第99話 時来れば 猫の子供も 嫁に行き

異世界で 上前はねて 生きていく 最新第4巻、電子版は昨日より、書店では今日明日ごろより発売しております。


コミカライズ第3巻は2021年6月半ばに発売予定です。






…………………………






年が明けて幾日かが経ち、冷たい風の吹き抜ける街が普段の落ち着きを取り戻し始めた頃。


俺はなんとも落ち着かない場所へと呼び出されていたのだった。



「もう大変なんですよ、お店の一大事なんです!」



銀髪の猫人族の女、プレトガが天を仰いでそう叫ぶのに、俺の膝に乗ったビロードのように光沢のある毛皮の猫が愛想たっぷりに「にゃあ」と答えた。


大声に驚いたのか、俺の肩にとまっていた大きな鳥はバサバサと羽ばたいてどこかへ飛んでいき、足元に寝転んでいた犬は迷惑そうな目つきで女を一瞥して、これまたどこかへと去っていく。


すると今度はキキッ!と声を上げながら猿が現れ俺の腕にしがみつき、蹄をパカパカと鳴らしながらやってきた小さな馬がごろんと足元に寝転がる。


そう、俺が呼び出されたのはシェンカー一家の経営する、楽しい楽しいどうぶつ喫茶だ。


他に客がいなくて退屈なのか、さっきからこうやって動物たちが入れ代わり立ち代わり近くにやって来てスキンシップを強請るので、俺は落ち着いてコーヒーを飲むこともできずにいたのだった。



「それで、なにが一大事って?」



ポニーテールの銀髪を振り乱し、天を仰いで叫んだ姿勢のまま動かなくなった女……


この店の店長を務めるプレトガに俺がそう尋ねると、ピタっと止まっていた彼女は再生ボタンを押されたビデオのように再びオーバーな身振り手振りで動きだし、座っている俺の隣へとやってきた。



「それがですね! 大変なことなんです!」



大変なのはお前の頭だよ。



「うちの稼ぎ頭の猫のメリダちゃんが……恋煩いをしてるんですよ!!」



そう言って店長は俺の座ったテーブルからちょっと離れたキャットウォークの上へと手を向けた。


店の入口にほど近いそこにじっと座っていたのは、白と灰色の入り混じった長毛を持つ美しい猫だった。


その宝石のように煌めく緑色の瞳は周りの大騒ぎにも動じず、じっと店の入口の方を見つめている。



「あれってオス? メス?」


「女の子です!」



自分で聞いといて何なんだが、よく考えたら造魔にオス・メスはないんじゃないのか?


ましてや恋煩いって……造魔の猫だぞ?


そもそも繁殖しないんだから、恋もへったくれもないだろ。



「恋煩いって何よ? どっかの猫を好きになっちゃったってこと?」


「違いますよ! 常連さんですよ常連さん! メリダちゃんの想い人は綺麗なお姉さんですよ」


「えぇ? 猫が人間を?」


「人だって猫を愛するでしょう! 同じように猫だって人を愛するんですよ!」



そう言われればそうかもしれない。


……いや、駄目だ駄目だ、丸め込まれるな。


普通の猫ならばそういう事にしておいてもいいのかもしれないが、メリダは造魔なのだ。


愛する人ができました、おめでとう、では済まない理由がある。


いくらふわふわで小さくて愛らしくとも、彼女の素性は兵器なのだから。



「造魔って元々軍用だし、そういう機能はつけてないはずだけど」


「でも軍人さんや軍馬だって恋はするじゃないですか」


「そういう問題か……?」



造魔は元々使い捨ての軍用兵器だった。


しかしその寿命を俺が劇的に伸ばした事によって、彼らは自我を持つようになってしまったのだ。


でも、自動車やミサイルが意思を持って動き回るようになったら困る……というか実際に困っているわけだ。


今すぐに制御はできないにしても、せめて理解は深めたい、そうだろ?


