第220話

「……私は、死霊術士です」

「それはもう聞き飽きました」

「……私は、貴女様の故国を蹂躙した王に、仕えています」

「正直、故郷のことを言われても感慨がありません。何も覚えていないので」

「……私の髪は、こんな」

「食べますか?」


 アルフェが編み籠に入れて差し出したパンを、うつむき加減で、メルヴィナはじっと見つめた。それに手を伸ばすかどうかためらった挙げ句、どうしたら良いか分からない様子で、彼女はおずおずと黒目を動かし、左右を見た。


「ゲートルード、ちょっと辛過ぎるんじゃないか、これは」

「北方風を意識してみました。干した魚を、香辛料で煮込んであります。海岸砂漠地方の民族料理で、食の歴史的にも非常に興味深い――」

「取りあえず歴史って言っときゃ、何でもごまかせると思うなよ? 朝っぱらから食うもんじゃないだろ、こんなもん。あの怪我人にも、これを飲ませるつもりか?」

「彼女には別に、辛くないものを用意してあります」

「じゃあ、こっちにもそれを出せよ……」


 そこでは二人の男が、食事をしながら何気ない会話をしている。朝食にゲートルードが作った真紅のスープに、フロイドが文句を付けているようだ。

 フロイドがスープにちぎったパンを浸すと、パンはあっという間に真っ赤になった。彼は苦虫を噛みつぶした顔でそれを口に運び、それを嚥下した。かと思うと、すぐに水差しに手をやった。


「要らないのですか? 食べないのなら、別にそれでも構いませんが」


 アルフェがもう一度、メルヴィナにパンを勧めた。メルヴィナは、さっきから一口も食べていなかったが、アルフェの言葉に突き動かされたように、そろそろと手を伸ばした。

 メルヴィナがパンを一つ取ったのを確認すると、アルフェは自分の席に戻り、食事を再開した。そこから、男たちはたまに言葉を交わしていたが、アルフェは無言で、姿勢良くスープを飲み、パンを食べている。

 やがて諦めたのか、メルヴィナは自身の前に置かれた匙を手にすると、それでスープをすくい、自分の口に運んだ。


 アルフェがメルヴィナを治癒院から攫ってきてから、既に丸一日以上が経過している。

 師の仇と行動していた死霊術士という、とんでもなく怪しい存在を、アルフェは殺さないことに決めた。本当にこれで良いのかという迷いは今もあったが、それを表に出さず、アルフェは普通に振る舞っている。

 殺さないことを決めただけで、すぐに解放するつもりは無いのだと、アルフェは言っていた。監視下に置いて、この女から聞き出したい事がまだまだ有ると。だが、長期にわたって拘束する以上、食事を与えないわけにはいかない。メルヴィナが、こうやってアルフェたちと一緒の食卓に着いているのは、捕虜の食事と監視を兼ねるためだ。少なくとも、メルヴィナはアルフェからそう言われた。


「……あの、私が何者か、あなたも知っているのでしょう?」

「ん?」

「……私は、死霊使いなのですが」


 アルフェのいないタイミングで、メルヴィナはフロイドに対してもそう言った。メルヴィナの基本的な拘束場所は、アルフェの部屋から移り、二階にある空き室の一つになっている。メルヴィナが部屋のベッドの縁にぽつねんと座っていると、フロイドが換えのシーツなどを運んできたので、話しかけたらしい。


「らしいな」


 頷きながら、フロイドはメルヴィナに、重ねたシーツを投げて寄越した。よたつきなりながら反射的にそれを受け止めると、メルヴィナは同じような台詞を繰り返した。


「……それに私は、アルフェ様の故郷にとって、裏切り者で――」

「そいつは自分で、棚に仕舞ってくれよ」


 メルヴィナの抱えたシーツを指さすと、フロイドは部屋を出て行った。かと思えば、すぐに戻ってきて、部屋の中央にテーブルと椅子を据え付けている。


「全く……、最近、俺に押しつける雑用の幅が、広くなる一方じゃないか……?」


 ぶちぶちと文句を言いながら作業を終えると、今度こそ本当に、フロイドは出て行った。元々置いてあったベッドと棚に、テーブルと椅子も加わって、空き室はどうにか、客間らしい格好になっている。

 そしてしばらく、部屋の中は静かになった。家の中には人の気配があるが、誰もこの部屋にはやって来ない。

 メルヴィナは、自分が捕虜であることを自覚していた。だからじっと座って、自分を捕えた少女から、なにがしかの要求をされるのを待っていたのだが、それにしても誰も来ない。


「…………」


 部屋の中に、メルヴィナを監視している者はいない。だが、扉の廊下側では、きっとあの若い男あたりが見張っているだろう。放って置かれることにしびれを切らしたのか、メルヴィナはそろりと立ち上がると、扉の前に立って、こんこんとそれを叩いた。


