第15話

 夜空に星が見える。

 闇に覆われた石造りの通路を抜けて、彼らがたどり着いたのは山腹の森の中だった。


 ――……ここまで来れば、ひとまず追って来ないか。


 左手に抜き身の剣を持っていた青年は、周囲を見回してつぶやいた。剣を鞘に収めようとしたところで、彼は改めて、刀身に付いた血をじっと見つめた。


 ――……俺は、どうしてこんなことを。


 柄を握る手に力を込めて、青年は唇を噛みしめる。

 しかし、今は逡巡する時間すら惜しい。彼はここまで手を引いてきた同行者に向き直ると、その名を呼んだ。


 ――……様。…………ア様!


 しかし彼女には、青年の声が耳に入っていないようだ。何度呼んでも、その少女はある一点を見つめたまま、動こうとしない。

 一体何を見ているのか。彼がそう思った時、少女は一言つぶやいた。


 ――あれが、わたしのいた、お城ですか?


 城という言葉を聞いて、青年は少女の見つめている方角に目を向けた。

 山の木々の間から、あの城が見える。敵に攻められ燃える塔。あそこから、二人はここまで逃げてきたのだ。


 ――……はい。とにかく今は私に付いてきて――。


 そこまで言って、彼は言葉を詰まらせた。


 どうしてこの娘は、笑っているのだろうと。

 それも、こんなにも嬉しそうに。


 ――……そうですか。


 彼女は己の両手を月明かりに透かすようにかざすと、もう一度はるかにそびえる塔の火を見つめて、目を輝かせた。





 アルフェは困っていた。


 彼女の生活自体には、特に問題は無い。冒険者として、依頼もかなり順調にこなせるようになってきたし、このベルダンで彼女が知り合った人たちは皆優しい。危険な目に遭うことはあっても、それを自分の力で乗り越える生活は充実していた。


 アルフェが大公の娘であったことを知る者は、この町にはいない。今では、彼女がこの町に来る前のことが、全て夢だったのではないかと思うことさえある。

 しかし一ヶ月ほど前に奇妙な女性が訪ねて来て、それが夢ではないことを告げていった。


 だが、その事はアルフェの困りごととは特に関係が無い。


 アルフェが住んでいる家は二階建ての一軒家で、彼女をこの町まで連れてきた従者のクラウスが用意したものだ。

 そこは正直言って、彼女が一人で使うには大きすぎる家だった。部屋がたくさん余っていて、彼女はそれを持て余していたのだ。リアナとリオンの姉弟を引き取った後、アルフェは二階の部屋の一つを、姉弟の寝室として割り当てた。

 そこまでは良い。


 しかしそのことに対して、弟のリオンは無邪気にはしゃいだものの、姉のリアナの方がえらく恐縮してしまったのだ。


「あの、やっぱり、私も働きたいんです」


 ある日リアナは、アルフェに向かってそう言った。アルフェが今困っている事とは、ずばりそれである。

 元々近所でも出来た娘として評判だったリアナには、命の恩人のアルフェに、ただで養われている現在の状況が我慢できないようだ。だから自分も働いて金を稼ぎたい。リアナはそう主張するのだ。

 命の恩人と言われるのは面はゆいが、アルフェにも、リアナのその気持ちは分からなくもなかった。


 ――でも、働きたいといっても……。


 リアナは無職の父親と弟を養うために、様々なところで手伝いをしていた経験を持つ少女だ。とても利発で、率直に言って戦うことしか能の無いアルフェなどよりも、よほど仕事ができるだろう。

