第17話

 少し前、アルフェはコンラッドの道場の大家にして、商会長の娘であるローラ・ハルコムから、このベルダンの町で店を出す許可をもらった。

 もらったと言っても、アルフェはローラに許可を出しておくと言われただけだ。実際に認可状を手にしたわけではない。しかしその辺りの知識に乏しい少女は、それで全てが済んだのだと理解し、張り切って店の開店準備を進めていた。


 今日もアルフェは、雑巾を手に床を念入りに磨いている。元々古い建物でもあるし、これまでアルフェがきちんと掃除をしてこなかったこともある。磨いても磨いても汚れが出てきた。


「――ふぅ。よしっ」


 それでも二日はかかりきりになっただけのことはあった。大掃除は一段落し、這いつくばっていたアルフェは立ち上がって額の汗を拭った。季節はもう秋口だが、冒険では使わない力を使ったせいだろう、アルフェの体は汗だくであった。


「あ、それはそっちにお願いします」


 アルフェは新しく購入した商品棚を、手伝いの人間に据え付けてもらうために指示を出す。そのために彼女が振り向くと、後ろで一本にまとめ、高く結ばれた銀の髪がふわりと揺れた。


「何でまた俺が……。雑用は他の奴を当たってくれよ……」


 手伝いの人間――騎士のマキアスは、腕まくりをして商品棚を運びながら、ぐちぐちと不平をこぼしている。

 しかしアルフェに言わせれば、働いているところに用もなくやって来る彼が悪いのだ。それ故に、彼女は遠慮する様子もなく青年をこき使っていた。


「ここでいいか?」

「もう少し右です。――行き過ぎです。もう少し左」

「注文が細けぇ……」


 ようやく棚の配置を終えると、それに片肘を付きつつマキアスは主張した。


「前も言ったが、俺にだって仕事があるんだ。なぁリオン、お前も何とか言ってくれよ」


 聖騎士としてそれはどうかと思うが、マキアスは、アルフェの側で夢中で雑巾をしぼっていた六歳児のリオンに救いを求めた。リオンは呼ばれてがばっと顔を上げ、とても溌剌とした声で叫んだ。


「マキアスはいそがしいんだよ!」

「そうそう」

「ぼくとあそばなきゃなんないから!」

「そうそう。……んん?」


 そんなたわいもないやり取りをしながら、どうにかアルフェたちは店の内装を整えた。ただし、まだ商品などは陳列されていないので、かえってがらんとした見た目になってしまったが。


「あの、アルフェさんにお手紙が届いたんですが……」


 作業が一段落したちょうどその時、外で玄関周りの掃除をしていたリアナが入ってきた。


「……手紙?」


 もしやクラウスが何かを送ってきたのか。手紙と聞いて、アルフェは一瞬顔をこわばらせた。しかし差出人は、彼女が思っていた人物とは違ったようだ。


「……これは? 何でしょうか」


 手紙と言うより、それは一枚の通知書である。丸められた一枚の紙が、紐でまとめられて中央に赤い印が押してあった。


「それはハルコム商会の印章だな。お前の店のことで、ハルコムが何か言ってきたんじゃないのか?」


 アルフェの頭の上から、その紙をのぞき込んだマキアスが言う。そういうことなら不審なものでは無さそうなので、アルフェは紙の紐を解いた。


「え~、なになに? 前略、ベルダン在住の冒険者アルフェ殿。貴殿の出店願いは受理されました。ついては、正式な発行手続きを行うので、近日中に商会所に出頭してください、云々。――なんだ、まだ認可状をもらって無かったのか?」

「え?」

「だから、商会所に出頭しろってさ。商人たちはこういうのにやかましいからな、早く行っといた方がいいぜ」

「そ、そうなんですか? てっきり私は、ローラさんが色々と済ませてくれたものと……」

「店主が直接行かなきゃ進まない話だってあるんだろ。どのみち店をやるんなら、まかせっぱなしは良くないぜ。自分で色々やれないと。ハルコムだってそう考えたんじゃないか?」


 そう言われると、自分は少々図々しい考えをしていたかもしれない。アルフェは素直に反省した。


「はい、その通りですね。ありがとうございます」

「い、いや、別に礼を言われることじゃないけどな」


 下から見上げて礼を言ったアルフェから、マキアスは慌てて目をそらした。彼は照れ隠しをするように、首の後ろを掻いている。

 もう夕方が近い。今から商会に向かうのは時間的に適さないだろう。明日また日を改めてということにして、アルフェはその通知を戸棚にしまった。


「そう言えば、マキアスさんがお一人なのは珍しいですね。テオドールさんはどうしたんですか?」


 仕事終わりの休憩ということで、アルフェはマキアスを誘い、ここにいる四人でお茶にすることにした。店舗に改装しても、リビングだった時から使っているテーブルはそのままなので、彼ら空の商品棚に囲まれて、少し遅い午後のお茶を楽しんだ。


