第10話

 先ほどの戦いで負った傷は少し癒えた。自分の未熟な治癒術では完全な治療は無理だが、何とか戦うことはできるだろう。しかしこの右手はまだ、十分には使えないかもしれない。

 右腕に左手をかばうように添えながら、アルフェは進んだ。


 途中何度かジャイアントビートルに襲われたが、数匹程度ならアルフェ単独でも対処できる。全て蹴りつぶした。

 しかし道中、彼女はかなり魔力を消費していた。修行を始めてから日の浅いアルフェが、それでも人並み以上の力を発揮できるのは、ほとんど魔力のお陰である。これが尽きたらどうなるのか。


「――!」


 細い通路が終わり、再び広い空間に出た。天井がどれほどの高さにあるのか、暗くて見えないほどだ。

 上からたれさがった巨大な石のつららから、光る水が滴り落ちている。何枚もの皿を階段状に積み重ねたような地形に、青白く光る水がいくつもの小さな滝を作って、非常に幻想的な光景だ。


 ――リアナちゃん!?


 だが、アルフェの目を奪ったのはその光景ではない。空間の奥の奥、こちらに背を向けて、ひときわ大きなジャイアントビートルが立っている。その足元に這いつくばっているのは――女の子だ。


「――待ちなさい!」


 ビートルは、今にも女の子に覆いかぶさろうとしている。それを見極めた瞬間、アルフェはすさまじい勢いで駆け出した。魔力を使った加速が、アルフェと魔物の間にあった数百歩近い距離を一気に詰めさせる。


「その子から――!」


 そして魔物まであと十歩のところまで来ると、アルフェは地面を蹴り、高く高く跳躍した。


「――離れろッ!」


 彼女は銀のグリーブを履いた両脚をそろえて、思い切りビートルの頭を蹴り飛ばした。モンスターの巨体が横っ飛びに吹き飛ぶ。石柱にぶち当たって、巨大な甲虫は動きを止めた。

 宙で一回転して、アルフェはすとんと綺麗に着地した。床にへたり込んでいた少女が、目を見開いてその姿を見つめている。


「リアナちゃんですね?」

「…………おねえさん……、だれ?」

「私はアルフェといいます。冒険者です。弟さん――リオン君に頼まれて、リアナちゃんを探しに来ました。……もう、大丈夫ですよ」


 かがみこみ、アルフェが優しく微笑みかける。リアナの瞳に、大粒の涙が盛り上がってきた。幼い少女は、顔をゆがめて泣き始める。


「怖い思いをしましたね。……もう大丈夫です。安心して下さい。他にも強いお兄さんが、一杯来てくれています。一緒にお家に帰りましょう?」


 慈愛に満ちた声が、リアナの心に届く。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、リアナはうなずいた。


「――でもその前に、ちょっと待っていて下さいね」


 そう言ってリアナの頭をそっとなでると、アルフェは立ち上がった。後ろを振り向いた彼女の瞳は、残酷なまでに冷たい。彼女はその目で、壁のそばにうずくまっている魔物を見つめた。


 あれはまだ、死んではいない。


 しばらくもぞもぞと動いていたが、ジャイアントビートルはあっけなく立ち上がってきた。先ほどのアルフェの渾身の蹴りを食らっても、特に損傷を受けた様子が無い。

 この魔物は他のビートルと違い、頭に一本の巨大な角が生えている。角は先端で三股に枝分かれし、己の強さを誇示しているかのようだ。他の個体とは明らかに格が違う。


 ――この洞窟の群れの、主といったところでしょうか。


 手でリアナに下がるように示しながら、アルフェは体内の魔力を整えた。


 ――全力で……、しかも不意を撃ったというのに、さして傷を負った様子も無い。……さあ、私で勝てる相手でしょうか。


 一撃しただけだが、外皮の硬さと弾力も他のビートルとは段違いだった。それに加えて、あの角。アルフェの腕の、倍ほどの太さがある。あれで衝かれれば、きっと致命傷は免れない。

 しかし、逃げることは出来ない。アルフェは努めて不安を表に出さないように、後ろで震えるリアナに向けて、花が咲いたような笑顔で言った。


「今からお姉ちゃんが、あの魔物を退治してあげます」


 アルフェとジャイアントビートルが対峙する。魔物はアルフェからすると見上げるような体長だ。いったいどうやって攻めたものか。迷っていると、ビートルのほうから仕掛けてきた。


 ――速いっ!?