 リアナはまだ十歳であるが、このくらいの年齢で働きに出ることは、特に平民にとってはそれほど珍しいことではなかった。冒険者になろう、などと考える者は別として、だが。


 しかしだからと言って、リアナをどこかの店に奉公に出すのか。それでは彼女を引き取った意味が無い気がする。そこでアルフェはあるアイデアを思いついたのだ。


「それで私、思ったんです。お店を出そうって」

「また突然だな。いったい何を思ったって? ――あ、お代わり」


 アルフェ宅のリビングで、テオドールとマキアスがお茶を飲んでいる。この二人は、最近たまにこうやって訪ねてきては、他愛もない話をして帰って行く。

 マキアスのお代わりの催促に構わず、アルフェは続けた。


「この家を見て下さい」


 言われて青年たちは、部屋の中を見回した。


「個性的な内装だね」

「カオスってやつだな。うちの妹は虫嫌いだからな。これを見たらひっくり返るぜ」


 ジャイアントビートルの甲殻やソードスパイダーの前脚等々、彼らには、床に積み重ねられた謎の素材しか目に入っていないようだ。アルフェは違うと言った。


「それのことを言っているのではありません」

「じゃあどれだよ」

「この家は、元々は何かのお店だったらしいのです」

「ああ、そう言えばカウンターなんかが有るね」


 アルフェが言った通り、この家の一階部分は、かつては何かの店舗として使われていたようだ。販売用のカウンターなど、通常の民家には不要な設備が残っている。そこに今はテーブルを一つ置いて、無理矢理リビングとして使用している状態だ。


「リアナちゃんは、どこかのお店で働くつもりのようですが、私はあまり外に出て欲しくはないんです。あんな思いをしたばかりですし……。リオン君だっていますし」

「まあ、その考えは分からなくもないな」

「ならいっそ、ここをお店にしてしまおうって思ったんです」

「それでそうなるのはちょっと分からんが」


 打てば響くようにマキアスが茶化すが、アルフェはこれを真剣に良いアイデアだと思っているのだ。この家が店になり、そこでリアナを雇う事ができれば、リアナの願いを叶えることも、アルフェの心配を解消することもできると。

 この間の遺跡調査の報奨金や、クラウスから送られてきた資金もある。今ならば、この一階に設備を入れて、店に改装するぐらいのことはできるだろう。


「本当に突拍子もないことを考えるよな、お前は。別にからかうつもりじゃないが、何の店をやるんだ。八百屋か?」

「からかってるじゃないですか……。お店の種類は検討中です」


 アルフェの言葉に、頬杖を突いていたマキアスが、大げさにがくりと頭を落とした。


「まだその段階かよ……。そんなんで上手くやれるわけがないだろうが。テオドールも何か言ってやれ」

「いや、私はそれほど悪くない考えだと思うよ」


 テオドールはアルフェの味方をした。こんなみすぼらしい民家に居るのに、彼がお茶を飲む仕草からは、やたらに気品が漂ってくる。


「さすがはテオドールさん。お代わりは要りますか?」

「俺のお代わりは無視したくせに……」


 アルフェはテオドールのカップに茶を注いだ後、一応マキアスの前にポットを置いた。ありがとうと言ってから、テオドールが言葉を続ける。


「アルフェさんは別に、大儲けしたいとか言ってるんじゃないだろう?」

「大儲けしたくないわけではないです」


 真顔でアルフェが答えた。


「……ま、まあ、それは置いておいてだ。ここは冒険者組合にも近い。人通りも少なくないし、雑貨屋か何かを開けば、十分やっていけるんじゃないか?」

「確かに、立地は悪くないけどな。何を売りたいかすら分からないんじゃ、店になんないだろ。世の中そんなに甘くないと思うぜ?」


 続いてマキアスは、アルフェにとって痛いところを突いた。


「大体お前、客商売なんてしたことないだろ」

「む……、まあ、そうですが」

「無計画に店なんか持ったって、絶対失敗する。――どうしてもって言うならさ、ちゃんと色々勉強してからにしろよ」

「そうだね、それは私も同感だ。焦ることはないだろう? アルフェさん」

「……分かりました」


 二人の意見はもっともである。いい思いつきだと思って、浮かれ過ぎていたのかもしれない。少し冷静さを取り戻したアルフェだった。



「で? 俺の所に聴きに来たってのか」


 冒険者組合のカウンターで、書類を見ながらアルフェの話を聞いているのは、組合の受付のタルボットだ。


「そういうのは、俺の仕事じゃねぇと思うんだがなぁ……」

「そう言わずに、何か良いアイデアはないでしょうか」

「まあ、あえて意見を出せっつうんなら、一つしか思い浮かばねぇな」

「何ですか?」

「簡単だよ、お前が採ってきたものを売ればいいじゃねえか」


 そう言いながら、タルボットはアルフェを指さした。


「お前は最近、あっちこっちでいろんなものを採ってきてる。こういう言い方はあれだが、あれだけ安定して供給できるなら、組合に買い取ってもらうよりも、直接客に売りつけた方が儲けになると思うぜ。薬草とかなら冒険者にだって売れるだろ」


