第19話 運命の邂逅

 にっこりと花のような笑みを向けるアリエス。対してジャッキーは、彼女の視線の先で固まっていた。

 知らなかったとはいえ、一介の騎士が一国の王女に対して砕けた言動を取っていたのだ。こんなことが上官に知られれば、大目玉を食らうだけでは済まされない。背中に冷や汗が流れ落ちる。


「ちょっと、そんなに畏まらないでよ。イリアのお友達なら、あたしのお友達でもあるんだから! それじゃ、あたしは行くわね」


 彼の態度が急変したことで、アリエスは頬を膨らませる。かと思えば「ごゆっくりー」と、王女らしからぬ顔でニヤリと笑みを浮かべると、そそくさと立ち去った。

 そんな後姿を、イリアは目を点にして見送る。しばらくして我に返ると、「ちょ、ちょっと、アリエス!」と慌てて声を上げた。


「もう、こんな時に独りになるなんて! ヒースさんの言ったこと、忘れちゃったのかしら」


 言いながら、呆れたようにため息を吐く。その口調は、自由奔放なアリエスへの若干の苛立ちも含まれていた。

 ロバート王が殺害されてから、まだ日が浅い。しかも犯人は、サモネシア王国の紋章が刻まれた服を着ていたという。

 これらの事実を鑑みれば、彼女が城を一人で出歩くのは避けるべきなのだ。この国の騎士からしてみれば、彼女は「敵国の姫」と認識されかねないのだから。


「確かに、王女の存在は刺激になるよな。悪い意味で。本人にその気は無さそうだけどさ」

「でしょう? 私、アリエスを追い掛けなきゃ。ごめんなさいね」

「いや、俺のことはいいから。早く行ってあげなよ」

「ありがとう」


 表向きはイリアを気遣いながらも、心には小さな痛みが走る。ようやく訪れた彼女との再会の機会が、酷く慌ただしいものとなってしまったことが残念でならない。

 しかし、今回は事情が事情だ。それに、ここで別れてしまっても、自分がこの城にいる限り、またどこかで会えるかもしれない。名残惜しい気持ちがある半面、嬉しさもまた感じていた。

 笑みを浮かべて見送るジャッキーの心の内など露知らず、イリアが踵を返そうとした、ちょうどその時。


「あっ、いたいた! 捜したよ、イリア」


 弾むような少女の声が二人の耳に届く。振り返るとそこには、ティナの姿があった。

 彼女はポニーテールを軽快に揺らしながら二人の方へ向かって来る。だがある距離まで来ると、視線は一点に注がれた。イリアの隣に立つジャッキーに。


「イリア、その人誰?」

「彼はジャッキー=アルバス。私の友人よ」

「へぇ……」


 続けてイリアは、ジャッキーにティナを紹介している。だが彼女はそれを聞き流しながら、苦笑を浮かべる彼の容姿を興味深そうに観察していた。


「そういえば、私を捜してたみたいだけど、何かあったの?」

「そうそう。アタシたちでも入れるカフェがあるんだけど、一緒に行かない? 前から興味があったんだよね」

「それは構わないけど、アリエスが……」

「え? アリエスって今、エリックと勉強中じゃなかったっけ」


 首を捻るティナに、イリアは事情を説明する。そしてアリエスの居場所を聞くや否や、ティナは二人を残して駆け出した。その去り際、満足げな笑みをジャッキーに向けながら。その顔はどこか、先程のアリエスを彷彿とさせる。

