第104話

 アルフェが帰ってくるのが先か、ゲオ・バルトムンクに親書の返事をもらうのが先か。どちらかと思っていたマキアスだったが、親書の返事の方が早かった。

 それを伝える使者が来たが、ロザリンデは相変わらず宿の部屋に引きこもっているということで、必然的にマキアスがその返事を受け取りに行くことになった。どうしてこんなことになってしまったのかと首をひねりつつも、彼は騎士の正装をして、バルトムンク侯の城に出かけた。


「これを総長殿に渡してもらおう」


 ゲオ・バルトムンクからの書簡には、赤い三重の封印が押されている。正しい受取手でない者が下手に開けば焼失する、超機密扱いの書類だ。恭しく受け取ったマキアスは、それとなく尋ねた。


「総長には、何と言ってお渡しすればよろしいですか?」


 この手紙の内容は気になるが、素直に聞いても絶対に答えてもらえないだろう。そう思って今のように言ったのだが、それでも露骨すぎたかもしれない。ゲオ・バルトムンクはマキアスを睨みつけた。


「詮索は無用だ」

「失礼しました!」


 確かにそうだ。触らぬ神にたたり無しとも言う。強いて首を突っ込む気の無かったマキアスだったが、彼は彼自身が考えているよりも、思いのほかこの老人に気に入られていたようである。まあ、少しくらいは構わんかと言ってから、ゲオ・バルトムンクは語りだした。


「……儂は騎士団に、資金の援助を約束したのだ」

「資金……ですか」


 この都市は交易の最重要地点の一つで、領地は狭いが金はある。この老人も、騎士団に都合する金くらいは持っているだろう。だがしかし、騎士団はその金を、一体何のために調達したのか。どの程度の額を援助してもらったのだろうか。そして、見返りにこの老人は何を手にするのだろうか。


「この街を見よ」

「は?」

「バルトムンクは、かつては栄誉ある八大諸侯の一つであった。ダルマキアの結界が失われるまでは。この街はその広大な領地の、ほんの端に位置していたに過ぎん。これは、我がバルトムンクのあるべき姿ではない」

「それは……」

「分かるか。今の帝国は、あるべき姿ではないのだ」


 マキアスは驚いた。ゲオ・バルトムンクの顔は、何かに取り憑かれているようであった。先夜に聞いたバルトムンクの過去の栄光への思いは、憧憬ではなく現実の執念としてこの老人の中にある。

 マキアスはふと、自分が受け取ったこの書簡が、非常に危険なものであるような予感がした。


「総長殿には、決して約定を違えぬようにと伝えてもらおう」


 ゲオ・バルトムンクは、それで用が済んだという風に、手でマキアスを追い払った。

 城を出た後、次にマキアスが向かったのはロザリンデとカタリナが泊まっている宿だった。さっきはああ言ったが、元々これはロザリンデが総長に与えられた任務だ。この書簡を帝都まで持ち帰るのは、彼女でなければならない。


 ――……総長は金を手に入れて、それでどうする。


 マキアスの心には、まださっきのゲオ・バルトムンクとの会話が引っかかっていた。


 ――新しい教会でも作るのか? いや、それなら大っぴらに寄進を募ればいい。こそこそする必要なんか無い。


 帝国内の信者から資金を調達して諸々の費用に充てるのは、神聖教会と神殿騎士団に認められた権利だ。わざわざ機密文書をやり取りしてまで、あの危うい老人から金を引き出す理由とは何か。


 ――公に出来ない事情……。神聖教会に知られたくないのか?


 兄弟組織の教会に隠れて騎士団が動いている。とすればこの金はやはり、あまり真っ当な用途に使われるとは思えなかった。


「俺はこれを……、アイゼンシュタインに渡して良いのか?」


 マキアスは自問した。

 マキアスが騎士をしているのは、彼が生まれた家がそういう家だったからである。それでも彼は、騎士の役務に誇りを持っていた。信仰のためというよりは、大陸に生きる人々のために秩序を守るため。これはやりがいのある仕事だ。

