【第76話】いじわる……でも
官憲隊での聴取が終わったのは、もうすぐ正午になろうかという時間だった。
事情聴取といってもほぼ事実確認のみで、特に新しい情報が得られたわけでも無く、また、教団側により失踪中の聖神官の事は伏せられていたため、ミリアムもその件については語らなかった。
森の中でランドルフが会っていた人物については、非合法の奴隷商人だろうというのが官憲での見解らしく、引き続き調査する事が決まったそうだ。
ただし、野盗団に対しては、ナディア・アントワーヌの証言もあり罪状が確定していることから、これ以上の捜査は行われず、数日中に刑が執行されるとの事だ。
ランドルフやザルツなど大半が絞首刑、クロエを含む数人は犯罪奴隷として強制労働が課せられる。
また、モンストルムフラウトについては、単に魔物を操る魔道具とだけ説明し、シリューは更なる悪用を防ぐため、すでに破壊、焼却したと告げた。もちろん、実際はガイアストレージに保管してあるのだが、これは人の手に渡すものでは無いと判断した為だ。
「それでは、これが今回の証明書になります。手続きは全て完了していますので、これを冒険者ギルドへ提出すれば、懸賞金が支払われます。お疲れさまでした」
シリューは調査官の差し出した証明書を受け取り、ポケットにしまった。
「あの、奴らから回収した略奪品はどうすればいいんですか?」
隣に座るミリアムの顔をちらっと見て、シリューは正面の調査官に尋ねた。
洞窟でミリアムは捕らえた人の物、と言ったが、それを鵜呑みにする事が出来なかったのだ。
「ああ、それは既に貴方の物ですよ。まあ、買い戻しの申し出があったりしますので、詳しくは冒険者ギルドで確認して下さい」
調査官の答えはあっさりしたものだった。やはりそれがこの世界での常識のようだ。元の世界では考えられない事だが。
懸賞金のシステムについても、地方領主や官憲などの公的機関が、その行政活動の一部を冒険者ギルドに依頼するかたちになっているようだ。
「さ、じゃあ行こうか」
隣に座るミリアムに声を掛け、シリューは立ち上がった。
「はい」
揃って一礼し、退室しようとしたシリューを調査官が呼び止めた。
「シリュー殿」
シリューが振り向くと、その調査官はやにわに立ち上がり、直立不動の姿勢をとる。
「私からもお礼を言わせて下さい。ありがとうございました」
深々と頭を下げた調査官のその声は、それまでの事務的なものではなく、感情がこもり温度の感じられるものだった。
「どういたしまして」
謙遜も不遜もせずにただ一言そうこたえ、ミリアムとともに部屋を後にしたシリューに、調査官はその足音が聞こえなくなるまでお辞儀を続けたのだった。
官憲隊の本署から外へ出ると、日はすっかり真上にあり、影を短く落としていた。
シリューは、数歩後ろから俯きがちについて来るミリアムを振り返り立ち止まった。
「大丈夫か?」
「え?」
意外にも優しい声音に、ミリアムは目を丸くして顔をあげた。
「辛かったんじゃないか?」
先程の聴取のおり、話しが洞窟内でのミリアムへの暴行におよんだ時の事。
淡々とした調査官の質問に答えるミリアムは、所々言葉を詰まらせ、下を向いたり、膝に置く手に力を入れたりと終始落ち着かず、顔色も悪いように見えた。天然でいつも明るく振るまうミリアムだが、あの出来事は深い傷となって残っているのだろう。
「分かってたんですか……」
ミリアムは恥ずかしそうに再び下を向く。
「……ミリアム……」
俯くミリアムの頭を、シリューはぽんぽんっと撫でた。
「ふぇ?」
突然の事に驚き、ミリアムは上目遣いにシリューを見つめる。
「なあ、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないか?」
シリューはいつもの涼し気な笑顔で、そしていつもよりもっと深い優し気な瞳でミリアムを見つめ返した。
たった一言。何の飾り気もない一言。それだけの事だったが、ミリアムは心に刺さった棘を優しく抜き去って貰えた気がして、溢れてきそうになる涙を必死に堪えるのだった。
「そ、そんな事、言われたら、私……泣いちゃいます……」
そう言ったミリアムの瞳は、すでに涙で潤んでいた。
「ああ、却下。こんな所で泣かれたら、俺が悪役にされる」
