第7話

「見ての通り、私達は騎士です。私の名はテオドール。こっちは友人のマキアス」


 そう言って、金髪碧眼の青年がアルフェに自己紹介した。騎士然とした物腰と、爽やかな容貌をした青年だ。十七だったアルフェの姉よりも、一つか二つは年上に見える。

 ハーフプレートと言うのだろうか。彼は胸や肘など、重要な部分だけが金属製の鎧をまとっていた。


「はじめまして。テオドールさん、マキアスさん。私はアルフェと申します」


 アルフェがぺこりと頭と下げると、テオドールと名乗った青年は、涼やかな微笑でそれに答えた。


「……それで? あんたはいったい何者だ。なんでこんなところにいる?」


 しかしマキアスと呼ばれた方の青年は、アルフェに対する不信感を隠そうともせずに問いかける。廃村に剣を抱えた娘がいれば、それも無理の無いことだろうかとアルフェは思った。

 テオドールと同い年くらいのこの青年は、こげ茶の髪と、緑がかった瞳を持っている。テオドールと比べると目つきが鋭く、かなり険のある容姿に見えた。


「あの、私はベルダンの町に住んでいる冒険者です。依頼を受けて、この近くの沼地まで素材を採取しに来たんです」

「冒険者……? 冒険者だと? ……あんたみたいな娘が?」


 マキアスはまるで、テオドールをアルフェからかばうような位置取りで立っている。その右手は剣の柄に添えられており、いつでも抜剣できるような体勢だ。


「失礼だぞマキアス!」

「テオドール、お前はちょっと黙ってろ。……悪いが娘さん。俺たちはアンデッドを討伐しにここにやってきた。それなりの警戒はさせてもらう。……あんたの身の上を証明するものはあるか?」


 彼らは騎士と言ったが、一体どういう所属の騎士なのか。

 二人とも、同じような意匠の鎧を身につけている。そこに身分の判る紋章などはついていないが、施された装飾を見るに、決して平民では手に入れることが出来ない代物だということは、想像に難くない。さしずめお忍びで見聞の旅をしている、高位貴族の子弟だろうか。


「は、はい。数ヶ月前に冒険者になったばかりですが……、ベルダンの組合に登録してあります。これ、組合証です」


 アルフェはいそいそと懐に手を入れ、冒険者組合の組合証を出してみせた。それは、ギルドタグとも呼ばれる身分証だ。首飾り状の鎖についた小さな金属片に、どの都市の何という冒険者なのかが記されている。


「……本物みたいだな」


 刻印された情報を一瞥し、マキアスは一応警戒を緩める気になったらしい。彼は剣の柄に掛けた手をはずすと、肩をすくめた。


「疑って悪かった」


 しかしあくまで一応だ。彼の左手がまだ鞘に添えられているのを見れば、それが分かった。


「いえ、気になさらないでください。ところで、お二人はここで何をしていらっしゃるんですか? 先ほどは、戦いのような音が聞こえましたが」

「ああ、その事ですが、実はこの廃村で、レイスが出現したという情報があったんです。それで私達は、その魔物を討伐するために、ここにやってきたんですよ」

「レイス?」

「……ベルダンの冒険者なら、知らなかったのか? 組合じゃ、結構な騒ぎになってたぞ?」


 マキアスの問いに、アルフェは首を横に振った。


「さあ……。私が最後にうかがった時には、そのようなお話は聞きませんでした」

「なるほど。入れ違いになったのかもしれないな、マキアス」

「ふん――、どうだかな」


 テオドールはアルフェを全く疑っていない様子だが、マキアスは、やはり彼女に気を許すつもりはないようだ。露骨に険悪な物言いをしてくる。その態度を受けて、アルフェではなく、テオドールの方が眉をひそめた。


「やめろマキアス! ――ですが、そういう訳で、レイスにはかなりの賞金も掛けられました。この後も、他の冒険者たちが討伐にやってくるでしょう。……お嬢さん、ここは危険です。あなたはすぐ町に戻ったほうがいい。よろしければ私たちが護衛します」