 タルボットの意見はこうだった。なるほど、それはいい考えかも知れない。


「確かにそうですね……。私が商品を仕入れて、リアナちゃんにお店番をしてもらえば……」

「俺も少しくらいは宣伝してやってもいい。お前には世話になってるからな」


 その形ならば、上手くいくのではないだろうか。アルフェがそう考えたところに、タルボットの後ろにいた組合職員が声を出した。


「タルボットさん、ダメっすよ」

「ん? 何がダメだって?」

「この町で店出すなら、商会に認可状もらわないと」

「あ、あ~、そうだな。そうだった」


 忘れていたという風に、タルボットが自分の禿げた頭をぴしゃりと叩く。


「認可状、ですか?」

「そうなんだな……、この町で新しく店を出す時は、担当のギルドの許可が要る。素材屋? 雑貨屋か? まあどっちにしても、商会所の管轄だ」

「ギルド……」


 アルフェが今いる冒険者組合も、ギルドと呼ばれる同職組合の一つだ。当然、都市に存在するギルドは冒険者組合だけではない。鍛冶屋のギルド、錬金術士のギルド、パン屋のギルド、何なら乞食のギルドまで、都市にはあらゆるギルドが存在していた。

 アルフェがやろうとしていることを考えると、それは商会所――すなわち商人ギルドの管理下にある。出店には、彼らの許可が必要だというのだ。


「そうかぁ、それ考えると、ちょっと難しいなぁ……」

「なぜですか?」


 許可が要るなら、許可を取ればいいだけではなかろうか。アルフェはそう考えた。


「あそこは、身元の怪しいやつに厳しいから……」

「う」

「そもそも、後見人もいない若い娘が、名前書いたくらいで登録できるのは、うちぐらいしかないんだよなぁ」

「うう」


 アルフェがうめき声を上げる。確かに彼女の素性は怪しい。それを言われると、否定できない。


「もちろん、コネでもありゃあ別だぜ」

「……コネ? 何ですか? それは」

「この町に、有力者の知り合いでもいないかって――、すまん、悪かった。いるわけないな」


 失礼な物言いだが、事実だ。カウンターに突っ伏してむくれたアルフェに、さっきから面白そうに話を聞いていた職員が声をかけた。


「またまた。『有力者』なら、ここにいるじゃないっすか、タルボットさん」

「え? どなたですか?」


 アルフェががばっと身を起こす。


「アルフェちゃんの目の前だよ。ね、冒険者ギルドのギルドマスター」

「うるせぇ」


 そう言って、タルボットが職員を小突いた。


「ギルドマスター? タルボットさんが?」

「そうさ、何とこの人は冒険者ギルドのマスターにして、『市議会議員』様なんだ。ただの禿げたオッサンじゃないんだぜ。……あ、すんません。調子乗ってました……」


 さすがに言い過ぎたと悟ったのか、それともタルボットの鬼の形相に恐れをなしたのか、職員はすごすごと奥の部屋に引っ込んでいった。


 それにしても、市議会議員とは。

 この都市ベルダンの市議会は、慣習的にそれぞれのギルド長が議員を務める。タルボットが冒険者ギルドのマスターだというならば、確かに彼は市議会議員である。もちろんアルフェは、そこまでの事情は知らなかったが、それでも彼がこの町の有力者の一人だということは、彼女にも理解できた。


「確かにそうなんだが……、俺に期待するなよ? うちは商会と……、何だ、伝統的にそりが合わなくってな」


 期待を込めたアルフェの視線を受けて、煮え切らない表情でタルボットが言い訳をする。奥に引っ込んだ職員が顔だけ出して、うちが商会に頭が上がらないだけっすよ、と言い、再びタルボットに追い返された。

