第72話 遠い約束
何か月も野盗団が拠点にしていただけあって、洞窟内には調味料も食材も、かなりの量が備蓄されていた。
ミリアムはその中から、適当な大きさの鍋を選び、子供でも食べられそうな山菜と、シリューから渡されたグロムレパードの肉で、簡単なシチューを作る事にした。
一方シリューはガイアストレージに収納した略奪品や、備蓄されていた食料を隅々まで漁り
「……紅茶だけ、か……」
布の袋に入った紅茶葉を残念そうに掲げ、シリューは肩を落とし呟いた。
それらしい細長い金属製のポットも見つけた。同じく金属製のマグカップも。なのに、それだけがない。
「強盗団って言ったら、パーコレーターか煮出しの珈琲だろっ。アウトローが紅茶なんか飲んでんなよっ」
完全な言いがかりだった。
「シリューさん、どうしたんですか?」
調理を終えて、食器を探しに来たミリアムが、何故か不機嫌なシリューを心配して声を掛けた。
「あ、いや、別になんでもない……ああそうだミリアム。珈琲って知ってるか?」
「え? コーヒー……ですか? えと、何でしょう?」
ミリアムは初めて耳にする言葉に首を傾げる。
「豆を焙煎して挽いたものをお湯で煮出した、真っ黒で苦い飲み物、なんだけど……」
「ごめんなさい、やっぱり聞いた事ありません。……真っ黒で、苦い……」
ミリアムは眉をひそめた。黒くて苦い飲み物。さっぱり想像が出来なかったが、それが美味しいとは思えない。
「……知らないかぁ……やっぱりこの世界には無いのかなぁ……」
「この世界、って、この国っていう意味ですか? シリューさんってどこの出身なんですか?」
とんだ失言だったが、ミリアムは特に気にしなかったようで、シリューはほっと胸を撫でおろす。
「ああ、俺は東の果ての果て、アルヤバーンの出身なんだ。森の扉で飛ばされて気が付いたらエラールの森だった」
「そ、そうだったんですか、森の扉に……だからこちらの事情に疎かったり、常識外れだったり……」
ミリアムは腕を組んで、うんうんと頷いた。そのぐらいの事ではもう驚かない。逆にそのぐらいぶっ飛んだ事情の方が納得できる。
「そういえば、夕飯の準備できたのか?」
「あ、はい、そうでした。食器を取りに来たんでしたっ」
ミリアムは思い出したように、慌てて皿やカップを漁りはじめる。
「いいよ、ほら、これは持ってやるから」
そう言ってシリューは、ミリアムの抱えた食器の殆どを手に取った。
「あ、ありがとうございますぅ」
「料理したのはお前なんだから、ありがとう」
シリューはいつものように涼やかに笑った。
「は、はいっ」
だがその言葉は、いつもより随分と優しく響いて、胸の高鳴りを抑えきれず、ミリアムはそそくさと踵を返し子供たちの元へと戻った。
「ねえこれってグロムレパードのお肉?」
石組のかまどに掛けた鍋の傍で、ダドリーは目を輝かせて尋ねた。
「そうだよ。いっぱいあるから、みんなどんどん食べるんだぞ」
「やったー」
「グロムレパードのお肉なんて、わたしはじめてっ」
「ぼくもっ」
シリューはシチューを皿によそい、子供たちに渡してゆく。その脇でミリアムがスプーンと水の入ったカップを並べる。
全員にいき渡ったところで、ミリアムが神への感謝の祈りを捧げ、子供たちもそれに倣って手を組む。
祈りが終わると、待ってましたとばかりに、子供たちは一斉にシチューに取りかかる。子供たちにとっては久し振りのまともな食事だ、慌てるなというのも無理な話だ。
「なんだか、あのバザーを思い出しますねぇ」
ミリアムがスプーンを口に運びながら、目を細めて呟いた。
「ああ、そうだな」
ミリアムの横で、シリューもあの時の子供たちの顔を思い浮かべ微笑んだ。
「シリューおにいさんとミリアムおねえさん、なんかパパとママみたいっ」
サリーが屈託なく笑った。
「え? あ、そ、そんな……そう?」
ミリアムが頬を染め、照れたように目を伏せる。
「いや、ないから」
シリューは冷静にツッコむ。
「ちゅーしてたしねえー」
ハンナは他の子たちを見渡した。
「あ、あれはっ、じ、事故ですっっ」
「そ、そうだぞっ、たまたま当たっただけっ」
今度はシリューも冷静ではいられなかった。
