第29話 記憶と記録に続く線路
小さな町を遠くに見、リヒターの町の駅も過ぎ、さらに半日以上もかけて汽車はミブネに到着した。まだ発展途上にある乗り物とはいえ、早駆けの馬車の数倍の速度は経験したことのない者の方が多い。
「大渦、凄かったね。それに汽車は速いし」
「速かったわね。燃やすの大変そうだったけど」
ララとレジーナは途中、蒸気機関車を見学していた。南の森で採れる燃焼力の高い木の加工品を燃やして動力の蒸気を得ているようだ。ソルも少しだけ見学していたが、彼は機関車の仕組みをある程度知っているらしく、すぐに離れていた。
「でも腰が痛くなったわよ。魔法の道具を組み合わせればもっと早くて快適なものができそうだけどね」
プラットフォームの階段を下りると、聖霊は一旦足を止めて背中を反らす。彼女の故郷の世界でも蒸気機関車は珍しくない存在らしい。
ミブネは北側を小高い山々に囲まれた小さな町のようだが、ここで汽車が一夜を明かすこともあるため、宿は駅前の通りにいくつも並ぶ。一緒に降りた者たちも今夜の宿を探し求めて訪ね回ろうとする。
「あの中で、一番安い宿を見分ける方法があればいいんですが」
「まだ早いし、地元の人にきけば……その間に部屋が埋まらないといいけど」
空は夕日に染まり始めた頃だが、多くの旅人たちがまずは宿に部屋を取るつもりのようだ。
ヒューはふと思いつき、引き返す。
「わかりました。あの宿にしましょう」
指さしたのは〈黒船の里〉亭という宿だ。彼は切符売り場で係員に話を聞き、最も安い宿の情報を手に入れたのだった。
雨で濁った海原を、所属不明の船が黒い旗をなびかせ風を操り波をかき分けていく。その後方からはより大きな船が追いすがっていた。その風にはためく旗に描かれている紋章はジャリス帝国のもの。
「しつこいな。一発当てられれば早いんだけどな」
「わかってると思うが、それだとこっちも射程に入るからな。当てられたら沈んじまうぜ」
強風になびく髪とマントをうるさそうに押さえながら後ろをにらむ美青年のことばに、舵を握る大男が焦りのにじむ声を上げる。
こちらの船に搭載されている砲門は側面だけだ。横に並べば敵船の砲門もこちらに向くのは自明のこと。
「でもな……あれはたぶん航行能力も最新のもので、風力以外にも自走できる機関を持ってそうだから、振り切るのは難しいだろうよ」
青年の目が捉える大型船の姿は、徐々に大きく迫りつつあった。いくら巧みな操舵を行おうと、遮るもののない水上でものを言うのは地の速力だ。振り切るどころか追いつかれそうなのは目に見えていた。
「他に手もないしな」
ひとこと言い残して船尾に向かう。その様子を船員たちが見咎めた。
「どうするんだ、スォルビッツ」
尋ねられ、一度足を止めた美男子は右腕の袖をめくる。
「やはり、撃たれる前に撃ってしまうが手っ取り早いさ」
その足は砲門では止まらない。彼は船尾に辿り着くとへりから身を乗り出すようにして右手のひらを追ってくる船めがけ突き出した。その体勢のまま呪文を唱え始め、やがて周囲の誰も知らない単語を口にする。
瞬間、その手のひらから一抱えほどの大きさもある光弾が発射されて敵船へ向かう。的は大きいが、乗員を全滅させるのが目的ではない。正面には当てず、側面の砲門のひとつへ着弾させる。
砲門が破壊され煙が昇ると、間もなく大きな船は動きを止める。なにしろ、海賊船の砲門は帝国の船へと向けられていないのに彼らは攻撃され、それは一度で終わるとは限らない。
「タルボ、今のうちだ」
「おう、わかってる」
スォルビッツが戻ったときには、もう大男は指示を出し船を敵から引き離すように誘導していた。この辺りの地理や波の癖についての知識は彼らに一日以上の長がある。
「しかし……毎度これを繰り返すってわけにもいかないし、どうするんだ? そのうち向こうも数を投入してくるようになると、さすがに不利だ」
「その前にアジトが襲われそうだし、引き払うしかなさそうだ。少し前までは、前にあの子たちを送迎した、あの島なんていいかもしれないと思ってたけどな」
