【第122話】かさなるこころ
一際大きな爆発音と共に激しい縦揺れに見舞われ、シリューは結界の壁にぶつからないよう、両足に力を込めて踏みとどまった。
すでに倒壊が始まったのだろう、いたるところから腹に響くような低い音が聞こえてくる。
「ミリアム……急いでっ……」
部屋の壁の一部が崩れる。見上げた天井がミシミシと不気味な音を立てる。角の石の柱が砕け、調度品を巻き込みながら倒れる。
木張りの天井が、壊れてきた石の重みに耐えきれず、端から壊れ始める。
「やばっ」
支えを失った天井が、大量の瓦礫と共に落下する直前、シリューを捕えていた光の壁が消失した。
「うおおお!!」
床を蹴り、一気に飛び出した直後、轟音と共に今までいた部屋が瓦礫に押しつぶされた。
「ふう……」
シリューはすかさず探査を発動し、ミリアムの所在を追う。一番奥の左、ミリアムを示す輝点は丁度ドアを抜け、本人が廊下に姿を現す。だがその頭上に崩れてきた大きな石。
「アンチマテリエルキャノン!!」
2発の砲弾が、ミリアムへと落下する石を粉々に砕いた。
「ひゃあっ」
「止まるな!!」
僅かに怯んだミリアムだが、よろめきながらも足を止めずシリューのもとへと駆ける。
と、その足元の床が一瞬で崩れ、足場を失ったミリアムはなすすべもなく呑まれる。
「ミリアム!」
「シリューさん!」
だが落下の寸前、シリューの延ばした手がミリアムの手をしっかりと掴んだ。
シリューはミリアムを引き上げ、横抱きに抱きかかえる。もう、階段から下に降りている暇はない。
「ヒスイ」
呼ばれたヒスイは、ポケットではなくミリアムとの胸の隙間に潜り込む。
ミリアムもシリューの意図を汲み、しっかりと腕を廻して密着する。
「壁を壊して脱出する……いいかい?」
返事の代わりに、ミリアムはシリューにまわした腕に力を込めた。
「行くぞ!!」
崩れ始めた床ではなく、翔駆を使って廊下を駆ける。
「ガトリング!」
落ちてくる瓦礫を砕き、倒れる壁や柱を潜る。城の中央部分が大きく崩れ落ち建物全体が中心に向かって傾く。
「アンチマテリエルキャノン!!!」
連発した高硬度の砲弾が、重なった瓦礫を貫き壁に脱出のための大穴を穿つ。
「はああああっ!」
掛け声とともに、3人が飛び出した直後。
大地を揺るがす轟音が鳴り響き、もうもうと噴きあがる土煙の中に、その城は崩れ落ちていった。
「まさに間一髪って感じだな……」
「ほんと、ギリギリでしたね」
空中に構築した足場に立ったシリューとその腕に抱かれたミリアムは、ほんのさっきまで城であった瓦礫の山を見つめて呟いた。
「いろいろありがとうミリアム、お陰で助かったよ」
感慨深げなシリューの言葉にミリアムはふっと顔を上げ、銀の仮面を見透かすように瞳を向けた。
「シリューさん……シリューさんがそんな事、言わないで……」
「え?」
息もかかるほど間近にあるミリアムの物憂げな眼差しに、シリューはその胸中を推し量ることができず、仮面の下で眉をひそめた。
「顔……見せて……」
「ん、ああ、そうだね……」
シリューは城の北側に着地してミリアムを降ろし、白の装備を解いた。
「ああ、よかった……いつものシリューさんの顔です……」
ちょこんと首を傾げ、ミリアムは淡い光のような笑みを浮かべる。
「ミリアム?」
その瞳から、涙が一筋頬を伝いほろりと零れ落ちた。
「……シリューさんがいなかったら、私は今こうしてここにいません……」
野盗たちに捕らわれた洞窟で。
魔人となったランドルフと闘った街中で。
金の仮面の男と対峙した森の中で。
「命を落とすか、全てを奪われて、あの地下室で発狂したまま一生を過ごすか……」
ミリアムは広げた左右の掌をじっと見つめた。
「シリューさんには、返しきれないくらい恩を受けました……いっぱい、いっぱい、迷惑をかけたのに……それなのに、シリュー、さん……」
感極まったのか、ミリアムは声を詰まらせ、それでもまだ何かを言おうと、溢れる涙を拭う事もせず顔を上げた。
「ミリアム」
シリューは少しだけ強めに、それでもふんわりと優しく、ミリアムの肩を抱き寄せた。
「あっ」
「もう、なんにも言うな」
そして、戸惑うミリアムにそっとキスした。
「ん……」
「なんにも言わなくていい……」
それから甘くて長いキスをした。
真上に昇った日差しが、重なる2人の影を永久に刻み込むように、くっきりと大地に落とした。
「おお、無事だったか。心配したぞ」
僅かに崩れ残る城門の前に向かったシリューとミリアムを、救出した女性たちを伴ったカルヴァートがにこやかに迎えた。
「申し訳ありません、城が……」
深々と頭をさげた後、シリューは跡形も無くなってしまった城を振り向いた。
「君はこの街の恩人、気に病む必要などない。まあ私は国王陛下からお咎めを受けるかもしれんが、命までは取られんだろう」
カルヴァートはすました顔で掌を見せ肩を竦める。
「それに……そろそろ処分しようと思っていたところでね。なにぶん維持費がかかり過ぎるのだよ」
そう言っていたずらっぽく笑うカルヴァートにつられ、シリューも思わず吹き出してしまう。