 鈍重なはずの種族とは思えない速度で、ジャイアントビートルが接近する。相手は前方に角を衝き出して、アルフェを刺し貫く構えだ。

 受け止めれば死ぬ。そう判断したアルフェはとっさに角を蹴り上げて、ビートルの突進の方向をそらした。鋼のグリーブが角に当たり、まるで金属をぶつけ合ったような音がした。

 角はそのまま背後の岩壁に深く突き刺さる。空恐ろしい威力だ。


「リアナちゃん! 私から離れなさい! 早くッ!」


 アルフェが大声で叱咤する。

 いざとなれば、この子だけでも逃がさなければならない。そのために、出来る限りこの怪物の注意を引き、戦闘能力を削がなければ。

 岩壁から角を引き抜き、ビートルがアルフェに向き直る。岩を貫いても、その黒光りする角には傷一つついていない。


「今度は、こっちの番です!」


 意識的に大声を出して、アルフェは魔物の注意を己に向けようとした。

 打撃が効かないのであればと、アルフェは貫き手を構える。懐に入り込み、魔力をまとわせた手刀を、ビートルの腹の節目に突き入れた。


 ――刺さるッ! けど浅いッ!


 途中にいた雑魚たちとは違って、彼女の手は指の根元くらいまでしか刺さらなかった。虫がギィィという鳴き声を上げる。ダメージはあるようだが、痛みよりは怒りの方が勝っているようだ。

 怒ったビートルは、二本の右脚でアルフェをなぎ払った。


「くっ!」


 かわして再度、左手で手刀を繰り出す。右手はまだ、思う様に動かない。

 だがアルフェの攻撃は、無慈悲に甲殻に阻まれる。ビートルは体を少し動かし、節の位置をずらしてきた。アルフェの意図を読んだかに見える動きだ。戦い方さえ、他の個体とは違う。


「ぐはッ!」


 左右四本の前脚と、角による連続攻撃。いつまでもかわし切れるものではなかった。脚の一本が、アルフェの胸に命中する。

 アルフェの身体が宙を飛ぶ。そのまま床を転がるが、わずかに溜まっていた水のおかげで、激突は避けられた。すぐに起き上がり、構えを立て直す。


 ――お師匠様。


 荒い息を吐きながら、アルフェは思った。


 ――やっぱり防具は、必要でしたね。


 もし皮の胸当てを着用していなかったら、今の攻撃は、そのまま致命傷になったかもしれない。戻ることができたら、コンラッドに自分が正しかったと言ってやろう。心の中で、アルフェは精一杯に強がっていた。


 しかし――


 ――これは――、勝てない?


 アルフェには、目の前の化け物を倒す方法が思い浮かばなかった。



 リアナの眼前で、今、信じられない光景が展開されている。


 あの巨大な虫の化け物に見つかったあと、リアナはただひたすらに逃げてきた。

 彼女はもう自分の命を諦めた――虫の餌になることを覚悟したつもりだったのに、いざそれが目の前に迫ると、やはりどうしても死にたくないという思いが溢れてきた。


 彼女自身にも、信じられない速さで足が動いた。ひたすらに奥へ奥へと、リアナは走り続けた。しかし虫の魔物は、森のゴブリンの時のようにはリアナを見逃してくれなかった。

 この大きな空洞に出た時、少女はもう逃げ切れないことを悟った。膝を折り、上を見上げる。そこに空はなく、ただ、洞窟の暗い天井が広がっていただけだ。

 彼女が最期に心の中で呼んだのは、弟の名前。


 ――……リオン、……ごめんなさい。


 しかしそこに、その人物が現れたのだ。


 その女性はリアナを狙う恐ろしい魔物を吹き飛ばし、もう大丈夫だと言ってくれた。ボロボロの服に、傷ついた体。きっとここに来るまでに、何度も、何度も戦いを潜り抜けてきたのだろう。

 魔物はその人よりも、はるかに大きく、力強い。だが、リアナの目の前で揺れる銀の髪は、美しい光の線を描いて、魔物の嵐のような攻撃をかわし続けている。


 ――負けないで……。負けないで!


