第7話 天然君とお姫様のサンドイッチ

 僚が森の変化に気付いて足を止めたのは、昼食の休憩からさらに奥へと進み暫く過ぎた頃だった。


「何か、おかしくないですか……」


 僚の言葉に直斗たち四人も立ち止まる。


 全員が耳を澄まし、辺りの様子を窺う。


「……静かだな……」


 木々の上方を注意深く探っていた直斗が、視線を落として呟いた。


「鳥や虫の声がしないんです」


 僚は剣に手を掛け、直斗もそれに倣う。


 確かに、さっきまではあれほど聞こえていた、鳥や虫の鳴き声が今はぴたりと止んでいる。


 正面の草木が揺れ姿を現したのは、子牛ほどもある灰色の体毛を持ったフォレストウルフだった。


「後ろにも!」


 ほのかが叫んだ。


「待って、こっちも!」


「こちらもです……」


 左右から現れたフォレストウルフに有希と恵梨香が身構える。


「こいつら、ゴブリンより強いんだよな……」


「……それにかなり素早いって話でしたよ」


 直斗の問いかけに、森に入る前に受けた説明を思い出しながら、僚が応えた。


 フォレストウルフはゴブリンよりも上位の魔物で、動きが早く群れで狩りをする。


 六頭のフォレストウルフがゆっくりと包囲網を縮めてくる。


「快速の矢、瞬け……マジックアロー!」


 ほのかが魔法を発動する。手のひら大の透明な魔力の鏃が一頭のフォレストウルフ目掛け飛ぶ。


 マジックアローは無属性の初級魔法で、威力はないが発動が早く速度もあり、敵を牽制するのに用いられる。


 ほのかが放ったのは3発。


 だが、フォレストウルフは高く跳躍し全て躱す。


 恵梨香が別の個体に弓を射るが、それも躱される。


「反応が早いです、気を付けて!」


 近づいてきた一頭に、直斗が横薙ぎに切りつける。フォレストウルフは後ろに跳躍し剣が空を切る。


「こいつら、俺たちの動きが見えてんのか」


 一連の動きを窺っていた僚は、ある事に気が付く。


 フォレストウルフたちは一斉に襲って来ず、交互に仕掛けている。それは僚たちの陣形を崩すためと思える動きだった。


 それなら……。


「日向さん、ちょっと試したい事があります。そこを動かないで」


「え?」


 僚は直斗たちから一歩二歩と離れて行く。


 そして一頭だけ距離を置き動いていないかった、群れのリーダーと思われる個体に向け走る。


「明日見!」


 別の個体が後ろから追いかけて来る。


〝思った通りだ〟


 僚が速度を落とした瞬間、フォレストウルフが飛び掛かる。


 それはまさに、逃げる獲物を後ろから襲う狼そのもの。


 だが、僚の狙いはそこにあった。


 振り向きざま逆手に持った剣を突き立てる。


 大きく口を開け飛び掛かって来るフォレストウルフ。だが、いかに素早いといっても空中では身を躱す事はできない。


 口から後頭部を剣で貫かれそのまま絶命する。


 背を向けた僚に、群れのリーダーが襲い掛かる。


 だがそれも僚の読み通りだった。


「だあああ!」


 噛みつかれる間際、ガントレットを装備した左腕を水平に構え、フォレストウルフの口の奥へ押し込む。


「ほら、噛み千切ってみなよ」


 僚は剣をくるりと回し、フォレストウルフの腹に突き刺しそのまま切り裂く。


 フォレストウルフは内臓をまき散らし崩れ落ちる。


「日向さん! こいつらの武器は牙です、攻撃を仕掛けて来る瞬間を狙ってください!」


「分かった!」


 フォレストウルフは動きは早いが、個々の攻撃方法は単純だ。


 その武器は長く鋭い牙で、獲物を襲う際は必ず噛みついてくる。


 習性が分かれば、直斗たちの敵ではなかった。


「旋光!」


 直斗は襲い掛かるフォレストウルフの口に、光属性の剣技を衝きこむ。


「大地の怒りよ、仇なす者を撃ち砕け……メタルバレット‼」


「双牙っ」


 ほのかが土系魔法で、金属の弾丸を飛ばす。


 ジャンプして躱したところを恵梨香の風属性弓術が撃ち落とす。


「火燕!」


 有希の貫手突きがフォレストウルフの喉を貫く。


 仲間を悉く倒され、残った一頭は逃走を図る。


