第87話 春の町 白球飛びて 牛肥える

Ghost of Tsushima最高ですやん神





……………





甘い匂いに誘われて庭へと出ると、暖かな春の日差しに照らされた緑がきらきらと輝いているように見えた。


小花は咲き乱れ、蝶は飛び、空からは白球が降ってくる。


白球……?


足元に転がってきた白い野球ボールを拾い、不思議に思っていると生け垣の向こうから何者かの声が聞こえた。



「やべーよ、この家貴族じゃん……」


「謝りに行ってこいよ」


「死にたくねぇよ~」


「バカ、お前が入れたんだろ」



なるほどね。


生け垣の向こうにポイとボールを投げ返すと、わっという声と共に足音が離れていくのが聞こえた。


去年の秋から始まった野球も、この街に完全に定着したみたいだな。




その野球の、この世界での総本山であるシェンカー野球場スタジアム


この日の昼、そこにはトルキイバ中の野球ファンが詰めかけていた。


グラウンドにはズラッと並んだ、トルキイバの全十二貴族球団のオーナーたちがいる。


そう、今日は春から冬まで続く、この街の野球リーグ戦の開会式なのだ。


今グラウンド中央のお立ち台の上では、野球選手会の会長であるトルキイバ魔導学園教師のエストマ翁の挨拶が行われていた。



『……人生に楽しみというものはいくつあってもいいものであるが、新しい楽しみならばなおさらよい。野球というものは歴史の浅い競技であるが、この老骨の胸を熱くさせるに十分なものである。正々堂々、老若男女、規則の範囲内で別け隔てなく競おうではないか。では、貴族院リーグの開催をここに宣言する』



いいことは言ってるはずなんだけど長すぎて頭に入ってこない挨拶もようやく終わり、客席からは貴族平民を隔てることのない大拍手が沸き起こったのだった。


エストマ翁と共にオーナーたちは引いていき、入れ替わりにリーグ戦第一試合の選手たちが球場へと現れた。


平民達は賭けチケットを買うために窓口へと長蛇の列を作り、貴族たちは野球が続く限り歴史に残るであろう記念すべきこの試合を楽しむために軽食や酒を買い求める。


これは全く意図していなかった事だが、気づけばこの野球場は貴族と平民が混ざり合って一つの事を楽しむ不思議な場所として成立していたようだ。


平民はVIP席には目を向けないなどの気遣いを見せながらも、貴族同士の派手な試合を楽しみにし。


貴族はいちいち口には出さないものの、勝負の立会人として平民の観戦を容認していた。



『これより、魔導学園学園長であられるマジエス元陸軍少将閣下による始球式が行われます。皆様、どうぞお静かに願います』



そんなアナウンスと共にピッチャーマウンドにローブ姿の学園長が上がり、本当にボールを燃え上がらせた火の玉ストレートで見事にストライクをもぎ取った。


学園長、かなり練習してくれたんだな……


両手を上げてぐるりと観客席を見回した学園長は、これまでに見たことがないような生き生きとした顔をしていたのだった。




そうして野球のシーズンが始まったのとほぼ同時に、超巨大造魔の制作現場も再稼働を始めた。


ゴミや砂が溜まっていた百メートルのドックは綺麗に清掃され、人目を遮るために一面に天幕が張られ、外界から遮断された。


今のトルキイバはスパイ天国だしな、当然のことだ。


警備の方もどこからかやってきた凄腕の魔法使い達がいつの間にか採用され、魔導学園の学生アルバイトに混じって警戒を行っている。


違和感バリバリだが、多分王都の義兄さんから送られてきたであろう彼らにも事情があるんだろう。


防諜のためとはいえ、大っぴらに送り込むわけにはいかないもんな……今やってる造魔開発って、名目上は学生の個人研究なわけだし。


そんな強面達の警備する天幕の隅っこに机を広げ、俺は監視の名目で付いてきたローラさんと共に造魔生成前の最後の準備を行っていた。



「見たまえ、あそこの色眼鏡の男が『鷹の目』のフルドア、あっちのトンガリ帽子の中年女が『蟲使い』のクェス・イーノだ、長兄はこっちでゲリラ戦でもやらせるつもりなのかね?」