 アンデッドは必ず自分たちが滅する。テオドールはそう決意してここに来たが、このような地にか弱い淑女を独りにすることもまた、彼の信念に反していた。だからこそ、彼はそう申し出たのだ。


「賞金ですか?」


 しかしアルフェは、テオドールが全く想定していなかった反応を返してきた。


「討伐したら、賞金が出るのですか?」

「え、ええ、そうです。いや、違います。誤解しないで下さい。我々は決して賞金が目当てなのではありません。あなたを放って討伐に向かうような真似はしませんよ。安心してください」

「御心配は無用ですが……。……そうですか、賞金が」


 小さくつぶやいた後、アルフェが少しうつむき加減に考え込んでいるのを見て、二人の騎士は顔を見合わせた。


「どうしました、お嬢さん」

「いえ、……あの、むしろ、私も討伐をお手伝いさせていただけませんか?」

「……は? 真面目に言ってるのか?」


 マキアスが呆れた声を出した。レイスは下手をすれば、村の一つや二つは滅ぼせる魔物だ。この娘は、レイスの恐ろしさを理解していないのだろうか。

 

「あなたがですか? ……レイスは恐ろしい悪霊です。好奇心で付いてくるつもりなら、やめた方がいい」


 テオドールにしても、マキアスと同じような感想を抱いていた。彼の口調が、若干だが強いものに変わった。興味本位でアンデッドに手を出せば、間違いなくこの少女は恐ろしい目に合う。少々きつい言い方になっても、諭さなければならない。


「戦う術は心得ております。お手伝いさせてください」

「な――」


 しかし、真剣な表情で訴えてくるアルフェには、妙な気迫がある。そのため逆にテオドールの方が気おされてしまった。テオドールの横から、マキアスが威圧するように声を出す。


「いいだろう。そんなに一緒に来たいなら、付いてくればいいさ。ただし、俺たちにあんたの事まで守る余裕は無いからな。……どうなっても責任は持たないぜ?」


 マキアスは改めて思う。やはりこの娘は信用できない。アンデッドと聞いて、怖がるどころか興味を持つとは。このまま別れるよりも、目の届くところに置いておいたほうが、警戒するには逆に都合がいいかもしれない。

 そして、もし――


 ――もし、こいつが悪霊の罠ならば……、俺が斬る!


 友には決して手出しをさせない。マキアスは鞘を握る左手に力を込めた。



「レイスはこの屋敷の中に逃げていった。恐らくここが奴の住処だろう」


 村奥の屋敷の門前に、三人がたたずんでいる。この屋敷は、廃村の中では最も大きな建物だ。まだこの村に人がいた時代には、村の有力者が住んでいたと考えられる。部屋数もそれなりにありそうだ。この中で悪霊を捜索するとなれば、相当の慎重さが必要になるだろう。


「先ほどは一時的に撃退したが、完全に滅することは出来なかった。恐らく、奴をこの世界に縛り付けているものがあるんだ。……それを取り除かなければ、レイスは消えない」


 死者の怨念が核となった悪霊は、生前の執着に縛られる傾向がある。そのような悪霊を消滅させるには、彼らが地上に留まる原因を消し去るか、あるいは、その執着を上回る力で消し飛ばすしかない。

 今回のレイスは、テオドールの会心の斬撃を食らっても消滅しなかった。それ以上の威力の攻撃を、今の自分たちが行うことは難しい。ならば、この幽鬼が地上に縛られる理由を取り除くしか方法はないだろう。テオドールはそう語った。

 村にある他の廃屋と同じく、この屋敷も年月による風化を免れてはいない。門扉は傾き、庭は背の高い雑草でおおわれている。しかしそれ以上に不気味さを感じるのは、屋敷の全ての窓に、執拗なほど板が打ち付けられていることだ。

