第130話
「どうしてお前たちは、言われた通りに働かない」
「ただ働きはできねぇよ。報酬を貰わねえと」
「報酬なら、既に渡したろう。約束通りに働いてもらわなければ困る」
「やれやれ、学者さんには分かんねぇかな。もらった分じゃ足りねぇって言ってるんだ。こっちは命張ってるんだぜ」
ノイマルク北西部のとある遺跡は、しばらく前から野盗の集団の根城になっていた。
その遺跡は丘の上に築かれており、周囲を良く見渡すことができる。屋根は数百年前に崩落したようで、一帯にはほとんど壁の遺構しか残っていない。野盗たちはそこに布で天幕を張って、野営地を作っていた。
その一角で押し問答をしているのは、小綺麗な魔術士風の装束を着た若者と、革鎧を身に着け、垢まみれで傷だらけの顔をした、見るからに悪相の男――ここに巣くっている野盗団の頭目だ。どうやら、魔術士が頭目たち頼んだ仕事について、報酬の折り合いが付いていないらしい。
仕事というのは、このノイマルク北西の一帯で、小都市や荘園を荒らし回ることだ。そういった略奪行為は野盗本来の生業でもあるが、それをもっと頻繁に、出来るだけ派手に行ってもらいたいというのが、若い魔術士の依頼だ。言わずもがな、トリールによる破壊工作の一環である。
野盗の頭目の口臭に眉をひそめながら、魔術士は言った。
「またそれか、何度も何度も。口を開けば金の事ばかり。既に初期の報酬の倍は支払っているんだ。いい加減にしてもらいたい」
「あれは手付金だ。時間が延びりゃ、報酬も増えんのが当たり前だろうが。それに、いくらノイマルクの兵隊が国境に貼り付けだって言ったって、これだけ襲撃を繰り返しゃ、そろそろ討伐隊がやって来る。俺たちだって命がけなんだ。はした金で働けるかよ。どうだ? 俺の言うこと、間違ってるか?」
頭目は大げさな手振りを交えて主張した。
「それは――、そうかもしれないが……。いや、仮にノイマルク軍が来たとしても、トリール側でお前たちの逃亡は援助する。そう約束したはずだ」
「はッ! そんな口約束が当てになるかよ! いざ俺たちが逃げ込めば、お前んとこの女狐は、そんなもん知らねえって言うはずさ」
「う……」
「大体、そん時はお前だって、どうなるか分かんねぇんだぜ?」
「え――?」
野盗の頭目の意地悪い笑みを受け、魔術士は動揺した。
言われて見れば、確かにそうだった。こんな薄汚い奴らが自領に逃げ込んで来た所で、他領の手前、伯の名前で大っぴらな保護はできない。そもそも、野盗はトリールにだって要らない。ならば、素知らぬふりをして皆殺し――。自分の女主人なら、そう考えるはずだ。
しかしその場合、自分はどうなる。自分も、この野盗たちとまとめて始末されるのか。今まで頭に無かったが、この任務に失敗したら、いや、成功したとしても、ひょっとしたら自分の居場所は、既にトリールには無いかもしれない。
「わ、私が――? いや、違う。そんなはずは無い。ヨハンナ様は、そんな事をなさらない。ディヒラー様だって……」
野盗の頭目は、魔術士のうろたえる様を見てにやついている。この若い魔術士は、伯に仕える魔術士というくらいだから優秀なのだろうが、世間慣れしていない。この程度の揺さぶりで、こうも簡単にぐらつくとは。
身分を隠して自分たちに仕事を依頼してきたくせに、主君であるトリール伯ヨハンナの名前を、簡単に口にしてしまうのもその証拠だ。
このまま追い詰めてもいいが、交渉事に必要なのは飴と鞭だ。頭目は打って変わってにこやかになり、悪い悪いと猫なで声を出した。
「驚かせるつもりじゃなかったんだよ。今のは冗談っていうか、言葉の綾さ。なあ、兄ちゃん。要は、ノイマルクの奴らに捕まらなきゃいいんだ! 心配するなよ。討伐隊がやって来たって、大勢で来ればすぐ分かる。森に入れば捕まる訳ねぇって。な? だからさぁ、金だよ。金さえあれば、もっと大きく動ける。武器なんかも新しく調達しなきゃなんねぇし。な? 別に法外な額を取ろうって訳じゃねぇんだ」
