一方、その頃――

第9話 夢の続き

 どこまでも続く緑の絨毯と、澄んだ青空。そして穏やかに吹く風が、そっと頬を撫でる。そこはまるで、地上の楽園。


「――――」


 不意に、頭の中で声が響く。優しいテノールだ。その瞬間、クリアになった言葉が飛び込んできた。


「急いでルーン・ストーンを手に入れるんだ。手遅れになる前に、早く!」


 そこに立っていたのは、光を受けて輝く白銀の髪の青年。その人間離れした端正な顔立ちは、焦燥感に満ちている。そして、必死に呼び掛けてくるのだ。


「――にある、――の魔術が書かれたルーン・ストーンを、早く……!」


 まただ。肝心な部分は、いつも聞こえない。ノイズのかかったその言葉が、この夢をさらに謎めいたものに仕立てている。

 古の大戦よりも遥か昔。現在に残る魔術のほとんどを生み出した、ベルガー=ルーン。その魔術を後世に残すため、作り出された石版がルーン・ストーンだ。

 だが、数ある石版の中から、どれを探せばいいのか。この青年は何者なのか。

 そんな疑問が次から次へと浮かぶ。だが、こちらの口は、どんなに頑張っても開かない。その傍らで、意識は次第に遠退いていく。そして、これらの疑問に答える者が無いまま、無情にも視界は暗転するのだった。


「姐さん、姐さん! 朝だよ!」


 カーテンの隙間から差し込む光と、枕元のホークアイの声に、アイラは次第に意識を取り戻していく。と同時に、先程まで見ていた夢を思い出していた。

 どことも知れぬ場所で、見知らぬ青年に呼び掛けられる、不思議な夢。そして彼は、決まって「ルーン・ストーンを探せ」と言うのだ。

 この夢を幼い頃から定期的に見ているが、これが何を意味しているのか、未だに理解出来ていない。だが、夢の中の青年があまりに必死に呼び掛けてくるものだから、自分もそれに答えなければならない、と強く思うのだ。とはいえ。


「……何を探せばいいんだ」

「え? 何をって……空間の歪みと古代魔法の繋がりじゃないの?」


 急に聞こえたホークアイの声にハッとして振り返ると、彼は不思議そうに首を傾げていた。どうやら、知らず知らずのうちに声に出していたようだ。思わず、苦笑が漏れる。


「……そうだな。どうやら、まだ頭が働いていないようだ」

「ふーん……珍しいね。姐さん、いつも寝起きが良いのに。もしかして、疲れてるの?」

「いや、大丈夫だ。ありがとう、ホークアイ」


 言いながら、微笑んで見せる。ホークアイは最初こそ何か言いたげな様子だったが、アイラの態度に追及を諦めたようだ。


「それはそうと、今日も図書館に行くんだよね?」


 問い掛けながら、肩に飛び乗る。そしてアイラは「ああ」と頷くと、カーテンを引いた。その途端に燦々と差し込む光。一日の始まりを示す合図に眩しそうに目を細めるも、その心は雲が垂れ込めていた。




 朝から強く差し込む日差し。だというのに、道行く人の数は相変わらず多い。これから砂漠に向かうと言うイリアたちから預かった馬に餌をやり、今日も図書館へ足を向けた。

 滞在初期の頃は、この茹だる様な暑さに外に出るだけで疲れてしまっていた。だが、一ヶ月弱程いれば、流石に慣れるというもの。それは、人間も動物も変わらない。


「おや、鷹の姉ちゃんじゃないか。相棒もすっかり元気になったみたいだね」


 声を掛けてきたのは、大通り沿いの肉屋の女主人。鷹を連れているのが珍しいのと、ホークアイの食事用の肉を買いに来るため、今やすっかり馴染みの客となっていた。

 おやつに燻製の肉を一欠片貰ってご満悦なホークアイを肩に乗せ、大通りを進む。美味しそうに食べる様を見る顔は、とても穏やかだ。だというのに、小さなため息は止まらない。その時だ。


