第一章 前日譚 白蛇と彼の出会い
前日譚1
昔々、あるところにとてもとても強い蛇がおりました。
蛇はいつもいつも退屈していて、暇つぶしに畑を洪水で押し流したり、村に大雪を降らせたりしました。
村人たちは狩った獲物を貢物に差し出しますが、蛇は全然大人しくなりませんでした。
困った村の人々は、偶然訪れた旅のお坊様に蛇を退治してくれと頼みました。
お坊様は村人のお願いを聞き入れ、持っていた特別なお酒を蛇に贈るように言いました。
村人から酒をもらった蛇は嬉しそうにがぶがぶと飲み干して、酔っぱらって寝てしまいました。
お坊様が寝ている蛇になにやら経文を書き込むと、蛇はどこかに消えてしまいました。
驚いた村人はお坊様に聞きました。
「蛇はどこに行ったのでしょうか?」
お坊様は答えました。
「あちら側に帰ったのだ」
こうして蛇はいなくなり、村の人々は幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし・・・・・
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またあるところのお話です。
昔々、あるところに、一人の男がおりました。
男は山の中で一人で住んでいて、切り倒した木や狩った獣の皮を麓の村で売って暮らしておりました。
そして、男の家は山の中にポツンとある開けた野原の真ん中に建っていて、男は夜に月を見るのが好きでした。
それはとても月が綺麗な夜のことでした。
男がいつものように月を見上げていると、急に雲が湧いてきて、空を覆いつくしてしまいました。
「なんだ? 一雨来るのか?」
せっかく綺麗な月だったのにとこぼしながら、家の中に入ろうとすると、湧きだした雲の中に、丸く切り取ったような穴が空きました。
「へぇ、不思議なこともあるもんだな」
まるで男の家が建つ野原にだけ月の光が差し込むかのようで、家に戻りかけた男がまた月を見上げた時でした。
突然穴の向こうの月が煌々と輝きました。
「うごぁっ!?」
あまりにもまぶしくて男は手で目を覆いますが、光は辺りを照らし続け、やがて収まりました。
気が付けば空を覆いつくしていた雲も消え、月もいつものように青白くぼんやりと輝いているだけでした。
「なんだったんだ?」
男は首をかしげますが、何が何だかまるでわかりませんでした。
男が考え込んでいると、今度は体が燃えているかのように熱くなりました。
「が、ぐがぁぁぁぁああああああ!??」
そのまま男はその場に倒れこみ、3日3晩のたうち回りました。
その日から、男は山から降りてこなくなりました。
不思議に思った村人が旅のお坊さんに男のことを話すと、お坊さんは山に登って男の家を見てきてくれました。
お坊さんは言いました。
「あの場所は、やんごとなき方々がお休みになった土地だ。これからは、不浄の身なる我らは近づかない方がよい」
村人は問いました。
「あの男はどうなったのですか?」
お坊さんは答えました。
「あの男はあちら側に魅入られた。抗う術は教えたが、主らは近づかない方がよい」
そうして、村人は山に近寄らなくなりました。
男はそれからお坊さんとどこかに旅立ったそうですが、村人は誰も男がどこに行ったのか知ることはありませんでした。
めでたしめでたし。
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いつしか落ちた場所は月の宮と呼ばれ、月の宮に住まう男はもはや人の世にあること能わず。
その魂は人でもなく、妖でもなく、ましてや神でもあらず。
ただただ独り、血の美酒となり果てた。
願わくば、誰かがソレの寄る辺とならんことを。
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時が流れた。
男と僧が姿をくらませてから時代より世界は進み、多くの神秘が隠された時代。
日本のとある街の、寂れた農道が途切れた先で。
霧雨が降る中、小さな男の子は白い蛇に出会った。
「珍しいな・・・白い蛇?」
その幼い子供の声は、蛇が目覚めたばかりの頭で聞いた初めての声だった。
(ここは・・・?)
蛇は首をもたげて辺りを見回した。
蛇の記憶は、自分の住処のすぐ傍にあった村からの献上品を口にしたところで止まっている。
その時の自分は、深い池の底に拵えた氷の庵の中で、村の者の代わりとして旅の僧が持ってきた樽一杯に満たされた酒を豪快に飲み干したのだが・・・
(なんだ?ここは?)
目に映るのは、まばらに生えた木々と、広がる畑。
そして、小さな男の子が立つ砂利だらけの道であった。
どう見ても、水の中ではない。
(それに、辺りから感じる霊力も薄いような・・・どこぞの結界の中か?それにしても、さっきから妙に周りが大きく見え・・・んんっ!?)
不思議に思う蛇であったが、ふと自分の身体に視線を映した途端、そんな疑問は吹き飛んだ。
(な、なんだっ!?この矮小な体躯は!?)