ヒューたちを案内したノヴル東の島は慣れない者には近づき難く、遺跡の奥から続いていた入江は船を隠すのにもおあつらえ向きだ。
「ただ、昨夜の伝令によるとペルメールの町が帝国軍を撃退した勢いのまま、ボラキアの北の方に反帝国勢力を集めた拠点を作ろうという話になっているらしい。エルメアまで行って覗いてみてもいいかもな」
「でも、行くまでに帝国の船に見つかるかもしれねえし、
相手のことばにスォルビッツは苦笑する。
「海の男には嫌かもしれないが、たまには陸もいいもんだぞ。海の戦力が必要になったらいくらでも運河を出て海をめぐる役目があるだろうよ。帝国の船は、いくらでも騙しようはある」
その目が風にはためく旗を見上げる。海賊であることを示すそれは彼らにとっては誇りではあるが、目的のためならそれを下すことも有り得る選択だった。
夕日もすでになりをひそめ、ミブネの街並みは夜の闇に包まれていた。小さな町の大部分は寝静まりつつあるが、一部は賑わっている。主に旅人と若者が出入りする辺りだ。
飲食店街は行き交う姿が多く、その中心部の公園も酔いざましに休憩する者や談笑する者たちが見えた。
年代の近い者も少しはいないでもないが、ヒューは場違いなものを感じざるを得ない。彼とレジーナだけならまだしも、ララは完全にこの夜の街にはそぐわない。
しかし、散歩に出たいと言い出したのは幼い少女自身だ。
「夜の散歩に出たいなんて、ララも少しずつ大人の世界に興味が出たのかしら」
歩きながら少女に声をかけるその姉のような姿を見上げ、しかしララは首を振る。
「ずっと汽車に乗ってるだけだと、身体が硬くなっちゃうんだよ。それにいつもの日課だし。みんなもたくさん歩いた方がいいよ」
そう、妹は毎日、それなりの距離を歩くのが日課なのだ。一応汽車内でも軽い運動はしていたものの、そこに思い至らなかったことを兄は内心恥じた。
「なるほど、ララは堅実ね」
レジーナもあまり想定していなかったような声色だ。
「安全なところをしばらく歩いて帰ろうか」
公園の長椅子に座ってじろじろと目を向けてくる酔っ払いと視線を合わせないようにしながら、ヒューは少女二人を先導する。静かで暗い住宅街を歩く方が安全そうにも思われるが、少年は未知の危険がある可能性のある道より見える危険が存在する可能性のある道を選んだ。
宿に残ることにした聖霊が『行ったらきっと飲みたくなるから』と言っていたのが的を射ていると思われるほど、何軒も並ぶ酒場。
しかし、誘惑はそれだけではない。屋台や土産物屋など、酒に興味のない者の目も引きそうな店も並んでいる。
手持ちに余裕があれば、屋台で売られている食べ物のひとつくらいは買っても良かったかもしれない。しかし、今は倹約するときだ。
三人は店からも人混みからも、極力距離を取って歩いた。道全体が混んでいるときには人の流れに取り込まれることも一時的にあったが。
外れの方へ向かうにつれ、店は専門的で客足がまばらなものが増えてくる。手作りの暖簾の店、絵画の店、指輪の専門店などは目に楽しいが、見れば欲しくなるかもしれない。ヒューはあまり目を向けないようにしていた。
「ここも、色々と地元の名物が売ってるわね。まあ、今回は縁がないけど」
少年の内心などつゆ知らず、幼馴染の少女は少し残念そうに店の並びを見て嘆息する。
「大丈夫。そのうち、まだ来れるよ。ララがいつか連れてきてあげる」
妹が頼もしく見上げたとき、行く手が不自然に開けた。
周りの通行人たちが道の端に避ける。その中心にいる姿は厚い革のベストを着て三日月刀を腰にさげた赤ら顔の男。あきらかに地元の者ではない。旅の傭兵か。
酔っ払っているらしい男は近くにいた通行人に話しかけようとするが、相手に逃げられて苛ついたように顔を歪める。
それから視線をずらした男は嫌な予感を覚えた少年の予想通り、千鳥足で彼らの前へ寄ってくる。
「こんな時間に、マセたガキだなあ。兄ちゃん、一杯飲むくらいの金貸してくれよ。それくらい持ってんだろ?」
離れていても漂ってくる酒の臭いに顔をしかめ、ヒューは身を引く。
「あいにく……財布は置いてきましたので」