頭目が肩をぽんぽんと叩くと、魔術士は露骨に不快そうな顔をした。これは頭目の失敗だった。数日間洗っていない、臭う汚れた手で触られたせいで、魔術士の頭は、逆にちょっと醒めたらしい。
「……考えさせてくれ」
だが、そう言わせればこちらのものだと、頭目はほくそ笑んだ。
ほとんど言質は取ったようなものである。これで報酬は更に増す。普通に村を略奪するだけで、追加の報酬までいただけるとは、何ともぼろい商売ではないか。
頭目は、それじゃあよろしくなと言って、満足げに立ち上がった。
「何で、私がこんなことを……!」
頭目がいなくなると、魔術士は整っていた前髪を乱し、頭を抱えてうつむいた。彼はトリール伯領の大魔術士、ライムント・ディヒラーの高弟の一人である。戦争とは言え、優秀な魔術士である彼がこんな場所まで派遣され、しかもやらされている仕事が、ならず者たちとの交渉とくれば、落ち込むのも無理は無い。
だいたい、なぜ自分なのだろうと彼は思った。
自分はあくまで魔術士だ。魔術士の本来の仕事は、魔術研究や技術開発である。こういう場合、もっと隠密や工作に適した人間を派遣するべきではないだろうか。どう考えても人選を誤っている。
ノイマルクとの戦争が始まったからと言ったって、自分は押しが弱くて交渉ごとが不得手だし、血を見ることすら苦手なのだ。それでも主命は主命だからということで、先日は野盗たちが「真面目に」襲撃しているかどうか確かめるため、彼も現場に付いていった。一度きりのつもりで目にしたその時の場面が、未だに彼のまぶたの裏にこびりついている。
斬り倒されて呻く村人。焼ける家屋を背景に泣く子供。焦げ臭さに混じる、血の匂い――
――いや、違う。私のせいじゃない。私のせいじゃないさ……。
あれは命令だったんだ。自分はトリール伯に仕える人間として、命令された通りの仕事をこなしているだけだ。実際に手を下したのも、ここの野盗たちだ。だから自分のせいではない。自分は悪くない。魔術士は何かを振り払うように、己に言い聞かせた。
「おお、魔術士の兄ちゃん。お頭との話は終わったのか?」
魔術士がうなだれている所に、野盗の一人が入ってきた。野盗は魔術士の苦悩も知らないで、のんきな声を出している。頭目がいないことを確認すると、野盗はいやらしい、にやついた笑いを浮かべた。
「なあ兄ちゃん、暇なら、アレやってくれよ……」
「……私は、忙しい」
「そんなこと言わねぇで、なあ……。俺はアレが忘れられないんだ……」
野盗は紅潮した顔でにじり寄ってくる。まるで魔術士を口説こうとでもしているかのようだが、そうではない。半ば自暴自棄になっていた魔術士は、忌々しそうに舌打ちしながらも、野盗の望み通りにしてやった。
「分かった分かった……。【お前の望むものを、見るがいい】」
呪文を唱えた魔術士の手から、魔力の霧が生み出される。その霧はすっぽりと、野盗の頭を包みこんでしまった。野盗はとろんとした表情で立ち尽くし、開きっぱなしの口の端から、よだれを垂らしている。
彼は今、幻術によって幸せな夢を見ているのだ。
「……くそッ」
魔術士は吐き捨てた。
先に述べた襲撃の折り、目の前に広がる残酷な光景に、彼は取り乱した。村の若い娘を陵辱しようと、殴りつけて押し倒した娘の服を剥いでいる野盗を見て、彼は咄嗟に魔術を使用してしまった。しかも、とっておきの高位魔術を。
展開していく緑色の魔光を放つ法陣を、田舎者の村人は当然、野盗たちの誰も目にしたことがなかっただろう。村全体を包むほどの幻術を受けて、その場にいた魔術士以外の生きている全員は、抵抗もできずに幻に囚われた。