「そうそう。もうじき騒ぎを聞きつけて大勢やって来るだろうが、このご婦人方を何とかしてやりたい。毛布一枚で人目に晒すわけにはいかないのでね」
かたまって蹲る女性たちに、カルヴァートはあえて目を向けなかった。
「分かりました、俺が先に街に戻って手配します」
「すまないが宜しく頼む。ああ、それから……」
街に向かって飛び立とうと、一歩踏み込んだシリューをカルヴァートが呼び止めた。
「シリュー殿、だったな。君には本当に感謝している、ありがとう」
「いえ、ああ、はい。恐れ入ります」
咄嗟にそう返答したが、失礼にはあたらないだろうと思い、シリューは一度頷いてから空へ駆けあがった。
その後、すぐさま冒険者ギルドへ向かったシリューは、ワイアットに事情を説明して女性職員と、馬車を向かわせるように頼んだ。勿論女性用と子供用の服も忘れずに。
「後で、ゆっくり報告を聞かせてくれ」
一通り指示を出し終え葉巻を銜えたワイアットに頷いて、シリューは一足先に城へと戻った。
それから暫くして、数名の神官とギルド職員を乗せた二台の馬車が到着し、救出された女性たちと女の子を一台に、もう一台にカルヴァートを分乗させて慌ただしく去って行った。
全員一旦神殿の治療院に保護され、健康状態を確認後に家族の下へ帰されるのだそうだ。
「一応、終わったけど……スッキリしないなぁ」
街へ向かう馬車を見送りながら、シリューが溜息混じりに呟いた。
「やっぱり気になりますか? あの男に逃げられた事……」
シリューは、ミリアムの言葉に無言で頷く。
今回の依頼は、行方不明のジャネット聖神官の捜索と保護。つまり依頼自体は完遂されたわけだ。ただし、それはあくまで形式上のもので、納得のいくものではなかった。
「ま、と言っても、どうせヤツはまたどこかで何かやらかすだろうな……その時は、今度こそ……」
表立った事件を起こすかどうかは分からない、クエストとして依頼が入るかも分からない。だが、相手は魔族。その目的が魔神の復活である以上、かかわらないという選択肢は無いだろう。
「そうですね、シリューさんならきっと……」
風の音に耳を澄ますように、2人はただ黙って遠ざかる馬車を眺める。
「シリューさん、私……あの、宿での事……ちゃんと……」
「ミリアムっ」
シリューはその言葉を遮るように、隣に並んだミリアムの口元へ手を伸ばした。
そしてゆっくりと、噛みしめるように語り始める。
「俺には、小さい頃からずっと競い合ってきたやつがいてさ……実は今まで一度も勝ったことがないんだ」
「シリューさんが!? そんなに強い人が、いるんですか? もしかして、勇者……」
ミリアムは驚愕の表情でシリューを見つめた。
「そうじゃないよ、そいつは魔法を使えないし、戦えない。俺たちが競ってたのはそんな事じゃないんだ」
「はぁ……」
「同じ訓練を受けてるはずなのに、そいつはどんどん先に進んで、気が付いたらもう手の届かない場所まで昇っていてさ……」
空を仰いだシリューの目に映るのは、流れてゆく雲かそれとも見えない何かか。
「人の倍、いや3倍の練習したって、全然追い付けなくて……自分の才能の無さに嫌気がさしてさ、それでも諦めたくなくて、また無茶な練習をこなして」
ミリアムはシリューが何を言いたいのかを察して、黙って頷いた。
「正直、そいつが羨ましかった、そいつの才能が羨ましかった……それに……それに、めちゃくちゃ妬ましかった、だけど……」
「……その人の事が好きだった?」
シリューは大きく頷いた。
「ああ、親友だと思ってるよ、今でも」
シリューの瞳が寂しそうに揺れたのを、ミリアムは見逃さなかった。
「だからな、ミリアム」
「はい?」
シリューは真っすぐミリアムに向き直り、真摯な目で見つめた。
「俺は、謝らない」
「え?」
「あの時お前を傷つけてたとしても、俺は謝らない。俺はずっと高い場所にいて、更にその先を目指す。だから、お前がここまで昇って来い。俺が振り向く位置まで、追い付いて来い」
突き放すような言葉だったが、ミリアムにはその言葉の裏にある優しさを、はっきりと読み取る事ができた。
「シリューさん、私も。私も謝りませんよ。だってめっちゃ傷ついたし、やっぱりシリューさんが羨ましいし……やっぱり、妬ましいですから」
ミリアムは胸の前で、がっしりと両手の拳を握った。
「だから、いつかきっと追い付いてあげますっ。絶対に、絶対諦めません!」
心に燻るわだかまり、それを完全に解決する事は今の2人にはできない。ただ、たとえ解決はできなくとも、飲み込んでしまう事はできる。
シリューとミリアムは、お互いの拳をこつんっとぶつけた。
「あ、でもその時は羽虫のように叩き落とすから」
「……シリューさん、なんかゲスいですぅ……」
ゆっくりと流れてゆく雲が日の光を横切り、歩き始めた2人に優しい影を届ける。
誰にも気づかれないまま道端の花が萌えるように、いつか果たされなかった小さな小さな想いが一つ、少しだけ未来を見つめた2人のもとに舞い降りた。
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