いつもなら、無用な争いを起こすくらいなら金を出したかもしれない。しかし、今は無駄な出費は一レジーたりともしたくない。
「本当か? オレがそのポケットの中、調べてやろうか」
手を伸ばそうとして、その目はそばにいる少女たちに気がつく。大きな口の端が意地悪く吊り上がった。
「なんなら、お嬢ちゃんたちの方もな」
「触らないで」
ララの手を引いて離れさせ、レジーナは常に持ち歩いているボウガンに手をかけた。撃つ気はないだろうが、威嚇の一種である。
「ほう、傭兵かよ。坊やの方もいいナイフ持ってるじゃねえか。そのナイフはかなりの飲み代になりそうだな?」
男が三日月刀を抜くと、周りからは悲鳴が上がり人が離れていく。
月の明かりを照り返した刃の銀光を目にしても、やれやれ、と肩をすくめるだけで、ヒューは不思議と怖くは思わなかった。
「手荒な真似をされるなら、こちらも相応の対応を取らないといけなくなります」
と、右手を太腿のナイフの柄に置く。
「上等だ。生意気なガキは教育してやる!」
頭に血が上ったのか、男は叫びながら三日月刀を少年の右肩めがけて振り下ろす。
ヒューはナイフを抜かず、右手はすぐに左腕に添えた。左腕に固定されたバックラーで相手の攻撃を滑らせて逸らし、勢い良く前のめりに向かってきた相手の足を払う。
「うげっ!」
男は顔から地面に飛び込む形になり、手から得物が飛ぶ。回転しながら石畳の上に落ちた三日月刀をヒューが踏みつけた。
「お兄ちゃん、強い」
ララが感嘆し、ヒューが照れながら胸を張る間に、逃げた通行人の誰かが呼んできたのだろう、警備隊の二人が駆けつけてくるのが見えた。
酔っ払いはすぐに引っ立てられていく。警備隊員らは幼い少女に目を留めたが、旅人だとわかったのか、泊まっている宿の名を聞いただけで特に咎めだてはしない。
「もうすっかり一人前ね、ヒュー。怖くなかったの?」
警備隊と酔っ払いの背中が完全に見えなくなったところで、レジーナが幼馴染みに声をかける。
「いや……剣を抜かれたときは、少し冷やりとしたけどね。でも攻撃は凄く不安定でゆっくりしたものに見えたな」
思い当たるのは当然、何度も繰り返している、ソルとの模擬戦。
その際のソルの攻撃を思えば、酔っ払いの剣など止まっているも同然くらいに遅く見え、とても比較にはならない。
「目も精神も実戦に慣れてきたのかしら。わたしも負けてられないわ」
「レジーナのボウガンの腕は、前からずっと一流だよ……もう遅くなるし、そろそろ引き返そうか」
夜空を見上げると、少しずつ星に雲がかかってきているようだ。
いつもと比べると充分な距離ではないかもしれないがララも文句は言わず、店仕舞いを始めたところもいくつかある店の並びの前を、来た方向へと戻っていく。
やがて通りを抜けて辿り着いた公園では、集まっていた多くの人の姿が散っていくところらしい。
――ここでも、酔っ払いか誰かが問題でも起こしていたんだろうか。
しかし、方々に去っていく姿の中に警備隊の制服はなく、人々の表情も緊張の痕跡はなくむしろ晴れやかだ。それでころか、『おもしろかったね』『あれが凄かったよ』などと楽し気に談笑しながら離れて行くような者も多い。
一体、人の輪の中心にはなにがあったのかと見ていると、まばらになった人々の向こう側、間から覗き見えるそこにたたずむのは、半ば闇に溶け込むような黒衣にマントをまとったすっかり馴染みのある姿。
「ソルさま、どうしたんですか。一人で」
三人が歩み寄ると、ポーチを抱えるようにしていた魔族の剣士は笑顔を向けた。
「ちょっと大道芸をな。ほら」
とポーチを開いて小銭の山を見せる。
「これくらいでも、食事代くらいにはなるだろう」
「凄い。どうやったんですか、大道芸って」
「魔法はこういうことにも便利だからな」
ポーチを腰に戻し左右の手のひらを上に向けると、その両手の上に握り拳大の光球が浮かび上がる。二つの光球は螺旋を描きながら頭上へと舞い上がり、高い位置でひとつに合体すると弾け、金色に輝く無数の粒となって雨のように降りそそぐ。
「わあ、きれい!」
「花火みたいで凄いね」
