第218話

「……『呪い』? それは、何のことですか?」


 ゲートルードから聞き慣れない単語を耳にしたことで、アルフェは訝しんだ。

 しかし、ゲートルードはアルフェの問いかけを無視した。彼は口元に手を当てて、ベッドの際で壁に寄りかかっているメルヴィナを、食い入るように見つめている。


「黒い髪と黒い瞳……。いわゆる、『忌み子』ですか。それにしても、これほどはっきりしたものは、私も初めて見る……」

「ゲートルード」

「――ああ、すみません、つい」

「彼女の髪と目に、何かあるということですか?」

「いえ、そうではなく」

「……?」


 メルヴィナの黒髪と黒目は、この帝国では言うまでも無く珍しい。ゲートルードが先ほど発した「呪い」という単語と、この女の髪色に何かの関係があるのかと思い、アルフェは尋ねたのだが、それは違ったようだ。

 ゲートルードは口元から手を離して、解説を始めた。


「黒い髪と黒い瞳の持ち主は、帝国では非常に忌み嫌われる存在です」


 ゲートルードがそう言うと、メルヴィナは唇を噛みしめて、その白い顔がさらに蒼白になった。その様子に、アルフェがほんの一瞬、メルヴィナの事を気遣いそうになってしまったほどだ。しかし、ゲートルードは気にせずに言葉を続ける。


「これらの身体的特徴は、それを持つ子供が生まれた地域に、不幸と禍を運ぶと言われています。それ故に、そうした子供を『忌み子』と呼んだりもする。この思想は、厳密に言うと教会の教えではありませんが、帝国人の間で根強く信じられています」


 ゲートルードが語っているのは、帝国の民ならば誰もが知る事実だ。だが、まさにその「忌み子」としての特徴を持っているメルヴィナには、彼の言葉はどう聞こえているのだろう。

 メルヴィナの両手は、指が白くなるほどに、ベッドのシーツを強く握りしめている。


「ここまで明確に黒いというのは、本当に珍しい事です。実に興味深い」


 ――それで?


 そしてその時、ゲートルードの声に重なって、アルフェの中で声が聞こえた。それはいつもの、彼女の曖昧な記憶の中にある声だった。


 ――それが何ですか? 彼女の髪の色が、他の人間と違う。……だからどうしたと? それが、そんな事が、あなたにとって――。


「多くの地方では、例え黒髪の子供が生まれた場合でも、すぐに『間引き』されると聞きますが……」

「――止めなさいゲートルード」


 アルフェが思いもかけない強い声で制止した事で、ゲートルードの言葉は中断された。

 ゲートルードは驚いた表情で、アルフェを見ている。メルヴィナもうつむいていた顔を上げて、その黒い瞳を呆然と、アルフェの方に向けていた。


「……あ、いえ」


 二人は驚いているようだが、それ以上に驚いたのは、声を発したアルフェ自身だった。

 さっきまで、激情にまかせてメルヴィナを追い詰めていたのはアルフェなのだ。それがどうして、今は彼女をかばうような事を言ってしまったのだろうか。


「……続けて下さい」


 アルフェはそう言うと、肩を落としてため息をついた。この二日間の彼女は、感情の振れ幅が大きすぎて、自分で自分が全く制御できていない。


「話を、元にもどしましょうか」


 そう言ったのはゲートルードだ。彼は、黒髪と黒目自体は珍しいが、そこには迷信以上の意味は見当たらないと言った。重要なのはその事ではなく、メルヴィナにかけられていると思われる術式だ。


「恐らく、これは呪いです」


 呪い。ゲートルードはさっきもそう言った。それは、通常の魔術とは違うのだろうか。今日はもう、できるだけ余計な口出しをするのは止めようと決めたアルフェは、目だけでゲートルードに問いかけた。


「はい」


 ゲートルードは頷いた。

 呪いは言葉などを媒介し、対象の意識や行動を縛ったり、他にも色々な効果をもたらしたりする。それだけでは、アルフェには魔術との違いが分からなかったが、呪いというのは、古代魔術の一種のようなもので、現代の魔術とは様式が異なるそうだ。