 あるいは屋敷の中にある、忌まわしい「何か」を封じ込めるために、誰かがそうしたのかもしれない。


「邪気が充満しているな。この中では、レイスはさらに力を増すはずだ。探索を始めるが、警戒を怠らないようにしよう」

「ああ」

「分かりました」


 表情を引き締めたテオドールが、全員に注意を促した。

 何となく、テオドールがこの即席パーティーのリーダーという形になって指示を出している。マキアスとアルフェがうなずくと、テオドールは屋敷の扉を開いた。


「暗いな……」


 マキアスがつぶやく。外はまだ日が高いが、屋敷の中は薄暗い。窓に打ちつけられた板の隙間から、かろうじて日の光が差し込み、室内を照らしているだけだ。

 三人は一階から探索を始めた。エントランスから始まり、食堂、台所、食糧庫、使用人の詰め所と思われる部屋。順に捜索を続けたが、レイスも、レイスに関する手がかりも見つからない。

 悪霊が彼らの前に姿を見せないのは、先刻の戦闘で負った傷が癒えるまで、息を潜めているつもりだからだろうか。それともレイスは、侵入者が油断するのを、どこかでじっと待っているのだろうか。


「おい二人とも! 何かあったぞ!」


 半地下に設けられたワイン倉庫の中で、テオドールが何かを見つけた。

 指輪である。金でできた台座に、輝く大粒の紅玉がはまっている。


「……これは中々、高そうな指輪だな。指輪の価値なんて、俺にはわからんが。……この館の主人のかな?」

「私にも見せてください。……綺麗ですね。結婚指輪でしょうか? なぜこんなところに落ちているんでしょう」

「分かりませんが、何かの手がかりになるかも知れない。借りていきましょう」


 そう言って、テオドールは指輪を胸元にしまった。


「床が腐っている。気をつけるんだ」


 彼らが歩くたび、床板はギシギシと悲鳴を上げた。床だけではなく、壁も天井も非常に脆くなっているようだ。


「了解。――しかし、この村が捨てられたのは、もう何十年も前だっていう話だ。他の家はほとんど潰れてるし、形が残ってるだけありがたいな」

「ここは村長さんの家でしょうか? 他の家と比べると、すごく大きいですね」


 さらに探索を進めながら、三人はぽつぽつと会話をしている。


「そう言えば、アルフェさんはなぜ冒険者に? 私たちも色々な場所を見て回ったが、君のような若い女の子の冒険者は、さすがに見たことがなかったな」


 一階の探索が一区切りしたところで、ふとテオドールが尋ねた。先ほどよりは、彼も若干砕けた口調になっている。


「色々とあったので……。でも、一番は生活のためです。私、他には何もできませんから」


 アルフェがうつむく。触れてはいけないことだったかと、テオドールはばつの悪そうな表情をした。それに構わず、マキアスが辛辣な言葉を吐く。


「……どれだけ貧しくても、普通は冒険者になろうなんて、思わないものだがな」

「……」

「おい、いちいちつっかかるなよ、マキアス」


 パーティーの間に、またも険悪な雰囲気が流れる。マキアスはふんと鼻を鳴らして、うつむいたままの少女から目をそらした。


「……まあ、いいさ。そんなことよりも、そろそろ二階に上がろう。もう一階には何もなさそうだ」


 屋敷の外観は二階建てに見えたが、一階に屋敷の主人のものらしい部屋は無かった。レイスがいるとすれば、恐らくはそこだろう。エントランスに戻り、三人は中央の階段を上った。


「……そういえばさっき、戦えると言ったな。得物はその剣か?」


 誰も口を開かない中で、マキアスがアルフェに声をかけた。彼なりに、重たい空気を切り替えようとしたのだろうか。マキアスは、アルフェがさっきから大事そうに抱えていた曲刀に視線を注いでいる。今まで口にはしなかったが、テオドールも同じことを考えていたようだ。


「曲刀とは珍しいですね。帝国ではなかなか見かけない」

「いえ、これは使いません。と言うより、私は剣を使えません。……そうですね、置いてくればよかったです。邪魔ですね」

「……ん? じゃあ、お前は魔術士か何かか……?」


 マキアスが首をひねる。その曲刀の他には、アルフェは武器らしいものを何も身に着けていなかったからだ。


「違います」


 魔術士なのかという問いに対しても、アルフェはふるふると首を振った。


 ――やっぱり、怪しい娘だ。


 本当に魔物ではなさそうだということは、ここまで歩いてきて流石に分かった。しかし、少女の言動は、どうもよく理解できない部分がある。――まあ、戦力としては当てにしていない。おかしな行動さえしなければいい。マキアスは心の中で、そんな風に考えた。