 そして、彼の中にある騎士としての正義感が、警鐘を鳴らしている。この書簡は危険なものだと。


「……ヴァイスハイト団長に、届けるか?」


 それも手かもしれないと、マキアスは考えた。

 以前に送った手紙の返事はまだ来ていない。しかしやはり、団長ならばこの書簡の内容が不穏なものであっても、良いように処理してくれる気がする。


 ――……いや、やっぱり無理だ。


 しばらく逡巡した結果、結局、漠然とした不安感よりは任務に対する忠実さの方が勝ったようだ。

 妙な勘ぐりで、組織の長に宛てた機密文書を隠匿したりすれば、それこそ彼の妹にまで累が及ぶ。マキアスはさっきの考えを振り払うように首を振った。



 今日もロザリンデが部屋に引きこもっていれば、書簡を渡すのを引き延ばすことができるかもしれない。マキアスのそうした希望もまた、ロザリンデの宿に着いた所で失われた。

 カタリナは、今日はロザリンデが引きこもるのをやめたと言い、マキアスがロザリンデの寝室の扉を叩くと、果たして二人を中に迎え入れる返事がした。

 部屋に入ったマキアスを、机に座った悄然とした様子のロザリンデが見る。


「ステラさんのお兄様……」


 部屋の絨毯にはテーブルに載っていたらしい花瓶が倒れていて、飾られていた花が散乱していた。

 ロザリンデの髪は少し乱れており、顔もやつれているように感じる。あれから今日まで、ろくに食事も取らずに部屋に閉じこもっていたのだろうか。


「バルトムンク侯からの返書を、お預かりしてきました」


 この部屋に漂う妙な匂いは何だろうと思いながら、マキアスは言った。


「返書……? ああ……」


 今思い出したという風にロザリンデはうなずいた。

 マキアスが差し出した書簡を見る顔は、至極どうでもよさそうな表情だ。


「これでロザリンデ様の任務はお済みになりましたね! 帝都に帰れますよ!」


 カタリナがわざとらしく励ますと、ロザリンデは虚空を見つめてつぶやきだした。


「帰る……? そう……、これで任務は終わり……。帰る……、帰れる……?」


 ――……どうしたんだこいつは。いつもより数段ヤバそうだぞ。


 今のロザリンデの精神は、見るからに不安定である。原因というと先日のアルフェとの試合以外に考えられないが、それがどうしてこの娘をこんな風にしてしまったのだろうか。

 アルフェはロザリンデが気に入りそうな娘だ。むさい男と戦わされるよりも、ロザリンデにとってはずっと良かったはずではないのか。マキアスはロザリンデの豹変の理由が分からず戸惑っていた。


「帰らないと……。早くこの町を離れないと……。でも、私は……、私はアルフェさんと……、アルフェさんに……。……ああ、アルフェさん……」


 マキアスは気付かなかったが、顔を覆ったロザリンデの左手首には、一本の銀色の髪が結ばれていた。


「帰ります……。そう、帰ります」


 このままこの町にいたら、私はどうにかなってしまうからとロザリンデは言った。

 既に十分どうかしているというマキアスの感想は置いておいても、ロザリンデが素直に帰ってくれるのは、彼にとっては嬉しかった。これでパラディンの命令に振り回されることなく、心置きなくアルフェと会えるからだ。


「馬車の用意をして下さい」


 ――馬車?


「御者はステラさんのお兄様にお願いします……。ステラさんのお兄様、出立の準備を。カタリナさんは、私と一緒に居てください」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 俺たちも帝都に帰れっていうことですか? 何で急にそんなことを……。俺たちがアイゼンシュタイン様の指揮下に入ったのは一時的な話で、俺たちにはまだ任務が――」


 まくし立てるマキアスの言葉に耳を貸さず、ロザリンデは言った。


「あなたたちの上司には、私から話します。すぐに……、いえ、準備に一日あげますから、明日出発しましょう」

「そんな勝手な!」

「命令です」


 その時のロザリンデの声色は、マキアスに有無を言わせない強いものだった。



「なんだあれは! 無茶苦茶だ!」

「お、落ち着いて下さい隊長」

「俺はここに残る! お前だけあいつと帝都に帰れ!」

「そんな、ロザリンデ様の命令に逆らって大丈夫なんですか……?」

「知ったことか!」


 ロザリンデの宿を飛び出したマキアスを、カタリナは走って追いかけてきた。

 彼らとすれ違う人たちは、何の痴話喧嘩かという風な顔つきで興味津々に振り返っている。マキアスはピタリと立ち止まると、真剣な顔で振り返った。


「隊長、頭を冷やして下さい。ロザリンデ様だって話せば分かってくれますよ」

「あいつはそんな、まともな奴じゃない!」


 カタリナが、マキアスを案じて言葉を投げかけてくる。しかしそれが耳に入らないほど、マキアスは興奮していた。

 ずっと探していたものが、もうすぐ手に届こうとしていたのだ。彼が苛立つのも無理は無かった。


「俺は行かないぞ! カタリナ、俺は本気だ。お前には悪いと思う。だが、これは譲れない」

「そんなことをしたら、妹さんは……」


 カタリナがステラのことに触れても、マキアスは頑なな調子で首を横に振るばかりだった。いつもなら妹のことを考えて思い留まるであろう彼も、今は見境が付かなくなっている。