「あの……」


 返事はない。それどころか、気配もない。逆に不審に思ったメルヴィナが、ドアノブに手をかけると、扉はするりと開いてしまった。鍵すらかかっていなかったようだ。

 誰もいない廊下を少し歩くと、一階への階段に突き当たった。下りても良いのだろうかと逡巡した後、メルヴィナは脚を前に踏み出した。

 一階の広間まで来ると、中庭が見えた。光の当たる、短く刈られた草地の中央に、誰かが立っている。メルヴィナに背中を見せているその人は、訓練用の人形のようなものを前にして、息を切らせていた。


「……レーア様?」


 思わず、そこにいるはずのない人間の名前を、メルヴィナはつぶやいていた。


「どうしましたか?」

「……アルフェ、様」


 振り返ったのは、銀髪の少女だった。


「何か用ですか? 見ての通り、私は鍛錬の途中なのですが」

「……え。……いえ、あの」


 何か用は無いのかと問いたいのは、攫われてきたメルヴィナのほうである。しかし彼女の性格は、こういう時に強気に出られるようにできていない。


「……すみません。……お邪魔しました」


 弱々しく詫びると、メルヴィナは引き下がり、部屋に戻ろうとした。


「待ちなさい」


 背後から引き留める声がして、メルヴィナは立ち止まった。その口調も、メルヴィナにとってはここに居ない誰かを思い出させるものだったが、振り返ると、やはりそこには、メルヴィナが思い出した人物とは違う、銀髪の少女がいた。その銀髪の少女から立ち上った草と土の臭いが、メルヴィナの鼻孔に届いた。


「差し当たって、貴女にしてもらわなければならないことがあります」

「……はい、何でしょうか、アルフェ様」


 アルフェに要求されて、メルヴィナはむしろほっとしたような表情をした。


「フロイドが帰ってくるまで待って下さい。多分もう少しで――」

「ただいま戻りました」


 そこにちょうど、そのフロイドが帰ってきたようだ。アルフェはメルヴィナの横をすり抜けて、玄関のほうに歩いて行った。それに付いて行けば良かったのかどうか、メルヴィナがまたしても迷っていると、アルフェと、手に荷物を持ったフロイドが現れた。


「着替えて下さい、これに」

「……これ? ……着替える?」


 そう言われて、メルヴィナは自分自身の格好を改めて見た。彼女はアルフェに治癒院から攫われた時と同じ、神聖教会の祭司服を着ている。


「それだと、出歩いた時に余りにも目立ちますから」

「……出歩く?」


 鸚鵡返しにつぶやき続けるメルヴィナに、フロイドが自分の持っていた荷物を押しつけた。それから彼はこれ見よがしに、アルフェに向かって大きなため息をついて見せた。


「何ですか」

「別に」

「はっきり言いなさい。こんなお使いを頼んだから、怒っているんでしょう」

「分かってるじゃないか……。どうして俺が」

「文句を言わないで下さい」

「ちょっと理不尽過ぎやしないか……? はいはい、了解。残りは部屋に運んでおきます」


 目の前のそんなやり取りを眺めつつ、メルヴィナは自分が抱え込むことになった荷物に目を落とした。


 ――……服?


 包装から察するに、それは、女性向けの服や靴が入った箱のようだった。量からすると、何着分かある。


「着替えて下さい」


 はっと顔を上げると、アルフェがメルヴィナのほうを見ていた。


「そしたら、出かけますから」


 まさか攫われてきて、こんな要求をされるとは思っていなかった。かつてない状況に、メルヴィナは酷く戸惑った。



 ――どうしよう。私のせいだ……。


 その頃、大聖堂付きの治癒院で、ステラは独り憔悴していた。


 ――私のせいで、メルヴィナさんまで……。


 治癒院から、女性患者の一人とメルヴィナが忽然と姿を消して、もう二日近くが経過している。何者かが窓から侵入した形跡があり、そこから二人は、どこかに攫われてしまったのだと推測ができた。

 そもそも、ステラが判断を誤ったのだ。メルヴィナに任せきりにせず、きちんと上司や神殿騎士団に相談して、然るべき対処をしてもらうべきだった。

 そして、メルヴィナと女性患者がいなくなったことを、ステラは彼女たちが攫われてから、ようやく高位の治癒官に報告した。


「知りません、そんな事は」


 報告した男の高位治癒官に、ステラはそう告げられた。


「そもそもその患者とやらは、貴女が無許可で引き受けたものでしょう」


 確かにそうだが、余りにも冷たい物言いである。服の裾をぎゅっと掴んだステラに、高位治癒官は丁寧な口調で追い打ちをかけた。


「身勝手ばかりしているから、そういうことになるのです。以前に貴女が帝都を出奔した時も、そう感じましたが」


 ステラが家出をした時のことも引き合いに出して、治癒官はくどくどと小言を言った。ステラがその時に勝手に家を飛び出して、多方面に迷惑をかけたのは、紛れもない事実だ。それを言われると、ステラには何も言い返せない。


