第66話 父の背に 言えない言葉 飲み込んで

春爛漫の中、俺は花壇に黄色い花の咲き誇る中庭を全力疾走で駆け抜けていた。


今しがた呼び出しのあった学園長室のある本棟へは、研究室のひしめく研究棟からはそこそこの距離がある。


これは万が一・・・研究棟が吹っ飛んでも一般の学生には被害がないようにするためだ。


不思議な事に、この学校は三百年の歴史の中で万に一つを三回引き当てている。


そのたびに研究棟は新設及び改修され、現在は研究棟が四つもあった。


そんな呪われた研究棟を離れ、本棟の昇降口で新入生らしき子どもたちをかき分け、階段を一段飛ばしで登って学園長室へと急ぐ。


学園長が一介の平研究生に用があるなんて言いだしたら、まずロクなことであるはずがない。


吉報なら、事前にそれとなく上司のマリノ教授からほのめかしがあるはずだからだ。


冷たいんだか熱いんだかよくわからない汗をかきながらもなんとか階段を登りきった俺は息を整え、学園長室の重苦しいウォルナットのドアをノックした。



「入りたまえ」


「失礼します、造魔研究室、研究生のサワディ・スレイラです」


「うん」



ドキドキしながら入った学園長室には、学園長と一緒に懐かしい顔がいた。



「よお、久しぶりだなサワディ先生。背伸びたか?」



そう言いながら手を振ったのは、髭を綺麗に整えたイケメン中年元軍人のゴスシン男爵だった。


以前、俺は魔臓をなくして死にかけた彼を治療したことがあって、それからは季節の便りを送りあう仲なのだ。


会うのは俺の結婚式以来だから、ほとんど一年ぶりか。



「ゴスシン男爵!お久しぶりですね、お変わりないようで……」


「ああ、絶好調だよ。先生のおかげで先日二人目の息子を授かってね」


「へ……?あ、おめでとうございます」



この人いくつだっけ、まぁそんぐらい健康になったって事か。



「ありがとう。先生とはじっくり旧交を温めたいところだが、今日は伝令役でな」


「はぁ」


「最近リスダン子爵に任されてる南のダンジョン特区がまずいってのは聞いてるな?」


「ええ」


「狩りきれなくなった魔物の群れが何度か入り口の柵を突破してるみたいでな。特区の周りに漏れ出して繁殖を始めたそいつら目当てに、超巨獣の出現回数も多くなってる」


「らしいですね」


「うちの国も大陸間横断鉄道ができて、戦線が伸びた・・・。各地の騎士団から人が抜かれててどうにもダンジョンが手薄でね。そんでまとまった数の兵隊を抱えてる先生のところにもリスダンから協力要請が行ったと思うんだが……」


「まぁ、そう……ですね」


「その様子だと、ずいぶん買い叩こうとしたみたいだな」



苦笑いするしかない。


奴隷を売れとか、24時間駐在させろとか、なんの優遇もしないけどとにかく草刈りをやれとか、何度も手を変え品を変え無茶苦茶言ってきたから全部突っぱねていたのだ。


別にダンジョンが氾濫しようがトルキイバは壁で囲まれてるから俺には関係ないからな、広大な麦畑にちょこっと被害が出るぐらいだろう。



「国としても、先生にはダンジョンの管理を手伝ってほしいと思ってる。先生が人手を出してくれれば集めた草刈りの奴らを他の地域に回せるからな」


「そんな、たかが奴隷冒険者の数百人に何を期待してるんですか?」


「たかが数百人でも、先生の治療つきの数百人じゃ話はまるで違うさ。軍も欠損奴隷を買って兵隊にする計画を立ててるみたいなんだが、再生魔法使いはプライドが高くてな。まだ形にもなっちゃいない」


「そうなんですか」


「とにかく、手伝ってもらうにもリスダンのジジイの横やりは邪魔なんだ。そこで軍はこれを用意した」



ゴスシン男爵は鞄から赤い革張りの辞令入れを取り出し、サワディ・スレイラ研究生!と声を張り上げた。



「はっ!」



瞬間、思考は停止し、体が勝手に動き出す。


無意識でもできるようになるまで練習させられた、目上の人から物を受け取るときの動きだ。



「トルキイバ魔導学園造魔研究室、准教授に任命する!」


「光栄であります!」



ん?


准教授!?


内示では助教って聞いてたんだけど!


二つも役職飛ばしてるじゃん!