「また、呪いは現行の魔術よりも負の側面が強いため、死霊術などと同じく、使用者は社会的制裁の対象になってきたという歴史があります。そのため、私も文献を通してでしか、その存在を把握していませんでした」


 しかし、今ここに居るメルヴィナは、どうやらその「呪い」の影響下にあるらしい。


「しかもこれは、呪いの中でも恐ろしく複雑な呪法です。現代の魔術で言えば、最高位魔術に相当する。断定は出来ませんが、その呪いのせいで、彼女には自分の意思で喋れる事と、喋れない事が有るようです」

「…………」

「呪いはある種の。契約のようなものだと聞いています。呪いを無理に破ろうとすれば、彼女はその代償を支払わなければならない」


 それはつまり、どういうことか。


「もし禁じられた事を無理に語らせれば、恐らく彼女は死ぬでしょう。……あるいは、それよりもっと悲惨な事になるのか」


 ゲートルードの説明が終わると、アルフェはメルヴィナを見た。アルフェの目には、ベッドの上でうつむく、彼女の横顔が見える。

 メルヴィナは先ほど、ドニエステ王ディナレウスの事やその目的については、ほとんどためらわずにアルフェに語った。しかし、話が例のハインツという魔術士に及ぶと、途端に口をつぐんでしまった。それが、ゲートルードの言う「呪い」の影響なのだろうか。

 呪いは古代魔術の一種だとゲートルードは言った。こと古代の知識について、ゲートルードほど詳しい人間は、そうそう居ないはずだ。アルフェにかけられた心術について言及した時もそうだが、思わせぶりな事を言ったり、はぐらかしたりする事はあっても、あからさまな嘘を言うような人間でも無い。


 ――それに。


 何よりも、古代魔術という言葉には、アルフェにも思い当たる部分があった。

 あの魔術士がアルフェを狙ってベルダンに現れ、それをかばったコンラッドを殺した時の光景が、彼女の脳裏に生々しく蘇った。

 コンラッドですら貫けない防御。多彩な攻撃魔術。まるで空間そのものを飛び越えているかのような動き。あの魔術士が使っていた様々な魔術の中には、アルフェも知っている既存の魔術体系を強力にしたようなものもあったが、そこに当てはまらないものも多かった。あの男が古代の魔術の遣い手だと言われても、何の不思議も感じない。


「今の話は、本当ですか?」

「…………」

「……貴女は、あの男に何かをされているのですか?」

「…………」


 アルフェが尋問しても、メルヴィナは唇を引き結んだまま、やはり何も答えない。


「その『呪い』とやらを、解くことは可能ですか?」


 アルフェの今の言葉は、ゲートルードに向けて発せられたものだ。

 ゲートルードは目をつぶり、首を横に振った。


「私の専門は歴史であって、古代魔術の専門家ではありません。ご期待に添えず、申し訳ありませんが」

「解ける人間に心当たりは?」

「確実なのは、術者自身に解かせる事です」

「それは……」


 アルフェはメルヴィナに、ほかならぬ、その術者の居所を吐かせたいのだ。ゲートルードは言った


「矛盾した事を言っているとは承知しています。ですが、それ以外には思い当たりません。念のため、文献を当たって調べてみようとは思いますが――」


 そこでゲートルードは言葉を切った。彼が視線を向けた方向に、アルフェも目を向けた。彼らの目線の先では、ベッドの上のメルヴィナが顔を上げている。彼女の表情は、驚きや困惑の入り交じった複雑なものだ。それに気づいて、アルフェは険悪に眉をひそめた。


「何ですか?」

「…………いえ」

「あの男については、貴女にはいずれ、必ず喋ってもらいます」

「…………はい」


 メルヴィナが、妙に従順な返事をしたので、アルフェはちょっと目を丸くしたあと、軽く舌打ちをした。

 彼女が何者だとしても、エアハルトで数千の兵を巻き込むアンデッドの惨禍を引き起こしたのは、彼女の死霊術に違いないのだ。その印象の通りに、凶悪な死霊術士としてメルヴィナが振る舞ってくれれば分かりやすいのだが、どうかすると、アルフェには目の前の女が、ただの弱々しい、幸薄い娘に過ぎないように見えてしまう。ステラを助けていた事といい、どうも調子が狂う。