「聞いていますか、ステラさん。だいたい貴女は――」


 多少治癒術の腕に秀でているからと、少し傲慢になっているのではないか。先日は聖女エウラリアに声をかけられたと聞いたが、そんな事で舞い上がっているのではないか。それらの指摘も、身に覚えがないとは言い切れない事だった。

 メルヴィナたちの姿が消えて、弱っているステラの心に、上司の言葉はグサグサと突き刺さった。


「申し訳ありません……」


 結局ステラは誤るしかなく、その高位治癒官に、消えた患者のことは自分の責任でなんとかしろと言われた。メルヴィナについても、そんな人間は知らないと撥ね付けられた。


「う、ぐ……」


 上司の部屋から出て、悔し涙を袖で拭うと、ステラは薬草の保管庫に入った。


「ぐ、う……」


 暗闇の中で、彼女が息を押し殺して泣いていたのは、ほんの短い時間だった。

 こんな事をしている場合ではない。メルヴィナたちを見つけるため、できる事をしなければ。彼女たちが消えた病室を調べ回ったりしながら、ステラは他に誰か、相談できる相手がいないかどうか考えた。

 しかし、彼女の兄のマキアスは、任務で帝都の外にいる。神殿騎士団で面識があるのは、他には兄の友人であるテオドールくらいしかいない。彼に頼もうにも、ステラはテオドールの家すら知らない。友達のゾフィに相談して、彼女にまで下手に責任を負わせることになったらどうしよう。だが、他の治癒官や神殿騎士に報告しても、返ってくるのはきっと、さっきと同じような反応だろう。


 混乱した頭でぐるぐると考えた挙げ句、結局、大したことは何もできずに今日になった。


 ――どうしよう……。


 憔悴しきったステラは、もう頭を抱え込むことしかできていなかった。

 とてつもなく嫌な想像が、ステラを襲う。


 ――どうしよう、誰か……。誰か……。…………そうだ。


 そこでステラは、はたと気付いた。

 帝都には、兄の知り合いで、ステラと面識のある騎士団関係者が、もう一人いる。その人物は、姿を消したメルヴィナの知り合いでもあるのだ。


「クラウスさん……」


 兄マキアスの留守中、定期的にステラの様子を見に来てくれるあの人ならば、力になってくれるのではないか。どうしてもっと早く、このことに気付かなかったのだろう。そう思った時、既にステラは駆け出していた。

 どこに行けば彼に会えるのかなどという風に、ステラの思考は、そんな具体的な部分にまで追いついていない。それでも、ステラは治癒院の裏口から、通りへと走り出た。


「はあッ、はあッ――」


 さて、ここからどこに向かって走れば良いのか。午前の日差しの下に出たステラは、またしても途方に暮れた。


「うう……」


 自身の両膝をかき抱くようにして、ステラはその場にうずくまると、嗚咽を漏らしはじめた。

 そして、そこに――


「……ステラ、さん」


 ステラが探している、黒髪の娘の声がした。


「メルヴィナさん!?」


 そこにいたのは、まさにメルヴィナであった。はじかれたように立ち上がると、ステラはメルヴィナの手を引っ掴み、習い性として、彼女の五体に傷がないかどうかを確かめた。

 打ち身のあざも切り傷もない。メルヴィナの肌は、綺麗なものだった。当然、まともに息もしている。顔色は青白いが、これはいつものことだ。メルヴィナはなぜか、姿を消した時とは違う、白い清楚な平服を着ている。黒い髪は結い上げられて、つば広の帽子の下に、目立たないように隠れていた。しかしそれは、彼女の健康とは何も関係が無い。

 とにかく、誰かに攫われたと思っていたメルヴィナは、こうして無事だった。


「あ」


 良かったと、そう思う前に、ステラの身体からは力が抜け、彼女はその場にへたり込んでしまった。

 ステラはまだ、メルヴィナの両手を掴んでいる。へたり込んだステラに引っ張られ、メルヴィナは少し前屈みになった。


「……ステラさん?」


 怪訝な声を出したメルヴィナの前で、ステラはくしゃくしゃに顔を歪めると、ぐずりながら泣き始めた。


「……勝手に姿を消してしまい、申し訳ありませんでした。……でも、そんな。そんな……どうして?」


 どうしてステラが、自分ごときが無事だった事を知って泣くのか、それを量りきれない様子で、メルヴィナはゆっくりと、地面の石畳に膝を突いた。

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