第31話 パストラー領



 農夫と共にバルトの西に位置する一帯……パストラー領を西へと向かってゆったりと馬車で進み、農夫の知人の家々で寝泊まりしながら更に西へ西へと進んで……そうして三日が経っての昼過ぎ。


 長い長い道の向こうにパストラー領の中心街であるバロニアがその姿を見せる。


 ただ大きいだけでなく、均一の大きさに切り出された石を規則正しく積み上げていたバルトの防壁とは違い、そこら辺に転がっていた石を加工することも無くただ積み上げたという感じの、シンの背丈程の防壁に囲まれたその街は、街というよりは町と呼ぶのが相応しい、なんとものどかな雰囲気を漂わせていた。


 防壁もレンガの家々も、街の何処もかしこもが苔むしていて、びっしりと生えた苔からは小さな草花が顔を出していて、なんとも慎ましい鮮やかさに彩られている。


「本当にここはのんびりとしているねぇ。

 バルトとは全然違うっていうか……ここまで来るとまるで別の世界みたいだよ」


「ミミィ~~~。ミィ~、ミミミミィ~」


 荷馬車の上でそんなことを呟くシンと、のどかな光景が余程に好ましいのか、両手をばたつかせてご機嫌な様子で歌を歌うドルロ。

 

 そんなのんびりとした態度でシン達はバロニアの姿をゆっくりと、じっくりと眺めていく。


 バロニアという街は背の低い防壁しかない、これといった防衛施設の無い街で、いざ魔物が来てしまったらどうするのだと思うような造りとなっていたのだが……その理由を農夫から聞かされていたシンは、特にその事を疑問に思うこともなく、素直にその光景を受け入れる。


 一昨日の夜に聞かされた農夫の話によると、パストラー領には魔物が全く、ただの一匹も生息していないんだそうだ。


 なんでもバロニアを中心としたこの一帯は、よく雨が振り、そうかと思えばよく日が照り、毎日のように風が吹き、だというのに災害の少ない、穏やかでありながら肥沃な、恵まれた大地が広がっているんだとか。


 そうした環境であることから人が住むにも、農耕をするにも、酪農をするにも適しているんだそうで……そんな楽園とも呼ばれる大地を守るために、楽園を人々の物とするために、大昔の英雄達がこの一帯の全ての魔物を狩り尽くしたんだそうだ。


 魔物が住んでいなければ大きな城壁を構える必要は無く、防衛施設を作る必要も無い。


 そうして楽園という言葉に相応しい環境となったパストラー領は、英雄達が居を構える『人の為の大地』となった―――のだが、歴史が進み、人々が繁栄し、人々の数が増えるにつれて事情が変わっていってしまい……楽園は楽園のままではいられなくなってしまった。


 増えすぎた人々が食べていく為には更に広い畑がなければならない。

 増えすぎた人々が服を着る為にはより多くの羊達を養わなければならない。


 そうして人の為の大地だったパストラーは、肥沃で恵まれているからこその『作物と家畜達の為の大地』へと変化していったのだそうだ。


 作物と家畜達の世話をする農夫達だけを残して人々はパストラーから立ち去り、そうやって空いた土地全てを畑にし、酪農地にし……パストラーから去っていった人々はパストラーを囲う形で街を作っていった。


 そうして時が経って人々が増えたならまた新たな畑が、新たな酪農地が必要となり……人々を、人々の住まう街々を外へ外へと追いやる形で『作物と家畜の為の大地』は広がっていったんだそうで……そうやって今のパストラー領の形が出来上がったんだそうだ。



 その頃のパストラーは豊かな生産地として、とても裕福な土地だったそうなのだが……農耕酪農だけに勤しんでいたせいで、文化的、技術的な発展で遅れを取ることになってしまい……パストラーの人々が気付いた時には周囲の街々との立場は、すっかりと逆転してしまっていたらしい。


 『有り余る作物を売って大金を儲けるパストラー』から『有り余る作物を売った僅かなお金で、文化と技術を買い集めるパストラー』へと変化してしまったという……そんな歴史の結果がここまでの道の有様と、バロニアの苔むした古めかしい光景なんだそうだ。


『とは言え、真面目に働いてりゃぁ食うには困らねぇですし、魔物に怯える必要もねぇ。

 古めかしい光景も慣れりゃぁ愛着が湧くってもんで、あっしらにはこのままの、今のままの生活が何よりの楽園なんでさぁ』


 と、シンがそんな農夫の言葉を頭の中で反芻していると……ガタコゴガタコトと大きな音を立てながら荷馬車がバロニアの壁の内側へとその車輪を踏み入れる。


 大勢の人々が行き交い、何人もの見張りが立っていたバルトとは違い、見張りどころか人々の姿が全く見当たらないバロニアの入口。


 そんな入口を通り過ぎて街を貫く大きな道を真っ直ぐに進み、バロニアの中央にある、バロニア唯一の観光名所『バロニアの大噴水』へと到着して……そこで馬車を引いていた馬達がゆっくりとその歩みを止める。


「さぁさぁ、旦那様、ここがバロニアの大噴水でさぁ!

 豊かな地下水を大昔の英雄様が仕込んだ魔法でもって汲み上げる為のもんなんだそうで……噴水の中央にいるあの像が、この世界を守ってる女神様なんだそうでさぁ。

 なんでもあの女神像は何百年も前に作られたもんらしいですが、英雄様の魔法のおかげで崩れることもねぇですし、カビることも、苔が生えることもねぇんでさぁ」


 御者台の農夫がそんな声を上げて、その両手を大げさに振るう。


 そうされるまでも無く大噴水に、女神像にその視線を奪われてしまっているシンとドルロは、農夫に言葉を返すことも無くただただ呆然としてしまう。


 その視線の先には大きな丸い人工池があり、その中央にはドレス姿で立つ女神像の姿があり……女神の手の中にある杖の先から澄んだ水が凄まじい勢いで吹き出している。


 澄み渡った水が日の光を反射しながら舞い飛ぶそうした光景は言葉に出来ない程に美しく……シンとドルロの目はしばらくの間、何処か神々しさすら感じるバロニアの大噴水に釘付けになってしまうのだった。


 

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