「……ロザリンデ様は、出発は明日だって言ってましたから。それまでにはきっと、気が変わりますから。だから落ち着いて下さい」


 気が変わるのはロザリンデの方か、それともマキアスの方なのか。カタリナの言葉はどちらを意図していたのだろう。

 少なくとも、マキアスは前者と受け取ったようだ。少し冷静になって、彼は言った。


「まあ、そうだな。そうかもしれない。……なあ、そもそもどうして、あいつは急に帰るって言い出したんだ?」

「分かりません」

「だよな……。俺にもあいつが何考えてるか分からん」


 マキアスは足下にあった石ころを無造作に蹴った。カタリナは、転がっていくその石の行方を眺めている。


「仮にだ」

「はい」

「明日になっても、アイゼンシュタインの気が変わらなかったら、お前はあいつに同行してくれ」

「……隊長は?」

「……もう少しだけ時間をくれ。三日でいい」


 その三日という数字には何の根拠も無い。しかしマキアスは続けた。


「それでもアルフェと会えなかったら、俺は後からお前たちを追いかける」

「本当ですね?」

「ああ」


 絶対にだ。マキアスがそう言うと、カタリナは笑顔を見せた。

 だがその笑顔は、どこか不安そうなものだった。



 翌朝、カタリナは宿の厩舎で馬車の準備をしていた。

 この馬車は宿の物だが、ロザリンデが徴発したのだそうだ。対価は渡したのだろうが、そんな強引な事をしてまで帰りたいのか。来た時のように馬に乗って帰らないのかとカタリナが問うと、ロザリンデはこう答えた。


 ――……もし、万が一もう一度あの方の姿を目にしたら、私はパラディンではなくなってしまいます。


 “あの方”とは誰のことか。パラディンでなくなるとはどういうことか。口には出さねど、何となくカタリナは察していた。

 ロザリンデの価値観を変えてしまいそうな出会いが、あの夜の闘技場で起こったのだ。


 帝都に帰るというロザリンデの意思は、昨日から変わっていない。正直な所、カタリナも帰りたいと思っていたから、そのことは別にいい。

 だが、マキアスまでもがそう考えているかは不明だった。


「……ふぅ」


 馬車の用意が一段落すると、カタリナは小さくため息をついた。

 ロザリンデは、あのアルフェという少女のせいで心の平衡を失った。

 マキアスも、あの少女にもの凄く執着している。友人を連れ戻すためだと彼は言っているが、あの態度は、とてもただの友人に対するものとは思えない。それを考えると、なぜか彼女の口からはため息が漏れ出てしまうのだ。


 準備はできた。あとはロザリンデを呼べばいつでも出発できる。

 だが――


「隊長……」


 マキアスは、まだ来ていない。

 彼は昨日の宣言通り、あの少女のためにこの町に残ることを選択したのか。パラディンの命令に逆らって、下手をすれば身分を失うという危険を冒してでも。

 その思いはやはり、大切な友人のため、というものではない。


「どうなっても、知らないですよ……」


 三日経てば追いつくとマキアスは言った。

 だが恐らく、今日現れなければ、彼はもう騎士団には戻らない。カタリナにはそんな予感がしていた。


「知らないから。どうなったって……」


 日が昇ってから大分経った。そろそろロザリンデも業を煮やすだろう。それでもマキアスは姿を見せない。

 諦めて、カタリナは宿の建物に入ろうとした。


「あ――!」


 しかしその時、道の向こうからマキアスが姿を現した。

 見たところ、旅の用意もしてあるようだ。

 やはり冷静になって、彼も気が変わった。カタリナの表情に、隠しきれない喜色が浮かぶ。


「隊長!」


 カタリナが呼ぶと、マキアスは彼女がいる厩舎の方に向きを変えた。彼はそのままずんずんと馬車まで直進し、荷物を積み込み始めた。


「良かったぁ……。ロザリンデ様も待ってますから。怒られる前に早く出発しましょう!」

「ああ」


 そう答えたマキアスは、無造作に荷物を積んでいく。積んでいくというよりも、叩き込んでいく。

 その乱暴だがテキパキとした動作は、昨日まであれほど出発を嫌がっていた人間のものとは思えない。


「……ど、どうしたんですか?」


 それどころか、彼の横顔には鬼気迫るものすらある。また不安をかき立てられて、カタリナは尋ねた。


「早く出発するぞ。さっさと帝都に戻る。アイゼンシュタインを呼んでこい」

「え……」


 荷物を積み終えたマキアスは、カタリナを見ようともせず言った。


「ど、どうして……」

「呼んでこい」


 繰り返された言葉に、カタリナは後ずさった。

 この変わり様は何だろう。一体、昨日の夜の間に、彼に何が起こったのだろうか。


「隊ちょ――」

「いいから!!」

「――!?」

「……アイゼンシュタインを呼んで来てくれ。……すぐに出発だ」

「は、はい。了解しました……」


 厩舎のある庭には、背の高い木が落ち葉を落としていた。

 その下を、カタリナが暗い顔で駆け去っていく。

 彼女の姿が見えなくなった後で、マキアスは馬車の車輪を思い切り殴った。


「俺は――――!!」


 拳に血がにじみ、噛みしめた唇からも血が落ちた。

 俺は強くなる。絶対に強くなるぞと絞り出した彼の言葉は、そのとき吹いたつむじ風に紛れて消えた。

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