第49話 突入

陽の光を浴びて、三つの影が雲ひとつない空を飛んでいた。はるか上空では太陽がその強さを増していき、ジリジリと焼くような暑さが辺りを覆っていた。

場所はホムラの“町”上空。“村”と“町”の境界に聳え立つ壁の遥か上空を飛び越え、その理路整然とした街並みを眼下に収めたところで、先頭の影―――ユズルがピタッと止まる。それに合わせて、後ろを付いてきていた二つの影―――ヒオリとミツキがすぐそばで並び立つように止まった。

そして、ユズルは目を凝らすようにして、“町”の中心に鎮座しているレーゲンスの城を眺める。


「ひとまず見た目に変化はなさそうだな。昨日抜け出す時には何か起きたのか?」


ユズルが隣にきたヒオリとミツキに声をかける。

ユズルの記憶違いでなければ、レーゲンスの城の外観は昨日訪れた時と全く同じままだった。威圧感のある漆黒の外壁から、窓から垣間見える高級そうな内装まで、何事もなかったかのようにそのままだ。


「下位種の虚霊が一体だけ。それ以外には気配もなく、特別な仕掛けもありませんでした。姉さんは何か気付いた?」

「あたしも特には。敵をぶっ倒したらミツキをすぐに追いかけたので、気になるようなことは何も…」


式の二人も記憶の綱をたどってみるものの、特別なことは思い出せなかった。普段ならともかく、あの時は周りを気にしている余裕もなかったのだ。もし何かあったとしても、ユズルを助けることに夢中で気付かずに通り過ぎていただろう。

ユズルは二人の言葉を確認してから、少し悩む素振りを見せる。


「そうか…わかった。けど、あのレーゲンスのことだ。確実に何か仕掛けてくるはず。二人とも気を抜くなよ」


ユズルはそれだけを言うと、式の二人を置いて一気に急降下していく。そして、落下の勢いに身を任せ、そのまま城のてっぺん――レーゲンスの部屋に直接向かった。

昨日とは違い、もはや交渉の余地など残されてはいない。ここに居座る虚霊の“主”はユズルにとって、ホムラのため、守るべき者たちのために倒さなくてはならない仇敵なのだ。わざわざ昨日のように正面から迎えを待つ必要もなければ、礼儀を弁える必要もない。これはただ敵を殺す戦いだ。


ユズルは綺麗な装飾が施された部屋の窓ガラスを思い切り蹴破り、レーゲンスの部屋に飛び込んだ。ガラスがけたたましい音を立てて砕け、部屋中に散らばる。

ユズルは地面に着地するまでの間に視線だけで部屋の中を観察し、そこに倒すべき敵の姿を探した。あの狂気に歪んだ双眸と、悪意に満ちた漆黒の気配を。しかし、それは徒労に終わることとなった。

わかっていたことだが、レーゲンスはこの部屋にはいなかった。ただ豪勢でがらんどうな部屋が広がっているだけだ。

しかし、ユズルは決して気を抜くことはなかった。たとえ敵の姿がなくとも、何が起こるか分からないのが戦場だ。全身の神経を尖らせ、神威の刀を構えたまま周囲を警戒する。

急に床が抜け落ちるかもしれない。急に攻撃が飛んでくるかもしれない。急に壁を打ち破って敵が飛び込んでくるかもしれない。

可能性を考えれば、それこそキリがない。この“レーゲンスならば何かしてくる”という先入観が、逆にユズルの目を曇らせてしまっていた。けれど、前回と同じ轍は踏まないという意味では正しい行動だっただろう。何かあってからでは遅いのだから。

そして、ユズルから少し遅れて、ヒオリとミツキが穴の開いた窓から部屋に入ってくる。


「主様、焦り過ぎです。こうした一番槍は僕らがやるべきです」

「置いていって悪かったな…。でも、ヤツは俺が殺す。絶対にな」


ユズルが危険な立ち回りをする主を諫めるように苦言を呈する。神を守護する者である式なら当然の言葉だ。しかし、ユズルは無意識に目線を送ることもなく返事をする。これは決してミツキを軽んじているわけではない。ただ、いまユズルの中にあるのはレーゲンスへの殺意だけだったのだ。

