第36話 友との約束

セントパレスは王都ウォーセンの中心地で政治、経済だけでなくあらゆるものの中心的な場所であり、ここで手に入らないものは無いとまで言われるほど充実している街であった―—街に出たオルトはチェスターを伴い、道具商や武器、防具などの店にいくつか立ち寄っていた。今、来ている店はセントパレスの中でも一等地に位置する場所に店を構えているメッサーラという店だった。店の雰囲気は高級感がありながら置いてある品物の実質的な使用イメージが出来るよう、奥には試用部屋も完備されている。


「さすがセントパレスの街は品物が豊富だな……」


「王都ウォーセンの中心地区ですからね最新のものも多くありますし、他国からの物も申し分のない取り揃えがありますね」


チェスターがオルトに説明するように言った――そんな彼の腰にある物に目をやると、落ち着かず具合の悪そうな剣が気になった。


「チェスター、その剣は自分で選んだ物か?」


「そうですが何か?」


「そうだな……ならば、これを」


「これは?」


剣を見ていたオルトは、彼に合ったものを選び渡してみた。


「この剣なら君の動きが良くなると思うが……」


「え?」


「今持っている剣では、君の剣技の良さを完全には引きだせていない、渡した剣で動きを試してみるといい」


オルトの言葉に半信半疑のチェスターは受け取った剣を腰に付け、奥にある店の試室で試してみることにした。


試室ではその店にある商品を試す事ができる部屋で、そこを使ってチェスターはオルトが選んでくれた剣を使い、剣の型を行ってみた。


使用感はあまり変わらないので、オルトの言う剣技の変化がわからなかった。

すると、その試室の奥から店員とは明らかに違う格好の者が一人フラフラっと現れた。見るからに人とは違う人形のような雰囲気にチェスターも目をやった。


その現れた者は、チェスターを捉えると、前触れもなくチェスターめがけ攻撃をしてきた。


「なんだ!」


驚きながらもチェスターは襲い掛かって来た相手を剣で防ぐと間合いを取った。


「貴様! 何者だ!」


チェスターの問いかけにも応じる様子の無く、異様な雰囲気の者は無言のままチェスターにさらに襲い掛かる。


「くそ!」


近くで見るとこの異様な者は、やはり人ではないと分かったので状況判断がつかず相手の攻撃を受けるのに専念する格好となっていた。


「チェスター! 遠慮はいらない、本気で相手をしてみろ!」


「そうですか……では! 遠慮なく!」


オルトの声に反応したチェスターは剣の握りを変えると、襲って来る者に攻撃をしかけた!