 探索を続ける一行は、屋敷の二階へと上がってきた。レイスはまだ姿を現さない。

 二階にはいくつかの客間と、書斎があった。書架にあったと思われる本はほとんど残っておらず、床には紙片が乱雑に散らばっている。


「テオドール、見ろ。日記だ」


 残っていた本の中に、赤い装丁の日記があった。大分朽ちてはいるものの、かろうじて文面を読み取ることができる。マキアスがページをくくり、他の二人はその脇から内容をのぞき込んだ。

 日記は、この屋敷の女主人が残したものだった。日記によると、この村が遺棄された直接の原因は、村を襲った死病にあったらしい。女主人はベルダンに援助を求めたが、同時期にベルダンにも何か深刻な問題が起こっていたようだ。満足に支援を受けられないまま、村の住民は一人、また一人と病に斃れていった。

 最後にはついに、女主人自身も疫病に感染している。徐々に腐っていく自分の身体をひきずって、彼女は病に倒れた村人を救おうと奔走していた。

 しかしベルダンは、死病に憑かれた村を見捨てた。市門は閉ざされ、支援を求めに行った村人は、無慈悲にも追い返された。日記の終わりの方には、町の人々や世界に対しての呪いの言葉が延々と綴られている。このころにはすでに、女主人の心は狂気に魅入られていたようだ。書き殴られた文字からも、そのことが伝わってくる。


 ――みんな、呪われてしまえばいい。


 最後のページにはただ一言だけ、赤黒い染みに混じってそう書かれていた。


「……むごいな」

「よくある事……、とは言えないか。胸クソ悪い話だぜ」


 青年騎士二人は、沈んだ表情でつぶやいた。レイスは忌むべき存在だが、そう成り果てる前の、生前の女に罪は無い。


「指輪のことを書いていましたね」


 アルフェの指摘に、テオドールたちは顔を上げた。その通り、日記にはしばしば指輪の話題が登場していた。

 村が滅びる数年前、死んだ婚約者から贈られたもので、女主人はよほど大切にしていたようだ。だが、末期の混乱の中で、彼女はその指輪を紛失してしまった。この出来事が、彼女の狂気を加速させている。


「お前がさっき拾った指輪じゃないか? テオドール」


 マキアスにそう言われて、テオドールは懐から指輪を取り出した。


「確かに、彫られたイニシャルはこの日記の筆者と一致しているな。……そうだな、もしかしたらこれが、レイスを撃退する鍵になるかも知れない」


 どういうことだろうかと、アルフェは首をひねって考えた。


「……確かに、それを着けて殴れば痛そうですよね」


 なるほど、確かにこのゴツゴツした宝石ならば、拳の威力を若干上げてくれるかもしれない。


「……アホか、お前は。どうしてそういうことになるんだ。お前が言ってるのはそういう意味じゃ無いだろう? テオドール」

「あ、ああ。この指輪があれば、レイスは生前の愛を思い出すかもしれない。彼女の未練を断ち切るためにも、やってみる価値はあるだろう」


 テオドールの提案にマキアスは同意した。アルフェはそれでも良く分からない風だったが、テオドールたちに促され、残された部屋の探索に向かった。


「ここに居るな……」


 テオドールが重々しくつぶやいた。

 探索の果てに、最後に残った部屋。この屋敷の主人のものと思われる部屋の前に、三人は立っている。聖騎士としての訓練を積んだテオドールには、ある程度邪悪を感知する力が備わっている。それが、この扉の奥に悪霊が居ると告げていた。


「ああ、間違いない」


 マキアスにもその能力はある。しかし例え聖騎士でなくとも、これほど邪悪な気配を前にすれば、部屋の中にとてつもなく恐ろしい何かが潜んでいるということくらいは、容易に感じられるだろう。