 しばらくの沈黙の後、タルボットはばつが悪そうに、というわけでと切り出した。


「協力してやりたいのはやまやまだけどな、商会の件は、俺をあてにしないでくれ」

「……分かりました」


 もし店を出せた時は、その時こそ手伝うとタルボットは約束した。ではあるものの、落胆の色を隠せず、アルフェは冒険者組合を出た。


 自分の店を出す。せっかく良いアイデアだと思ったのに、なかなかうまくいかないものだ。

 アルフェは残念な気分になりながら、久々に市場まで足を延ばしていた。ああは言われたが、店を持つという考えが彼女の頭から離れない。せめて、町にどんな店があるかを参考にしたかったのだ。


 ベルダンの市場は、今日も変わらぬ賑わいを見せている。この通りの周辺には、居抜きの店舗以外にも、たくさんの屋台が出ていた。

 肉屋、服屋、花屋に薬屋。こうして改めて見ると、実に様々な種類の店があるものだ。その全てが、何かのギルドの許可をもらって営業しているのだろう。


 ――やっぱり今までの様に、リアナちゃんにはお留守番をしてもらった方が……。


 リアナは悲しむかもしれないが、彼女の安全を考えれば、その方がいい。そんなことを考えていると、アルフェはとても珍しいものを見た。


「あれは……」


 思わず口から声が出たほどだ。何と市場の一角から、彼女のお師匠様――コンラッドが女性連れで出てきたのだ。


 いや、女性を連れてとは語弊があった。コンラッドは大量の荷物を抱えて、女性の後に付いている。どう見ても荷物持ちをさせられている格好だ。それよりも、アルフェにはあの、つり目がちの美女の顔に見覚えがあった。


 ――大家さん?


 コンラッドと一緒にいるのは、いつか道場で見かけたあの女性だ。


 荷物を抱えるコンラッドは、いつもどおりの眉間に皺が寄った表情をしているが、大家の方はとても楽しそうである。彼女は溢れんばかりの笑顔を見せて、コンラッドを連れまわしていた。

 先日道場で、家賃をためたコンラッドを叱責していた時の彼女とは別人のようだ。


「……む」


 その様子に、何となくアルフェは声を掛けるのをためらった。


「お師匠様にも、懇意にしてもらえる女性がいたのですね……」


 人は見かけによらないものだ。コンラッドたちが去った後も、アルフェは唖然として見送っていた。



「今日は、このくらいにしておくか」

「はぁっ、はぁっ、はっ、はいっ。――ありがとうございました」


 アルフェとコンラッドが道場の中央で一礼し、その日の稽古が終わった。


 アルフェの稽古着は汗みどろになり、喉は乾きで張り付きそうになっている。

 彼女の技の上達と共に、コンラッドによる修行も激しさの度合いを増している。最近はかなり体力をつけたと思っているアルフェだが、それでも稽古のたびごとに、精根が尽き果てる思いがした。


「道場の床は、清めておけよ」


 今にも倒れそうなアルフェとは対照的に、コンラッドはまるで苦にした様子もなく、涼し気な顔をしている。


 ――……さすが、お師匠様。


 ふらつきながら床板を掃き清めるアルフェは、師に対する尊敬を新たにする。これほどになるまでに、彼はどれだけの量の研鑽を積んできたのだろう。自分が少々鍛錬した程度では及びもつかない。それは当然だ。