チェスターの剣は見事に相手を捉えその場に倒れさせた。倒れた者はうっすら光ると動かなくなった。


その様子を見ていた店員とオルトは試室に入って来て声をかけた。


「あ~あ、このタイプはなかなか入ってこないんですよ! お客さん」


言葉とともに項垂うなだれた店員は動かなくなった人形を恨めしそうに眺めた。


「ちゃんと金は払う、あと、先程言っていた店の物も買うから勘弁してくれ」


二人の会話が理解できなかったチェスターがオルトに説明を求めた。


「あの……これは?」


「君に渡した剣に疑問のようだったからな、店の商品を買って証明してみたのさ」


「え? では今倒したのは?」


「店の商品ですよ……この旦那がうちの商品で一番強いアクターを使わせてほしいと言ったんで、出したんですよ……」


店の店員がチェスターに半泣きになった顔で言った。


「アクターって、模擬戦の相手や対人戦での先兵などに使うあの人形兵ですか?」


「そうだ……で、その剣の感度はどうだ?」


「え? ええ……最初は自分の持っている剣と違いは無いと思いましたが――いざ本気になって相手に構えると、なんかこう……しっくりきたというか、反応が早くて――」


「その剣は、見た目は細く、強さを感じにくい形状だが、使用者の実力をちゃんと引きだしてくれる業物だよ」


「そりゃそうですよ、この店の中で一番の業物ですよ、それ……たしか――べラ・ロナ作の物だって言ってましたし……刻印もある一品ですから本物ですよ」


二人の会話に、まだ半泣きの店員はうる覚えの知識で説明した。


「べラ・ロナ? ってあの伝説の魔法技工師ですか?」


「そうだ……今ではなかなか見られる品物ではなくなったからな」


そんな会話をしていると店の方から店員を呼ぶ女性の声が聞こえてきた。


「おい! ニウラ 店番はどうした!」


「あぁ!――まずい! マスターが帰って来た!」


それを聞いて店員はドキッとした顔になり試室から急いで店内に戻って行った。


その慌て振りからオルトは店主だと思っていた男が、ただの店員だという事に気が付いた。


「この店の店主ではなかったのか……」


走って行く男をみると店から二人の会話が聞こえ、店員の男を怒鳴る女性の声が響いて来た。


「バカ野郎! 店の中におまえが居ないでどうするんだ!」


「すみません! マスター ひっ!」


店員の声が収まると、一人の女性が試室に姿を現した。


その姿は短めの赤い髪で小柄な身体であり、一見すると冒険者とも思えるような衣服を着ていて武器商などをしている様には見えなかった。ただ鋭さと力強さを秘めた目をもっている女性で、何よりまだ若い女性だった……


その女性は試室に入って来るとオルトとチェスターの二人を見て値踏みするかのように言葉をかけてきた。


「あんた達か?……ニウラが言っていた金になりそうな客というのは?」


その言葉が勘に触ったチェスターは女性店主に言いかえした。


「女だてらに、この店をやっているのはお前か?」


「女だてらだろうが何だろうが商売のセンスが無かったらセントパレスの一等地に店を構えてなんていられないね~あんたに出来るのかい?」


チェスターの言葉に店のマスターは軽い笑みを浮かべながら答え、腕組みをして二人のようすを見る女性店主にオルトが話をした。


「これはすまなかった、連れの非礼をお詫びする。これほどの店を女性のあなたが切り盛りしているとは思っていなかったので、申し訳ない」


そう言うと頭を下げるオルトにチェスターは言葉をかけた。


「オルト! こんな女に頭を下げることなんか――」


「ハンッ! お前はこの旦那のように物分かりが良くは無いんだね! 少しは見習えばいい」


そうチェスターに言う女性はオルトに向かって話しを続けた。


「ところで、あんたニウラに店の商品の中でも高い商品をいくつか買い求めたそうだね?」


「ああ……高いかどうかはわからないが――無いのか?」


「バカ言っちゃ困るよお客さん! こっちはこのウォーセンで三十年以上前からやってる商人の店だよ! ここに無いなら他の店にも無いよ!」


自信満々に答える女性店主にオルトはそれとなく聞いてみた。


「そうか――確かにこの場所で古くから商売はしているだろうな……それゆえにこの店に立ち寄ってみたんだが、大体の物は揃ったが、あと一つだけ足り無いので探している」


その足りないという品物に食いついた女性店主。


「足り無い物ってなにさ?」


「赤い鎧でな……かなり古い物だが、物はしっかりしていた――ここに来れば、もしかしたらと思ったんだが」


女性店主は、金になりそうもない内容にため息交じりに答えた。


「旦那……うちは骨董品屋じゃないんだ――古いもなら価値のある品物じゃなければ置いてないよ……それより言われた物は全部揃っているから清算しておくれ」


チェスターはその探し物の内容に興味をもち、オルトに聞いてみた。


「オルト、その探している物はなんですか?」


「そうだな、以前に使っていた物なんだが――持ち歩くと大変だったんで信用していたある人物に預かってもらっていた……が随分前の話だからな、仕方ないだろう」


頭を軽く搔きながら説明するオルトに割って入るように女性店主が買い上げた金額の話をした。


「あ、そうそう、うちは売掛しないからよろしくお願いするよ」


「わかったいかほどになる?」


「ざっと十八万$ぐらいかな」


「ちょっとまて! 十八万$って家でも買わせるのか?」


金額に驚いて女性店主に問い直したチェスターの言葉をあしらうかのように、女性店主が説明した。


「うちの店で扱ってる商品は、そこいらの店とは扱っている物が違うんでね、品揃え、質、安心、アフターフォローを充分に兼ね揃えた商品しか置いてないんだよ――まして、あんたの持っているベラ・ロナの剣は今扱っている中ではそいつのみだ! 高くてもあたり前だってもんだよ」