「作戦を確認する。私が前面に出る。マキアスは側面から援護してくれ」


 突入を前に、テオドールが手短に支持を出していく。と言っても、方針は単純だ。テオドールが前に出て、まずはレイスの説得にあたる。それでだめなら、マキアスの援護の元、これを滅ぼす。


「私はどうしますか?」

「アルフェさんは……、入口の側で、もしもの時に備えていてくれ」

「私も前に出た方が――」

「大丈夫」


 テオドールはやんわりと、しかし断固とした表情で告げた。

 戦えると本人は自称しているが、この少女の戦闘能力は未知数だ。危険にさらすことはできない。それに、言い聞かせても退かなかったから連れて来たものの、もとよりアルフェを戦闘に巻き込むつもりは、テオドールにはなかった。


「そういうことだ。あんたは足手まといにならないように、引っ込んでてくれ」

「…………はい」

「マキアスも、私が抜くまで剣は抜くな」


 念を押すテオドールの右手には、例の指輪が握られている。

 既にアンデッドと化したとは言え、自分たちは彼女の悲惨な事情を知ってしまった。正義と騎士道を重んじるテオドールには、問答無用で斬りかかるという選択はできなかった。

 それに彼は、まるっきり無茶を言っているというわけではないのだ。アンデッドにも、生前の意識が残されているケースは多い。その場合には、対話によって浄化するということも、困難だが不可能ではない。


「……やっぱり、やる気なのか?」


 マキアスが少し不満げな表情をしている。――この友人は、自分の身を案じてそう言っているのだ。少々過保護なきらいはあるが。そんなことを思いながら、テオドールは苦笑して続けた。


「もちろん、我々は聖職者じゃない。説得が失敗に終わる可能性も高い。だが、一応だ。……頼む、私に試させてくれ」


 テオドールが、曇りの無いまっすぐな瞳でマキアスを見つめる。しばしの沈黙の後、マキアスがやれやれといった調子で肩をすくめた。


「……分かってるさ。やめろって言っても聞かないんだろ? やってみればいいさ。ケツは、俺が持ってやる」


 二人の青年はうなずき合うと、お互いの左拳を軽く打ち合わせた。


「ありがとう、マキアス。……アルフェさんも、それでいいね?」


 アルフェもこくりとうなずいた。。


「では……、行くぞ」


 そして、一段と表情を引き締めると、テオドールは扉の取っ手に手をかけた。

 長い間、誰も使っていなかったはずなのに、扉はやけにすんなりと開いた。テオドールは最大限の注意を払いながら、部屋の中に足を踏み入れる。

 中央に置かれた、天蓋付きの寝台の向こう、部屋の隅に何かがうずくまっている。そこから発散されている強烈な瘴気。ここに来るまでも、屋敷の中は全体的に薄暗かったが、この部屋に入った瞬間、さらに闇が深くなったような感覚に襲われた。


 ――落ち着け。心を鎮めるんだ。


 自らにそう言い聞かせながら、テオドールは決意して口を開いた。


「……ヴェロニカさん?」


 青年は優しい声で、アンデッドの生前の名を呼びかける。それは、あの日記に記されていた名前だ。しかし、レイスからの反応は無い。


「あなたが探していたものを持ってきました。……この指輪を見て下さい」


 テオドールは、指につまんだ指輪を前方に掲げた。レイスがゆっくりと振り向き、指輪に視線を向ける。やはりだ。彼女はこの指輪に執着を持ち、現世に縛られているのだ。テオドールは確信した。


「あなたが、婚約者の方から贈られた指輪です。これをあなたに返しに来ました」


 レイスはわずかに浮遊すると、テオドールの方に漂ってきた。腐臭に目をそらしそうになる己を叱咤しながら、青年は言葉を続ける。


「あなたは立派だった。この村を救うために、全力を尽くしたはずだ。今のように、人を傷つけるような存在には、なろうとは思っていなかったはずです」


 彼の声色には、死者の魂を救わんとする、真摯な気持ちがあふれていた。


「思い出して下さい。あなたにも幸せな時間があったはずだ。お願いだ、人を愛する心を、忘れないでください。あなたは、悪霊などになってはいけない! 目を覚まして下さい!」