蛇は、格の高い妖怪であった。
満ち溢れる霊力をもって水と氷を操り、真夏であろうと川の水を凍らせてしまうことなど朝飯前。
その大木を上回る巨体は人間の纏う鎧などとは比べ物にならないほど硬い鱗に覆われ、そんじょそこらの妖怪の牙では傷一つつかないほど。
仮に傷を負うことになろうが、瞬く間に傷は塞がり元通りになる。
それは蛇がまだ普通の小蛇だったころから死ぬ気で生き抜いて得た自慢の宝物だったのだが、今や見る影もない。
(も、もしやあの酒は毒だったとでもいうのか!?この妾を害するほどの毒など、余程の大物でなければ持ち得ていないと言うのにかっ!?あの糞坊主めがぁ~!!)
蛇の最後の記憶にあるのは、なにやら芳醇な霊力を放つ美酒。
しかし、あれは毒だったのかもしれない。
なんにせよ、蛇の霊力はほとんど失われており、今の体に残るものはほんのわずかな滓ばかり。
知性は変わらずにあるが、それ以外はそこらのアオダイショウと大差ない。
いや、ひとつだけ違いがあった。
「なんだっけ、アルビノってやつ? 図鑑で見たなぁ」
(あ、あるびの?なんだ、それは?)
先ほどの言葉を放った子供が、さらに口を開いた。
子供の言う通り、蛇は白い体に赤い瞳という珍しい姿をしていたのだ。
それは蛇が霊力を得ていく内に変わっていったものであったが、今となってはいささか都合が悪いと言わざるを得ない。
(なにがなんだか分らんが・・・この矮躯に、この色、それに僅かとはいえ力を持っていること・・・・まずいぞ。これでは襲ってくれと言いふらしているようなものではないか。再び力を得るまで生きることができるかどうか・・・)
現世であろうが常世であろうが、文明を持つに至らない連中はすべて弱肉強食の中に身を置いている。
その中での弱者にできることと言えば、強者に媚びへつらうか、群れてまとまろうとするか、隠れてやりすごそうとするか、あるいは他の何かの食い物になるかだ。
しかし、今の蛇の見た目では群れることも隠れることも難しく、頼るべき強者の宛てなどない。
さらに言えば、わずかとはいえ霊力を宿している自分は、他の動物と比べれば同じく力を持つ者にとって栄養価の高い餌だろう。
(まずい、これから一体どうすれば・・・・・)
味方などおらず、いるのは敵ばかり。
希望はなく、少し考えるだけでも数えきれないほどの壁が思いつく。
まさしく八方ふさがりだ。
そうして、蛇が器用にとぐろを巻きつつ首をうなだれさせている時だった。
「せっかくだし、この子にしようかな」
先ほどから喋っていた子供が、むんずと蛇の首根っこを掴んで持ち上げた。
(な、なんだ!? 何をする気だ人間!! 無礼者!!!)
先のことに絶望していた故に反応できず、そのまま持ち上げられてしまったが、未だに動かせる尾をビシバシと振り回して子供に当てる。
もっとも、ただの蛇と変わらない現状、子供の手からすらも逃れられなかったが。
(くそ、これでは逃げられん。このままでは蒲焼にされてしまう・・・)
蛇はあまり人間とは関わってこなかったが、人間の方からご機嫌取りのように貢物が出されることがあった。
その中に鰻の蒲焼があって、大層美味であったが、自分がそれになるなど冗談ではない。
そう思った蛇は掴まれた部分よりも上の頭も振り回して抵抗するが、拘束がゆるむ様子はない。
「ふんふ~ん!!」
ちなみに、鼻唄を歌う子供にとって、蛇を食べるなどという発想はない。
(くそっ、くそっ、この妾が人間ごときに食われて終わるなぞ・・・・妾が一体何をしたというのだ!!)
蛇としては退屈しのぎに時折鉄砲水を起こしたり、暑い夏に雪を降らせて涼んだりした程度で、見たことのある人間はまずそうで、それほど興味を持っていなかった。
そのため、積極的に人里を襲ったことはなく、今こうして無様に掴まれて運ばれていることがひどく理不尽に思えていた。
まあ、鉄砲水を起こされたり、夏場に作物に霜が降りた人間にとっては迷惑極まりなかったのだが。
(このっ!! せめてひと噛みでもできれば・・・・・むっ!?)
せめてもの抵抗として蛇は噛みついてやろうとするが、頭が指に届かず、舌を這わせるにとどまった。
だが子供の指を舐めた瞬間、蛇の中に衝撃が走った。
(な、なんだこれは!? 霊力が湧いてくるぞ!?)