ということで、彼らの自我獲得のプロセスの研究を少しでも進めるために、俺は比較的無害な小動物の造魔を様々な場所に配置し、その記録を取ってもらうことにした。


本来はそういう仕事は軍に丸投げしたいんだが、造魔というものの性質上記録を取ってもらってもこちらに回して貰うというわけにはいかない。


もうなんか自分で言ってても違和感しかないんだが、肩書上俺は軍属じゃないからな。


軍の記録を正式に閲覧する権限はないということだ。


となると、うちの研究室で独自に研究を進めるしかないわけだ。


造魔の研究用に作った店がこの街にはいくつかあって、この喫茶店もそういう場所なのだった。


そんなどうぶつ喫茶の店主であるプレトガは、何やら自分の体を抱きしめたり唇をすぼめて天に向けたりと、大騒ぎをしながら事情説明という名目の三文小説をがなり立てていた。



「事程左様にですね! 私としてはできればメリダちゃんの恋を強烈に、猛烈に後押ししたい! そう思っているわけで……」


「店長、とにかくその猫の書類持ってきて」


「あ、はい! とにかくですね、彼女はお客様方からは月の女王と評されるほど……」



プレトガは一人演劇のような身振り手振りで喋り続けながら、店の奥へとレポート書類を探しに消えていった。


本当にやかましい女だ。


いつの間にか机の上にやってきたキジトラの猫の背中を撫でながら、店内を見回す。


開店する前に一度来た気がするが、いつの間にやらこの建物もだいぶボロくなったな。


茶色い床材はすり減っていて、何かをこぼしたのか焦げ茶色に変色している場所もある。


視線を上げると板張りにされた壁にも爪の跡や凹みが目立ち、どうにもみすぼらしい。


俺の座っている椅子や机もガタこそないが細かい傷だらけで、なんとなく前世の小中学校の木の机を思い出すヤレ具合だ。


くあっとあくびの声がしたので手元を見れば、背中を撫でていたキジトラの猫が伸びをしてから机に爪を立てていた。


動物がいっぱいいればこんなもんなのかな?


猫に爪とぎはやめろと言って聞かせるわけにもいかんしな……


何も思いつかないまま、ぷいとどこかへ行ってしまったキジトラの背中を見送って、俺はたいして美味くもないコーヒーを啜ったのだった。




コーヒーと茶菓子が切れてしばらく経った頃、店の奥から一抱えもある量の書類を抱えた店長が姿を現した。



「おい、最近のだけでいいんだぞ」


「これは去年から今年のものです!」



造魔一体の一年分の量にしては分厚すぎる報告書をパラパラ捲ると、相変わらずうんざりするような量の情報が目に飛び込んでくる。


一日に消費した魔結晶の量、客として関わった人間の人種、年齢、性別、開店中の行動と閉店後の行動の詳細。


ここまでは、まぁいい。


だが、描き手がいちいち違う何十枚もの絵だの、可愛い仕草十選だの、店長の個人的な話だの、客がメリダを褒めた内容の詳細だの、客からのお手紙だの……


全く精査されていない上、好き放題に付け足された内容が俺の頭を弱らせた。


前から思ってたけど、これは報告書っていうか猫サークルの部誌だろ。



「前にも言ったかもしれないけどさ、もう少し……報告書を簡潔に……ね?」


「みんな必要な情報だと思うんですけど。ご主人様だって、何か気がついた事があれば些細な事でも残しておけって……」



たしかに言った……気がする。


情報はないよりはあった方がいいのは確かなんだが、さすがにこの報告書はまずいよなぁ。


前に読んだ時よりも明らかに趣味性・・・が向上してるぞ。


今度そういう知識を持った奴隷に頼んで、シェンカーの店長クラス向けに報告書の書き方講座みたいなものをやってもらおうか。



「まぁ何でもとは言ったけど、この別冊になってる詩集とかは報告にいらないでしょ? 誰が書いたの?」


「ああ、それはお店の催しでメリダちゃんへの詩を募集した時のものですよ! 毎月やってるんですけど、メリダちゃんのは特に応募作が多くて別冊にせざるを得なくてですね……」