シリューは悪びれもせずに悪態をつくが、その目を見ればそれが本心で無い事ぐらい、ミリアムにも簡単に理解出来た。
「……ばか……いじわる……」
ミリアムは、頭に置かれたままのシリューの手に、そっと自分の手を添えた。
「あたたかいです……シリューさんの手……」
「ああ、手のあったかいヤツは心が冷たいって言うしな」
シリューはいたずらっぽく笑った。照れ隠しなのが見え見えだ。
「シリューさん……かわいい……」
「ばっ、な、なにを……」
シリューが慌てて手を引っ込めた時、正午を告げる鐘が鳴り響いた。
「あ、丁度昼だな。冒険者ギルドに行く前に何か食べて行こう」
「あ、はいっ。今日は私が奢りますっ」
シリューはほっと胸を撫でおろす。これ以上の甘い雰囲気はとても耐えきれそうになかった。
「おまえ、お金大丈夫なのか? 無理するなよ、後で飢え死にされたら寝覚めが悪いから」
「し、失礼ですねっ。大丈夫ですよそのくらいっっ。って高いのはムリですけどぉ」
ミリアムは、しりすぼみに声を小さくした後、ポケットから取り出した財布の中を覗きこみ、うん、と頷いた。
「じゃ、お言葉に甘えて。その辺の屋台で串焼きでも……」
「はいっ」
2人は近くにあった屋台で焼き立ての串焼き肉を買い、通りに置かれたベンチの一つに向かった。
シリューが座った後、ミリアムは思い切って隣に寄り添うように腰を下ろしたのだが、シリューはさっと一人分の間を開けてしまった。
「むぅ……」
ミリアムは頬を膨らませ拗ねて見せたが、シリューがそれに気づく事はなく、ガイアストレージからティーポットとカップを取り出し、熱いままの紅茶を注ぎはじめた。
「え? それって魔道具ですか?」
ミリアムは湯気の立つ紅茶を見て、ティーポットを指差した。熱いものを熱いまま保存できる魔道具は、かなりの値段がするはずなのだ。
「いや、ただのティーポットだよ。話さなかったっけ? 俺のガイアストレージは時間経過が無いって」
「き、聞いてないですけど……もう、いっぱいいっぱいですぅ」
時間経過が無いとはいったいどんな魔法の系統だろう。ミリアムはシリューの余りにぶっ飛んだ能力に、もう気が遠くなりそうで、考えるのを放棄した。
「ほら、宿で入れてもらった紅茶だ。かなりいい茶葉を使ってるから旨いぞ」
「あ、ありがとうございます」
ミリアムはカップを受け取り、口に運んだ。
「……いい香りです、味も……凄く美味しいです……」
カップを置いたミリアムは、なぜか申し訳なさそうに、先程買った串焼き肉の一本をシリューに差し出した。
「……こんな物で、ごめんなさい。お口汚し、ですよね……」
「お前、何気にしてるんだ? せっかくお前が買ってくれたんだ。嬉しくない訳ないだろ。ありがとう」
シリューはそう言って、美味しそうに肉を頬張る。
最近シリューはさりげなく、言ってくれるようになった。ありがとう、と。たったそれだけの言葉に、ミリアムは胸が高鳴るのを感じていた。
「あ、美味しい。ほら、お前も食べろよ、ダイエットは嘘だろ?」
「は、はいっ」
ミリアムが一本目の半分に差し掛かる頃、シリューはすでに二本目に取り掛かっていた。見かけによらず意外とがっつく様子に、ミリアムはやっぱり男の子だな、と微笑ましく思った。
「シリューさんっ」
ミリアムはポケットから白いハンカチを取り出し、
「あんっ、ほら、タレが付いてますよ……」
シリューの口元をそっと拭った。
「あ、ああ。ごめんっ、あり、がと……」
顔を赤くして口ごもるシリューに、ミリアムは笑顔で頷いた。
「……そう言えばシリューさん? 今日はどうして迎えに来てくれたんですか?」
昨日からの疑問だった。ちょっと期待している自分に、ミリアムは少し恥ずかしさを覚えた。
が。
「ああ、それな」
シリューは笑った。
「官憲隊から一緒の時間って言われてたろ? お前ほっとくと100%迷うから、今日中に終わらないと思ってさ」
「はい?」
それは想定していなかった答え。
「いや、お前絶対迷うだろ? だから、迎えに行ったんだよ。さっさと終わらせたいからな」
シリューは遠慮なく笑った。ミリアムの心など思いはかる事もなく。
「シリューさん……いけずですぅ……」
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