 今の彼女はただ、その人の勝利だけを一心に願っていた。


「――ぬぁあああ!」


 アルフェは振り下ろされる腕を寸前でかいくぐりながら、魔物の懐に飛び込んだ。敵は素早い。関節を狙うことを諦め、腹部に繰り返し打撃を加える。しかしその分厚い甲殻を砕くことはできない。


「ちぃッ!」


 むしろダメージはアルフェの拳に蓄積されている。ここに来る途中の戦闘で、彼女は魔力を使い過ぎた。硬体術が弱まっているのだ。

 拳の痛みに構わず、アルフェは右脚でビートルの胸を蹴り上げた。わずかに魔物が後方によろめく。その隙を見て双掌打を腹に打ち込んだが、魔物に堪えた様子はない。苦しい表情を浮かべる彼女の頭に、魔物の腕が振り下ろされた。


「――がッ!」


 光る水しぶきを上げながら、アルフェが弾き飛ばされる。二、三度転がって、彼女の身体はようやく止まった。


「――お、お姉ちゃん!」


 リアナの叫びが空洞に響く。それに反応して、ビートルはもう一つの獲物の存在を思い出した。


「待てッ!!」


 そんな大声を上げる力が、どこに残っているのか。アルフェは痛みに顔をゆがめながらもゆっくりと起き上がり、再びリアナと魔物の間に立ちふさがった。

 べっと口から血を吐き出し、鼻血を手の甲でぬぐう。満身創痍だが、それでもその姿は、リアナが見とれるほど美しかった。


「相手を、間違えるなッ!」


 再びアルフェが魔物に詰め寄る。リアナには目で追うのがやっとの速さだ。それでも確実に、彼女の動きは少しずつ鈍ってきている。諦めずに攻撃を繰り返すその姿が、とても痛々しい。


「――あっ!」


 リアナの口から、またしても声が漏れる。

 魔物の甲殻にわずかな、ほんのわずかなヒビが入った。アルフェの口の端に笑みが浮かぶ。彼女は決して諦めていない。リアナの心に、何か熱いものが広がっていく。

 ガチガチと、ビートルが激しくあごを鳴らす。抵抗を続ける目の前の生物に苛立ったのか、魔物は再び彼女を弾き飛ばすと意外な行動に出た。


 空を飛んだのだ。


 ――この大きさで飛ぶのですかッ!?


 背中から生白い翅を出したジャイアントビートルが、すさまじい勢いで羽ばたき始めた。甲高い、耳障りな羽音が空洞に響き渡る。

 手で顔を覆わなければ、目を開けていられないほどの風圧が発生し、洞窟内の水面に波紋が広がる。そしてふわりと浮き上がった魔物は、アルフェの周囲を旋回し始めた。


「くっ!」


 ――いったい、何をするつもりなの!?


 魔物はアルフェの手が届かないところを飛び回っている。それでもアルフェが構えを崩さず虫の動きを見守っていると。高度を落とし、高速で角の先から突っ込んできた。


「――!」


 地面に脚を付けていた時とは、比較にならない速度の突進だ。アルフェは真横に跳んでそれをかわした。


「このッ! ――!?」


 再び魔物が突っ込んでくる。回避しなければと思ったアルフェは、自分と魔物を結ぶ直線上に、リアナがいることに気がついた。自分が避ければ、魔物はリアナの方に向かう。


「――フッ!」


 アルフェは足を止め、もう一度突進の方向を逸らすため、グリーブでビートルの角を蹴り上げる。グリーブの金具が破損する音が響き、岩にぶつかったようなすさまじい衝撃がアルフェを襲った。コマのように回ったアルフェの身体は、再び地面に叩き付けられて水しぶきを上げる。


「きゃあああ!」


 ビートルの方は、リアナのすぐ側の壁に突き刺さったようだ。幼い少女の抑えきれない叫び声が響く。それが薄れかかるアルフェの意識を、現実に引き戻した。


 ――だめだ。


 今自分が死ぬわけにはいかない。アルフェは己を奮い立たせる。

 よろりと立ち上がったが、全身にズキリと痛みが走る。リアナは――、無事だ。

彼女はどうにか岩のかけらを避け、ビートルから距離を取っている。


 魔物はまた上空を旋回し始めた。今度はさっきよりも高く。

 あの高度、あの速度で飛び回られては、アルフェの方からは手が出ない。では、どうするか。

 次に食らえば命はないだろう。かといって、満足に避けるだけの力も残されていない。


 ――でも。

 