「魁偉の風刃、阻害なる敵を断罪せよ……ウインドカッター!」


 二枚の風の刃が走り去るフォレストウルフを切り裂いた。


「何とかなったな……」


 剣を鞘に納めながら直斗が呟いた。


「やっぱ、大事なのは連携だね」


 有希はまだ少し青い顔で笑った。


「それにしても……」


 ほのかが眉をひそめて僚に詰め寄る。


「明日見くん、無茶しすぎ!」


「えっ」


 いつもおっとりしたほのかが、大きな声を出した事に僚は驚いた。


「自分の腕を噛ませるって、怪我したらどうするの」


「す、すいません、あの……」


 じっと僚を見つめた後、ほのかはいつもの様ににっこり笑った。


「ま、明日見くんのお陰で皆ちゃんと戦えたし、……うん、分かればよろしい」


「は、はぁ」


 僚はほっと胸をなでおろす。これ以上叱られる事は無さそうだ。


「明日見君……やっぱ天然系……?」


 有希の呟きは、誰にも聞こえなかった。





「お疲れ様です」


 いつもの様に一人特訓を終えた僚に、パティーユがそっとタオルを渡す。


「あ、ありがとうございます」


 僚はタオルを受け取り額の汗を拭った。


「おやすみになる前に、少しお話をしませんか?」


 パティーユは笑顔を見せ、ちょこんと小首を傾げる。


「はい、そうですね」


 あれからパティーユは、毎晩僚の訓練に顔を出すようになった。


 そして訓練が終わると二人でベンチに座り、暫くの間お喋りをするのが日課になっていた。


 お互いのその日の出来事。この世界の事や僚たちの世界の事。


 パティーユは特に、魔法のない世界での人々の暮らしぶりを、興味深く聞いていたのだった。


 いつものようにベンチに腰を下ろすと、パティーユは胸に手を置いて一度ゆっくり深呼吸をした。


 それから、僚との間を詰めるように座り直し、脇に置いた包みを開いて中身を膝の上に乗せた。


「……あの、お夜食にどうかと思って……」


 そう言ってフタを開けた中には、色味も綺麗に揃えられた……。


「わ、サンドイッチですか」


「……お口に合うといいのですが……」


 遠慮がちにサンドイッチを差し出したパティーユの頬が、ほんのりと赤く染まる。


「もしかして、王女様が?」


 パティーユは恥ずかしそうにこくんっと頷いた。


「嬉しいなぁ……じゃあ、遠慮なく頂きますっ」


 僚は一つを手に取り口に運ぶ。ローストされた肉と刻んだ野菜を挟んだサンドイッチ。


パティーユはその様子を心配そうな顔で見つめていた。


「あ、おいしいです」


 パンは日本の物より少し硬めだが、具材との相性も抜群で口当たりも良い。


 お世辞抜きで美味しかった。


「本当ですかっ」


 パティーユは声を弾ませ、弾ける様な笑顔を浮かべた。


「明日見様、こちらもどうぞ」


 もう一つの包を開き、パティーユは両手でそっと僚の目の前に差し出す。


「え? これ……」


「ホイップクリームとフルーツです。明日見様、好きだろうと思いまして」


 ちょこんっと首を傾けて目を細めるパティーユの顔には、確信に近い笑顔が浮かんでいる。


「あのっ……なんで、それを?」


 僚は目の前のホイップサンドどパティーユの顔を交互に見比べた。


 確かに甘い物もホイップサンドも好きだが、こちらに来て誰かにそれを話した事はない。いや、元の世界でも、知っているのは美亜くらいだった。


「え? あ……何故でしょう? 何となくそんな気がして……?」


 パティーユは頬に指を添え、答えを探すように空を見上げる。


「あの、もしかして甘い物は、苦手でしたか?」


 それから困ったように眉をハの字にして、遠慮がちに尋ねた。


「いえっ、大好きですっ」


 僚は差し出されたホイップサンドを一つ摘まみ、口へ運ぶ。


 嬉しそうに頬張る僚を眺めて、パティーユはたおやかに目を細めた。


「あ、あの?」


「ああ、申し訳ありませんっ。じっと見ていたら食べづらいですね……あの、明日見様、お茶をどうぞっ」


 パティーユは携帯用のティーポットから、紅茶をカップに注ぎベンチに置いた。


「ありがとうございます」