「別に俺は、いつもあいつにくっついてるわけじゃないぞ」

「そんな事は言いませんけれど」

「……ちょっとな、あいつは定時報告に行ってるんだ。今日はこの町にいない」

「定時報告?」


 ああと言ってマキアスが続ける。


「調べたことは、報告しないとならないだろ?」


 調べたこと、とは一体何なのだろうか。アルフェにはそれが少し気になった。

もしかしたらこの騎士は、アルフェの故郷が攻め落とされたことなどについても、アルフェ以上に色々と知っているのかもしれない。とは言っても、彼女はマキアスから、無理矢理任務の秘密を聞き出そうとまでは思わなかった。


「では、せっかくですから、夕食も食べていかれますか?」

「え? いいのか?」


 普段はマキアスに辛辣なアルフェだが、こき使った手前か、今日は少しだけ彼に親切であった。


「成果には、それに見合った報酬が必要ですから。冒険者の鉄則です」

「はは、何だよそれ」


 得意げな顔で言ったアルフェが、食事の支度をするために厨房へと下がっていく。残されたマキアスを、じとりとした目でリアナが見ていた。


「……」

「……」

「……ど、どうしたんだよリアナちゃん」

「別に何でもありません」


 リオンは、姉と遊び相手の騎士の顔を、テーブルの上に顔だけ出してきょろきょろと見比べている。


「……マキアスさんは忙しいんですよね」

「あ、ああ」

「じゃあ、どうしてここに来たんですか?」

「え? まあ、それは何でかっていうと……」


 妙な気迫を見せる十歳の少女に問い詰められて、マキアスは答えに窮した。


「まあ……、暇だったからさ。それだけだよ」


 仕方が無いから、マキアスは観念して正直に言った。少なくとも彼自身はそのつもりだった。しかしリアナはどうしてか、それで彼を許してはくれなかった。


「本当にそれだけですか……?」

「そ、それだけだよ」


 そのままマキアスは、アルフェが夕食を作って持ってくるまで、リアナの疑わしげな視線にさらされることになった。



 マキアスが来た翌日、アルフェは正式の認可状を取りに行くために、久々に商会所を訪れた。まだ冒険者になる前に、一度仕事を求めて来た時以来だ。


「あの、すみません。このような通知を受けたのですが……」


 相変わらず立派な建物の中で、アルフェは歩いている職員らしき男に声をかけた。


「これはどこに行けばよろしいですか?」

「ああ、商店の認可状ね。それならあっちだよ」

「ありがとうございます」


 あまりこの場所に良い印象の無いアルフェだったが、手続きをするだけのことだ。指示されたカウンターに行き、そこで応対していた若い職員に再び通知書を見せた。


「おや、こんな様式の通知があったかな……?」


 職員はつぶやくと、怪訝な表情を浮かべて奥に引っ込んだ。もしや不味いことがあったのだろうか。そんな不安な思いでアルフェが待っていると、さっきの職員が、貫禄のある年配の職員を引き連れて戻ってきた。


「いや、これはどうも。ただいま手続きを行わせていただきます。恐れ入りますが少々お待ち下さい」


 年配の方の職員は、もみ手をせんばかりの勢いでそう言って、若い方の職員も気持ち悪いくらいの愛想笑いを浮かべて立っている。

 もしやローラが何かしたのだろうか。豪華な応接室に通されて、茶と菓子まで出されたアルフェは訝しんだが、実際手続きが速やかに済んだのは助かった。


 正式な認可状を受け取ると、彼女はそれをどうしても誰かに見せたくなって、とりあえずコンラッドの道場に行くことにしたのだ。


「ほほう、認可状なぁ。商会所はそんなものをくれるのか」

「そうです。これで私もお店を開くことができるんですよ」

「そうか、俺はその辺のことは全然分からん。しかし、あのしみったれの商人どもがよく認めたな」


 ローラがこれを発行するために骨を折ってくれたのは、そう言っているコンラッドの嘆願があったからである。どうやら彼は、そのことを弟子に知られていないと思っているようだ。