あの時は焦っていたので、幻覚の内容まで制御することはできなかった。しかし、今彼の目の前で呆けている野盗を含めて、獣欲に駆られていた男たちは、理想の美女とのかりそめの情事でも味わったのだろう。あれから何かにつけて、幻術をかけてくれとせがんでくる。
「えへ、うへへへへ」
野盗が気持ちの悪い声を出して笑った。傍目からは、この野盗は何も無いのにヘラヘラと笑う気狂いにしか見えない。ナイフで胸を刺されたとしても、笑ったまま、死んだことにすら気付けないだろう。こうなったら人間としてお仕舞いだ。魔術士は、嫌悪の眼差しを野盗に向けて、部屋を出た。
彼が向かったのは遺跡の外だ。
外と言ったが、この近隣には遺跡が固まっていて、野盗の根城になっている遺跡を出ても、すぐ近くに別の遺跡がある。野盗たちと談笑したり、低俗なサイコロ賭博に興じたりするのはまっぴら御免だし、こんな場所では、彼の暇を潰し、心を慰めてくれるのは遺跡くらいしかない。散策がてら、彼は野営地から少し離れた遺跡まで足を伸ばした。
遺跡の前に立つと、彼は壁面に残された、かすれた文様を眺めた。考古学は専門外なものの、それなりに興味深い。少なくとも、戦争よりもはるかにだ。
――……古代文字か。私では読めないな。
このあたりの遺跡はかなり成立年代が古く、どうやら大半、は帝国建国以前のものらしい。本格的に調査すれば、学術的に面白いものが見つかるかもしれない。
この遺跡たちは、どれも水利の悪い丘の上にあって、住居として作られたものではない。軍事施設でもないようだし、先人は何のためにこの施設を作ったのだろうか。彼は、はるかな古代に思いをはせた。
――っと。いい加減、戻らなければ。
彼の行為が、幻覚に依存する先ほどの野盗と同じ、単なる現実逃避だったとしても、いや、だからこそ、彼は思わず遺跡観察に熱中した。
ふと顔を上げると、空がほんのりと茜色になっている。ここは結界の中で、魔物に遭遇する危険はないとは言え、日が落ちれば真っ暗闇だ。足を踏み外して崖から落ちでもしたら、洒落にならない。
――遺跡も、意外と面白いものだな。また来てみるか。
手を払って立ち上がった彼は、この仕事が終わったら、個人的に遺跡巡りをしてみるのも一興だと思った。遺跡ならば、地元のトリール領にも沢山ある。
この新しい趣味を得たことが、彼にとって、この仕事の唯一の収穫だと、言えば言える。
――トリールで遺跡と言うと、あれと、あれか……。確か、キルケル大聖堂の北にもあったな。
彼は思考しながらも、徐々に薄暗くなっていく山道を、少しだけ早足で歩く。
――大聖堂……。そうか、ここは大聖堂から見て、西に当たるのか。……ん? そう言えば、北の遺跡も似たような距離に……。ああ。
そこで彼は、ここやトリールに点在する遺跡群の配置に、ある法則性があることに気が付いた。これらの遺跡は、トリール伯領とノイマルク伯領の間にあるキルケル大聖堂を取り囲むようにして、ほぼ円状に配置されている。高い空から見れば、きっと一目瞭然だ。
ちょっとした発見である。しかしこういうことは、既に専門の歴史家が指摘しているのだろうか。門外漢の自分が気付くのだから、きっとそうに違いない。だが、帰ってみたらもっと詳しい人間に聞いてみよう。
そんな事を考えながら、野営地である遺跡に戻ってきた彼の耳に、突如小さな声が聞こえた。
「――え?」
彼から見て百歩ほど前方に、野営地がある。麓からは見えないように巧妙に隠されているが、そこかしこに明かりが灯されていて、暗くなった今では、闇の中にぼんやりと遺跡が浮かび上がっているように見える。
そしてそこから聞こえた声は、悲鳴だったように思えた。
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