椿が枯れたら(7)
三日後の土曜日の午後。僕とスズミさんはコミュニティバスに揺られ、奈田を目指していた。連日猛暑日を記録し、まるで地獄のような日光が焼き付ける山道も、冷房が効いた車内だと快適である。
僕はスマホを眺めながらいろんなことを考えていた。あれから平和に日々が続いていたけど、三日前の夜、突如あの人から来たSENN(セン)のメッセージが頭から離れなかった。
一方、僕の隣に座っているスズミさんは外の景色を見ながら、目を輝かせて何やらそわそわしている。今朝からずっとこの調子だ。
だが、スズミさんも僕の様子を気にしていたのか、
「ねえ、セイヤくん。朝から怖い顔してスマホ見てるけど、どうしたの?」
「え……いや、なんでも……。スズミさんこそ、落ち着かない様子だけどどうしたの? お祭りが楽しみなの?」
「うん。毎年楽しみにしてたもん。お祭りがあるときは必ず流れ星が観られるんだよ? 幻想的で素敵じゃない」
「そうなんだ」
としか僕は言えない。ぼっちだったから仕方ないけど。
でも、必ず流れ星が観られるなんて信じられない。
「それに……」
スズミさんの言葉に彼女に目を向けると、彼女の顔が少し赤くなっていた。
「キミが誘ってくれるなんて思わなかった。すっごく嬉しかった。……ありがとうね」
「……」
僕も反射的に顔が引きつった。ふっと顔が熱くなる。
なんか、恥ずかしい。
やっぱりあれは個人的に世紀の大発言だったんだ。あらためて認識させられた。
「キミと行くのは最初で最後かもしれないけど、やっぱり楽しみだよね」
「……うん」
最初で最後。
スズミさんにとって、八百で過ごせる最後の夏かもしれない。また会えるかもわからないのだ。
僕は夏のひと時を一秒たりともを忘れてはいけないと、心に強く刻み込んだ。
***
奈田の会場に到着したのは午後五時。猛暑とはいえ、山間部なので夕方になると涼しくなってくる。ヒグラシが鳴く草原を歩くと、向こう側に屋台やテントが見えてきた。すでに人は集まっているようで、にぎやかな声が耳に届いていた。
「流星観測は八時ごろらしいからそれまでお店見て回ろうよ」
スズミさんはパンフレットを眺めていた。
「だいぶ時間あるなー……」
「いいじゃない。思う存分に楽しめば。さ、行こっ」
いきなりスズミさんは僕の右腕に手を回すと、前に走り始めた。つられて僕も走り出す。
「あ、ちょっと!」
強引なスズミさんに僕は戸惑うが、スズミさんは嬉しそうな顔をしていた。
自然と僕も引きつっていた顔が緩み、気持ちが温かくなっていく。
気になることは多々あるけど、今は純粋にスズミさんとの時間を存分に満喫したいと思っていた。
〈奈田(なた)の星祭り〉は奈田地区の年に一度の村を上げてのお祭り。会場は奈田の特産品である自然薯(じねんじょ)やネギ、それらで作ったお菓子はもちろん、火祭りで出ていた屋台も並んでいた。
絶対お小遣い、すぐになくなるよな……。
「やっぱりお祭りっていいよねー。賑やかだし、何より楽しいし」
スズミさんは好奇心旺盛な子供のような、輝いた眼で屋台に惹かれていた。
僕はそんな彼女の温かな手に引かれながらも自然と受け入れていた。
「うん」
「セイヤくんも、あんまり緊張しなくなったでしょ?」
「え?」
「火祭りの時さ、キミ周りを警戒してたじゃん。いじめた子たちが出てくるんじゃないかって」
確かにそうだ。あの時は周りが気になって挙動不審だったと思う。だけど今は警戒心はなくなっている。
「ま、有名なお祭りだからいたりして」
スズミさんはいたずらっぽく笑う。
「そ、それはやめてよ」
内心ドキッとする。まあいてもおかしくはないけど、驚かさないでよ……。
「ふふっ。まあ、楽しめてれば気にならないって」
「ありがとう、スズミさん」
にっこり微笑むスズミさんに僕は後頭部を掻いた。
冠島(かむりじま)の一件以降僕とスズミさんの距離は一気に縮まったと思う。いつか、この思いをぶつけるときが来るのだろうか。できれば――。
***
その後も僕とスズミさんは屋台をめぐりながら、星祭りを楽しんだ。かき氷を食べたり金魚すくいに挑戦したり、鹿の角の模型で写真を撮ったり……。どこでもやってる普通の夏祭りだけど、非リアだった僕にとってこれまでにない刺激だった。
「次はどこにしよっか」
パンフレットを見ながら行きたい屋台を眺めるスズミさん。いろいろ気にはなるけど、迷うのでスズミさんに任せっきりだった。
だが、
「あ……スズミちゃん」
どこかで聞いた少女の声――。
僕とスズミさんの足が止まる。僕らの先には僕と同じくらいの年齢の黒いショートヘアの女子と、眼鏡をかけた茶髪を後ろで束ねた女子。彼女たちは怯えているのか、二人で手を合わせて震えていた。
「あきちゃん……キヨコちゃん……」
スズミさんから声が漏れる。
僕の脳内に教室での、廊下での光景がフラッシュバックした。磁石が反発するように僕を避ける生徒たち――中に目の前にいる二人もいた。