 レイスのひからびた両手が、ゆっくりと、指輪を持つテオドールの右手を包むようにして近づいてくる。説得が通じたか。テオドールの心に希望が芽生えた瞬間、レイスは大きく口を開けて、テオドールの首筋に食らいついてきた。


「――危ねぇ!」


 その不意の攻撃を、マキアスが抜き打ちの剣で防いだ。レイスの牙とマキアスの刃が打ちあい、散った火花が一瞬だけ室内を明るく染めた。レイスが後退し、危うく喰われかけたテオドールは難を逃れた。


「交渉決裂だ! テオ! やっぱりこいつはもう正気じゃない! 剣を抜け!」


 マキアスが叫ぶ。首筋を押さえながら、テオドールが体勢を立て直した。己の力不足を心底悔やむ悲痛な顔で、テオドールは拳を握りしめた。


「くっ! ――仕方が無い! 許してくださいヴェロニカさん! あなたにこれ以上、罪を犯させる訳にはいかない! この剣に賭けて、あなたを止める!」


 その声と共に、テオドールが白刃を抜きはなつ。

 しかしその刹那、レイスが大きな金切り声を上げた。何人もの断末魔を重ねたような、邪悪な魔力の籠った声。反響に窓枠や天井の板が震え、パラパラと埃が落ちる。


「ぐぁあ!」「ぐぅ!」


 聞いた対象を麻痺させる、亡者の叫びだ。高位アンデッドが繰り出すそれは、場合によっては弱い者の命まで奪う。正面から、まともにそれを聞いてしまった二人の身体は硬直した。

 テオドールは、剣を取り落としそうになりながらも必死でこらえた。レイスの爪が彼の喉に伸びる。何とか剣で受けたものの、はじき飛ばされた彼の身体は、凄まじい勢いで後方の壁にたたきつけられた。


「――がはッ!」


 騎士の体が、鎧ごと壁にめり込む。広場で戦った時よりも、格段に重い攻撃。恨みを残して死んだこの部屋において、幽鬼の力は先ほどとは比べ物にならないほど増幅している。

 レイスが嘲笑しながら近づいてくる。このままではやられる。テオドールがそう思ったとき、レイスと彼の間に、一人の少女が立ちふさがった。


「っ! アルフェさん!? 何を!?」


 そう、アルフェだ。彼女は悪霊と青年の間に割り込むと、両足でしっかりと立った。その後ろ姿からは、アンデッドに対する恐れを全く感じない。


「……私に、やらせてください」

「――な!?」


 テオドールは絶句した。そして同時に、理解した。


 ――何だって……! ……そうか! この子はまだ、説得を諦めていないのか……!


 アルフェの想いに、テオドールは自分を恥じた。悪霊の魂を救いたいなどと、偉そうにのたまいながら、己の身にわずかな危険が迫った程度で、暴力に訴えようとするとは。それに引き換え、目の前の少女は持っていた曲刀を投げ出して、丸腰で悪霊の前に立っている。これ程の覚悟が、騎士たる自分にはあっただろうか。


 ――何てことだ……! このように恐ろしいモンスターの前で武器を捨てるなど、私にはできない! なのに……!


 少女の自己犠牲の精神に、テオドールの魂が震えた。

 自分はなんという未熟者だろう。この華奢な身体に、これほどの高潔な精神が宿っていると、見抜くことができなかった。だが、ひょっとしたらアルフェならば、目の前の彼女ならば、レイスの悲しみを理解し、説得することが可能かもしれない。



 そしてアルフェは、傷ついた女の魂を包み込むようにゆっくりと両手を広げ――


 そのまま大きく腕を回すと、拳を構えた。



 ――そんなアホな!