「まあ、額にでも入れて飾っておけ」

「そうさせていただきます」


 コンラッドにそれを言う気が無いようなので、アルフェもあえて問いただす真似はしなかった。ただ、心の中で丁寧に礼を言っただけだ。


「それでお師匠様にも、私のお店を見ていただきたいのですが」

「ん?」

「ぜひ一度、いらっしゃいませんか?」


 この師弟の関係は、これまでアルフェの方が道場に通うだけの一方的なものであった。彼女がこのように、コンラッドを家に招くのは初めてである。


「……まあ、気が向いたらな」

「はい、お待ちしております」


 弟子の誘いに対し、コンラッドはそんな気の無い返事をしたものの、アルフェはにこやかに微笑んだ。多分来るだろうなと、彼女なりの予感を持ってのことだった。


「それでどうする? 今日は鍛錬していくか?」

「そうしたいのですが、あいにくこれから出かけなければならないんです」

「なんだそうか。――また冒険者の仕事か?」

「はい。タルボットさんから、たってと頼まれた仕事があるのです」


 アルフェの言葉を聞いて、コンラッドの眉がぴくりと動いた。彼の頭には、ついこの前に死にかけていた弟子の姿が思い浮かんだようだ。


「……無茶な仕事じゃないだろうな。……この間のようになるのは、感心せんぞ」

「あ、いえ、それほど危険なものではありません。心配なさらないでください」

「心配なんぞしとらんがな。……で? なんの仕事だ」


 それでもやはり気になるらしい。依頼の内容を聞かれたアルフェは、特に隠すこともなく言った。


「水道の補修です」



 水道の補修。確かに何でも無い、安全な仕事のように聞こえる。それが技師でもない冒険者の娘に頼まれるのはどうしてか。


「取水口が結界の外にあるんだ。魔物が出るかもしれないから、技師のギルドから冒険者派遣の依頼があった」


 そういうことである。タルボットはアルフェにベルダン周辺の地図を見せて、南の山に近い位置を指した。


「この山から引いてる水道の水の出が、急に悪くなった。水道は北の結界側にもあるから、普段なら放っておいてもいいんだが、今年の夏はあんまり雨が降らなかったろ?」


 北側の水道の水量も減っているので、水不足になる前に南側の水道の修理を行いたい。それが依頼の内容であった。


「私には、水道の知識などありませんが……」


 同行してくれる技術者でもいるのだろうか。アルフェがそれを問うと、タルボットはカウンターの下から道具一式を取り出した。農場で使うような熊手や、端にかぎのような物がついたロープなどが入っている。


「これを持って行け」

「これは……?」

「どこかが崩れたとかなら技術者の仕事になるが、多分今回は違うそうだ。取水口に何かが詰まってるだろうから、頑張ってこれで取り除いてくれ」

「は、はあ……」

「南の山までは、二日くらいはかかるだろう。気をつけて行ってこいよ」


 そうやってアルフェは、タルボットにベルダンの町から送り出された。かつては彼女が森に入るたびに心配して止めようとしていた男が、えらい変わりようだ。


 しかし、店の開店準備を進めているとは言っても、どのみち商品の仕入れは冒険先から行おうと考えているアルフェである。採集のついでに手間賃がもらえるとなれば、拒否する理由は存在しなかった。

 店の準備をリアナとリオンにまかせ、さらにその姉弟の様子見をタルボットとその婦人にまかせ、アルフェはベルダンを出立した。


 ――この水道をたどっていけばいいんですよね。


 古代に作られたという立派な石組みの水道を見上げながら、アルフェは歩いた。

スケルトンのいる沼地もベルダンの南にあるが、この水道はそこから少し離れた方角に向かう。アルフェの視線の先には、雪を被った南の山が見えていた。


あの山は帝国のほぼ南端に位置し、さらに進めば人外魔境の大山脈につながっている。大山脈は、竜や伝説の怪物までもが住まう場所とされているが、さすがに今回のアルフェはそこまで向かわない。彼女の目的地は大山脈の手前にある南の山、しかもその中腹である。

 タルボットは二日かかると言っていたが、アルフェはそこに、丸一日と少しでたどり着いた。幸運にして、途中行く手を遮る魔物なども現れず、彼女は無傷のままであった。


「え~と」


 ――小さな滝と、湖があるということですが……。……そろそろかな?