「いやいや、別冊でいい別冊でいい。むしろこういうのはさ、こっちの報告に出すんじゃなくて、お店でみんなが見れるようにしといた方が喜ばれるんじゃない?」


「えっ、そうですかね!?」


「絶対そうだと思う」


「じゃあこっちのメリダちゃんの写生大会の絵も別冊にしたほうが良かったですか!?」



さっきの絵は写生大会のものだったのか、色々やってるんだなぁ……


プレトガはうるさいが、別に無能ってわけじゃない。


ただ熱心すぎるだけなんだよな。


仕事への熱意というものは他に代えがたい貴重なものだ。


やりたいことはそのままに、できないことを一つ一つ正していけば、それでいいんだ。


とりあえずはこの報告書も、長い目で見ていこう。


プレトガが入れ直してくれたコーヒーで口を湿らせながら、ちょっとした辞書のような分厚さのメリダの報告書を尻から読んでいく。



「メリダの様子が変わったのはいつ頃?」


「先々月ぐらいです!」


「先々月ね……そんでメリダがお熱な相手の名前は?」


「カロンさんです、二十六歳東町在住、独身でご両親と妹さんと同居。職業はカロンさんの叔父さんの営むアファント履物店の店員さんです!」



聞いてもない情報がつらつらと出てきた。


喫茶店の店主ってのは、普通客のことをそこまで把握しているものだろうか?


いや、どうぶつ喫茶は変な店だから、こいつも単なる喫茶店の店主と考えない方がいいのかもな。



「靴屋さんねぇ……」



なるほど、報告書にも三日と開けずに彼女の名前が出てくる、かなりの常連らしいな。



「彼女が来たらメリダはどうなの?」


「メリダちゃん、カロンさんが店にいらっしゃったら一目散に駆け寄って退店までずーっと一緒なんです! もうここ数日はカロンさん以外からは魔結晶も受け取らない始末で、みんな心配してて……」


「魔結晶を受け取らない!?」


「だから恋煩いなんですよ!」



人間が生きるために水と食べ物を求めるように、造魔が生きるために魔結晶を求めるのは本能だ。


その本能を曲げてまで、魔結晶を受け取る相手を選んでいるというのか……?



「魔結晶を持ってきて」


「はいっ!」



俺は膝の上に陣取っていた猫に「にゃあ」と文句を言われながらどいてもらい、つま先の上に寝そべってうとうとしていた子馬を搖すり起こし、頭の上に鳥を乗せたまま立ち上がった。