 麻痺で朦朧としていたマキアスは、目の前で展開する非現実的な光景に、己の目と正気を疑っていた。


 少女と悪霊が、真正面から殴り合っている。


 壁まで吹き飛ばされたテオドールとレイスの間に、アルフェが割って入った。彼にもそこまでは理解できたが、その直後が問題だった。アルフェは拳を構えると、レイスのあごを掌底でぶん殴ったのだ。

 そう、娘が悪霊をぶん殴った。相手は非実体のアンデッドだ。素手で触れようとしても触れられないはずなのに、それをものともせずにぶん殴った。

 

 ――いや、そんなことよりもさぁ。そもそも女の子が、モンスターを殴っていいのか?


 レイスは若干よろめいたが、すぐに体勢を立て直した。そして悪霊は、お返しとばかりに拳を固め、アルフェのこめかみを殴り返してきた。

 それから火の出るような殴り合いが始まった。――だからなぜ、人間が霊体と殴り合えるのだ。やはりこいつは魔物の類だったのか。レイスの方も、何で律儀に殴り合いに付き合ってるんだ。マキアスの頭は混乱の極致にあった。


 ――女は怖ぇな……。ッ! 違うだろうが! そんなことより援護しないと!


 改めて冷静に観察すると、レイスは少女よりも二周りほど大きい。このままでは不利だ。彼がそう思ったまさにその時、レイスの右拳がアルフェの下腹にめり込んだ。


「ぐぅっ!?」


 一瞬つま先が浮き上がり、アルフェが苦悶の表情を浮かべる。ニヤリと笑ったレイスは、すかさず追撃を打ち込もうとした。


「させるか!」


 いつの間にか立ち直っていたテオドールが、それを横から剣の腹で防いだ。マキアスも何とか麻痺から抜け出し、側面からレイスに打ちかかる。


「せやァッ!」


 肩を掠られてレイスがひるむ。三方から攻め立てられたレイスは、この場は不利と判断したのだろう。後退を始め、背後の壁に体を沈めていった。


「逃げる気だ! 追うぞ!」


 非実体の魔物にはこれがある。敵は壁をすり抜けて、隣の部屋に逃げ込むつもりだ。テオドールとマキアスはドアの方に駆け寄り、廊下から回り込もうとした。


「どうした! 行くぞ!」


 遅れたアルフェにマキアスが怒鳴った。しかし彼女は、レイスが吸い込まれていった壁の前から動こうとしない。


「はぁぁぁぁぁあああっ!」


 ――何だ!? 今度は何してる!?


 少女は腰を落とし、壁に掌を当て気合を練り始めた。


「破ァッ!」


 腰を大きくひねり、床板が割れるほど強く踏み込む。轟音を立てて、壁の一部が弾け飛んだ。


「はぁ!?」


 石膏やら木片やら、壁材が部屋中に飛散した。


 ――何だそりゃ! わけがわからんっ!


 アルフェは自分で開けた壁の穴に飛び込み、レイスを追っていった。穴は小柄な少女が通るには十分だが、ハーフプレートを身につけた青年が通るには小さすぎる。

 さっきから理解不能な事ばかりが起こっているが、とにかくレイスを追わなければならない。マキアスは足を動かした。

 彼が廊下に出ると、隣の室内からも轟音が響く。察するに、逃げるレイスに対して、アルフェが壁を壊しながら追っているのか。本当に意味不明だ。


「奥だ!」


 テオドールが叫び、二人は音と並走する形で廊下を走る。

 テオドールは冷静そうに振る舞っているが、果たして彼は、この状況に思考が追いついているのだろうか。


「――アルフェ!」


 音が止まった部屋の扉を蹴破り、二人が中に入った時、既に決着は付いていた。


 アルフェの右腕とレイスの左腕が、交差するように突き出されている。そしてその先の拳は、お互いの頬にめり込んでいた。マキアスはその光景を、あんぐりと口を開けながら眺めるしか無かった。