女性店主の説明を受けてチェスターはオルトが選んでくれたこの剣を返した方が良いのでは? とも考えてしまった。


「まあ構わない、品物が揃えばそちらの言う金額でも問題は無い」


オルトは動じることもなく女性店主の金額をのんだ事にチェスターはびっくりもしていた。


「オルト! こんな金額どうするんですか? 金貨なら千五百枚以上の価値ですよ!」


「城に行けば、預けてあった私の資産があると思う、それで支払うさ」


「あんたら城の人なのか? それならもっと吹っかければ良かった。」


冗談とも本気とも取れるような言い方で女性店主が言うと、チェスターが悔し紛れのように言い返した。


「これだけの物を買ったんだ少しはサービスでまけてくれたりはしないのか?」


「すまないね……金のある人間からはちゃんと取らないとね――けどサービスして欲しいなら」


チェスターが反発したような言葉を女性店主に言うと、艶っぽい言い方で体を寄せてくる行動でチェスターはうろたえてしまい、意味が違う事を伝えた。


「そう言う意味ではない、料金の割引とかだ!」


照れているチェスターを見て笑顔に変わった女性店主は答えた。


「あはっ、冗談に決まっているだろう……しかしこれだけ買ってもらったんだ、それなりのサービスはするさ、ただ割引サービスではないけどね」


女性店主はそう言ってサービスで付ける物の指示をニウラに出していた。


店のカウンターでは、かなりの量の買った物が山積みされていた。


「この量では、自分たちだけでは持ち帰れないな、済まぬが城まで届けてもらえるか? 支払いはその時にさせてもらう」


「わかりました。それではこちらの商品は後ほど運ばせてもらいます」


必要な物を買い終えたオルトは買われた品物の勘定の再確認をしている女性店主にある事を聞いてみた。


「すまないが一つ聞きたい……」


「なんだい?」


「このウォーセンでメタスという店は知らないか?」


その質問に一瞬、鋭い雰囲気になる女性店主だったが、直ぐに表情をもどして答えた。


「メタス? その店に何の様だい?」


「以前その店の店主に先程言っていた鎧を預かってもらったんだが……どうも以前の場所に店がなくてな、移動したのか――それとも店をたたんだのか」


オルトの話に少し考えながら答えた女性店主。


「その店はずいぶん前に辞めちまったんだよ……でもその店にあんたが言っている様な赤い鎧は無かったけどな」


女性店主の言い方が、先ほどまでと違って聞こえた事に勘がはたらいたオルトはさらに聞いてみた。


「そうか――その店主は健在か?」


ドキッとした表情と共に気持ちの中にある複雑な感情が入り混じったまま彼に答えてしまう女性店主。


「それを知ってどうなる? もうその店も店主もいないんだ……諦めたらどうなんだ!」


「オルトは聞いているだけだ、なんでお前が怒っている?」


言葉を聞いたチェスターが女性店主の反応を問いただしていた。


「怒ってなんかいない!――ただ諦めろと言っているだけだ」


「ファルマーに何かあったのか?」


その様子から店主が何かを知っていると感じたオルトはストレートに聞いてみた。オルトからでた名前に女性店主が動揺していた。そして彼女はオルトが言った人物との関係を聞いた。


「なんであんたが親父の名前をしっているんだ?」


「父親? きみはファルマーの娘か? 彼とは旧知の仲だ……彼に何があったのか?」


オルトの言葉に女性店主の態度が完全に変わり、少し考えて答えだした。


「親父の知り合いだったのか……なら信用しても平気かもな、私の名前はセシル――何があったか教える前にあんたに見せたいものがある」


そう言うと店番をニウラに頼み、彼らを隠し扉に案内した。


緩やかな階段を下って行くと、大人でも充分な幅の通路があった――案内されたチェスターが思わず口にした。


「こんな通路があるなんて――どんな店なんだよ」


「普通の人は知らないと思うけど……この通路が繋がっている場所を見てもらいたいんだ」


案内された場所は大きな地下広場であった。そこには、いくつかの方向に行く通路があり、区分けされた場所と扉も多く存在した。それはまるで地下街の様な感じがした。地下であるが、明かりは一定間隔に配置されている光を放つ天井壁があり、外に比べれば明るさはないが、暗すぎるといった感じでもない。柔らかい光で包まれているかのような場所であった。