「あ、ルイス様! あの雑貨屋さん可愛い! ちょっと寄っても良い?」

「買い出しが終わったらな」

「絶対よ? ルイス様!」

「分かった、分かった。後でな」

「はーい。ふふっ、でも嬉しい! これって、デートみたいよね」


 ルイファスと、聞き慣れない少女の声。何気ない二人のやり取りなのだが、見る見るうちに顔が強張っていく。

 そうして人混みの中で姿を見せたのは、ルイファスの腕にぴったりと密着して歩く少女の姿。あの少女は、確か……。

 そう思い至った瞬間、頭の中で警鐘が鳴り響く。駄目だ。早くここから立ち去りたい。だが、彼等の声に意識を集中している自分もいる。


「……姐さん?」


 ひっそりと声を潜め、心配そうに顔を覗き込んでくる。そんなアイラの様子やホークアイの態度など露とも知らず、振り返った視線が合ったその瞬間、彼はその目を軽く見開かせた。


「アイラじゃないか。ちょうど良かった。お前に預けた馬のことなんだが――」


 何故こんな時に限って、すぐに気付かれてしまうのだろう。いつもは自分のことなど、全くと言っていい程、気付かないくせに。

 その声に、思わず小さく舌打ちを鳴らす。と同時に、視線も逸らしてしまった。そんな彼女にルイファスは僅かに眉をしかめ、少女も怪訝そうに彼を見上げた。


「……ルイス様のお知り合い?」

「ああ、俺たちと別行動を取っている仲間なんだ。お前、何を怒っているんだ?」

「……別に、怒ってなどいない。ただ、呆れているだけだ」

「呆れる……?」

「呑気にへらへらと笑っている、お前にな。だいたい、こんな時にまで女に現を抜かしているなんて、やる気はあるのか?」


 その瞬間、ルイファスの眉間のしわが、不愉快そうに深められる。だが、一度発してしまった感情は、もう抑えることは出来ない。あとは全てを吐き出すまで止まらない。


「お前な……俺のどこが、呑気にへらへらと笑っているんだ?」

「自覚が無いのか? そちらの女性は、アリエス王女だろう。まさか一国の王女にまで手を出すとは……どこまで節操が無いんだ。こっちは文献を探す毎日で、ゆっくり休むどころの話ではないというのに……羨ましいことだ」

「さっきから黙って聞いていれば、言いたい放題……いい加減にしろよ。だいたい、自分の思い通りに進んでいないからって。お前がそんな子供みたいな奴だったとは思わなかったよ」

「いつも女の尻を追い掛けているような奴に、そんなことを言われたくないな。そんな調子じゃ、イリアのこともどうだろうな? 自分のエゴだけではなく、ちゃんとあいつの力になれているのか? 何のために自分が一緒にいるかを考えたら、女遊びに現を抜かす暇は無いと自覚するはずだが?」

「っ……! お前は俺の何を知っているんだ? 何も知らない癖に、知った風に勝手なことを抜かすなっ!」


 二人の間に激しく火花が散る。その間で、不安そうに交互の顔を見やるホークアイとアリエス。道行く群衆も、何事かと遠くから視線を送っている。そんな重苦しい沈黙が続く中、ほぼ同時に二人は互いに視線を外した。