 アルフェはちらりとリアナを見やった。

 自分が倒れる前に、少なくともあの魔物に痛撃を加える。少女が独りで逃げられるだけのダメージを、あの怪物に与えなければならない。

 アルフェは目を閉じ、細長い息をする。下腹にありったけの力を込めた。


「呼おおおォォォォ!!」


 アルフェの体内に、周囲から魔力が集まってくる。


 集気法。

 通常、アルフェの流派は体内のオドを用いて敵と戦う。しかしこの技は、自然界にあふれるマナを取り込むことによって、一時的に普段よりも大きな魔力を攻撃に込めることができるのだ。

 その代償として、長い「溜め」が必要になるが、今この時、残された魔力であの魔物に対するにはこの方法しか無かった。

 魔力を吸われ、アルフェの周囲を流れる水の光が明滅を始めた。


 その場に留まって、逃げようともしないアルフェに不審なものを感じたのか、虫はまだ、高高度を旋回し続けている。そして何かを確かめるように、一撃離脱の軽い攻撃を仕掛けてきた。

 

「ああ!」


 リアナが両手で顔を覆う。魔物の攻撃を、アルフェはかわさなかった。彼女は魔物の動きをじっと見据えながら、致命傷だけを回避して攻撃に耐えている。


 獲物はもう、動けなくなった。ジャイアントビートルはそれを確信すると、高度を下げた。完全に相手の息の根を止めるため、再び角による突進を敢行する。今までで最も速度を乗せた、必殺の一撃。


 ――……今だ!


 しかし魔物の角が触れる瞬間、アルフェは目をかっと見開いた。


「でやあああああぁああ!!」


 衝き出されてきた角をかいくぐると、彼女はそのまま両腕で角を抱えた。そのまま相手の勢いを利用して、敵を遠くに放り投げる。

 きりもみになって飛んでいくジャイアントビートル。体勢を滅茶苦茶に崩された魔物は、速度を殺すこともできず、そのまま洞窟の壁に叩きつけられた。

 もうもうと砂煙が立ち込める。魔物の背中の外骨格がちぎれとび、柔らかく、生々しい羽がむき出しになっている。鳴き声から伝わってくるのは、明確な苦痛の感覚だ。


 だが、アルフェはそれで済まさなかった。それでも起き上がる巨大甲虫の足元に、彼女は瞬発的に距離を詰める。リアナからは、アルフェが元の位置から消えたとしか見えなかった。

 アルフェが踏み込んだ右足を中心に、大きな水の柱が立つ。洞窟の床にひび割れが走り、地面が鳴動したようにさえ思えた。


 ――拳では弱い。両掌を使ってもまだ足りない。全てを、己の中の、ありったけを込めて。

 アルフェは全身をひねりこみ、背中から魔物にぶち当たった。溜め込んだ魔力を全開で、全てを敵の腹部にたたき付けた。


 洞窟内に、星が破裂したような轟音が響き渡る。

 静止して動かないアルフェと魔物。数瞬後、虫の背中がむごたらしくはじけとび、内臓が後方の壁にぶちまけられた。


 ――……終わった。


 殆ど中身を失った、魔物の外殻が力なく崩れ落ちた。それでもまだしばらく、虫の足はわさわさと動いていたが、もうこの身体に生命は宿っていない。

 戦いは終わったのだ。


「――お姉ちゃん! お姉ちゃん!」


 リアナがアルフェに駆け寄ってくる。虫の体液と彼女自身の血で、アルフェはどろどろに汚れていたが、それにもかまわず飛びついてきた。リアナはアルフェの胸に顔をうずめて、力の限り抱きすがる。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん! ……おねぇ、ちゃん」


 最後は完全に涙声で、ろれつが回っていなかった。アルフェはリアナの背に手を回し、優しく抱きしめ返した。正直もう立っているのも辛いが、この子を家に送り届けるまでが今回の仕事だ。