 カップに伸ばした僚の手が逡巡して止まる。


「……あの、紅茶はお嫌いでしたか?……」


「ああ、いえ、そうじゃなくて……そのっていうのはちょっと……」


 現代の一般的な日本人、しかもただの高校生が付けで呼ばれる機会などほとんどない。レスター達は明日見殿と呼ぶが、それもしっくりこない。


 どうにも現実感がなく、自分が呼ばれている気がしないのだ。


 パティーユは、暫く俯いて何やら考えたあと、意を決した様に顔を上げた。


「では、私の事もではなく名前で呼んで下さいっ」


 まさかそう言い返されるとは思わず、僚は一瞬身を引いた。


「じゃあ、パティーユ様?」


「なぜ、様が付いているのですか」


 パティーユは眉根を寄せ上目遣いに睨む。


 全く怖くはない、が、有無を言わせぬ迫力がある。


「えっと、パティーユ……なんか呼びにくいな……じゃ、パティ……」


「パティ……ですか」


 パティーユは顔を上げ丸く大きな瞳を、誰が見ても分かる程の期待を滲ませ、更に大きく見開いた。


「……パティ……いいですね、うふっ……ではこれからパティ、と呼んで下さい!」


 どうやらツボにはまったらしい。


「……パティ……うふっ……」


 パティーユは髪をかきあげた右手で耳を覆うように止め、何度も自分の愛称を口にしながら笑っている。


 僚にはなぜパティーユがそこまで喜ぶのか不思議だったが、考えてみれば王族である彼女の事を愛称で呼ぶものなど、今まで居なかったのかもしれない。


「お友達に……なったみたい」


 同年代の貴族の子女たちが、愛称で呼び合うのを羨ましく思っていた。


「いいんですか? 俺なんかがその……友達なんて」


 異世界とはいえ相手は王族、僚は距離感を掴みかねていた。


「もちろんですっ」


 パティーユは笑顔で即答した。


「じゃあ、俺の事は……」


「僚! あっ」


 パティーユは勢いよく言った後、はっと我に返り顔を真っ赤にして下を向いた。


「じゃあ僚って呼んで下さい」


 養護施設や学校では、僚か僚君と呼ばれていたのだから名前で呼ばれる事に抵抗はない。


 〝僚ちゃん〟なら速攻でお断りしていただろうが。(美亜は何度やめろと言っても「僚ちゃん」、と呼んでいた)


「そう言えば、今日は大活躍だったそうですね……僚」


 パティーユの顔はまだうっすらと赤いままだった。


「そんな、大活躍ってほどじゃ」


「高科様たちから伺いましたよ、僚のお陰で無事に闘えたって」


 話がかなり盛られている様な気がして、僚は少し居心地が悪くなり頭に手をやって軽く掻いた。


「……それで、これを僚に」


 パティーユが取り出したのは、刀身が60cm程のショートソードだった。


「剣なら貰ってますよ」


 実戦訓練に入る前、僚たちには王家から武器が支給された。僚が受け取ったのは直斗と同じミスリル鋼で打たれたロングソードだ。


 ミスリルは魔法との相性が良く、魔力を纏わせた属性攻撃に耐えられる性質を持つ。


 ただ、魔力のない僚にとっては軽くて丈夫で切れ味の良い剣、というだけで特殊な効果は望めなかった。


 それでもこの世界の騎士や冒険者からすれば、非常に高価でおいそれと手に入れる事ができる物ではない。


「この剣には、風の魔法が付与されていて、使う人の敏捷性を僅かですが上昇させます」


 パティーユから差し出された剣を手に取り、鞘から抜いて目の前に掲げた。


「魔力を持たない僚には、そちらの方がいいのではと思って」


 僚は立ち上がり二、三歩離れると、何度か剣を軽く振ってみる。


 魔力を感じる事はできないが、確かに剣速が上がっている。それにロングソードより取り回しも良い。


「ありがとう王女様、大事に使わせてもらいます」


 僚が剣を鞘に納め振り向いて頭を下げると、パティーユは立ち上がって僚の隣に立ち耳元に口を寄せた。


、ですよ」


 腕にふんわりと柔らかい感触。


「す、すいません、パティ」


 ……色んな意味で……。



 

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