「行くぞ、アリエス」

「えっ? あ、うん……」

「無駄にしてしまった時間を取り戻すぞ、ホークアイ」


 ルイファスとアイラは最後に一瞬だけ睨み合い、互いに人ごみの中へと消えて行った。




「ま、待って、ルイス様! 速い……!」


 アリエスの息切れした声にハッとし、立ち止まる。歩き始めた時に組まれていた腕は、いつの間にか解かれていた。後ろを振り返ると、彼女が小走りで駆け寄って来る。

 ようやく追い付くと、アリエスはホッとしたように顔を綻ばせ、乱れた息を整えた。


「ようやく追い付いたわ。ルイス様って、こんなに歩くのが速かったのね」

「……悪い」


 申し訳なさそうなルイファスに、アリエスは首を振る。だが、彼女は一瞬だけ寂しそうな表情を見せた後、じっと彼を見上げた。


「……ルイス様でも、あんな風に怒ったりするのね」

「え……?」

「いつも優しいルイス様しか知らないから、驚いちゃった」

「いや、それは……」


 真っ直ぐに見つめてくるアリエスの瞳。まるで、自分の心を見透かされているような気がしてならない。居た堪れない気持ちに陥り、ルイファスは視線を逸らした。

 一方のアリエスは、いつもと違う彼の様子に、そっと目を伏せる。そして視線を上げると、にっこりと笑って見せた。


「ね、ルイス様。あたし喉乾いちゃった。あそこでジュースを買ってもいい?」

「あ、ああ……それくらいなら……」

「ルイス様も何か飲みたいでしょ? 一緒に選びましょ! あ、一つのジュースを分け合うっていうのでもいいわよ?」


 露店に向かって、ぐいぐいとルイファスの腕を引くアリエス。そして色とりどりのジュースを眺めながら、どれがいいかと唸っている。

 その後、悩み抜いた末に選び取ったジュースの一つをルイファスに手渡すと、彼はふっと笑みを零した。


「……すまないな、アリエス」

「どういたしまして! あたしはどんなルイス様も大好きだけど……やっぱり、笑った顔が一番だわ」


 甘えるように腕を組み、花のような可憐な笑みを向けるアリエス。早く買い出しを済ませようと急かしながら、大通りを進んで行く。

 そんな彼女に連れられながら、ルイファスは密かに、自分の歩いて来た先を一瞥するのだった。




 控えめな足音と衣擦れ。そして本を捲る音が響くこの場所は、シルビス連邦国立図書館。世界中の文献が集まると言われているこの場所は、名実ともに世界一の貯蔵数を誇っている。

 ここでアイラは、目当ての文献を探していた。


「……姐さん?」


 先程からため息が止まらない。一日も早くヘレナの消えた謎を解き明かさなければならないというのに。文章が全く頭に入って来ない。


「……何をやってるんだ、私は」


 欲しい情報がなかなか見付からず、焦っていた。そんな時に目の当たりにした、あの光景。


(あれでは完全な八つ当たりではないか……大人げない)


 ルイファスもルイファスで、何か理由があってアリエス王女とあそこにいたであろうはずなのに。苛立ちが重なり、冷静さを保つことが出来なかった。

 とはいえ、今回は言い過ぎた。彼の最も触れられたくないことに対して、不用意に棘のある言葉を吐いてしまったのだから。そのせいで、どんなに突っ掛かって行っても軽く受け流すだけの彼が、珍しく感情を露わにしていた。何故、あんなことを言ってしまったのだろう。

 そんな彼女を心配して、ホークアイは出来る限り声を抑えて話し掛けてきた。


「……姐さん、今日はもう終わりにしようよ。やっぱり、疲れてるんだよ」

「そうそう。疲れた状態での調べものは、効率が落ちるばかりだ」


 いきなり聞こえてきた、第三者の声。アイラとホークアイは驚いたように肩を上下させ、勢いよく振り返った。

 そこにいたのは、口元に笑みを浮かべた男。やや長めの茶色の前髪の奥で、青い瞳がじっとこちらを見つめている。身なりもきちんとしており、爽やかな印象を受ける。だが、同時に捉え所が無さそうな雰囲気も発していて、どうしても警戒心が先行してしまう。