 木のマナと水のマナが混じる気配がする。それほど密度の高くない山林を抜けて、アルフェはタルボットに教わった目印のところまでやってきた。


「おお~」


 広がっている景色を見て、アルフェは思わず一人で手を叩いた。

 山林が開けた場所に、澄んだ水をたたえた湖が広がっている。いつか鍾乳洞の奥で見た水面には、良く言えば神秘的、悪く言えば不気味な妖しさがあったものだが、開放的な青空の下で輝く湖は、ひたすらに爽やかな空気を彼女の元に運んできた。

湖の水は、山の上から流れている小さな細い滝が供給しているようだ。貯まった水は、これも小さな川を作って下流へと流れている。


「取水口は……。――!」


 きょろきょろと見回すアルフェの目に、それらしき物が映った。

 湖の縁に沿って近寄ってみると、それは確かに取水口である。ただし――


「また、この手の魔物ですか……」


 大量のスライムが、水の取り入れを阻んでいたが。

 薄色のスライムたちは、取水口の入り口に陣取るように折り重なっている。仕事が終わったら水浴びでもして帰ろうかと考えていたアルフェは、それで一気にここが結界外の魔物の領域であることを思い出した。


「はいはい。これを取り除けってことですね」


 誰にともなくつぶやきつつ、アルフェはタルボットに授けられた熊手を荷物から取り出した。

 一瞬、こんななんの変哲も無い熊手で引き剥がせるのだろうかと思ったが、スライムたちの色が薄いのを見て、彼女はとりあえず試してみることにした。色の薄いスライムは魔力の含有量が少なく、従って力の強い魔物ではないからだ。


 実際にやってみると、スライムはそれほど抵抗なくぽろぽろと剥がれていく。彼らはそのまま湖の緩やかな流れに乗って、下流に続く川へと吸い込まれていった。もしかしたら取水口に取り付いていたのも、流れに逆らえなくてのことだったのかもしれない。


 ――家の掃除とあんまり変わらないかも……。


 少なくとも、魔物と戦っているという空気ではない。しかし、たまにはこんな風にのんびりした仕事があってもいいだろう。やっている内に、少し楽しくなってきた少女だった。


「――♪」


鼻歌交じりにざぶざぶと水をかき回して、アルフェは夢中になって作業を進めていった。


 ――ゲコゲコ。


だからだろう。彼女が背後にいるその気配に気付かなかったのは。


 ――ゲコゲコ。


「~♪ ……え?」


 鳴き声に振り返ったアルフェのすぐ目の前に。彼女の身長と同じくらいの蛙がいる。オオガエル――。ひたすら巨大な蛙で、とにかく魔物の一種である。彼らは地上にいる虫型の魔物の他、水中の魚やスライムを餌にする。突然の侵入者に餌場を荒らされ、怒って出てきたのだろう。


「――! 魔も――ぶっ!」


 熊手を放して構えを取ろうとしたアルフェの顔に、蛙のぬらりとした両脚がめり込む。湖の縁に立っていたアルフェはのけぞってバランスを崩し、そのまま後頭部から、どぷんと水に浸かってしまった。


「ごぽっ――!」


 ゴブリン以下の最下級の魔物の蹴りは、硬体術を使っていなくても、彼女の身体に傷を付けるものではなかった。アルフェが水に落ちたのは、純粋に驚いたためであったが、しかしここに問題があった。


「――かはっ!」


 そう、アルフェは泳いだことが無かったのだ。

 突然水中に突き落とされたことで混乱状態に陥った彼女は、必死に両手で水を掻いた。しかし今日まで泳いだ経験の無い少女がいきなり、しかも着衣のままで泳げと言われて、すいすいと泳ぐことができるだろうか。


 ――た、たすけ――!?


 助けを呼ぼうにも声が出せない。声が出せたとしても助けに来る者はいない。これは恐らく彼女が冒険者になって以来の、最大の危機であった。


「た――! たす――!?」


 しかし、五分ほどそうしてもがいていたが、一向に沈む様子が無い。


「助け――、あ、あれ?」


 アルフェがよくよく自分の状況を見渡してみると、脚は湖の底についている。しっかり立つと、水は彼女の腰くらいの高さしか無かった。


「……」


 ――ゲコゲコ。


 ずぶぬれになった少女を、さっきまで彼女が立っていた湖の縁から、緑色のオオガエルが見下ろしている。少々理不尽な憤りのこもった目で、アルフェはその魔物をじろりと見上げた。


 一時間後、思わぬ形で水浴びをすることになったアルフェは、湖から流れる川の縁で焚き火をたいていた。彼女は濡れた防具や上着を脱いで、河原の石の上に並べて乾かしている。今の彼女はかなりはしたない格好をしているが、それこそ、見とがめる人間は誰もいないのだ。大丈夫だろう。