「ここは? 街みたいじゃないか?」


チェスターが口にするのも、わかるような作りだった。


「私もこの場所を見た時は驚いたわ……けど他の店の店主も知っていたのを見ると、かなり前からこの地下街は有ったようなんだ」


彼女はオルトに聞きたいことを尋ねた。


「あんたに、この先にある物を見てもらいたんだよ」


そういって更に進んでいくと、地下街の中心ぐらいにある井戸に一つの石盤があり、その石盤の上から、赤い色で書かれた模様があった。


セシルはその石盤を苦々しく見ると、落書きのように書かれていた模様をオルトに聞いてみた。


「この模様で何か知っている事は無いか?」


その書かれているものを見たオルトは少し考えると、間を空けて答えた。


「いや、すまないが見覚えがない」


彼の答えにため息を吐きながらセシルは下を向いてしまった。


その様子に何かあると感じたチェスターが声をかけた。


「この落書きがどうかしたのか?」


下を向いたままセシルが話し出す。


「7年前、このセントパレスで大きな火災があったのを覚えているか?」


「そういえば、あったな大きなのが――セントパレスの魔術師たちの多くが地方都市へ巡察に出向いていた時に起きた火災だったよな」


チェスターは当時を思い出しながら答えていた。


「ああ……あの火事も魔術師たちの人数がいたら、あそこまでの被害にはならなかった。あの火事でこの辺りの商店は、かなりの損害があって、その被害を受けた人たちが一時的に、ここで避難生活をしていたんだ――私たちだけでなく家を無くした人たちが集まって、この地下街を使ったんだ」


「あの火事の焼け跡は俺も見たよ、かなりの被害だった。」


「私たちは、この地下街で生活をしながら店の再建をしていたんだけど、ある時この地下街でおかしな事が起き始めたのよ」


「おかしなこと?」


「ええ――避難民が殺されたの……しかも一人じゃなく何人も」


「それは王都憲兵隊には知らせたのか?」


「もちろん言ったわよ……だけど犯人は捕まらなかった」


続けてセシルが怒りと悔しさを込めた感じで言葉を吐いた。


「その殺された避難民の中に……私の親父と兄もいたんだ!」


その告白に流石さすがのオルトも驚きを露わにした。


「ファルマーが!」


そしてセシルは目線を石盤に向けて話しを続けた。


「私は親父たちを殺した相手がこの模様を残したという事を聞いて、親父がやっていた店もやりながら何か手がかりにならないかと手を尽くしたわ……けどこれだけじゃ何も解らなくて」


「すまなかった……事情も知らずに女だてらに店をやっているとか言ってしまって」


チェスターは分からなかったとしても、そのような嫌みを言ったしまった事をセシルに謝った。


「別に構わないわよ――私だってやりたくて始めた店では無いもの……二人が残した物でもあるし、親父がこの店にある鎧を何としても守れって言ってなければ、ニウラにでも任せて気楽に生活していたわよ」


鎧という言葉に反応したオルトはセシルに詰め寄った。


「セシル! 今ファルマーが守れと言ったのは、鎧と言ったのか?」


「え? ええ、でもあなたが探している鎧では無いわよ――赤色でもないし、錆だらけの汚い鎧……なんでそんな鎧を守れって言ったのかはわからないけど、親父の遺言みたいなものだし……特に邪魔になる物でもなかったから」


「セシル、その鎧は今どこにある?」


「え? それならこの地下街の私たちが倉庫代わりに使っている部屋に置いてあるわよ」


「すまぬがその鎧を見せてもらえぬか?」


「でも、あなたが探している物では――」


「ファルマーが守れと言った物を確認したいのだ!」


「わかったわ……こっちよ」


オルトの気迫というか懇願に近い表情にセシルは押し切られるよう、二人を連れてその鎧が置いてある部屋にやって来た。オルトはその鎧を見ると、目を潤ませながらその鎧にゆっくり近づいた。