 そうして再び二人きりとなったイリアとジャッキー。だが、会話が完結を迎えていたことで、彼女たちの間には沈黙が流れていた。

 その時、彼に伝えるべき言葉を掛けていなかったことに気付く。


「そういえば、私、ジャッキーにお礼を言いたいことがあるの」

「イリアが、俺に?」


 きょとんと目を丸くする。彼の中には、心当たりなど全く無かった。

 そんな彼に、イリアはクスクスと笑いながら小さく頷いた。そして彼の目をじっと見つめ、静かに語り掛ける。


「私が旅に出る前、白いドラゴンを見たって話してくれたでしょう? あれはやっぱり、襲撃者と関係があることが分かったの」

「本当か!?」

「ええ。まだ全ての謎が解けた訳ではないけど、ジャッキーのおかげで一歩前進出来たわ」

「そうか……まだ先は長そうだな。でも、良かった。イリアの役に立てて」


 そう言ったジャッキーは、まるで自分のことのように喜んだ。その顔は眩しく光り輝いている。

 それが何故かとても嬉しくて、イリアはふんわりと目を細めた。




 エリックからの宿題の答えを見付け出すため、アリエスは図書室を目指す。本の虫のカミエルならば必ずそこにいる、そう読んだからだ。

 そして何の気なしに廊下を曲がった、ちょうどその時、彼女は慌てて立ち止まる。廊下の角に人影が佇んでいたのだ。そしてよく見れば、それはカミエルその人。

 これは好都合と笑みを浮かべ、足を踏み出す。だが、彼の表情を目にした途端、言葉が喉の奥に引いていった。


「カミエル……?」

「えっ!? あ、はい! あ……ええと、アリエスさん?」


 呼び掛けられた拍子に肩が跳ね、勢いよく振り返る。彼はしばらく呆然とアリエスの顔を見つめた後、丸めた目を瞬かせた。

 彼女は心配そうに顔を曇らせると、覗き込むように彼を見上げる。


「ちょっと、大丈夫?」

「はい、大丈夫です。ご心配をお掛けしてすみません」

「そう? ならいいけど。でも、何でこんなとこでボーッとしてたの?」


 アリエスの質問にカミエルは口を引き締め、苦笑とも困惑とも取れる、曖昧な表情を浮かべる。

 だが、彼女にはそこが理解出来ない。思いを溜め込むのは疲れるだけ、そう考えているからだ。何より、言葉にしなければ伝わるものも伝わらない。それでは仲間の意味が無いというのに。


「ねえ、何で我慢するの? 言いたいことがあるなら言えばいいし、やりたいことがあるならやればいいのに」


 真っ直ぐな瞳がカミエルを貫く。表情のほんの些細な変化も見逃すまいとしている様子だ。そんな彼女から逃げるように、彼は視線を逸らす。

 それとほぼ同時に響いたのは、ティナの声。だが、彼の頭の中ではアリエスの言葉が駆け巡っている。ティナの存在に気付いたのは、口角を上げて笑う彼女に肩を軽く叩かれた後だった。


「元気無いよ、ミック。そうだ、ミックも一緒に行こうよ!」

「……え? ごめん、どこに?」

「ちょっと、聞いてなかったの? イリアも一緒に、王城のカフェに行かないかって話! ほら、アタシたちが旅に出るちょっと前にオープンして、話題になってたじゃん」


 ティナは大きな目を吊り上げ、ため息を吐きながら腰に手を当てていた。

 だが、カミエルの顔にサッと影が差す。彼は僅かに目を伏せ、静かに首を振った。どこか寂しげな笑みを浮かべて。


「僕はいいよ。図書室に忘れ物をしちゃったから、取りに戻らないと」

「忘れ物?」


 訝しげに、ティナが眉をひそめる。だが、それ以上追求することは無かった。むしろ、あっさりと引き下がったくらいだ。

 そうして女性二人は踵を返す。残されたカミエルは、ぼんやりとその場に佇んでいた。


(僕は、我慢しているのかな?)