「先生も色々陸軍に貢献が大きいからな、准教授にしろって話がほうぼうから上がって、それを纏めるので許可が遅くなったんだよ」



ニカッと笑うゴスシン男爵は官製の煙草に火をつけ、心底美味そうに煙を吸い込んだ。


学園長の方を見ると、無言で頷きが返ってくる。


はは……


俺も貴族かぁ。


それも木っ端役人とかじゃなく、魔導学園の准教授だぞ。



「あと、これは国は関係ない個人的な頼みなんだが……」



あまりの展開になかなか気持ちを立て直せないでいる俺に、ゴスシン男爵は照れくさそうに話を切り出した。



「息子に君の名前を貰ってもいいかな?妻が許可を貰ってこいとうるさくてね」



曖昧なままに頷きを返し、ふわふわとした気持ちのまま研究室へと戻り、マリノ教授以下研究室の皆に背中を叩かれながら祝われ、後日祝杯を上げることを約束して帰宅した。


その日、家で妻のローラさんにキスをされるまで、俺は狐にでもつままれたような気分のままだった。






ダンジョン特区、それは人類に与えられた金のなる木だ。


人類は昔からあんまりヤバくない・・・・・ダンジョンの周りを町で囲み、冒険者や土地の騎士団でほとんど無限湧きしてくる中の魔物を狩って狩って稼ぎまくってきた。


主な産出品は食肉、革素材、そして魔結晶。


ダンジョンの算出するそれらの物品はこの国の地方自治に大いに役立ち、増え続ける人口を、肥大し続ける軍事費を、若者達の立身出世の夢を支えてきた。


そんな素晴らしいダンジョンであるが、ただ一つだけ欠点があった。


狩人の処理能力を超えると、魔物が溢れるのだ。


これが起こると、魔法使い以外の人間達にとっては危険極まりない状況になる。


地上ならば地平線までが魔物に飲み込まれ、海は見渡す全てが魔物の色に染まり、その魔物による暴動は迷宮の奥底に現れた強大な迷宮主を倒さない限り静まる事はない。


だが魔法使いにとっては、そんなものはなんでもない。


魔物?


迷宮主?


そんなもんはちょろっとダンジョンの奥まで火を通してやれば収まる程度の騒ぎだ。


だけど、金が湧き続ける木を焼いてしまうのは勿体ないだろう?


勿体ないが、この伸び盛りの時期に軍の拡張を諦めるほどではない。


だから俺みたいな、各地方都市で私兵を抱えてる奴らが問題解決に引っ張り出されたってわけさ。




「先方の実務者と協議した結果なんですけど。今後一年の間、シェンカーの人間ならば魔結晶を五割増しで買い取ってくれるそうです」


「五割増しねぇ、他の素材は?」


「据え置きとの事です」


「それなら魔結晶は倍の値段でも通るな。あとはシェンカーの人間の待遇だ、奴隷たちの命がかかってるから、こちらのやり方には一切ケチを付けさせたくない。後でまた手紙を書くから」


「ありがとうございます」



准教授の辞令を受けてから一週間、ここのところ毎日毎日ダンジョン特区に交渉に行っているうちの筆頭奴隷のチキンが疲れた顔で笑った。


難航しているように見えるが、丸っきりビジネスパートナーとして見られていなかった頃とは大違いだ。


やっぱり貴族って肩書きは凄い。


これまで卑しい奴隷だって言って侮れられてたチキンだって、もうすっかり若き家令候補扱いだ。


うちの奴隷たちの喜びようも凄くて、マジカル・シェンカー・グループ本部の前の石畳に書かれていた「シェンカー大通り」の記載が即日「大シェンカー大通り」に直されていた。