「ありがとうファルマー、約束を守ってくれたんだな」


「ちょっと!―—その鎧はあなたが言っていた」


セシルの言葉が終わる前にオルトが鎧に触れると、錆だらけの鎧からうっすら光が放ちだした。小さな光が次第に大きくなっていき、鎧全体を包みこんだ。


「これは? なんの光だ?」


チェスターが光から目を逸らしながら言うとセシルもびっくりしながら言った。


「なに? 何よ! これって!」


光が収まると、そこには置いてあった錆だらけの鎧ではなく、形も変化した真紅の鎧があった。それを見てセシルは驚きながらオルトに説明を求めた。


「どういうこと? さっきまであったあのポンコツ鎧じゃなくなってるじゃない!」


「この鎧は昔、魔法技工師のファルマーに預けたものだ……多分ファルマーが所有者に反応して真の形に変るよう、鎧に細工を施してくれていたのだろう―-だから今まではあのような姿で保管されていたのだ」


オルトは唇をかみしめて、ファルマーが約束通り鎧を預かっていてくれた事に感謝した。一方、セシルの目の前で起きた事だけでなく父親が魔法技工師という高い技術を持った人物だと知った事の方が大きな衝撃だった。


「親父が魔法技工師?……そんなの知らなかった――私はただの鍛冶職人から商人に変わっただけだと思っていた」


複雑な表情のセシルだったのでオルトは察して話してくれた。


「多分、ファルマーは君を変なことに巻き込みたくなかったからなのかもしれない……魔法技工師は魔術師などと違って武器や防具、道具などに魔法属性や特性を持たせることが出来る者、ましてファルマーは特級の鍛冶職人からなった資格者、その作り上げる物は価値を知っていれば誰しも欲っする物だ――それだけにその魔法品を欲しがるものに色々な事柄を要求されるだろう。場合によっては家族にも害が及ぶ可能性を考えて、ファルマーは教えなかったのかもしれない」


その説明に父のことを何も知らなかったセシルは何とも言えない気持ちが込み上げて来て、セシルは独り言のように言葉を発していた。


「どうしたらいい?……親父は私を守ろうとして魔法技工師の技能を隠していた? けど、それでも巻き込まれたって事だとしたら私は――」


「家族を奪った者を探すなとは言わない、だが一人で無茶をするな……私はファルマーの守ってくれた約束に、それに報いる事はしたいと思っている」


そう言ってオルトはセシルの肩に手を置く。


「ありがとう……」


そう力なく答えるセシルに今は多くの言葉をかけることは出来なかった。


「すまぬがこの鎧も他の品と一緒にあとで城の方に届けてくれないか」


「ええ――わかったわ」


「それと私はしばらくの間は、このセントパレスにいる。何かあれば訪ねて来てくれ」


「ええ……」


オルトはチェスターを伴い、その場を後にした。


後ろ髪を引かれるような想いのチェスターは、度々後ろを向きセシルを気にしていた。


その様子を見たオルトが彼に声をかける。


「彼女が気になるのか?」


「いいえ……いや――なんというか、どう声をかけていいか」


「今は彼女自身の考えがまとまらないだろう……大抵の人間は平穏の暮らしを捨てることを恐れ、何も無かったように日々を戻すものさ……守るものが多ければ多いほどな」


「何もしないという事ですか!?」


反発するようにチェスターは言った。彼の中では肉親を殺されたのを分かっているのに、普通に暮らして、そのことから目を逸らす事など想像も出来なかったからだ。


「彼女がそう言う結論を出すかはわからないが、人間は築き上げたものを壊すことに躊躇ためらいを覚える……そしてその選択が間違いだったとしてもな」


「私は!…… 何もしないのはおかしいと感じます。まして自身の家族が亡くなる様な出来事をなかったとする……目をつむるなんて」


「そうだな……だが何度も真正面からつらい出来事に向き合って生きていける程、時間も強さもないのが人間さ、だから時には目を瞑ることもする」


「彼女……セシルはどうするんでしょうか……この事実を」


オルトのいう事も何となくはわかるが、セシルがどういう答えをだすのかわからず、チェスターは尋ねていた。


「セシル次第だよ……」


そう言ってその場を後にした。

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