「シリューにいちゃんなら、しかたない……ミリアムねえちゃんはゆずってやるよ」
ダドリーが大きく溜息をついた。
「ダドリーっ、な、なんか勘違いしてるぞっ、俺は、べ、別に……」
「シリューにいちゃん、ミリアムねえちゃんの事、好きじゃないの?」
「好きじゃないの?」
全員が手を止め、シリューを見た。
シリューがふと目をやると、隣でミリアムも伏し目がちにじっと見つめている。
逃げ場がない……。
「あ、いや、あの……」
これは、狼に追い詰められたウサギだ。
「ミリア、ム……ミリアムお姉ちゃんは、料理上手だし、きっといいお嫁さんになると思うよ、はっははは……」
日和った。
「ヘタレ……」
誰かがポツリと言った。
「さいてー」
二人の言葉がシリューの胸をグサリと抉った。
遅めの夕食を終えて、子供たちを寝かしつけた後、シリューは見張りがてら洞窟の外に出て、ガイアストレージに収納した魔物の死体を整理していた。
分別の結果、素材として使えるのはモノケロースとグロムレパード、ハンタースパイダーを除けば二十頭分ほどで、あとは損傷が激しく魔石も殆どが破壊されていた為、山積みにした後極大のフレアバレット数発で焼き尽くした。
明日、早朝のうちに出発すれば、夕方までには街に着けるだろう。
ランドルフにモンストルムフラウトを渡した男の事とか、売られてしまった神官の事とか、まだまだ気になる事は残っているが、子供たちを親元と孤児院に帰してやるのが今の優先事項だ。
「シリューさん」
夜空を見上げあれこれと思考にふけっていたシリューに声を掛け、ミリアムはそっと隣に並んだ。
「考え事、ですか? 何か浮かない顔、してますよ」
「ん、ちょっと気になる事があるんだ。……ランドルフの奴、いったいどこ行ってたんだろう?」
あの時、ランドルフは後から参戦してきた。ヒスイが偵察した時にもあの洞窟にはいなかった。ならばどこに出かけていたのか。
「そう言えば、誰か人に会ってくるって言ってました……私が連れてこられた時には、ここにいましたから……」
「人に? こんな所で?」
ミリアムが連れてこられたのは早くても今日の夕方、シリューよりも2、3時間ほど前の筈。その時に出かけ、シリューが襲撃した時間に戻って来られるなら、街までは行っていないだろう。
〝こんな森の奥の、何処で誰に会ってたんだ?〟
依頼を受けているわけでもなく、正式な捜査は官憲に任せるべきだろうが、このまま手を引くのもすっきりしない。
「ま、後でもう一回探ってみるか……」
「あ、あのシリューさん……」
「ん?」
ミリアムは隣で急に畏まったようにぴんっ、と背筋を伸ばした。
「本当に、ありがとうございました! シリューさんが来てくれなかったら、私……わたし……ごめんなさい……」
上目遣いにシリューを見つめるミリアムの瞳に、みるみる涙が溜まってゆく。
「……いや、俺の方こそごめんな……もっと早く来てれば、お前、あんな、あんな事には……」
シリューは真っすぐに見つめるミリアムから顔を背け目を伏せた。
「え? シリューさん? えとっ、私っ、大丈夫ですよ? シリューさん、ちゃんと間に合いましたっ」
シリューは憂いのこもった表情のまま、顔を上げない。
「……」
ミリアムは押し黙るシリューの両肩を掴んだ。
「ちょっ、シリューさんっ。何か言ってくださいっ、私ホントに何もされてませんからっ、間に合いましたからっっ。大丈夫ですからっ、ちゃんと、まだちゃんとっっ、わたしっシリューさんにならあげっ……ら……」
シリューの意味深な態度に、思わずまくしたてたミリアムだったが、はっと我に返り、両手を口にあてて続く言葉を呑みこむ。
目を見開き静かに固まるミリアムの頬が、みるみるうちに赤く染まってゆく。
「あげ、ら?」
シリューは訳が分からず首を捻る。
「い、いえいえいえっな、なんでもありません! とにかく大丈夫ですっっっ!!」
掴んだシリューの肩を放し、ミリアムは慌てて後ずさる。もう少しで、非常に危険な宣言をしてしまうところだった。
「そうか……魔法で元通りって言っても、あれだけ腫れあがって、痣まで出来て……、ちょっと見るのが辛かったんだ……」