ただの蛇が力を持つまでにかかった時間は途方もない。
理性もなかった蛇はたまたま常世につながる穴の近くに潜り込み、穴から漏れ出る力、いわゆる瘴気を百年をかけてその身に少しづつ浴び続けて知性と霊力を得た。それから穴を通って常世に赴き、より濃厚な瘴気を浴びながら他の妖怪を食らい、さらに数百年を経て神格を持つに至る手前までたどり着いたのだ。
それがこの子供をひと舐めするだけで、一年を穴の傍で過ごしたのと同じくらいの霊力が戻るのを感じた。
一年。たかが一年と人間ならば言うかもしれないが、ただの蛇が一年間野生で生きながらえるのは決して容易くはない。
ましてや蛇がいたのは妖怪が通ることもある穴の傍である。
(一体何者なのだ、この童は?)
ひとまず舐められる範囲を舐めて力の増大を感じなくなったあたりで思考にふける。
力が戻ったせいか、よくよく観察してみれば、この子供からは今までに感じたことのない何かを感じる。
自分に美酒を飲ませた僧は普通の人間よりはるかに多くの霊力を纏っていたが、それでも自分の知る霊力だった。
一方で、この子供の纏うそれは霊力に似てはいるが、致命的な違いがある。
もしくは決定的に違う何かが霊力に混ざっているようだった。
しかも、この霊力モドキはここまで近寄らなければ気づかないくらい巧妙に隠されていた。
(う~む?分らん)
抱いたばかりの絶望も忘れて思考の深みにはまる蛇だったが、そこで子供が口を開いた。
「ちょうどペットが欲しかったし、ラッキーだなぁ。どうやって飼おうかな」
(飼う? 今この童は妾を飼うとのたまったか!? 『ぺっと』とやらが何かはわからんが、すさまじく屈辱的な予感がする・・・・・いや、この童の近くにいられるなら悪くはないのか?)
人間の子供ごときに慰み者にされるのは屈辱以外の何物でもないが、何の宛てもない自分にとって霊力を大幅に回復させるこの子供に傍にいられるのは非常に都合がいい。
(むう、仕方があるまい。このまま運ばれてやるとしよう。しかし、なんと不幸なことよ。持っていた力を失い、こんな童に頼らねばならんなど)
「あれ、動かなくなった? 弱ってきてるのかな? 早くしないと」
(むごぉっ!? これ、走るな!! 揺れるだろうが!! くそっ!! 本当に不幸だ!!)
そして蛇は、自らの打算のために抵抗を止めて、されるがままに運ばれることにした。
それを弱ったと勘違いした子供が早く家に帰ろうと走り出し、蛇は己の境遇を不幸だと嘆くのだった。
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このとき蛇は自分の境遇を不幸と嘆いたが、この数年後に振り返って、あの時の自分は世界で一番幸運だったと思うことになる。
一つ、人間の世界から妖怪の生きる世界である常世に封印され、力を失った自分の前に、少年に繋がる穴が空いたこと。
一つ、力を大きく失っていたおかげで警戒されず、また、蛇自身も抵抗しようと思わなかったこと。
一つ、少年の養父が持たせた護符や家に張った結界が、このときは霊力をわずかに持った悪意のない動物には反応しなかったこと。
もしもこのとき、蛇が少年の力を求めて血をすすろうとでもすれば、護符に焼かれるか、結界に弾かれて丸焼きにされていたことだろう。
それを避けられても、その生い立ちと幼さゆえの直感から悪意や敵意に敏感な少年は決して家に持って帰らずに捨てていたはずだからだ。
だが、なにより幸運だったのは、少年が数年後に比べればまだピュアな子供だったことだろう。
このときの少年の力は簡易の護符で抑えられる程度であり、妖怪に襲われることもまだ少なかった。
人外を恐れないのは変わらないが、それでも数年後ならばいくら珍しいからと言って道端にいる白い蛇を捕まえようなどとは思わないのだから。
これより語られるのは、一人の青年が白蛇にまとわりつかれる日常に至るまでの前日譚。
そして、一人の青年が、まだ『人間』だったころのお話。
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「人間の雌餓鬼ごときが、妾の久路人に何をしている?」
校舎の裏側で、蔑むように、いたぶるように少年を囲んでいた少女たちが、突如として襲い掛かる身を刺すような冷気に震え、小便を漏らしながら少年のようにへたり込む。
「久路人のような宝石と、貴様らのような屑石の見分けもできん目玉なぞ、凍って腐り落ちても構わんよなぁ?」
そこで、塵を見る目をしていた白い少女は囲まれていた少年の元に歩み寄る。
さきほどの冷たい声からは想像もできないほど、優しく、それでいて粘つくマグマのような熱を秘めた声で語りかけた。
「ごめんね、久路人。 寒いよね? 辛かったよね? 鬱陶しかったよね?」
ぎゅっと、驚きに目を見開く少年を抱きしめる。
「でも大丈夫!! これからは、こんなクソ人間どもからも、有象無象の妖怪からも・・・・」
これは、月宮久路人という
「ずっと、ず~っと私が守るから」
一人の少年が、白蛇の化身と出会うまでの物語である。
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