「あ、やっぱお義兄さんが送ってきた人材なんですか?」


「そりゃあそうさ。私の記憶が正しければ『鷹の目』は准尉、『蟲使い』は少尉だったはずだ。二人とも北方戦線で名を売った軍人だ。北方戦線には果てが見えないぐらい長大な要塞があってね……」



ローラさんの解説をふんふんと半分聞き流しながら試薬を作成していく。


どんな活躍をしてきた魔法使いだろうと、学生アルバイトの魔法使いだろうと、味方ならなんでも一緒だ。


俺はあの金髪のお義兄さんを一定のベクトルで信用しているのだ。


少なくとも超巨大造魔が完成するまでは、なんだかんだと俺の身の安全をあの手この手で守ってくれるだろう。



「あ、ローラさん、そっちの仕様書取ってください」


「ん? ああ」



ローラさんは机の端にあった仕様書を手にとり、書いてある内容をちらりと見て眉間に皺を寄せる。


開かれたページには、ほとんど形を成さないぐらいに分解された魔法陣のようなものが書かれていた。



「これは……魔法陣か? 書きかけかな?」


「あ、いや、それはそれでいいんです。それを使う工法なんです」


「私も一応赴任前にあらかたのことは調べてきたつもりだが、こういう魔法陣は見たことがないな」


「まだ僕もその研究は発表してませんからね」



不思議そうな顔をしているローラさんに、目の前の十メートルほどの深さのドックを指差しながら説明していく。



「あの精製槽の深さで、時計塔級の造魔をどうやって作ると思いますか?」


「作れるんじゃないか? 作れないのか?」


「あれじゃあ無理なんですよ、本当はあの五倍は深さが必要なんです」


「じゃあ駄目じゃないか、また追加で掘らなきゃいけないのかい?」


「あの穴だけでも凄い時間がかかったんです、それは現実的じゃあない。そこで、さっきのバラバラに分解した魔法陣が役立つんですよ」



俺の説明でローラさんの疑問は更に深まってしまったのか、どうにも怪訝な顔をしていらっしゃる。



「あれはつまり、段階的に造魔の体を作っていくための魔法陣なんです。まず頭を作ったらそれを持ち上げて、今度は肩を作ります、その次は胸、その次は腹、そうやって建造を繰り返すことで最終的に一体の造魔を作り出すということです」