〝そっちかああああああ!!!〟
ミリアムは心の中で盛大にツッコんだ。
幸いシリューは気付いていない。気付かれたら多分顔に火がついて死ぬ。
「どうした? 大丈夫か……。いろいろあったからな、見張りは俺に任せて、ゆっくり休みなよ」
シリューは真剣で、でも温かい眼差しをミリアムに向けた。
そう、それは縋る者を決して見捨てない、一心な優しさの輝く瞳。
「シリューさん……シリューさんはホントに優しいです」
気恥しくなり、ミリアムは思わず目を伏せる。
「けど、約束守れなかったしな……お前を泣かさないって、大口叩いたのに、カッコわるっ……」
「あ、あれはっ、泣いてないです。あの時私、ホント凄く嬉しくってっ! シリューさん勇者様みたいでっっ」
「勇者は言い過ぎだろ」
「でもでも、嬉しい涙は、泣いたうちに入らないです」
ミリアムは興奮を抑える為に、大きく深呼吸した。そして遠く星を見つめるように顔を上げる。
「……私、知ってましたよ、シリューさんは必ず約束を守ってくれるって……」
「……そうか……」
ミリアムは大きく息を零し、そして縋るように左の小指を見つめ、少し哀しそうに笑った。
「……私は……約束……守れなかったのにね…………」
星空を見つめるミリアムの瞳に映った光が一つ、尾を引いて流れる。
「……約、束……?」
〝ずっと僚ちゃんの傍にいる。だから、約束〟
ミリアムの横顔が、一瞬、美亜の思い出と重なる。
ある年の夏。
満天の星の下、朝が訪れるまで二人で眺めた流星群の夜。
「願い事……言えなかった……」
東の空が白み始めた頃、美亜が寂しそうに言った。
「消えるまでに三回ってやつ? あんなの絶対無理じゃね?」
星が流れるのは一瞬。どんなに早口でも、一回言えたらいいほうだ。
押し黙った美亜の瞳には、今にも零れ落ちそうなほど涙が溢れていた。
「ちょっと美亜っ、なんで泣いてんの!?」
「だって、だって……願い事言えなかったら、僚ちゃんと離れ離れになっちゃうと思ったんだもんっ」
いつもお姉さんぶる美亜は、たまにこうして子供っぽい一面を見せる。
泣き出しそうな美亜の顔の前に、僚は右手を掲げて小指を立てた。
「僚ちゃん……?」
「俺はどんな事があっても美亜と一緒にいるって、約束する……」
「……指切り?」
美亜は目を丸くして、涼し気に微笑む僚を見つめた。
「僚ちゃん……たまに子供っぽい事するよね」
「子供みたいに、泣いてるくせに」
「な、泣いてないもんっ。私っお姉さんだしっ」
美亜はあたふたと涙を拭った。
「しないの?」
「するっ」
美亜は左手を上げ、僚の小指と自分の小指を絡ませる。
「私、ずっとずっと、僚ちゃんの傍にいるっ。だから、約束!」
「うん。俺もずっとずっと、美亜の傍にいる。だから、約束!」
二人が絡めた小指の先を、ひと際明るい一条の光が駆け抜けていった、あの夏の夜。
白み始めた空に交わした、美亜との約束。
「……約束……」
あの時の約束は果される事なく、流星のように尾を引いて消えてしまった。
「お前……もしかして……」
シリューは目を見開いてミリアムを見つめる。
その碧く澄んだ瞳の奥底まで、そこにある真実を求めて覗き込むように。
「あ、あのっ、シリューさんっ?」
初めて見せる、シリューの縋るような眼差しに、ミリアムの心臓が胸の中で飛び跳ねる。
「ミリアム……約束って……」
「あれっ? え? なんで? おかしいな、なんでそんな風に思ったんだろ?」
ミリアムは自分でも訳が分からず困惑した。
「あ、あの、忘れてくださいっ、私っなんか呆けてましたっ」
「……ま、お前いっつも呆けてるけどな」
胸を過った思いを、否定も肯定せず、シリューはミリアムのその仕草にくすりと笑った。
「や、シリューさん、それはヒドイです」
そう言いつつ、ミリアムもつられて笑う。
二人の笑い声が、星の瞬く空に響いた。
夜は静かに更けてゆく。いつかどこかで交わされた、遠く儚い約束を包み込むように……。
星が生まれ、やがて消えてゆくように、新たな想いが生まれ、そして形を変えてゆく。
今はまだ……。
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