「どうやら、驚かせてしまったようだね。ただ、あまりにもキミが疲れた顔をしていたから、思わず……ね」


 言いながら、彼女が持つ文献を覗き込む。そして、「なるほどね……」と声を上げた。


「古代魔法か……」


 納得したかのように、何度も小さく頷いている。今日初めて会った人間の、一体何が分かると言うのだろう。思わず、怪訝そうに眉間のしわを深めた。

 そして男はアイラの方を振り返ると、ニッと口元を引き上げた。


「驚かせてしまったお詫びに、一つ、良いことを教えてあげるよ。古代魔法もいいけど、歴史の勉強もした方がいいと思うよ?」

「え……?」

「じゃ、ボクはこれで失礼するよ。邪魔して悪かったね。……探している転移術、見付かるといいね」


 アイラに向かって含み笑いを向け、男は踵を返した。そして、彼が本棚の角を曲がった、その瞬間。弾かれたように、彼女は背中を追う。


「っ待て!」


 男が曲がった先を勢いよく覗き込む。だがそこには先程の男の姿は無く、どこからともなく吹き込んだ風が頬を撫でるだけ。通路を挟んだ向こうの本棚にいた学者風の男が、急に大声を上げた自分を怪訝そうに見つめてくる。そんな視線を気にも留めず、その周囲を探してみても、それらしき人物はどこにもいなかった。

 おかしい。何故彼は、古代魔法から転移術を探している、と分かったのだろう。文献を開いているだけでは、何を調べているか分からないはずだ。

 そしてもう一つ。何故、見た目は普通の鷹であるホークアイが喋っていても、何の反応も示さなかったのか。もしも一般人が喋っている彼の姿を目撃したら、驚きはすれど、日常会話のように相槌を打つなんて考えられない。


「何なんだ? あの男は……」


 その時、肩に飛び乗って来たホークアイが、不思議そうにアイラの顔を覗き込む。「どうしたの?」と、そう問い掛けるかのように。人が多い公共の場所では、いつも声を出すのを控えているのだ。


「驚かせてしまってすまないな。調べ物の続きをしようか」


 艶やかな毛並みを撫でた後、ふと、周囲を見回してみる。周囲の本棚には、分厚い図鑑のような本が並べられていた。背表紙の文字を見てみると、美術史に関する文献らしい。適当に一冊を取ってページを捲ってみると、世界各地の古代遺跡の壁画が紹介されていた。

 興味深そうに目を通しているアイラだったが、ある挿絵を目にした途端、その表情を強張らせた。


「これは……」


 そこに描かれていたのは、サモネシア王国初期に建てられた遺跡の壁画。脇に書かれた解説によると、王国の古い伝説を描いたもののようだ。その伝説自体は、どこにでもあるようなもの。問題はその壁画だ。


「……間違い無い!」


 壁画に描かれた、二人の天使。ルキフェリスと、ベルセリウス。そのベルセリウスが、なんと瓜二つだったのだ。今朝も見た、あの夢に出てきた青年と。




 図書館を出た男は、人の気配一つしない路地を歩いていた。だが、次の瞬間、こちらを見つめる視線を感じる。思わず口元に薄い笑みを漏らすと、おもむろに振り返った。


「恥ずかしがらないで、出て来たらどうだい? いるのは分かってるんだからさ」


 振り返った先に、人影は見当たらない。それでも男は足を止めたまま、じっと一点を見つめている。

 すると、建物の影がゆるりと動き、角から桃色の髪の女性が姿を見せた。不機嫌そうに口を尖らせて。

 男はそんな彼女の様子は気に留めず、その笑みを深めた。


「そんなところからじっとボクのことを見つめているなんて……可愛いところもあるんだね」

「……は?」

「まだこんな時間だし、一緒にランチなんてどうだい?」

「アンタ……やっぱり馬鹿なんじゃないの?」

「このボクの誘いを何度も蹴るなんて……相変わらずツレないね、シュシュリーは」

「アンタは相変わらず馬鹿なのね……セバスチャン」


 どれだけあしらっても、全く堪えていないこの男。そんな彼にシュシュリーは深いため息を吐きながら、呆れたような眼差しを向けていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る