 自分で自分が分からない。アリエスは我慢という言葉を使ったが、本当にそんな感覚は無いのだ。

 あるとすれば、対立を避けたい気持ち。出来るならば、人と争いたくない。不要な波風は立てたくない。それだけだった。

 だというのに、何故、先程からイリアの顔が浮かぶのか。見たことの無い笑顔で、嬉しそうに話す彼女の顔が。そして何故、その度に胸の奥が痛むのか。

 思考のるつぼに嵌ったカミエルを置き去りにしたまま、時間だけが過ぎていった。




 しばらくその場に留まっていたカミエル。遠くで大理石の床が鳴り、それが徐々に近付いて来たことで我に返る。急速に広まる後ろめたさを胸に、彼は急いで踵を返した。

 それから間もなく到着した図書室。これといった目的も無く、広い内部をぶらぶらと歩く。もちろん、忘れ物など嘘だ。ただ今は、イリアの顔を見るのが辛かった。

 空虚な思考で幾つかの本棚の横を通過した、その時。フードを被った子供が、台に立って手を伸ばしているのが見えた。本棚を掴みながら背伸びをしているその足は、小刻みに震えている。


「はい、どうぞ」


 カミエルは子供の隣に立つと、ちょうど目線の先にある本を取ってやった。それは子供が好みそうな動物図鑑。彼はそのまま子供に手渡す。優しげな笑みを携えて。

 だが、子供は大きく肩を揺らすと、手を引っ込めた。そうして強く握り締めた両手を、胸に押し当てる。


「この図鑑、君が取ろうとしたものじゃないんですか?」


 カミエルがにこやかに話し掛けても、返ってくるのは沈黙ばかり。俯いているため、表情も窺えない。覗き込もうとすれば、顔を逸らされてしまうのだ。そして終いには、子供の体が震え始める。

 明らかに様子がおかしい。彼がそう思い始めた、その瞬間。


「アウルくん、どこに行っちゃったのかな……」


 誰かを捜す少女の声が聞こえてきた。ここが図書室ということもあり、音量は控えめだ。

 すると男の子は下を向いたまま、カミエルの隣を疾走した。


「アウルくん! 良かったー、ここにいたんだね」


 間もなくして届いたのは、先程の少女の安堵した声。導かれるようにカミエルは足を踏み出した。

 本棚の角から通路を覗くと、すぐに男の子の姿を見付けられた。彼はこちらに背を向け、少女の白いローブにしがみ付いている。それに刻まれたのは、ガルデラ神殿神騎士団の紋章。

 彼女は彼の視線に気付いたのか、ふと顔を上げた。そして、僅かに目を見開かせる。瞳から伝わってくるのは、戸惑いの感情。


「あの……貴方は? もしかして、この子と何か話をして……?」

「あ、心配しないでください! 怪しい者ではありません! ただ、その子が図鑑を取りたがっていたので、手を貸しただけなんです。すみません、誤解させてしまって。ですが何故、神騎士団の貴女が子供と一緒に?」

「……この子は、孤児なんです」


 カミエルの問い掛けに迷うような素振りを見せた後、少女はおもむろに口を開く。腹を括るように吸い込んだ息を、じっくりと吐き出しながら。


「王都に向かう途中で出会ったんですが、この子が住んでいた町が、心無い人たちに襲われてしまったんです。彼等には何の罪も無いのに」

「それで、人間不信に……?」

「ええ。人に売られそうになったこと、そして彼等が長年に渡って迫害されていたこともあって、今では人を憎み、孤独に震えている。わたしはこの子の笑顔が見たい……そう思っているんです。でも、想像以上に傷が深くて」


 カミエルの問い掛けに、少女は頷く。いつの間にか、彼は彼女の言葉に聞き入っていた。

 悪しき心を持つ人間への憤りと、男の子に対する憐れみ。それらの感情が渦巻き、胸が締め付けられる。だが、ほんの微かな希望の光も差し込める。


「ですがこの子は、創造神アンティムによって救われた……私はそう思います。貴女のような、心優しい人に手を差し伸べられたんですから」


 慈愛に満ちた笑みを浮かべ、少女と男の子を交互に見つめる。そして彼は続けた。


「人は小さな違いこそあれ、皆が平等です。大人も子供も、幸せになる権利が等しくある。確かに今は、絶望という闇の中に独り取り残されているかもしれません。ですが神を信じれば、必ず幸せへと導かれるはずです。神殿の教えを信じましょう」