 アルフェとレイスがその体勢で固まったまま、永遠の時が経過するかと思われた。しかし――


 ぐらりと、レイスの身体がゆっくりと崩れ落ちる。アルフェの胸に顔をうずめるようにしながら、悪霊は仄かな燐光を上げて霧散していった。



「準備はできたかい? じゃあ、出発しようか」


 廃村の広場に響いたテオドールの声からは、重苦しさが抜けている。表情も明るく、彼は一行の出立を促した。


「ああ」

「はい」


 返事をした二人の声も、どこかすがすがしい。

 アルフェの働きにより、強力なアンデッドは駆逐された。屋敷から出た三人は荷物をまとめ、早速にベルダンへの帰途についたのだ。


「なあアルフェ、これはホントに要るものなのか?」

「はい、私はこれを集めるために、ここに来たのですから」


 マキアスの愚痴に対して、真顔でアルフェが答える。彼女の荷物は、テオドールがくつわを取る白馬の背に乗せられていた。そしてその荷物というのがやたら多い。怪しげなキノコやら植物やら、なぜ自分たちがこんなものを持ち帰らなければならないのかと、マキアスはいぶかしんだ。

 籠からは何かの粘液が漏れていて、馬が見るからに嫌そうな顔をしている。満足げなアルフェの表情とは対比的だ。


 ――ほんとに、訳の分からん娘だよ……。


 そもそも帰路は別々でも問題なかったはずのだが、テオドールがどうしてもと彼女の護衛を申し出たから、こうなっているのだ。


 ――あんなことをやらかす娘に、護衛は要らんと思うんだが……。


 淑女を一人で帰すような真似を、テオドールがするはずがない。だがしかし、幽鬼と素手で殴り合える女を、淑女と呼んでもいいのだろうか。


 ――でもまあ。


 それはそれとして、とマキアスは思う。


 ――あのレイスも何だか……、嬉しそうだったしな。


 世の中へのうっ憤を晴らすほどに暴れまわったからなのだろうか。消滅するとき、レイスはそれなりに満足そうな表情を浮かべていた気もする。さっき出てきた廃村の方角を眺めながら、青年はそんな物思いにふけった。

 まあ、今更死者の気持ちを忖度してもはじまらないのだ。少し笑顔をもらしたマキアスは、振り返ると親友をからかうことにした。


「しかし……、お前の性格だから、もっと大騒ぎすると思ったよ」

「……? 何がだ? マキアス」

「何って……、あんなアホみたいな光景を見せられて、お前がそんなに冷静でいられるとは思わなかったな」


 この友人ははっきり言って、少し夢見がちな性格だ。騎士道病とでも言ったらいいのか。物語のお姫様のような外見の少女が、悪霊と殴りあう姿を見れば、卒倒しても仕方ないかと思っていた。


「うん? 言ってることがわからないな」


 しかしテオドールは首をかしげる。その仕草が本当に何も分からない風なので、マキアスは驚いた。


「お前こそ何言ってる。……おい、マジで覚えてないのか?」

「……? ああ、そう言えばどうやら、私はレイスの邪気に当てられて幻覚を見ていたらしい」

「は?」

「本当にどうしようもない幻覚なんだ。アルフェさんとレイスが殴り合っていたように見えたんだが……。いや、そんなはずは無いな。はははは」

 

 ――……あ、やっぱりダメだ。


 どうやら脳が理解を拒否したらしい。マキアスは、乾いた笑い声を上げるテオドールから目を離すと頭を振った。


 ――まあ、全員無事だったんだから良しとしようか。


 この娘――アルフェも最初に考えたような、悪意のある存在ではなかったようだ。まあ、別の意味で危ない存在かも知れないが、ベルダンまでの短い間だ。さっきまでの非礼を詫びて、少しは仲良くするとしよう。

 そんなことを考えて、マキアスは苦笑いを浮かべた。


 三人が歩く、町まで続く街道には、夕日の光が煌々と降り注いでいる。







「ん? お前その指輪、持ってきたのか?」

「はい、換金しようと思って」


 マキアスが聞くと、少女は輝くような微笑みで言った。


「いや、それはさすがに幽霊に可哀そうだろうが……。返しに行くぞ」

「え、そんな!」

「そんなじゃねぇよ」


 町までの道のりは遠そうである。

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