 アルフェは無理矢理気を取り直して、メルヴィナに別の質問を投げかけた。


「クラウスも貴女と同じく、帝都に居るのですよね?」

「…………はい」


 メルヴィナはあっさりと認めた。それは、呪いによって答えられない事には含まれていないようだ。


「貴女とクラウスの関係は? クラウスの目的は、一体何なのですか?」

「あの人の、目的……?」

「そもそも、どうしてクラウスは、あの城から私を助けたのです」


 そうだ、それが全ての始まりだったのだと、アルフェは思い出した。

 ドニエステがラトリアに侵攻した時、アルフェを幽閉されていた塔から救い出したのは、アルフェの姉の従者であったクラウスだった。

 ドニエステ王ディナレウスが、アルフェを――恐らくは結界の封印を解くための鍵として求めたのであれば、クラウスがアルフェを部屋から連れ出さなければ、全てがそれで終わっていたはずだ。


 しかし、そうはならなかった。


 部屋を出た後、道を塞ぐ者たちを切り払いながら、自分の手を引いて走るクラウスの後ろ姿を、アルフェは思い返していた。

 二人がたどり着いた、使われていない地下牢。奥にあった隠し扉から続く、長い長い地下道。山腹の森と、木々の隙間から見える星空。――そして、火の手が上がる城。


 あの時アルフェは、月の光に手をかざし、満面に喜色を浮かべ、声を上げて笑っていた。

 周りに壁も、天井も無い。自由とはこういうものかと。


 ――クラウスは、何か自分なりの目的があると言っていた。でも、今のクラウスがドニエステ王に仕えているのなら、あの時に私を助けたのは、どうして……。


「私にも、分かりません」


 アルフェの自問を、メルヴィナの声が遮った。


「あの人が、何をしたいのか。もう、私にも……」


 メルヴィナは、両手で顔を覆って嘆いている。それどころか――。


「な」


 アルフェは唖然とし、ゲートルードも困惑の表情を浮かべた。

 顔を覆ったまま、メルヴィナがさめざめと泣き始めたからだ。

 両手で抑えきれない涙が、ベッドのシーツに染みを作っていく。アルフェとゲートルードは顔を見合わせ、どうするべきか、お互いに問いかけた。しかし、何も思い浮かばない。泣くなと怒鳴りつける事も出来ず、メルヴィナの前で、アルフェたちは彼女が泣き止むのを待った。


「……申し訳、ありませんでした」

「いえ、別に……」


 泣き止んだメルヴィナに詫びられて、アルフェはそ答えてしまった。本当に調子が狂う相手だ。


「アルフェ様」


 次にメルヴィナは、妙に毅然とした表情になって、アルフェの名を呼んだ。


「あの人が……、クラウスが最終的に何をしたいのか、それは私には分かりません。ですが、あの人がこの帝都で、誰を待っているのかは分かります」

「待っている……? それは――」


 それはきっと、あの男だ。コンラッドを殺した、ハインツという魔術士に違いない。そうなのだろうと言いかけたアルフェに、メルヴィナが言葉を被せた。


「その通りです。クラウスがこの街に留まろうとしているのは、いずれ、あの方がこの帝都にいらっしゃるはずだからです。……レアラフィネル様が、いずれは」

「…………え?」


 アルフェの反応を、メルヴィナはどう理解したのか。それまで、アルフェの頭に無かった人物の名を、メルヴィナは告げた。


「貴女の姉上様…………レーア様も、いずれは、この地に」


 レアラフィネル。アルフェの姉にして、ラトリア大公の長女。母である大公妃をはじめ、彼女は近しい者には、レーアという愛称で呼ばれていた。


「お願いします、アルフェ様……!」


 そしてメルヴィナは、硬直しているアルフェに取りすがると、悲壮な声と表情で懇願した。


「彼を……、あの人を、クラウスを助けて下さい!」

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