それは以前までの燃えるような殺気ではなく、静かで冷たい氷の刃のような殺気だ。今のユズルなら、たとえ部屋の中でレーゲンスが待ち構えていたとしても、冷静で冷徹に殺すことができただろう。それほどユズルが纏っている雰囲気は無慈悲な冷然さを持っていた。

そんな溢れる殺気を隠しもせず、殺意までも剥き出しにするユズルを見て、ミツキが思わず息を呑む。そして、今のユズルには余計な助言が不要であると察した。


「ユズル様、下に続いてた空洞が無くなってます…!」


いち早く部屋の中を探っていたヒオリがユズルに声をかける。その声を聞き、ユズルはすぐに近寄って見てみるが、昨日空洞があった場所はただの木製の床になっていた。手で触って感触を確かめてみても、下に空間はなさそうだ。


「やっぱりか…そう易々と行かせてはもらえないだろうな…」


わざわざ残しておくほど相手も間抜けではない。ユズルにとっても想定内とはいえ、明確な手掛かりがこれで途絶えてしまったことになる。

そこで、三人はひとまず部屋の探索をはじめた。たとえ気配がなくとも、何かしらの痕跡は残っているはずだ。


「ここも変わらずか…。ん……?」


ユズルが部屋の中を観察していると、ふと部屋の隅にある扉に目がいく。それは昨日来たときに人間の少女が投げ込まれてきた扉だ。

問題は扉そのものではなく、扉の向こう側にあった。虚霊の気配がするのだ、それも二体も。

先ほどまではレーゲンスの能力によってぼやけた気配しか感じ取ることができなかったのだが、ついさっき靄が晴れるようにはっきりと分かるようになった。いきなり感知できるようになったということは、敵がユズルたちに気付いて能力を解除したと考えるのが妥当だろう。


「挑発してるってわけか…!」


ユズルは吐き捨てるようにつぶやき、苛立ちをあらわにする。

敵はわざと能力を弱めたのだ、ユズルが感知できるように。『場所を教えてやるから、かかってこい』と言われているようなものだ。それだけ敵に余裕があり、こちらを下に見ているのだろう。

ユズルは警戒しながらゆっくりと扉に近付いていき、扉に手を当ててみる。扉の向こう側がどうなっているかまではわからないが、虚霊の位置からして、ほぼ一直線の道になっているのだろう。

ユズルが扉に近寄っていくのを見て、すかさずミツキがそばにやって来る。


「主様、何かありましたか?」

「虚霊の気配だ。この扉の先に二体が待ち構えている。数から考えて、あの執事たちだろう」


ユズルは他の気配を探しながらミツキの質問に答える。あくまでも目的はレーゲンスだ。それ以外は邪魔に過ぎない。

レーゲンス以外は眼中にないユズルはそう軽く言ってのけたが、ミツキはその言葉を聞くや否や焦ったようにヒオリを呼んだ。


「待ち伏せ…ではないですね。足止めといったところでしょうか?」

「そんなことでわざわざ場所を教えるの?あたしは罠だと思うけど…」

「どっちでもいいさ。歯向かってくるなら殺すしかない」


ユズルは二人の言葉を遮るように言い切ると、無造作に扉を開けた。その瞬間、虚霊の放つ濁った瘴気が溢れるように流れ込んでくる。

神だけが感じ取れる言いようのない不快感。その背筋が凍るような悪寒も、ユズルにとってはもはや慣れたような感覚だ。そして、細く暗い一直線の道が、溢れ出す瘴気と共に来る者を飲み込むように口を開けている。

以前ならば躊躇っていただろう。けれど、もうユズルの心の中に恐怖はなかった。あるのは冷静な殺意と冷徹な怒りだけ。

そして、心の隅にわずかにある迷いを押しのけるように、扉の奥へと足を踏み入れた。

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