「終わりました」


 片付けが済み、アルフェがそう言う。いつものコンラッドならば、ぞんざいにうなずいた後「ではまたな」とでも返すところだ。しかしなぜか、その日は違った。


「――茶でも、飲んでいくか」


 アルフェとコンラッドは、道場の庭に面した部分に腰かけて、並んでお茶を飲んでいる。

 日は傾いてきたが、暮れるにはまだ早い。リアナたちは家で待っているかもしれないが、もう少し位はいいだろう。


「……珍しいですね。お師匠様が、御馳走してくださるなんて」

「たまにはいいさ」


 どういう風の吹き回しですか、とは言わなかった。

 アルフェがコンラッドと初めて出会ってから、それなりに月日が流れた。アルフェは思う。もしあの日、ここに来なかったら、自分は今頃どうなっていただろうかと。


 多分、どこかで死んでいたのだろう。生きることの喜びも何も、知ることができないまま。

 だからアルフェは、ここでコンラッドに会えたことが、自分に与えられた、かけがえのない幸運だったと思うのだ。


 今の生活は、楽ではないが充実している。

 きっとこれが、誰かに与えられたものではなく、彼女が自分の力で手に入れた暮らしだからだ。今のアルフェには、城で生活していた時よりも、ずっと世界が澄みやかに見える。

 アルフェは隣に人がいる温かみを感じながら、無言で茶を飲んだ。


「最初会った時に比べれば――」


 もしかしたら、コンラッドもアルフェと似たようなことを考えていたのかもしれない。彼は意外な言葉を口にした。


「お前もだいぶ、強くなった」

「……どうされたんですか、今日は」


 その時アルフェは、なぜか自分の胸から首の辺りが熱くなるのを感じた。夏の夕陽のせいだろうか。


「思ったことを言ったまでだ。……師匠が良かったのだな」

「――ふふ、そうですね」


 師匠が良かったからです。アルフェは皮肉ではなく、そう言った。


「仕事は、順調なのか?」

「はい、お陰様で」

「そりゃあ良かった」

「……そうだ、私今、お店を持とうと考えているのです」

「……店? 色々と考える娘だな、お前は。何の店を――」


 それからも、取り留めもない話題が続く。二人の間に、のんびりとした時間が流れる。

 裏庭の壊れた塀の向こうには、夕陽に赤く染まった街並みが見える。師弟は並んでそれを見ていた。


「あの塀は、直さないのですか?」


 話題は流れて、その話になった。


「ん?」

「お師匠様が壊した、あの塀です」

「ああ」


 あの壊れた塀も、二人が会ったその日から、ずっとそのままだ。


「金が、無いからな」


 そうぼやきながら、コンラッドは茶をすする。


「あら、この間の魔獣を倒した報酬は?」

「大家に家賃を払ったら、無くなった」


 コンラッドは、以前に森の中に出現した巨大な魔獣を倒した。特異な固有種だったとかで、報奨金として決して少なくない金額が払われたと記憶しているが、いったい彼は、どれほどの家賃を溜めていたというのだろうか。


「大家さん……。そういえば、大家さんのお名前は何と仰るのですか?」

「ん? ローラだ。ローラ・ハルコム。あれでこの町の商会長の娘なのだ。見えないだろう?」

「すごく綺麗な女性でしたよね……」

「……見た目はともかく、中身は鬼婆だぞ」


 コンラッドが苦笑混じりにそう言った。


「そう言えば私、見たんですよ」

「何をだ」

「この前、お師匠様がローラさんと歩いていたところを」

「ぶふっ!」


 茶を口に運んでいたコンラッドがむせて、今まで流れていたしんみりした雰囲気が吹き飛んだ。


「何の話をしとるんだお前――!」

「すごく……、親密そうでした」


 今までと表情を全く変えずに、アルフェが言う。


「あれはお前……、借金のかたという奴だ。これでも俺は、お前にごくつぶしだと罵倒されてから、努力したのだ」


 ごくつぶしだとは言っていない。


「地道に金を稼いで、溜まっていた家賃も返済した。それでも、まだちょ~っと借金が残っていたのだがな、あの娘が、残りの借金を減らしてやるから、買い物に付き合えと――」

「……なるほど、そういうことでしたか」


 借金の対価としての労働というわけか。しかしそれにしては大家――ローラのやけに嬉しそうな表情が、アルフェには引っかかったが。


「なんで俺が、こんな事を弟子に話さにゃならんのだ」

「まあ、いいではありませんか」

「おかしい……、どうも最近、俺の師匠としての威厳が……」


 コンラッドはしきりに首をひねっている。

 しかし、とアルフェは思った。道場の家主だというから、きっと裕福な人なのだろうだとは想像していたが、商会長のご令嬢だったのか。それならば納得である。


 ――……あら? 商会長の?


 商会長――。その言葉を聞いて、アルフェの頭に閃いたものがある。


「お師匠様」

「何だ、馬鹿弟子よ」

「ローラさんのこと、もう少し詳しくお聞かせください」

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