たまたま周りで目撃した者たちも少女二人と同じように歓声をあげていた。魔法は充分、人々を喜ばせる見世物になるようだ。
大道芸には高い技術を見せるものも多く、ヒューは剣舞というものを一度見たことがある。ソルならその剣術を使っても観客を湧かせられるだろうが、夜には発光する魔法の方が向いているのは確かだ。
「でも、ソルさまは出歩いて大丈夫なの? 殺し屋に狙われてるんじゃ」
レジーナの指摘に、ヒューもようやく思い出した。アブセルトで船上での出来事を聞いたのは昨日のことだ。
当の魔族も驚いたような顔をする。
「そうだった……忘れてた」
彼はそう言って照れ隠しのように笑う。
自身も忘れていながら、ヒューはやや愕然としてしまった。自分が命を狙われている立場になったら、人前になど姿を現わさずどこか安全と思われる場所にずっと引きこもっているかもしれない。
だが、相手は自分とはかなり感覚が違うのだ。すぐにそう思い知らされる。
「まあ、命を狙われていなかったとしても襲撃されることはあるし、どうにしろ対応は変わらない。特別な対応は必要ないだろう」
ヒューの考える日常と魔族の経験してきた日常は違う。ソルにとって、命を狙われるというのはそれほど非日常的なことではないのだろう。
「あまり気にし過ぎるのも疲れちゃいますね。でも、できるだけ単独行動はよした方がいいのでは。周りが心配になりますから……」
「そうか? それなら……」
ソルが口を開いたとき、背後の闇でなにかの気配が動く。反射的に二人は得物に手を伸ばした。
「大丈夫です、単独ではありません」
耳慣れた声の主を見ると、白衣姿が長椅子の下から這い出すところだった。
「ソロモン先生……い、一体なにを?」
「今までそこにいたのか……?」
少年少女たち、魔族も目を丸くして意思を唖然と凝視する。その注目の中、ソロモンは立ち上がって髪を撫でつけた。
「ええ、ずっといましたよ。出る機会を逃しまして」
「そりゃそうだろう。むしろよく今までそこにいて見つからなかったな……でも、なんでそんなことに」
「それはですね……」
白衣の裾についた土埃と雑草の切れ端を払い眼鏡の位置を直すと、ようやく落ち着いた様子で腰を伸ばし語り始める。
「宿にいたらオーロラさんが、わたしが鞄に隠していたお酒を驚異的な嗅覚で見つけ出してしまい、飲んで寝てしまいましてね……なにかに使うこともあるので買い足そうかと迷っていたところで、ソルさまが出かけていくのを見たもので」
「いや、普通に声でもかければいいだろうに」
今まで存在に気がついていなかったソルが、真っ当に突っ込む。
医師は苦笑した。
「ほら、ちょっとした遊び心が芽生えることもあるじゃないですか。こんな楽し気な夜の街に繰り出すわけですし」
ちょっとした悪戯のつもりだったのだろう。ソロモンだから仕方がない――結局、一同はそう納得するしかなかった。
「買い物するならわたしが同行しようか。なにか厄介ごとがあるかもしれないし」
「そうね、酔っ払いにからまれるかもしれないわね」
レジーナが思い出したように同意すると、ララも顔を上げる。
「そうだね! でももう、お兄ちゃんでも酔っ払いもイチコロだね」
「ほう? なにかあったのか?」
幼い少女のことばに関心を抱いたソルに、レジーナが説明する。それを、ヒューはどこかいたたまれないような、反応を知りたいような複雑な心境で聞いていた。
ソルは喜んだ様子だ。
「すっかりバックラーも使いこなしているようだな。もう実戦でも充分やっていけそうだ」
「そ、そんなことは……。街中の、足もとのふらついた酔っ払いを転ばせたくらいで、全然まだまだでしょうし」
「そりゃあわたしに比べればまだまだだけどな。でも技術は一気に目標まで到達するわけじゃないんだ。謙遜するのも悪いことじゃないが、一段階上がったなら、それはそれで喜ばしいことだろう?」
また一歩先に進んだのは確からしいが、早く一人前になりたい少年にとっては満足できるようなものではない。それに、正面切って褒められるとどうしても照れが入ってしまう。
「ヒューさんは理想が高いのでしょう。しかし若いかたは伸びが速いですからね。すぐに一流の剣士になるのでは。わたしみたいに枯れ切った大人は成長とは無縁ですが」