ぐ、尻が痺れてる……



「ニャッ!」


「わふ!」



机の周りで膝乗り待ちをしていたらしい動物たちの抗議を聞き流しながら、俺はヨタヨタとメリダの方へと向かったのだった。




「持ってきました!」



エサ用の小さい魔結晶が沢山入った小箱を抱えて現れたプレトガの周りには、おやつを貰えるのかと思った造魔達がわらわらと集まってきている。


そうだ、これが普通の反応だ。



「メリダに餌をあげてみてくれ」


「はい! メリダちゃ~ん、ご飯ですよ~」



じっと店の入口を見つめるメリダはつまんだ魔結晶を差し出すプレトガの事をちらりと一瞥し、にゃあと可愛く鳴いてから視線を入り口へと戻した。


うーむ凄いな、本当に魔結晶を受け取らない。


自我の力というのはこんな本能に逆らうような行動まで引き起こすのか。


いや、そもそも本能を押さえつけるのが自我というもの、猫のメリダの心は正しく成長していっているのかもしれないな。



「やっぱ食べないですねぇ」


「他の人間がやってみたらどうだろうか?」



俺が小箱から魔結晶を取り出してメリダの方へ向けると、彼女はじっと俺の顔を見つめてから……パクリと魔結晶に食いついた。



「あれ、食べるぞ? なんでだろ?」


「そりゃ、あれじゃないですか?」


「なんだよ?」


「ご主人様がメリダちゃんを作ったわけですから……」



あ、そっか。


俺の周りにいる造魔ってのは基本的に俺が作ったもの。


製造者の魔力が識別できるようになっていてもおかしくないか。



「にゃ……」



メリダは俺の顔を見ながら愛想程度に鳴き声を上げて、また店の入口へと視線を戻した。



「ご主人様、もっとあげてください! メリダちゃん、ここ最近全然ご飯食べてないんです!」


「はいはい」



俺が手のひらに魔結晶を盛って彼女の前に差し出すと、メリダは店の入口と俺の顔を交互に見比べてから、不承不承といった様子でそれに口をつけ始めた。


なんだろうか。


さっきまでは獲得した自我に振り回されて動作不良を起こした造魔に見えていたはずの彼女が、今はなんだかプチ反抗期で家族と食事をしたがらない年頃の女子のように見える。



「あらー! メリダちゃん良かったねー! パパのご飯美味しいねー!」



パパ……


そうか、俺、猫のメリダちゃんのパパに当たるのか……


まあ、間違っちゃないんだろうけどさ。


パパ、パパね……


俺はなんとなく釈然としない気持ちのまま、毛深い娘の背中を掌で撫でた。



「とりあえず今日のところはなんとかなりましたけど、メリダちゃんのこと、どうしましょう?」


「その相手のお姉さんはさ、メリダの事をどう思ってるわけ?」


「カロンさんですか? そりゃあメリダちゃんの事が好きだと思いますよ! いつもお互いにじっと見つめ合ってですね! まるで歌劇の……」


「あー、わかった、わかった」



つまり二人は愛し合ってるってわけね。



「俺は馬には蹴られたくない。メリダが一番幸せになるようにしてやろう」


「え? どういうことですか?」


「カロンさんさえよければ、あちらの家に里子に出そうと思う。一番人気らしいからもったいないけど、メリダはどうぶつ喫茶卒業だ」


「……やったー!! それがいいですよ! 名案です!」



今日一番の店長の叫び声に、魔結晶を食べ終わったメリダは迷惑そうな視線をちらりと向け、また我関せずといった様子で入り口の方へと向き直ったのだった。


我が娘ながらクールな子だぜ……きっと、俺に似たんだろうな。





プレトガが設けた店とカロンさんとの話し合いの席は、その一週間後のことだった。


店側のメンツは、俺、チキン、プレトガ、そしてメリダとその同僚たちだ。


チキンに関してはうちの嫁さんが「連れて行った方がいいんじゃないか」と言ったので、忙しい中悪いんだが造魔の嫁入り対策チームに入ってもらった。


彼女からは逆に「ご主人様がいない方が穏当に話が進むかと思いますが……」と言われていたのだが、普通の動物ならともかく、今回里子に出すのは造魔なのだ。


万が一人間に牙を剥き始めた場合の対応法や、未だわかっていない寿命の件など、専門家である俺が直接話さざるを得ない事情というのも、実際あった。


わからないのは、今日カロンさんと一緒にやって来るという彼女の叔父についてだ。


メリダと一緒に住む事になるであろう彼女の両親ならばともかく、なぜ職場の雇い主がやって来るのか。


もしかしてメリダを金で売り買いするような話だと思われているんだろうか?