「どうにもピンと来ないな……」


「つまり建物に例えれば、建物の屋根から作り始めて、それを持ち上げながら下の部分を組み立てていくってことです」



俺の説明が悪かったのか、ローラさんはますます怪訝な顔だ。


まぁこっちの世界にはまだ高層ビル自体がないからな、作った階をジャッキアップして持ち上げながら下の階を建築するT-UP工法なんかの概念も存在しなくて当然だろう。


仕方のないことだが、事前にモックアップ等を使ってきちんと説明するべきだったかもしれない。



「……じゃあ、その屋根……いや、造魔の頭や肩だけを作る魔法陣はどうやって作ったんだい?」


「え? 普通に元々ある要素を分解していくだけじゃないですか。そこは誰にでもできますよね?」


「うーん、それはどうだろう……」



気がつけばローラさんが、さっきとはちょっと違う感じで額に皺を寄せ、こめかみを押さえている。


技術のプレゼンは難しい、その世界で画期的な新工法ならばなおさらだ。


俺のローラさんへのプレゼンは深夜にも及び……結局はそれでも間に合わず、造魔建造前に新工法の論文を文章に纏めるということになってしまったのだった。




仕事も回りだしたところだが、最近は俺の個人的なことでも色々と新しいことをやり始めた。



「ンモォ~」


「おーい! 牛がまたでっかいのしてるぞー!」


「はいはーい! 吸い取りまーす!」


「このソージキ型造魔って便利ねぇ」


「動物たちの出したものなんでも吸い取って乾かしてくれるんだもんね。寮にもひとつ欲しいなぁ」


「寮にあったって魔結晶が高くて使えないっつーの」



まず、地下で畜産を始めた。


地下道が半分ぐらいの場所で軍に埋められて、とりあえず使いみちがなかったからそこで動物を育て始めたのだ。


匂いと糞尿の処理が問題だったが、今の所は急ごしらえで作った脱臭造魔と、脱水機能付きの掃除機型造魔でなんとかしてもらっている。


なんで急にそんなことをし始めたかというと、俺にも止むに止まれぬ事情があったのだ。


まぁ、なんというか……シェンカー家のダンジョン産食肉流通のせいというか、おかげというか、街に肉があるのが当たり前になってしまったのが全ての原因ということになるだろうか……