 パチパチと音を鳴らす焚き火の周りには、木の串に刺さった肉が焼かれている。何の肉かは――、剥がれた緑の皮が、彼女の荷物に収集物として加えられている事から分かるだろう。


「――くしゅっ」


 湖の水は冷たく、夏の終わりを感じさせた。小さくくしゃみをしたアルフェは、風邪をひいてはいけないと思って焚き火の側に近寄った。


 ――水道が詰まった原因は、スライムだったとして……。


 とりあえずの応急処置はした訳だが、根本的な解決にはなっていない。だが、それはさすがに技師を派遣して、何とかしてもらうしかないと思う。自分はこのことを冒険者組合に報告して、それで依頼達成というところだろうか。


「ふぅ」


 アルフェが濡れた髪を絞ると、まだぽたぽたと滴が落ちた。ベルダンにある彼女の家に風呂は無い。公衆浴場は狭苦しいから、アルフェがこれだけ人目を気にせず水浴びしたのは、城の浴場以来である。そう考えると、もう一度くらい水に入っても良いかな、とも思う。


 しかしここで長居をして、より危険な魔物と戦う羽目になってもつまらない。服が乾くと、アルフェはめぼしい薬草などを採取して、再び石組みの水道をたどって山を下りた。



「新手のダンジョンか? ここは」


アルフェの店の内装を見て、玄関先でコンラッドが口にした評価がそれである。

 アルフェが南の山から帰ってきて数日後、なんやかんやあって彼女が店の開店準備を済ませたころ――、ちょうど開店の前日に、彼女の家にひょっこりとコンラッドが訪ねて来た。


「失礼なお師匠様ですね。……確かに、少々散らかってしまったのは事実ですが」

「少々? これが?」


 憎まれ口をたたき合っているが、当然本当に嫌がっている風では無い。そこには彼らなりに培ってきた信頼関係があるようだ。

 コンラッドは店に足を踏み入れると、とぼけ顔をしているアルフェを置いておいて、適当に陳列棚に並べてある商品を手に取った。


「これが薬草で……、これは毒消しか。……これは何だ?」

「それは沼地のキノコです。干しておいたので、お湯で戻せばすぐにスープが作れるという優れものです」

「ほう。まあ、このへんは普通の商品だな。……これは?」


 次にコンラッドが持ってみたのは、瓶に詰まった謎の粘性のある物体だ。


「卵嚢ですね」

「らんのう? なんじゃそりゃ」

「はい、オオガエルの卵嚢です。これも薬効があるそうです」

「……そうか。まあ、お前がいいならそれでいいか」


 コンラッドはそれ以上何も言わず、その瓶をそっと棚に戻した。

 他にもアルフェが拾ってきた魔物の一部などを眺めているコンラッドの横顔に、アルフェがそっと礼の言葉をつぶやいた。


「来てくれてありがとうございます。お師匠様」

「ん?」

「いえ。……お茶でも飲んでいかれますか?」

「いや、いい」


 それよりも、これを一つもらおうかと言って、コンラッドは薬草のシムの花を束ねたものを、カウンターにいるアルフェの前に差し出した。


「銅貨十枚です」

「なんだ、高くないか」

「普通です」


 コンラッドが銅貨をカウンターに置き、それで取引は成立した。アルフェの店の、初めての売り上げということになる。


「……あら、お師匠様、足りません」

「ん?」

「九枚しかありません」

「そうか、足りないか。……何せ俺には金が無いからな」


 まさか銅貨の十枚も出せないほど、相変わらずこの師匠は貧に窮しているのか。アルフェは情けないというよりも心配になった。


「それなら――」


 それならお代はいただけません。アルフェがそう口にしようとしたところを、コンラッドの言葉が遮った。


「足りないなら……、代わりにこれでも取ってくれ」


 ごとりと彼がカウンターに置いたのは、アルフェの両手にあまりそうな位の包みだ。音から察するに、何か金属製の物が入っている。アルフェが目で尋ねても、コンラッドはその中身が何か言わない。中を見ろとせかされているようなので、アルフェは包みの紐を解いた。


「ま、銅貨一枚分くらいにはなるだろう?」


 中に入っていたのは、きれいな銅細工の看板だ。そこには流れるような文字で、アルフェの店と刻まれている。


「……はい。なりますね」


 弟子のその返事を聞いて、コンラッドはにやりと笑うと、どこかそそくさとした調子で出て行った。


 それからしばらく、アルフェは一人その看板を愛おしそうに眺めていた。

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