「……行きましょう。ここはまだ危険です。……お姉ちゃんが、あなたを必ず家につれて帰りますから、安心してください」


 リアナが少し落ち着いてから、アルフェは言った。力強く、一言一言、言い聞かせるように。

 リアナは両手でぐしぐしと涙をぬぐい、うなずいた。泣きはらした目だが、それでも初めての笑顔を見せた。


「強い子ですね」


 アルフェも少女に微笑み返し、同時に思った。――なぜこんな小さな娘が、こんな怖い思いをしなければならないのか。

 アルフェは少女に対する愛おしさと同時に、彼女をこのような目に合わせた理不尽に対して怒りを感じた。


「さあ、一緒に……、あら?」


 立ち上がったが、くらりとめまいがし、膝からかくんと力が抜ける。

 この感覚は覚えている。魔力の枯渇だ。緊張が解けたせいか、膨大な魔力を放出した反動が一度にやってきた。猛烈な脱力感と眠気が襲ってくる。このまま目を閉じたら、しばらくは起き上がれなくなるだろう。

 必死にまぶたを開こうとするが、身体が言うことを聞かない。


「お姉ちゃん? ど、どうしたの?」

「いえ、何でも――。――!」


 リアナが不安気な声を掛けてくる。大丈夫だと言おうとして、アルフェの顔は蒼白になった。


 ――……しまった!


 いつの間にか、完全に魔物に包囲されている。群れリーダーの死を察知して、あちらこちらの通路から、小型のビートルたちが集まってきたのだ。


「っ、逃げなさい!」


 膝を突いていたアルフェがふらつきながら立ち上がる。残った力でも、足止めくらいはできるだろう。リアナはアルフェの意図を感じたのか、彼女の腕にすがりつき、いやいやと首を振った。


「逃げなさい! 私が道を開きます! その間に早く!」


 その手を引き剥がして、アルフェは現れた敵の群れに向かって踏み込んでいった。リアナが自分を呼び止める声がする。だが、その声に振り向くわけにはいかない。残された最後の力で、一匹、また一匹と魔物を屠っていくが、徐々に目の前が暗くなる。


「――逃げなさいッ!」


 そうしていつしか、彼女は意識を手放した。





 身体が宙に浮いているような感じがする。いや、これは誰かの背中におぶられているのか。人に背負われるなど、いつ以来だろう。いつか母に――、いや、姉におぶってもらったのが、最後だったろうか。

 金属の鎧の冷たい感触が、頬に当たっている。アルフェは、はっと目を覚ました。


「……ん? おお、お目覚めみたいだぞ、テオドール」


 徐々に視界が明瞭になる。横に見えるのはマキアスの顔だ。ということは、アルフェの目の前にあるこの背中は――


「……そうか、良かった。アルフェさん、まだ眠っていていい。ここからは私たちが引き受ける」


 おぶられた背中を通して、テオドールの声が伝わってくる。そうか、これは彼の背中か。


「まあ、テオドールが疲れたら、俺が代わりにおぶってやってもいいぜ。……お前は頑張ったんだ。ゆっくり休みな」


 アルフェは顔を起こして、周囲を見回した。


「リアナちゃんは!?」

「ちゃんと居るよ、心配するな」


 マキアスの影になって、彼に手を引かれた少女がいる。リアナだ。その顔を確認すると、アルフェの上体からは再び力が抜けた。


「……そうですか。お二人が助けてくれたのですね。……ありがとうございました」

「この身に代えてもなんて、思うなって言ったのにな。強情な娘だな、お前は」


 呆れたようにつぶやいたマキアスの顔は笑っている。

 そう言う二人の青年の格好だって、ひどいものだ。あちこちに切り傷や、打ち身の跡が見える。彼らもアルフェとは別の道で、それぞれに必死に戦ってきたのだろう。


「とにかくこれで依頼は完遂、だ。町に着くまでくらい、おぶられてな」

「そういうわけには……。あの、すみません、もう自分で歩けます。降ろして下さい」


 アルフェはテオドールに声を掛けた。だが、思ったよりもがっしりしている背中の主は、珍しく冗談めかしてこう言った。


「私も君を降ろしたくないな……。君みたいなお転婆な子は、捕まえていないと、どこに行ってしまうか分からないから」


 それが可笑しかったらしく、マキアスが声を上げて笑う。リアナはきょとんと、よく分からないような表情をしている。

 アルフェはみんなにからかわれているような気がして、赤くなった頬を目の前の背中にうずめた。

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