どうにもわからず、不思議に思っている間に時間が来た。



「こんにちわ」


「失礼します」


「あっ! カロンさん! こちらです、こちら!」



二重扉になっている動物喫茶の入り口から入ってきたのは、黒髪の美人だった。


その後から入ってくるのは、冬だというのに額に大汗をかいた強面こわもての男。


あれがカロンさんとその叔父なのだろう。



「はじめまして、カロンと申します」


「カロンの叔父のアファルと申します」


「どうぞ、お座りになってください」



こういう場合、本来ならば呼びつけた側が扉の前まで行って挨拶するべきなんだろうが、今の俺は貴族の身分。


そういう振る舞いは、やりたくてもできなくなってしまった。


というか、貴族を相手にすると平民が勝手にビビりまくってしまって、気さくな付き合いというのは基本的に難しいという事情もある。


住み分けは大切だ。


こればっかりは仕方のないことなのだ。



「こちらはこの店のオーナーであり、トルキイバ魔導学園准教授でもあられる、サワディ・スレイラ様でございます。私はサワディ・スレイラ様の筆頭奴隷をしております、チキンと申します」


「私はこの店の店長のプレトガです!」



どうぶつ喫茶の店員の一人が机の上に無言で全員分のコーヒーを並べていく。


とてとてとやってきたメリダが机に飛び乗り、カロンさんの目の前に陣取ってご機嫌な声でにゃあと鳴いた。



「それでそのぅ、今日はメリダちゃんに関するお話ということでしたが……」



ごく自然にメリダちゃんの顎を撫でながらそう言う彼女に、プレトガが鼻息荒く身を乗り出した。



「そうなんですよ! カロンさん、メリダちゃんと暮らしてみませんか?」


「え? 一緒に……?」



何の前置きもなくいきなりそうぶっちゃけたプレトガの言葉に、カロンさんは目を白黒させて驚いている。


しまったな、プレトガには静かにしているように言って、最初からチキンに話をさせれば良かったかもしれない。


こいつが話をかき回すとややこしくなりそうだ。



「そ……うっ!」



俺がプレトガに何か用事でも言いつけようかとしたその時、彼女の銀色のしっぽを掴んでひねり上げた者がいた。


鉄の女、不夜城の主、叩き上げのやべーやつ……


うちの奴隷達全ての頂点に立つ女。


そう、チキン嬢その人である。



「ええ、カロンさん。ぜひメリダの里親になっていただけないでしょうか?」



突然の話に困惑するカロンさんに優しげな口調でそう語りかけるチキンの顔には、人好きのする笑みが貼り付けられている。


それはうちの実家シェンカーの番頭が商談の場に立つ時の顔によっく似ていた。


チキンはその番頭の下で商売を仕込まれたのだから当然といえば当然なのかもしれないが、俺にとってどうにも頼もしく見える顔なのには間違いなかった。



「……私でいいんですか? 是非なりたいです! メリダちゃんと一緒に暮らしたい!」



盛り上がるカロンさんとは裏腹に、彼女の叔父さんは渋い顔だ。



「ちょっと待ってください、その子はここの店の子なんでしょう? なぜうちのカロンに?」



何か裏があるのかと疑っているのだろう。


カロンさんの叔父のオッサンが警戒心をあらわにそう質問するのに、チキンは落ち着いた声で答えを返す。



「実は今メリダには命に関わるある問題がございまして、それを解消できるのがお宅のお嬢様だけなのです」


「命に関わる問題?」



チキンはカロンさんに甘え続けるメリダのしっぽをひと撫でし、眉尻の下がった不安げな顔でオッサンへと向き直った。



「実はこの子はお宅のお嬢様に懐きすぎて、他の者から餌を受け取らなくなってしまったのです」


「餌を? 猫の餌などその辺に置いておけば食べるのではないのですか?」


「この子は普通の猫ではありません、造魔です。うちの造魔達は人の手からしか餌を受け取ることができないようになっているのです」



これは俺が造魔を作るときに加えたセーフティの一つだ。


まかり間違っても野生化したりすることのないように、造魔達は人間の手からしか餌の魔結晶を受け取れないようになっているのだ。


魔結晶駆動造魔の生成魔法陣の基礎の基礎部分に刻んだから、いつかこの世界の造魔が独自の行動を起こし始めたとしても人類を駆逐しようとしたりはしないはず……だといいけどなぁ。