元々トルキイバの食肉の流通量というのは限られたものだった。


冒険者の狩ってくる肉、それと地元畜産業者の作る食肉、そして量は少ないが他所から運ばれてくる肉だけ。


そういう状況では肉の価値は高くなり、冒険者も畜産業者もしっかり食っていくことができた。


ところがだ、うちの家がダンジョンから肉を持ち帰るようになって状況が一変。


ギルドが買取保証をしている冒険者はともかく、畜産業者の作る割高の肉は今までのようには売れなくなった。


俺も一応街に直で肉を回すことはしないでいたのだが、それでも打撃は大きかったらしい。


先日、ついにトルキイバの老舗の畜産業者の一つが潰れてしまった。


今地下で育てているのは、俺がそこの経営者に泣きつかれて買ってきた動物たちなのだ。



「コケーッ! コッコッコッコッ……」



足元を走り回る鶏は今の所元気そうだが、地下で畜産なんて前世でも聞いたことがない。


でも地上にも牧場を作るほどの土地はないしな……潰れた業者の土地も次の予定が入ってた借地だったし。


とにかく、臭気と汚物処理は造魔による力技である程度なんとかしたが、これからも色々課題は出てくるだろう。


病気は俺が全部治せるといっても、大変なことには違いない。


まあ、でも逆に考えたらダンジョン利権だっていつ取り上げられるかわからないわけだし、肉が自給自足できて悪いことなんて一つもない。


これも好機として、なんとか前向きに考えることにしよう。


トルキイバのブランド牛とかブランド豚とか地鶏とか、そういうのを作ってもいいわけだしな。


そうだな、ミルクや卵を使って菓子作りをしてもいいな。


楽しみだなぁ……プリンに……キャラメル……


消臭してもなお臭い地下道で膝の裏を豚の鼻に突っつかれながら、俺はそんなことを考えて現実逃避をしていたのだった……




その地下牧場の入り口の真上にある、マジカル・シェンカー・グループ本部。


その引っ越しが決まった。


引っ越しって言っても遠くに引っ越すってわけじゃない、同じ場所・・・・に引っ越すんだ。


以前から進めていたシェンカー通りの全ての家の買収がようやく終わり。


かつての予定通り、全ての平屋を五階建てのマンションに作り変える『シェンカー町』建設計画がようやくスタートを切ったのだ。


そしてその平屋には当然シェンカー本部の元漬物工場も含まれていて……


シェンカー本部はそこを取り壊した後に立てられる基幹ビルの一階に移転することに決まっていた。


そして今は先行して建設していた本部前のマンション一階へと、本部機能を一時移転している最中なのだった。



「あたしの靴どこぉ~?」


「大鍋運ぶから手伝いなー!」


「ちゃんと名前書いときな! 後で揉めるんだから!」


「すいませんご主人様、どたばたと……」



そのシェンカー本部の一番の頭、俺の家の家令候補でもあるチキンがぺこりと頭を下げた。



「いやそんなこと気にしないよ、引っ越しの手は足りてる?」


「今のところは大丈夫です、休みの女衆がみんな手伝いに来てくれているので助かってます」


「そりゃ良かった。で、今日来たのはだね」


「はい」



汚れてもいい室内着という扱いなんだろうか、チキンはスリータックのベージュのズボンに合わせた仕立てのいいシャツの腕をまくり、メモ帳とペンを用意した。


相変わらずの着道楽っぷりだ、チキンの服はもう質では俺が普段着てるようなものとあんまり変わらんぞ。



「本部跡地に建てるマンションは七階建てにしようと思ってるんだ、敷地も他のマンションより広く取るつもり。一階に本部が入るわけだしな」


「そうですね」


「それでさ、二階から四階ぐらいまでに店かなんか入れてもいいと思うんだよね。ちょうど真ん中にあるわけだしさ。夜遅くまでやってる店とかあると便利じゃん」



まぁ、俺が夜にコンビニとか行くのが好きだっただけなんだけどね。


団地の真ん中にコンビニがあったら嬉しいでしょ。



「まあたしかにそうですね……あって便利なのは、食堂やパン屋ですかねぇ」



彼女は金メッキのペンの尻を下唇に当てて、何やら考え込んでいるようだ。


多分誰をどう配置するのかを考えてるんだろう、資料の一つも見ずに大したもんだ。



「商店街ってわけじゃないからさ、一つの店で作りおきの軽食から薬や生理用品まで、とりあえずなんでも買える店があったらいいと思うんだよね」


「たしかに夜に薬とかが買える店があったらいいですね、最低限の痛み止めなんかさえあればその場は凌げるわけですし。そこでパンなんかも売ってたら最高ですね」



やっぱチキンは飲み込みが早いわ、こういうのも俺がゴチャゴチャ言うよりも基本お任せの方がいいんだろうな。


現場を知らないお偉いさんが色々提案したって混乱を招くだけだろう。



「他の店はどうします? 二階から四階ぐらいまでってことは、入るのはそのなんでも屋一つだけじゃないわけですよね?」


「うーん……うちは結構女が多いわけで、これからは子供も増えてくわけでしょ? 何があれば嬉しいかとか、そこらへん俺にはわかんないとこだからチキンに一任するわ」


「えっ? 一任ですか?」


「なんでもいいよ、好きに決めて」


「うーん、そうですねぇ……」


「別に服屋作ってお前が好きな服並べてもいいんだよ」


「えっ!? 服屋ですか!?」



何が琴線に触れたのか、急に声が大きくなったチキンは身を乗り出さんばかりにして俺にそう聞き返した。



「う、うん……」


「それはつまり、その服屋に私が入れる商品を決めてもいいということでしょうか?」


「まあ、そうだね」


「どれぐらいの利益率を見込まれていますか?」


「いやまあ、うちの連中が店員で赤が出なきゃいくらでもいいけど……」


「じゃあ、じゃあ、えーっと……」



ここ最近では珍しいことに、チキンはちょっと慌てているようだった。


よっぽど服屋がやりたかったのかな?


まあ着道楽の女だしな、俺が劇場を持ちたかったようなものなんだろうか。



「別に本部のすぐ上なんだし、お前が賃料と人件費払うなら兼業でオーナーやったっていいんだぞ」



俺がそう言うと、チキンはクリスマスプレゼントをもらった子供のような表情で「本当ですか!?」と言う。



「う、うん……」


「やりますやります! やらせてください!」


「うん……あの、常識の範囲でね?」



それからしばらく、チキンは服屋の事でフワフワしてしまってなかなか話が進まなかった。


もしかしたら演劇趣味の面では俺もこう見られてるってこともあるのかもな……


趣味の面ではチキンを反面教師にしよう……この日密かにそう思った俺なのであった。





……………





最近シングルコイルピックアップの巻き直しにチャレンジしていますがなかなか上手くいきません

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