目の前にいるのは浜田さんと式川さん。二人とも僕を直接いじめていたわけではないけど、僕にとっては敵に見えていた。
「どうして卯花(うのはな)くんと……」
式川さんは口を震わせながら聞いてくる。
僕はむっとした。余計避けられているように思えたのか、癪に障った。
一方、友人であるというスズミさんも話しにくいようで、口をもごもごさせている。だけど、彼女は胸に手を当て一呼吸置くと、
「いいじゃん。私の勝手なんだから」
「え?」
「ゆかちゃんにバレたらまたいじめられるんでしょ? でももう関係ないもん」
あっさりしたスズミさんの回答。
浜田さんと式川さんはきょとんとした顔でスズミさんを見ていた。僕も意外な反応に少し戸惑った。
「行こっ、セイヤくん」
「う……うん」
あっさりした顔で浜田さんたちの前を通り過ぎるスズミさん。僕もあとに倣って歩き出す。
十分ほど僕らは歩いていたが、その間沈黙だけだった。スズミさんは何事もなかったかのように涼しい顔をしている。
「なんで? 浜田さんたちって君の友達じゃなかったの?」
僕が問いかけると、スズミさんは足を止めて振り向いた。
「今でもそう思ってるよ。だけど……今は距離を取ったほうがいいかなって思って」
「距離を取る……?」
スズミさんは口角を下げ、瞳を隠した。
「あの子たちもゆかちゃんたちの言いなりだったからね。どうせ私も転校しちゃうし、これでいいんだよ」
「……」
何とも言えない気持ちになった。僕にとっては敵とはいえ、スズミさんには友人だった二人。スズミさんにとって事実上の彼女の絶交宣言なのかもしれない。
だけど、スズミさんは時折目をこすっていた。声を上げず、ハンカチで目の周りを拭いていた。
***
しばらくして僕らは駐車場にほど近い草原に来ていた。何人かのカップルや家族連れ、天体観測を趣味とする人たちがまばらながら空を見ていた。
「あ、そろそろ時間だ。流れ星来るよ」
スズミさんは腕時計を眺めていた。時計は夜八時を指している。
「本当に時間通りに来るの?」
僕は半信半疑でうっすらと天の川がかかる広い夏の夜空を見上げた。数万、数億もの星が澄んだ暗闇を照らしていた。
「来るんだよね。毎年必ずこの時間に」
とりあえず空を眺める。
そして、
「流れた!」
野球帽をかぶった少年が夜空を指さしている。みんなもつられて天空を仰いだ。
天空から星という星が夜空を翔け、消えていく。その数何十、いや何百とある。幻想的な光景にみんな目を奪われていた。
「すごい……」
僕は信じられず、自然と声が出た。
「でしょ? 毎年この時だけ見られるの」
思わず釘付けになっていると、周りの人が手を合わせて祈り始めた。
スズミさんが僕の肩を叩く。
「ねえ、お祈りしようよ。願い事叶うかも」
「……うん」
信じる信じないは別として、今は僕も手を合わせて願いを込めた。
――夏が終わってもまたスズミさんたちと会えますように
心の中で強く三回願った。
目を開けると、スズミさんが何か知りたそうな様子で僕の顔を覗いていた。
「何お願いしたの?」
「え」
「言えないこと?」
「そうじゃ、ないけど……」
僕はいきなりスズミさんに聞かれて戸惑っていた。
「す、スズミさんは何を?」
「ん? それはねー」
そう言ってスズミさんは人差し指を立てて口元に当てた。
「また……」
いきなり僕の鞄からスマホのバイブレーション音がした。まるでスズミさんの言葉を遮るように。
誰だろうと思い、画面を確認する。
飛び込んできた画面に僕は目を奪われた。やがて、額に汗が滲み出てスマホを持つ僕の手が震え始めた。
「どうしたの?」
スズミさんは不思議と不安が入り混じった顔で僕を見る。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
そう言って僕は走り出した。
後ろから呼び止めるスズミさんの声がした気がした。
***
――星祭り、一人であたしのところに来てね。あなたに渡したいものがあります。それは、あなたも知ってるはずです。
卯花清弥[なんで、あなたがそんなことをするんですか]
――時が来たからよ。
卯花清弥[時って]
――当日教えてあげる!
ここでSENNのメッセージは切れていた。
指定されたのはひと気のない雑木林。会場から二百メートルほど離れた川のほとりにある。
まだ誰も来ていない。
僕は三日前のSENNを眺めた。意味深なメッセージ。あの人が僕の家に侵入して箱を持ち去ったんだ。目的はいったい……。
思考を巡らせていると意外にも注意力は散漫になる。
足音が自分に近づいていることにも気づけなくなる。
ドン!
何か手刀か何かが僕の後頭部を直撃した。脳が激しく揺さぶられ、目の前が歪み始める。バランスを崩したのか地面がものすごい速さで迫る。
しかし、意識を失う寸前僕は誰かに抱きとめられた気がした。
――ごめんなさい
最後にそう聞こえた気がした。
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