「俄には信じがたい話だが……」


「どうぞ、お試しください」



チキンはなおも疑うオッサンの前に小さな魔結晶を差し出し、小さく頷いた。



「では……」



彼はカロンさんの手に顔を擦り付けるメリダの鼻先に魔結晶を近づけるが、彼女はちらっとそれを見て、にゃと短く返事をするだけ。



「メリダちゃん、ご飯だよ」



なおも魔結晶を近づけ続けるが、メリダはにゃおんと返事をするだけだ。



「むぅ……ご飯ですよぉ~メリダちゃ~ん」



めげないオッサンのあまり聞きたくない猫撫で声が店に響くが、やはり彼女は魔結晶を受け取らず、アイドルのファンサービスのようにポンと肉球で手にタッチするだけだった。


それでもなんだか嬉しそうなオッサンは、メリダに触られた手を反対側の手で撫でながら引っ込めた。


まあ、作った俺が言うのもなんだがメリダは美猫だからな。


塩の入った対応でもファンはああやって勝手に増えるのだ。



「チキンもあげてみたら?」


「あ、そうですね」



チキンも椅子から立ち上がって魔結晶を持って近づけてみるが、当然メリダは受け取らず。


最後にメリダがカロンさんの手から魔結晶を食べるのを見て、ようやくオッサンは納得したようだった。



「それで、その……うちの姪にどうしろと?」


「ですから、メリダちゃんの里親になって頂きたいんですよ」


「それだけでよろしいのですか?」


「一応普通の猫とは違いますので、定期的に里帰りだけはさせて頂いて、あと他の方に譲渡などはしないようにして……」


「そんなことしません!」



メリダをギュッと抱きしめたカロンさんは責めるような目でチキンを見ながらそう言った。


しなさそうだね。



「わかっておりますとも、末永く可愛がってあげてください」


「それでその、費用などは……」


「この子は造魔ですので、飼うのに特別注意はいりません。一日三回小指の爪ほどの魔結晶を与えて頂ければ大丈夫です」


「いや、その、メリダちゃんの譲渡費用などは……?」



チキンがちらりとこちらに視線を送ってきたので、ここで引き継ぐ。



「それは結構、造魔については魔導学園の方でも未だ研究中の対象でありまして。寿命も生態もまだまだ定まっていません、言い方は悪いですが値をつけられるような状態ではないのです」


「はぁ……それで、危険などはないのでしょうか?」


「それもまだ研究中なのですが……材質上突然爆発するような事はありませんし、牙も爪も本物より丸くなっていますので、たとえ人に牙を剥くことがあったとしても不意打ちでなければ怪我はしないでしょう」


「そうなのですか」


「それと一応、この猫型造魔には尻尾の中ほどに緊急停止ボタンが仕込まれているので、危険を感じたら思いっきり尻尾を握ってください。それと逃げ出したとしても、造魔は自分で餌を取ることができないため数日で動きを止めるはずです」


「そうですか……ところで、魔結晶については……」


「それについては私が」



そう言ってさらりと俺から話を引き継いだチキンが、手元にエサ用の魔結晶を置いて説明を始めた。



「申し訳ありませんが、エサ用の小型魔結晶とはいえ高価なものですので無償というわけには……ですが物自体は当方が用意させて頂きますので、月に銀貨二枚ほど、ご負担お願い致します」


「それは……かなりお安くして頂いているようなのですが、よろしいのですか?」


「うちは自前での調達ができますので……」



安いと言っているが、猫の食費が月に二万と考えるとなかなかバカ高く思える。


まあ街で同じ量の魔結晶を調達しようとしたらその倍はかかるんだけど、それでもキツいよな。


このどうぶつ喫茶を作った頃はマジで魔結晶を無限に使い放題だったのが懐かしいよ。



「手前どもはそれで問題ありませんが……諸々の事、全て書面にして頂けますかな?」


「アファル殿は商売を生業とするお方と聞いておりましたので、元々書面で用意しておりました」


「これはありがたい」



チキンが店員から受け取った契約書をオッサンに手渡すと、彼は文面をじっくりと読み、懐から拡大鏡を取り出して紙面の上を滑らせ始めた。


そんなに警戒するような事なんだろうか?