いいかげん町長に怒られるぞ。



「向こうの実務者には無理を言われてないか?」


「あちらの方も平民魔法使いで板挟みですよ。下からは手が足りないって言われてるのに、上ががめつくて纏まらなくて大変だって」



チキンはそう言いながら肩をすくめた。



「どこも大変だなぁ」


「まあでもこっちが折れる理由はないですからね」


「そうだ、ダンジョンなんてそうそう崩壊するもんじゃない。のんびりやればいいさ」


「そう言って頂ければ、肩の荷もいくらか下ります」



そうして俺は引き続きチキンに実務を任せ、久々の実家へと足を運んだ。


今日は実家で俺の出世祝いをやってくれるのだ。


親父と兄貴二人、そして兄貴の義父である番頭が集結してお祝いの定番料理の七面鳥を囲んで騒ぐだけの祝いだが、気心のしれた家族と過ごす時間は何にも代えがたいもの。


足取りは軽く、財布の紐は緩く、俺は途中で酒やトルキイバ焼きを山ほど買い込んで向かったのだった。




家の食堂に入ると皆はもう既にテーブルを囲んで飲み始めていたようだったが、わざわざ席を立って出迎えてくれた。



「よっ!おめでとう!」


「ありがとう」



最近は家の手伝いをしっかりやっているのか、シェンカー商会の前掛けをつけたままの下の兄貴は酒を片手に俺の肩を叩いた。



「やるじゃん!」


「兄貴最近また外に彼女作ったろ」


「え?どっちの話?」



壁新聞で悪事を暴露されたのに全く懲りる様子のない上の兄貴は、だらしない顔のまま笑う。



「おめでとうございます。ダンジョン利権に切り込むって話聞きましたよ、糧食の調達は任せてくださいね」


「おいおい、ダンジョンなんかトルキイバから遠足ぐらいの距離じゃんか」



どうしようもなくスケベな孫の教育に頭を悩ませすぎて若干髪が薄くなり始めた番頭は、悪い笑顔で両手を揉んだ。



「しっかりとお国に尽くすのだぞ」


「ま、給料分はね」



嬉しそうな、複雑そうな顔の親父は俺の頭を撫でながら諭すように言った。


祝福をくれたシェンカー家の面々に改めて感謝の言葉を返し、七面鳥の丸焼きをぱくつく。


前に食べたのはついこの間の下の兄貴の結婚の時だったが、まあ縁起物だし何回食べてもいいかな。


そんなめちゃくちゃ美味いってもんでもないが。




「ローラさんの様子はどうなんだ?」


「いや、もうお腹大きいから大変だよ」


「子供も魔法使いにするの?」


「そりゃね」



なんてどうってこともない話を隣に座った下の兄貴としていたら、反対側に座っていた上の兄貴が俺の袖をチョイチョイと引いた。



「なんだよ」


「せっかく貴族になったんだから、新しい嫁さんはもらわないの?」


「もらわないよ」


「なんで」


「俺は妻を愛してるから」


「新しい嫁さんも愛したらいいじゃん」


「これジェルスタン、やめんか」



向かいの上座に座っていた親父が焦ったように上の兄貴を止めた。



「貴族の女というのはな、御しがたい、大変なものなんだ。二人などとても相手にできるものではない」


「そっか、うちの母ちゃんも魔法使いだったもんな」


「母ちゃんおっかなかったなぁ」


「そりゃ俺たち三人があんまり出来が良くなかったからじゃない?」


「そんなもんお前が貴族になったからチャラだ、チャラ」



そう俺たちが話すのに、親父は俯いたまま小さく頷いた。



「母さんも、別にお前たちが憎いわけじゃない。王都でお前たちの幸せを願っているはずだ」


「ま、いいんだけどさ、俺たちはこの街が好きだし、もう一生会うこともないかもな」


「サワディ、もし王都行くことがあったら孫いっぱいいるぞって言っといてくれよ」


「孫がみんなスケベだって言っとくよ」


「サワディ坊っちゃん、会ってもほんとには言わないでくださいよ」



番頭に困った顔で言われてしまったが。


まあ、もし王都に行って、母に会えるとしても会うことはないだろう。


俺たちシェンカー家の男達と、親父が魔法使いの血を取り込むために結婚した母との間の断絶は、簡単に言い表せないほど大きかった。


親父だって無理やり親に決められた結婚なんだ、魔法使いに苦手意識を、拭いきれない恐怖を抱えるのも、俺は理解できた。


俺だって魔法使いなんだ。


親父は本当は俺のことだって怖いはずなんだ。


本当は、この温かい親子関係だけで満足するべきなのかもしれない。


でも、俺はそれでも俺の家族を、ローラさんとその子供を、親父には受け入れてほしかったのだ。


これが親子の間の最後のわがままになったっていい。


俺は親父に、息子としての俺だけじゃなく、魔法使いとして、貴族としての俺を、その家族ごと受け入れてほしかった。


今日だって、飯を食った後で親父に改めてそう頼むつもりでやってきたのだ。


でも、五十になって白髪の増えた親父を改めて見ると、言葉が出なかった。



『俺の子供に名前をつけてくれ』



これ以上親父を傷つけるのが怖くて、それだけの言葉がどうしても出ていかなかった。

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