、きちんと自分の人生を掴んでいるようだ。
そういえば小さい手でシーナの手を握っているあの男児も、風邪引きで回復魔法をかけた事があったっけ。
「子供ってのはすぐに大きくなるなぁ……」
「何を所帯じみた事を言っているんだか」
「所帯じみもしますよ。子供が生まれたら子供が中心になるじゃないですか、夜も寝る前に自分が死んだらノアとラクスはどうなるんだーとか考えちゃって……」
「君は殺しても死なないと思うけど」
そういえば、奴隷が急に亡くなった場合って……その子供はどうすればいいんだろうか?
旦那がいるなら、旦那が育てるだろうが……
いない場合もさすがに
俺が死んだ場合は、ノアやラクスは名付け親であるシェンカー家と、ローラさんが育ててくれるだろうが……そういう縁がない子は……
あれ?
……そういえば、俺が死んだら奴隷たちはどうなるんだっけ?
クラウニアの法では奴隷は私有財産だ。
もしかしなくても……俺が死ねば……妻と子供に相続されるのか?
千人近くもいる俺の奴隷が、ローラさんとノアとラクスに?
「…………いや」
今思えばそれは結構、いや、かなりまずいかもしれない。
捨て値で買って俺が治したから、安く有能な人間を囲い込む事ができ……
俺がいつでも治してやれるから、他の組織よりも無理が効く。
そういうやり方で稼いできた組織だった。
だが俺がいなくなって、そういう組織が維持できないとなれば……
普通は、それそのものが資産である奴隷を売却する事になる。
そうすれば、うちの奴隷たちと子供たちは離れ離れになってしまうだろう。
「それは絶対に避けたいなぁ……」
そうなる事は悲しすぎるし、きっとその恨みを買ってしまうのは俺以外の家族。
恨みというものは、恐ろしいものだ。
できれば子供たちには、恨む事にも恨まれる事にも、なるべく無縁でいてほしいもの。
そして……もし、うちの家族が俺の死後も
ローラさんは回復魔法は得意ではないし、今はともかくこれからどんどん忙しくなる身。
うちの息子や娘だって回復魔法が得意とは限らないし、将来やりたい事も色々できるだろう。
その時に、面倒を見るべき親父譲りの奴隷が山程いれば、選択肢を狭めてしまうに違いない。
……もちろん、状況はどんどん変わる。
俺が死ぬ頃には、全てを綺麗に解決する制度や方法ができているかもしれない。
だが……
「ローラさん……たとえば俺が……」
「ん?」
俺はその時の事をローラさんに頼みかけて……やめた。
どういう頼みごとも、残された側の負担になってしまうだろう。
きっとどんな遺志も、この世に残していくべきではない。
後悔も精算も、そして計画も準備も、生きているうちにやるべき事だ。
「そうだよな……」
「どうしたんだい? さっきからぶつぶつと」
「ローラさん。うちの奴隷たちって、これからもしっかりやっていけると思いますかね?」
「そりゃあ、やっていけるだろう。彼女たちは君よりよっぽど世渡り上手だよ」
「なら、大丈夫ですかね」
「何がだい?」
「……後は各自、自分の人生を歩んでもらうって事で」
そう言って、ローラさんの方を横目で見る。
瑠璃色の瞳と、目が合った。
「詳しく話を聞こうか」
「ええ」
家に場所を変えて始まった俺と彼女の家族会議は、日が変わるまで続き……
その翌日すぐに、俺の筆頭奴隷にしてトルキイバ・スレイラ家の家令であるチキンを交えた、話し合いの場が持たれる事になるのだった。
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