うちのオヤジだってあそこまで警戒心つよつよじゃなかったんだけどな。



「これで構いません」


「そうですか、それではメリダの事、どうぞよろしくお願い致します」


「承りました」



二人はまるで本業の商談のように話しているが、結局この契約というのもどうぶつ喫茶とカロンさんとの間で交わされるゆるいものだ。


内容もメリダの代金は請求しないよ、彼女を飼ってる間は魔結晶を割引で融通しますよ、半年に一回は里帰りさせて記録を取らせてねって感じのものだ。


そんな他人の署名する契約書の上で、なぜかチキンとオッサンは固い握手を交わしていたのだった。




数日かけてメリダの住む場所を整えると言って、彼女にたくさん餌を食べさせたカロンさんとその叔父さんは帰っていった。


ローラさんの言葉に従ってチキンを連れてきて良かった、正直ちょっと疲れた。


きっと今後も同じような事があるだろうから、チキンに今日の契約書や造魔の飼育上の注意なんかを定型化してもらって次からは俺なしでやってもらうことにしよう。



「チキン、今日はありがとうね」


「とんでもございません」


「チキンさん、ありがとうございました!」


「プレトガはもっと後先を考えて喋るように」


「はい! 考えます!」



それよりも、ちゃんとしたのを店長補佐なんかにつけた方が早い気がするな。



「そういえばさ、あのおじさん契約書を一生懸命見てたね。ああいうのってやっぱり詐欺が多いの?」


「え? あー……それもありますけど。今日に関してはご主人様がいたからじゃないですかね」



チキンは気まずそうな顔で前髪の枝毛を引っ張りながら、そっぽを向いてそんな事を言った。


え? 俺のせい? なんで?



「え? 何? 俺がいたらどうなの?」


「その、ご主人様……ご自分のあだ名とかって……」


「シェンカーのボンクラ兄弟とは呼ばれてたけど……」



女の長男酒の次男、芝居狂いの三男と近所では有名だった。



「あ、私は知ってますよ! トルキイバの奴隷王って呼ばれてますよね!」



輝くような笑顔でそう言ったプレトガは、チキンに小声で「バカ」と叱られている。


なるほど、奴隷王……


そういえばそんなあだ名もあったなぁ……


ということは、あのオッサンが色々心配してたのって……


姪っ子を奴隷にされるかもって思ってたって事?



「俺、そんなに評判悪いのか……」


「そんなことないですよ、中町では名士ですから!」



中町では・・・・ね。


項垂れた俺の顔を小さい馬が心配そうに見上げ、足には猫達が絡みつくように集まってきた。


頭と背中には鳥がとまり、垂らした手の先を犬が舐める。


たとえ動物相手でも、好かれるってのはいいなぁ。


止まっている鳥たちを散らし、猫を踏まないよう気をつけながらごろんと横になる。


いろんな動物たちが体中にひっついてくるのを感じながら、目を閉じた。


好事家が歯ぎしりしそうなモフモフ結界の中で、俺はなんとか世間のイメージを良くする方法はないかと、ゆっくりと思案したのだった。






…………………………






前の仕事とは全然違う仕事に転職しまして、資格取ったり勉強したりでなかなか更新できませんでした。

しばらくはもう少し慌ただしいと思いますが、安定したら前の仕事よりしっかり余暇が取れると思いますので小説もがんばります。

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