 表情を変えることなく、カミエルはきっぱりと言い放った。だが、少女の顔は晴れない。

 その時、隣の通路から、たくさんの資料を抱えた男がひょっこりと顔を出した。


「ジュリア、見付かったか?」

「あ、ジャッキー」


 彼の顔を見た途端、カミエルの心臓はギクリと鼓動する。イリアと同じく、彼とも会いたくなかった。だからティナに嘘をついてまで、数え切れない程の本棚が並ぶ図書室へ向かったのだ。にも関わらず、そこで本人に出くわしてしまうなんて、罰が当たってしまったのか。

 そんなカミエルの心情など知るはずも無く、ジュリアと呼ばれた少女は微笑みながら頷いた。


「うん。この本棚のところで、彼に親切にしてもらったみたいなの」

「そうだったのか。ありがとうございます」


 にこやかな、人好きのする笑顔。そんな彼は、どこから見ても好青年そのもの。そういえば、テルティスでイリアに初めて会った時。その時も彼は、こんな爽やかな笑みを浮かべていた。それで好感を持ったことは確かだ。

 だが、今は違う。つい先程の、彼がイリアと並んでいる光景が鮮明に蘇り、胸をきつく締め付ける。

 カミエルは俯きがちに首を振ると、早口に声を上げた。


「すみません、本を捜している最中でしたので、私はこれで失礼しますね」


 会釈をして去って行くカミエルの姿を、ジャッキーとジュリアが見送る。だが彼女の頭には、いつまでも彼の表情が引っ掛かっていた。

 一方のジャッキーは、瞬きもせずに一点を見つめているジュリアを見下ろし、声を掛ける。


「なあ、彼に何か言い残したことでもあるのか?」

「え? どうして?」

「いや……じっと考え込んでる顔してたから」


 不思議そうな顔をするジャッキーを見上げた後、再びカミエルが去って行った方を見る。


「ううん、何でもないよ」


 彼女はそっと首を振る。そして、未だにしがみ付いて震えているアウルへ視線を落とした。その目に悲しげな影が落ちる。


「あんな優しそうな人に親切にしてもらっても、アウルくんにとっては彼も怖いんだね」


 アウルは確かに獣人であり、フードの下には犬のような耳がある。だが、それが隠れた今は、誰もが人間の子供と見間違う。決定的なまでに大きくて、ほんの些細な違い。


「フードを取ってみたら、何かが変わるかな……」

「やだ! そしたらボク、いじめられちゃうもん。だからやだ!」


 アウルは二人から後退りながら大きく首を振り、背を向けて膝を抱える。静寂の中では、どんな小さな音でも目立つもの。喚いたアウルの声はことさらに響き渡り、周囲の視線を集めた。揃いも揃って、迷惑そうに眉をひそめて。

 結果的とはいえ、その原因を作り出してしまったジャッキー。慌てて次なる言葉を捜す。


「ご、こめん……ごめんな、アウル。そ、そうだ! 今朝、お前の服を買って来たんだ。見てみるか?」

「……ボクの?」

「ああ。サイズが合ってるかどうかも知りたいし、一回着てみて欲しいんだ」


 やや間を置いて頷くアウルに、ジャッキーは安堵する。ジュリアに彼を任せ、自身は本棚に書籍を戻しながら目当ての資料を捜す。その時、ふと、彼はあることに意識を持っていかれた。


(やっぱり似てるな)


 資料の山を器用に片手で抱え、ポケットの中の鎖に指を絡ませる。取り出したのは、翡翠のペンダント。服を売りながら雑貨屋も営む女主人から買い取った物。アクセサリーにあまり興味が無いにも関わらず、時間を忘れる程に強く惹き付けられた。飾り気が無くとも存在感を放ち、美しく輝く光。そして色を見た瞬間、イリアの瞳が頭を過ったからだ。

 ジャッキーは石を握り締めると、再びポケットに仕舞い込む。そうして深く息を吐き、自分の仕事に戻って行った。

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