「なに言ってるんだ。それを言ったらわたしなんて少しも成長しないことになるだろ」
医師のことばを、ソルが聞き咎めた。
「肉体があるなら技術が頭打ちでも代謝が続く限り体力や腕力は伸びるだろうし、なにより学習に限界はない。知識は力だ」
「それはまあ……ソルさま、熱血教師的なところがありますね」
「今が図書館の開いている時間なら少しは実演できたかもしれないのに」
熱弁するソルを前に、ソロモンは今が図書館の開いていない時間であることに安堵した様子で長い息を吐く。
「ほら、明日にはアガスティアの大図書館に行けるんですから。今日は用事が済んだら早く休みましょう」
貴重な魔導書や古代文明の資料も集まるという、アガスティアの大図書館。それが目の前に迫っていることを突きつけられると、魔族の表情は一変する。
「なら、早くキミの買い物とやらを済ませないと。ヒュー、レジーナ、ララ、キミたちも早く帰って寝るんだぞ」
ソロモンの袖を引き張り切って去っていくその背中は、大図書館で本に親しむのを楽しみにしているのがあからさまにわかる。
――本来の目的を忘れてないといいけど。
まさかそんなことはないだろうと思いながらも、医師を引っ張りながら去っていく黒衣の姿の軽い足取りを目にすると、少年はついそう感じずにはいられなかった。
ミブネの駅を出た汽車の窓から見える景色は、飽きの来ないものだった。北に山々、南に森が途切れると大きな湖が広がり、線路と並行して走る道をたまに馬車や近所の者らしい人間が歩いている。
線路が南下を始めてしばらくすると、湖から伸びた川が線路と道を横切り東へ向かい、道から川に沿った脇道が伸びていた。
「あの先がゴルバンですね」
地図に目を落としていたヒューは待ちかまえていたように言う。橋に注目していたらしい妹たちは道を探すが、もう過ぎ去った後だ。
「ゴルバンか。もし以前にあの道から大陸を渡って帰ったとしたら、橋を渡った記憶もあるはず」
ソルは車内で起きている間はほぼずっと外の景色を注視しており、わずかな記憶の糸口も逃すまいとしているようだ。
「ソルさま、そんなにこだわらなくても……そのうち思い出せるでしょうから」
医師のことばに、なにか考え込んでいた魔族は首を振る。
「たとえば、リリアが弟がいてハッシュカルという町に住んでいたと話していた記憶があればヒューの姉であることがほぼ確定するし、ルナという巫女らしい者が同僚にオーロラという獣がいると話していた記憶があればそれが聖霊が探している相手だとわかるだろう?」
「それはまあ……」
こうして追いかけていても、他人の空似、同名の別人の可能性は残されている。確かな情報が欲しいのはヒューも同じだ。
「でも、思い出そうと思って思い出せるものでは――」
「そんな確定的な場面だけ思い出す必要はないわよ」
獣、ということばには一瞬剣呑に顔を歪めていたものの、ルナの名につられてか、オーロラが身をのり出す。
「共通点がいくつもあれば、ほぼ確定できるじゃない。たとえば……ルナって子は柑橘系の果物が好きだったとか、考えごとをするときに髪の毛先を指に巻く癖があったとか」
「なにかを食べる場面っていうのはまだ記憶にはないな……彼女が考えごとをする場面、というのも」
「なら、白や水色が好きとか……あ、あとはあれよ、あれ。左の脇に二つ並んだホクロがあるのを見ていればかなり可能性が高くなると思うわ」
それにはすぐ答えず、魔族は聖霊を目を細めて見る。散々見慣れた、あきれ顔。
「もしわたしがルナという仮称キミの友人の脇を見た経験があったとしたら、問題があるだろう……」
彼のことばで聖霊も、自分の言ったことの意味をやっと理解したようだ。頬が紅潮し表情が一変する。
「そっ……そりゃそうよ。そんなことあったらタダじゃおかないわ!」
「なら、せめてありそうな出来事を提示してくれ……」
至極まっとうな指摘に、ヒューも内心、同意するしかなかった。
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